国宝の講堂を有する、国の特別史跡“旧閑谷学校”。
本格的な紅葉シーズンを迎えて魅力倍増、たくさんのお客様の来校をお待ちしています。
特に素晴らしいのは、閑谷学校顕彰会のスタッフが様々な工夫を凝らした、心温まるおもてなしの数々が、校内の随所にちりばめられています。
校域全体の整理整頓はもとより、芝生広場の整備やみやげ物の政策販売、判りやすい出版物など枚挙に暇がありません。
そんな中でも、きらりと光るさりげないおもてなしをどうぞ!
サンフレ! ナビスコ杯準決勝ホームゲームで、見事難敵:清水エスパルスを2:1で撃破! 決勝進出に期待が膨らみます。
閑谷学校は春夏秋冬、様々の趣で遠来のお客様を迎えます。
今はすっかり秋めいて来ており、国宝講堂の上方に広がる青空はすっかり秋で、鱗雲が時々刻々その姿を変えていくのです。
あと一ヶ月もすれば、稀代の人気者「楷の木」が、左右一対:紅と黄金色に、美しく紅葉し、詰め掛けるお客様にこの上ない感動をもたらすことでしょう。
閑谷学校の秋をお楽しみください!
第37代斉明天皇(第35代皇極天皇)は、先ごろ調査を終えた牽牛子塚古墳の埋葬者であると比定された。
八角形の墳墓形式が決め手となって、ほぼ確実視されている。その他の斉明天皇陵では無いか?と言われてきた、二つの墓の調査が待たれる。
百済の滅亡のよって、朝鮮半島情勢がにわかに緊迫する中、斉明天皇は突如九州の中央部付近に位置する“朝倉橘廣庭宮”に遷宮するが、ここが終焉の地となった。
“朝倉橘廣庭宮”跡には、現在標識が立っているのみで、都の跡らしき景色は何も残されていない。
やっと秋らしさを感ずる季節となったが、観光・スポーツボランティア共に多忙となり、夜の付き合いと相俟ってちょっとグロッキー気味…
古代九州の旅は、博多湾に突き出た“海ノ中道”にある、志賀海神社を尋ねる。
海の守護神とも海神の総本社とも称せられている。
住吉三神(底筒男命、中筒男命、上筒男命)を本殿に、左殿には三韓征伐の帰途立ち寄ったとされる、神功皇后、応神天皇、玉依姫命を祀っている。
此処にも興味深い石造物があったので紹介する。
見る角度によって非常に興味を引く陰陽石、絶妙の配石である。
さらに日本最古と称する宝篋印塔も…
第15代応神天皇、全国各地に存在する八幡神社に祭られており、母の神功皇后とともに合祀されている事が多い。
実在性の高い天皇といわれており、日本全国各地の逸話に登場する。
今回のたびはこの応神天皇ご降誕の地“宇美八幡宮”からスタートしました。
宇美=生みの意味で、神功皇后は新羅遠征の帰途、此処に立ち寄り応神天皇を生んだと伝えられています。
古代歴史旅が始まりました。
自分ばかり遊び歩いていると、探歩会仲間の皆さんが心配してくださいますが、スケジュールの合間を縫って、9/212~22日近くの温泉宿で、“連れ合い殿”の慰労を実施しています。ちょっとばかし言い訳を…
猛暑・酷暑どの言葉でも言い表せない今夏のすさまじさ!
ようやく朝夕にわずかに秋を感じさせるここ数日です。
昨夜は早くも今期5位以下が確定したカープのサポートボラ、首位中日に善戦するもやっぱり力つきて…
前回来広した阪神ファンが余りに理不尽だったのに比べ、中日ファンは物静かで紳士、断然中日に肩入れしたくなりました。
アンチ巨人で阪神もそれなりに贔屓していましたが、一部の心無いファンの態度に阪神も切り捨て、残るセリーグ4チームを“よいしょ”します。
こうゆうファンは“アンチ阪神・巨人”とでも言うのでしょうかね?
太陽の写真ものにしたいのですが…
1ケ月振りの観光ボランティア活動は事務所の電話番、久し振りの御出勤だったが、室内は大変綺麗に清掃されていた。とても気分が良い!
さすがの酷暑もようやく終わりを告げようとしているが、それでも日中の日差しは強烈!広島平和記念公園の観光客もまばら?である。
その中で外国の方が数人、集中的に“平和のともしび”の写真を撮影していた。場所を変え、アングルを変え、明らかに観光のスナップ写真とは異なる雰囲気。
ふっと先ごろ尋ねた、根室はノサップ岬にあった“北方領土返還の塔”を思い出した。
核廃絶を願う、日本固有の領土返還を心待ちにする、相似の二つのモニュメント、思いは何時かなえられるのだろうか?
めちゃくちゃに取ってくる写真の整理が全くできていないので、資料映像の整理をしようと… アルバムを開いて見ていればむかしと一緒、あんな写真、こんな人が…
全く整理は進まず、あっと云う間に1週間は過ぎてしまった。明日からまたぞろ本来の姿に立ち戻って、外歩きが始まります。
夫婦岩シリーズ:松江のヤツは如何です。
戊辰戦争悲劇の地、会津若松城もあまりに属っぽくて、白虎隊隊士達には申し訳ないが、史跡としてのお城に、さしたる感銘は沸かなかった。
少しマイナーかもしれないが、蒲生氏郷の名前が残る“二本松城”を東北代表にしてみた。
復元された石垣の様子や、矢穴跡がはっきり残っているように、石工の苦労が偲ばれるのが、なんとも最もらしくて…
往時の職人さんも、何かと失敗をやらかしているのが人間臭くて、親近感が…
周りを良く見ると船名は異なれども、紅の帯が描かれた同一デザインの漁船が数隻目に入った。
好奇心旺盛なオイラは、近くで船の修理中の方に質問してみた。すると驚くべき答えが返って来たのですが…
これらの船は、コンブ漁で超有名な、貝殻島周辺でコンブ漁をする船団らしい?ただ好漁場である事からロシアの関渉が厳しく、どうかすると違法に拿捕(日本の認識で…)されるらしい。そこでロシアに操業許可料(正式名称ではない)を払った船は、拿捕から免れるらしい?
お金を払った目印が、冒頭の漁船の紅の腹帯び塗装と云う仕組みらしい?
本当の事ならビックリ!しますね~
パソコンに連動したプリンターがダウンした。たちまち困るんで…安物を購入、何かと物いりです。
チャシはアイヌの砦と云うのが一般的なようですが、近くで観察する限り、とても戦闘時に防御の役には立ちそうもありません。
写真はたいそう大仰に映りますが、近くで見れば本当に華奢な物です。こればっかりは現地でご確認戴かないと納得していただけないでしょう。
それでもものの本によれば、砦の奥には容易に攻め込まれないよう、横堀を掘ると記述されていますので、そんなものかなっと?
根室の“ポンモイチャシ”写真をご覧ください。
手前が入り口側で、奥に見える岩の塊?部分が、山城で云う:詰の丸にあたり、途中低くなっている処が“横堀”の役目なのでしょう。
北海道は根室のチャシ群、百名城に指定されていた“ヲンネモトチャシ”と“ポンモイチャシ”へたどる道は、大変な相違があります。
地元の皆様の誠意が、身に丈にに余る雑草を刈り取って、歩きやすい道を確保してくれています。
二つの史跡への道、本当に感謝感謝の連続でした。
雑草を掻き分けてみて初めて、ご苦労の程が良くわかりました。
これからあれこれ整理を始めようと思っていますが、興奮さめやらない状況でのご報告を速報版でお送りしてみます。
特徴のある三つの城が選ばれた北海道、日本の新開地としての面目躍如ではないでしょうか?
最終訪問地である、根室のチャシを取り巻く草原?には、季節の花々が一杯に咲き乱れていました。
本土では珍しくなった、野生のりんどうをどうぞ!
とうとうやってまいりました本土最東端の場所、根室はノサップ岬、百名城巡りのエンディングに相応しい場所として、最後の楽しみにとっておきました。
これは真っ赤な偽りで、我が本拠地広島からもっとも行き難い場所なので、最後のなってしまったのです。
そして根室のチャシ群は本当に城らしくない構造物?で、事前の予備知識と標識が無ければとてもたどり着けないでしょう。
写真の“ヲンネモトチャシ”は、どれほどの規模だと思いますか?皆さん想像してみて下さい。そして楽しんでください。正解は皆さんのその目で、根室に足を運ばれて確認してみて下さい。
先輩諸氏や地元の観光案内の地図を頼りに、やっとたどり着きました。皆さんに本当に感謝いたします。