もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

中秋の…

2007年09月26日 | Weblog
『名月を とってくれろと 泣く子かな』 泣く子達も巣立ってしまって何年かな?
だんごもすすきも飾ることなく、何気なく眺めた空に名月が浮かぶ。イヤまだ登り始めの『薄暮の名月』である。

熱帯夜がやっと途切れたこの日、東の空に登るお月様である。これから一気に秋が深まり、山々は紅葉が深まる
安佐北区(あさきたく:朝帰宅)の初秋の夕暮れです。
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五道転輪王

2007年09月25日 | Weblog
五道転輪王は冥界にあって死者の罪業を裁く十王の一人、十番目の裁判官であり最後の審判を下すといわれています。
本来の姿は末法思想の世に、救世主扱いされている阿弥陀如来です。7七日(なななぬか:49日)の裁きをもって、地獄の六道に送られた人は、その後年忌の時もに救いの手が差し延べられます。
しかしながら十王は親戚縁者の篤い思い(信仰心)をも判断して、救済の裁きを行うといわれています。
年忌は亡くなった人の救済を、現世の人間が手助けできる催事なのです。日本では更に、7回忌、13回忌、33回忌と裁判を行う、十三王信仰も広く伝わっています。
私たちは出来るだけ長く、救いの手を差し伸べたいものです。

9/23日は亡き母の三回忌、すなわち十王の一人:五道転輪王による最後の裁きがありました。坊主もどきの私も、この日ばかりは真摯にお願いをしてまいりました。
きっと母も安らかな場所に導かれた事と信じています。 合掌
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衣干したり天の香具山

2007年09月24日 | 歴史探歩
衣替えに備えて初夏に大くの人達の衣を虫干しした、くらいに思っていましたが(学校でもそのような解釈で勉強したと思うが…)そうではなく天皇が即位する時、白い羽衣をまとうのだそうで、持統天皇が即位の時詠まれた歌でしょうか?

壮絶な権力争いが行われた万葉の歴史、学校では教えてくれない歴史の一端を、現地で解説していただきました。
そう思って見た「藤原京」から望む『天の香具山』は如何でしょう?
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ぼけ封じ地蔵

2007年09月22日 | 歴史探歩
奈良県五條市に、大和から高野山参詣道沿いに「寄足山生蓮寺(よらせざんしょうれんじ)」があります。
縁起によると修業中の弘法大師が当地に立ち寄り、高野山に真言密教を開基される決断をされた場所とか?
『この世をば わが世とぞおもう 望月の 欠けたることの なしとおもえば』の藤原道長なども道中の安全を生蓮寺で祈願したという。

当寺境内に、美しい蓮に囲まれて「ぼけ封じ地蔵」がおわします。地蔵さんもさることながら、お願いしているお年寄りのお顔が素晴らしい。オイラもこのようなものに目が行くようになりました。 合掌
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元薬師寺

2007年09月20日 | 歴史探歩

畝傍山を踏破した私たちは、百人一首の中で女性でありながら台付きで描かれる、持統天皇ゆかりの天の香具山に向かう。

途次田圃跡の水面一体に咲き乱れる儚げな花に出遭う。場所はあの薬師寺の元であった処…
花は「ほていあおい」だと云う。花の咲いていない水草としてよく見たが、こんなにたおやかな花を付けるとは… 皆さんご存知でしたか?

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大和は国のまほろば

2007年09月19日 | 歴史探歩
9/15日からまたまた大和に歴史探歩でした。今回も大和三山や高野街道、高取城など、それはそれは盛りだくさんの内容であります。

天皇家の象徴:初代神武天皇を祀りする「橿原神宮」、この神域から大和三山の散策は始まりました。
最初は畝傍山(うねびやま)登山です。一部の方は神域として、足を踏み入れるなんてトンデモナイ等とおっしゃる向きもありますが、しっかりした踏み跡が残されており、地元の皆さんにも格好の散歩コースとして愛されているようです。

もっとも無信心な我々を迎えて、御山は小ぶりの雨模様でありました。
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秋の七草

2007年09月13日 | Weblog

『萩桔梗 薄撫子女郎花 葛藤袴』
(はぎききょう すすきなでしこおみなえし くずふじばかま) これぞ七草
とうたわれる秋の七草にも絶滅危惧種が多いらしい。

桔梗は昔至る所に咲いていたが最近とんと姿を見なくなった。これも絶滅危惧種らしい。咲いている場所を仲々教えてもらえなくなった。さびしい限り…

たったの一輪ですが、じっくりご覧になってください それほどのものでもないか

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秋風ぞ吹く…

2007年09月11日 | Weblog
『都をば 霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関』
朝晩メッキリ涼しくなりましたネ、お陰さまで毎晩グッスリ 程なく猛暑の疲れも取れる事でしょう。これからのアウトドアーは本当に楽しみですね

またまた宣伝だけど、「郷土史紀行」44号に引続き、45号にも駄文が掲載されました。前回に懲りずに今回もよろしくおねぎゃ~申し上げます。
今日から店頭に並ぶと思いますけど…

白河ではなく、吹き割りの滝で勘弁してチョ
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郡山城

2007年09月10日 | Weblog

9/9日は安芸高田町の歴史講座、旧吉田町の時から続く伝統の歴史講座である。来演の先生方もビッグネームが揃っており、広島市から参加の受講生も多く、いつも会場は満席である。
ことに本日は人気ダントツの三浦正幸教授の講座とあれば、早くからの満席が予測されるため、14時開演なのに我が家をナント12時に出発した。ちなみに会場までの所要時間は1時間足らずである。
13時前に会場到着したが、今日もすでに予測通りの面々が来場され前の席を占めていた。

講座のタイトルは「郡山城を復元する」であったが
先生の結論は
「郡山城は当時最大級の山城であるが極めて低防備である」
最後に安芸地方の人は、「人柄が良く、おおらかなのですね」と結びました。

郡山城復元図をご覧下さい!

 

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荒城の萩

2007年09月08日 | 歴史探歩
豊後竹田(ぶんごたけたと濁らない)の岡城は、僅か7万石程度の小藩の城とは思えぬほどのスケールである。
周囲は70mを越える断崖絶壁に囲まれており、その外側を「稲葉川」と「白滝川」が周囲を取り囲む完璧な城郭である。
城内の広大な敷地内には家老屋敷が本丸を取り巻いており、完全な生活空間が城域内に形成されている。

1586年の豊薩戦争(豊後志賀氏と薩摩島津氏の戦い)では、3万7千の島津軍を僅かな手勢で撃退したと伝えられ、岡城の堅固さは証明された。以降明治維新まで続いた城郭は、廃藩置県により建屋部分が取り壊されてしまった。残念!
志賀氏は大友氏の豊後除国に併せて城を去り、1594年から中川秀成が入城して幕末まで13代引き継がれた。

荒城の石垣に咲く萩、秋がすぐそこに…
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岡城跡

2007年09月08日 | 歴史探歩
2007年夏最後の青春18旅は大分県豊後竹田の岡城跡、あの土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲の『…いま荒城の夜半の月』と唄われた“荒城の月”の舞台となったのはあまりにも有名。
でも全体のイメージは『崩れしままの石垣に…』の“古城”の風情です。秋風が吹く季節のせいかな?

ところで写真をご覧になってください。何処かで見た事のある石垣の景色でしょ。
そうです、閑谷学校の石塀とソックリなんです。何故豊後のこの地に、備前と共通するような石垣が残されているのでしょうか? どうしても探求しなければ気が済みません。
豊後中川氏と備前池田氏の手になる、表面を蒲鉾型に加工した石垣が作られたのは17世紀半ばである事と、共に外様大名である点が共通している。

謎解きは今後の調査に掛かると思いますが何時になるかわかりません。何方かご存知でしょうか? あるいは他の場所にも同様の石垣が存在しますか?
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グランドゴルフ

2007年09月05日 | ボランティア
遠征登山のしこりを脚に残したまま、今日はグランドゴルフですゾ
何時も難しい話をしたがる観光ボラの皆さん方とご一緒です。でも今日は全員年甲斐も無く、まるで遠足に出掛ける小学生の様でした。
昨年は雨に祟られて屋内バージョンでしたが、本年はドピーカンで全面天然芝の本格的なグリーンと云うのかな 絶好のコンディションで、本当の実力勝負になったのではないですか。

会場は尾道の某所:建屋も大きく立派な設備ですが、チョッピリ気の利かないスタッフがいる、絵に描いたような半官半民風のパターンです。
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谷川岳遥か

2007年09月03日 | Weblog
一の倉沢の滑落事故で誰でも知っているのが谷川岳、いやこの表現は適切でない。
9/1薄曇りとなった遠征最終日は土曜日だったせいか、ロープウェイ終点の天神平も登山道も多くの人で賑わっていた。万人に愛される谷川岳

この日も雄大な山容を拝むことなく少しストレスの溜まる雰囲気、ファインダーに残る谷川岳は遥か遠くにかすんでいる…
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花便り

2007年09月03日 | Weblog
今シリーズは雨ばかりの散策なので、無粋なオイラでも自然に花に目が行く。とにかくこの季節でも尾瀬はいたるところ、花・はな・ハナである。
中でも中国山地でも見られて、ロスなんとか疑惑でも話題になった『トリカブト』は、今を盛りと咲いていた。

少し濃い目の『サンフレッチェ色』で目に鮮やか 見とれて木道を外れそうになることも度々。
この美しい花の根に猛毒を持っているなんて信じられません。
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小太りおじさんが…

2007年09月02日 | Weblog
8/31日、今回遠征のハイライト『至仏山(しぶつさん)』登山の朝を迎えました。5時過ぎ起床、窓外を眺めやればアラうれし、雨がざんざん降ってきて~
”的場のおじさん”に”てるてる坊主”代わりに頂いたカッパが使えるのです。屋久島でさえ一滴の雨も降らさなかった魔法のカッパが、なんと秋雨を呼んで来ました。

やはりオイラは雨男だったのか?小屋から1時間ほどで登山口の山の鼻に到着。
「堪えきれぬ涙は小雨に流そう」と森田健作の『さらば涙と云おう』を口ずさみながら、雨に対するフル装備をしたのでしした。

3時間半の死闘の末頂上を征服した小太りおじさんの雄姿!トクとご覧あれ!トホホ…的場のじいちゃんありがとうございました。本当に魔法のカッパは役に立ちました。
(黄色は肥って見えるんで???ぶつぶつ)
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