もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

ビァガーデン

2012年07月25日 | Weblog

今年初めてビァガーデンへ行きました。
広島ではお馴染み:格安寿司チェーンが運営する此処は、料理の種類が豊富で、特に女性に人気です。
この日も開店と同時に上がったのですが、既にチケット売り場は長蛇の列、入場まで15分も待たされました。

 

 スナップの中央付近、良く御覧になってください。雀がいます。
舌切雀の話を思い出しましたが、こいつちゃっかりお客さんからごちそうを分けてもらって…
「チュンチュン」とご機嫌でした。


 こちとら手術後大量のビールを飲むのは初めて、中ジョッキ3杯で腹が一杯!
後はウイスキーのロックをちびちび舐めるように…

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西国24番札所中山寺

2012年07月15日 | 西国33観音霊場

 今シリーズ最後はこのお寺。此処もすさまじいばかりの近代化がなされています。

 

 山門はごく普通の二重楼門。

 

 五線の練り塀で格式の高さを強調しているのでしょうが、擬宝珠付朱塗りの手すりは何を意味するのでしょうか?
ちょっと違和感のある参道です。

 

 本堂正面の石段と並行して、昇降用のエスカレータも完備しています。
バリアフリーそのもののお寺です。

 

 町中のお寺なので、コンパクトに堂塔伽藍が配置されています。
33観音霊場詣りも遍路なのでしょうが、乗り物を利用して巡礼しているので、カテゴリーはあえて“歴史探訪”としました。

 此処中山寺には“閻魔様のお手判”があると聞いたことがありますが、拝見するのを忘れました。

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西国23番札所勝雄寺

2012年07月14日 | 西国33観音霊場

 7/9日 2番目にお参りしたのが大阪府箕面市にあるこのお寺、創建は古いらしいのだが現在はきれいさっぱり、境内内全ての物が新しい。

 

 自動駐車場システムの屋内駐車場まで完備された、ピッカピッカの堂塔伽藍が立ち並ぶ。
入山口も退山口も、食堂兼みやげ物店内を通過する(させられる)徹底ぶりである。
 そそくさと納経を済ませ、足早に寺を後にした。

 

 樹木に囲まれて雰囲気のある参道、これも新しい多宝塔に向って進む。

 

 順路はご覧の竹垣や手すりに囲われており、一方通行で進むようになっている。
境内を自由に散策してはいけないと云うことか?
 入母屋造りで何の変哲もない本堂。

 

 無残な姿で放置されている、漆喰塗り込めの土塀。
このお寺で唯一、ほっとする気持ちにさせてくれる場所であった。

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西国20番札所善峯寺

2012年07月13日 | 西国33観音霊場

 7/9日も引き続き西国33観音霊場巡り、今日は少し足を伸ばして、京都西京区の“20番:善峯寺”を手始めに納経を始める。

 

 往時の寺領は随分広大なものであったらしいが、現在の門前や境内はは非常に狭く、標準レンズではフレームに収まらない山門。
楼を支える斗手が仰々しく、さらに腐食止めの白色塗料が目立って納まりが悪い感じ。
 二重軒(ふたのき)や尾垂木なども造作しているのだが、全体的な調和が今一。

 

 長元2年源算上人の開基と伝わる古寺だけあって、奈良時代の寺院に倣ってか、参道中央に1基の燈篭が建つ、東大寺などでもお馴染みの配置である。

 

応仁の乱において全ての伽藍を焼失したので、5代将軍綱吉の生母:桂昌院の寄進によって再建された。
桟瓦葺きの本堂は、壮大な山門に比べて極めて質素な造りである。

 

 当寺で唯一、国重文に指定されている多宝塔。
桧皮葺きの屋根に、白漆喰の亀腹が調和して美しい。

 

 参詣時、季節柄か造園師の手によって、境内一円樹木の剪定が行われていた。
この脚立が気に入りました。木と竹で手作りのヤツ、いいね!

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西国25番札所播州清水寺

2012年07月12日 | 西国33観音霊場

閑谷学校を訪れたついでに、西国33観音霊場の数カ寺をお参りすることにした。
山陽自動車道を上って、兵庫県加東市にある“25番札所:播州清水寺”を訪ねた。

 

 昨今の巡礼ブームで「潤っています」と云わんばかりの山門。
最もポピュラーな楼門である。

 

 白木で造られているので年代を感じさせるが、大正時代の再建で比較的新しい。
この場所でお参りを済ませ、納経場所を探すが見つからず慌てる。
 下山時間が17時で、出口が施錠されてしまうのだ。四国と異なり事務的で人間味に欠ける。

 

 参詣道を少し外れた?場所にある大講堂、こちらが納経場所であった。
改めてお参りを済ませたが、桟唐戸などの風蝕が進みちょっと風情のある建物。
 こちらも大正時代の再建である。

 

 季節の花:あじさいが境内一縁、所狭しと咲き誇っている。
この花、あまり美しいと感じたことはなかったが、薄暮にこの色は妙に溶け込んでいた。

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閑谷学校の隠れた魅力

2012年07月11日 | ボランティア

 岡山県備前市は“備前焼”がつとに有名ですが閑谷学校も奥が深く、是非足を運んでいただきたい史跡です。
行かれた方は“ボランティアガイド”に、史跡の案内をお願いしましょう。
 見逃しがちな観光ポイントを、的確に教えてくれる筈です。

 

 日本広しと言えども、此処閑谷学校だけにしかない石造物:繋牲石(けいせいせき)
いけにえをを繋ぐための杭です。巨大な石を鑿で加工して造り上げています。
 儒教では天地の恵みに感謝して、年に1回いけにえを捧げます。
この式典は釈菜と言い、閑谷学校では毎年10月最終土曜日に開催され、希望者は何方でも参列できます。

 

 この景色、一見して違和感がありませんか?
石垣の上に土盛りが施されていることから、この山は人工的に築かれたことが分かります。
 火除山と言って、防火帯の役目を担っています。大火を防ぐ先人たちの知恵を垣間見ることが出来ます。

 

 北側にある山の斜面で反射した光が、床板と炉を鈍く照らし出しています。
北の窓から明かりを取り入れ、屋内の明るさを確保します。
 炉に刻まれた文字は、「この炉ではたき火はいけない、炭火のみ可」と彫られています。
『斯炉中炭火之外不許薪火』

 

 岡山藩主池田家の家紋:揚羽の蝶、平氏の家紋と伝えられています。
この複雑な文様を軒丸瓦に施し、備前焼で仕上げているのです。

 

 閑谷神社に寄進された燈篭には、歴代藩主の名前が刻まれています。
源朝臣池田茂政や源朝臣池田慶政など、いずれも源氏を名乗っています。
 先の家紋では平氏を名乗り、此処では源氏、これは矛盾しないのでしょうか?

 

 閑谷学校の校庭でのスナップ、“あぶさん”でしょうか?
此処には未だ、長閑な自然も残されています。

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閑谷学校

2012年07月10日 | ボランティア

 2002年、まだ会社生活現役時代から続けてきた、閑谷学校のガイドを7/8を持って引退しました。
柔らかな雰囲気と癒しの空間が、どこまでも広がる校庭に別れを告げました。

 

 木造建築の粋を集めた国宝講堂。
元禄14年の創建ですから、今年313年目の夏を迎えています。

 

 学校の正門に当たる鶴鳴門、蔀を開ければ障子張りの華頭窓が現れます。
学校の中心:聖廟に正対しています。

 

 学問の祖:孔子を祀る聖廟は、学問の木:楷樹に覆われ屋根のⅠ部のみ姿を見せています。
楷の木は、晩秋11月の初めに見事な紅葉を見せます。
 赤と黄一対の巨木の紅葉は、見る者圧倒する迫力です。

 

 江戸時代に世界で初めて、庶民の学校(閑谷学校)を開学したのは、岡山藩主:池田光政。
彼の遺徳を偲んで建てられた、閑谷神社。
 隣にある、孔子を祀る聖廟と相似しており、大きさは3/4に造られています。

 

 

  今日も庶民を対象に講座が開かれました。講堂内部です
鏡の如き床面をご覧ください。身の引き締まる思いが伝わってきます。
 開学の精神は、脈々と引き継がれていきます。 

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旧日銀広島支店

2012年07月01日 | 歴史探歩

 被爆建物としても大切に保管されてきた、旧日本銀行広島支店の建物。
観光ボランティアの研修で、改めてお勉強と相成った。
 堅い建物の話題ばかり続いて、ちょっとばかり恐縮です。

 

 正面玄関の装飾、ギリシャ風と説明されたが昭和11年の建造と云うことで、予算が厳しかったらしい。
したがって先に建てられた、お隣の日銀岡山支店等に比較すると相当質素な造りになっているようだ。

 

 それにしても爆心地から380メートルの距離でも、躯体はビクともしなかった。
この健気さを思えばこの施設、もう少し有効な利用方法は無いものだろうか?
 折鶴を撤去しただけで、その後はがらんどう…今度の広島市長は何を考えているのだろう?

 

 1階営業室の天井は2階まで吹き抜けになっており、上部は自然光を取り入れていたと云う。
此処でも日本古建築の手法である、小格子天井が採用されていた。

 

 手前が入り口側で、お客様を迎える窓口である。
中央奥に見える手すり付きの回廊は、西部劇で良く見られる警備員の見張り場所を模したもの。
 大袈裟な飾りを配したのかな?

 

 巨大な自然石を配しているように見えるが、実は張りぼてで精一杯見栄を張っているらしい。
それにしても日銀て処は、町の中心に無くてはいけないのだろうか?

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