もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

ホーランエンヤを彩る船

2019年05月26日 | Weblog

様々な役割を担った総数100隻を越す船が、出雲の船神事を盛り上げる。

 

「共船」とは伝馬船のお供、それとも御輿船の…

 

「化粧船」初夏の松江は少々汗ばむほどの陽気、演者はさぞかし大変だろう。
化粧直しを担当するのだろうか?

 

「奉迎舟」これは間違いなく「城山稲荷神社の御神体」迎える船だろう。

 

「清目船」神様の進む先を浄める役(露払い)で間違いないだろう。

 

この神殿の中に御神体が載せられ、飢饉を救う神事に出向く。

常に船団の中心に位置する。

 

五大地区の長老たちは紋付羽織袴の正装でお出まし。

 

大橋川に架けられた橋桁を潜るため、きらびやかな飾りは一旦倒して通り抜ける。

 

へんぽんと翻る旗指物?この雄姿が次に見られるのは10年先の「令和11年」

 

祭りの後、出雲の空は光り輝いていた。

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ホーランエンヤⅣ 音頭取と采振

2019年05月25日 | Weblog

櫂伝馬船の艫には女形の采振(ざいふり)が、狭い4斗樽の上で踊る。


 

勿論お囃子と共に音頭取が「ホーランエンヤ?」と声を張って謳いあげる。
漕ぎ手は櫂を漕ぎ、舵取りは巧みに櫓を操る。

 

幼さを残すがなかなかの美女ぶりで、容姿に似合わぬ激しい舞を披露する。

 

当日オイラが見た中で随一の女形はこの美しさ。かざした手がちょっと男らしいかな?


采と称するしなやかな棒の先端に、飾り布を巻きつけたものを打ち振って激しい舞を披露する。


足元は狭い4斗の酒樽、輪を描いて運航する伝馬船は揺れるので、立っているのも至難の業か?

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ホーランエンヤⅢ水先と剣櫂

2019年05月24日 | Weblog

櫂伝馬船の舳先に陣取るのが「水先」

 

ちょっとユーモラスな口髭が似合う福富地区の水先。
後ろが下がった舳先でこの姿勢を保つのは大変だろう?

 

こちらは緑地の唐草に茜襷(あかねだすき)が目を引く矢田地区の水先。
藻が多い大橋川の水面を凝視しながら、的確に伝馬船を導く。

 

水先の真後ろで剣舞を披露する「剣櫂」、歌舞伎様の化粧・衣装に横綱を締めている。
出雲は日本最初の相撲で勝った「野見宿祢」の出身地、相手は大和の「当麻蹴速」だった。
そういえば日本最強の相撲取、大関:雷電も出雲の出身。

 

 

剣櫂は相当重労働のようで各地区とも3人が交代で舞う。大井地区の剣櫂。
大見えを切っているように見えるが、その実休憩かな?控えの演者はさりげなく扇子で涼をとっている。

 

1番船は馬潟の剣櫂、横綱の形が少し異なるが…
多くは中学生が演じるようで、御神燈脇に控える人は、まだあどけなさが残る。

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ホーランエンヤⅡ伝馬長

2019年05月23日 | Weblog

御輿船を中心に阿太加夜神社周辺の五大地区(馬潟・矢田・大井・福富・大海崎)の櫂伝馬が勇壮な舞を披露する。

 

その櫂伝馬を指揮するのが伝馬長、地区ごとに立ち位置が微妙に違うが多分この人だろう。
これは大海崎

 

船の運航や漕ぎ手、お囃子、舞などすべて伝馬長の指揮に従う。
これは馬潟。

 

左側に立っている人が伝馬長だろう。これは福富

 

最も貫禄のあったのが左端に立つこの人、
正直豪華な船渡御に見とれて、それぞれ役割のある人を的確に寫していなかった。反省!

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ホーランエンヤ

2019年05月22日 | Weblog

松江市の「松江城山稲荷神社式年神幸祭」と言うのが正式名称でホーランエンヤは俗称。

 

広島の街中にも数多くこのポスターで宣伝されていた「ホーランエンヤ」
何度も行こうとしていかれなかったこの祭り、今年はタイトな日程の中松江行を強行しました。

何と言っても10年に一度しか開催されないのですから、今年を逃せばオイラの年齢から言って次はどうなることやら…

 

江戸時代の松江藩主が凶作続きから領民を救おうとしたのが起源。
松江城山稲荷神社の神様を、10キロ離れた阿太加夜神社(あたがや神社)まで運んで祈祷した。

松江市民のやさしさがにじみ出ている街の佇まいでした。ここ子なんて名前かな?

 

街路も綺麗に整理整頓されていました。前夜来の強風で早朝、落ち葉こそ散見されましたが…

 

そして神事が催される大橋川沿いには、途切れることなく「ご座」が敷かれています。
神事開催まで2時間ほど前なので、寝そべりで待つ観光客もいました。

 

松江市内にはこの案内幟がそこかしこ、オイラは初日の「渡御祭」を観覧します。

 

オイラたちも少しでも見やすい場所をと欲をかきましたが、良い場所はすでに満席でした。
ところが地元のこのお方が気持ちよく、オイラたちに席を分割してくださいました。

 

この辺りが、優しい地元の方が譲ってくださったオイラたちの席です。

神事開始まで例によって「直会(なおらい)」ではなく宴会です。

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