もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

応分にご奉仕

2008年02月29日 | ボランティア
2/27日 観光ボランティアの月例会日、なんだかんだぼやいているが例会には9割以上の出席で、一応の対面を保っているつもり
会議の内容はおざなりなもので、意味を持っていると思われるのは、会員の存命が確認出来る事くらいか?

今日も今日とて変わらぬものは~~(美空ひばりの角兵衛獅子でどうぞ!)
またぞろ広島市の観光??とかの暇な御仁が出てきて、誰も聞きたくない自伝なぞをクドクド…まったく『寝言は寝て言ってろ』てんだ!

会議後お残りで我々の“アンチョコ”改定会議、ここでも人で言えばさしづめ“冬柴鉄三”、草木で言えば“ななかまど”見たいな輩がいて、まったく話が進まない。
常に斜めに構えているオイラも最低のご奉仕と思って参画したが、まったく“森の石松”のクローン集団で、○○は死ななきゃ直らないである。

世界遺産原爆ドームの存在を怪しくする風景、何とかならんかノー…
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蒲冠者範頼(源範頼)

2008年02月28日 | 歴史探歩
広島市佐伯区五日市を探訪すれば、ひっそりと佇む意外な史跡との出会いがあります。
今日のタイトルの武将を思い出してください。平家追討の院宣をを受けた源義経は、京の都を逃れ西国へ落ち逃れようとする平家一門を追って、「一の谷」「屋島」「壇ノ浦」へと破竹の進撃を続け…
と源平合戦では義経にばかり光を当てていますが、この時陸路を西国に攻め上ったのが、今日の主役“蒲冠者範頼(源範頼)”その人であります。

義経とは異母兄弟にあたり、母は遠州浜松在の女郎だとする説があります。そうです浜松です。オイラの生まれ故郷なのであります。この話を聞いて一辺に“蒲冠者範頼”贔屓となりました。まったく馬鹿は死ななきゃ直らな~~い(この部分は広沢虎造節でどうぞ!)

後に頼朝の怒りを買い、修善寺にてあえ無い最後を遂げたとさ。
この話は別の機会にしますが、何故か遠く離れたこの地に墓石が残されています。隠れた偉人だったのではないでしょうか?
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五海市

2008年02月27日 | 歴史探歩

タイトル読めますか? どうもこれも五日市と読むらしい。2/25日、身近な場所なのに訪れることの少ないこの町を歴史探訪。

JR五日市駅に程近い“光禅寺(寺名にそぐわず浄土真宗だという)”を訪ねる。この庭に建つ「日清、日露戦争記念の碑」に『五海市村』の表記がある。
この名が本当であれば、当時の地形が空想されて、ロマンを感じるのですが…
(五つの海に囲まれた村など)

この寺には江戸時代の梵鐘があり、門前には伊勢亀山:石井兄弟の仇討ちに関わりのある“誓いの松”もあり、江戸時代を偲ぶ一つのポイントでしょう。
伊勢亀山の仇討ちは元禄14年に、苦節28年にして大願成就、翌年の赤穂浪士討ち入りに大きな影響を与えたと言われています。

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休日ばかりが

2008年02月26日 | Weblog

2/24日は頭を抱える事態でした。毎日が休日の身柄なので、自由になる時間は十分にあるはずですが、どうしたものか仕事を持たない人間主体の行事でも、ほとんどが休日に設定されています。それ故に、土・日曜日の日程調整が大変難しくなっています。
人の付き合いは必ずしも理詰めで運べる訳でなく、感情が大きなファクターを占めるようで、本当に難しいものです。たかが遊びの付き合いですが気苦労が絶えませんね。

今日も片方の行事を断腸の思いで断って、因島村上水軍の歴史探歩に参加しました。
どちらとも優先順位がつきかねましたが、最後は機会を逃すと行き難い場所であり、初めての訪問地であることを優先した次第です。

白滝山山頂にある「釈迦三尊像」です。阿弥陀一辺倒の安芸地方と違って禅宗寺院も多く、いささか趣が異なります。

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お花の

2008年02月26日 | ボランティア
2/23日からは日帰りで3日連続各種の行事に参加しました。
この日は新しく始めようかな?と思っているお花の勉強です。 現在興味を持っているのは『見た目が美しい花の名前と習性』を知りたいと思っているのですが、教えてくれるのは『栽培管理方法や分類』などが大半でちょっと戸惑っています。

野に咲く可憐な草花が一番の癒しと思うのですが、ランなど豪華絢爛の花を愛でる人が多いらしく、思い通りには事は運んでくれません。
開花の進行が遅々たる「福寿草」:路地に咲くやつは、本当に人の心をひきつけますね。

夜は人の影が重なる広島の町に、久しぶり足を踏み入れました。
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雪舟庭園

2008年02月22日 | 歴史探歩
連合いの慰安会3日目は大内氏の栄華を残す山口市へ、例によって秋吉台カルスト地形の名物伏流水を、弁天池に立ち寄り満タンに補給する。
後は一路山口市へ…

臨済宗東福寺派の名刹常栄寺は本堂裏手にある雪舟庭が有名で、中央に心字池を配し、周囲には鋭い線を強調した石を縦に使って、雪舟の山水画の世界を見事に作り出しています。
特に私が気に入っている場所は、庭の右奥にある「竜門の滝」と、その飛瀑をさかのぼる「鯉魚」の姿です。“青雲の志を持って急流に立ち向かい、大成して竜となる”の夢は今となってはかないませんが、庭を拝観するだけで心が和みます。
ぜひ尋ねられたら、庭に下りての散策をお勧めします。

3日間、約1200キロの旅は終わりました。このガソリン高の時期、厳寒期に酔狂が過ぎると思われるかもしれませんが、観光地は静かだし、料金は格安ですし、年寄りの息抜きには結構な時期だと思いますよ(福田総理の談話風)
元気に活動できる時が何より、思い切ってあちこち出かけて見ましょう。
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今日も真面目に

2008年02月21日 | ボランティア
/18日は“山の神殿”の慰安旅行の2日目、相変わらず気温は低いものの柔らかな日差しが注いで九州は小春日和の気配。
予定を変更して『肥前名護屋城』に向かう。ここはご存知豊臣秀吉が朝鮮征伐の際の基地として築いたお城、初めて訪れたが想像を絶する巨大な城郭跡が眼前に出現した。アビックリ!!であります。

崩れしままの石垣に哀れを誘う病葉や  矢玉の後もそこかしこ あぁ~ー昔を語る 大手門 三橋美智也の艶声が何処からともなく聞こえてくるようでした。
斯く申すオイラの日本舞踊デビューがこの歌「古城」でありました。よく覚えていたノー

本日は2/21日、この時期に早くも修学旅行生のガイドでありんす。本当に真面目くさってで何の面白味もないオイラでした。
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佐賀藩を訪ねて

2008年02月20日 | 歴史探歩
2/17~19日 2泊3日で例によって”連合い殿”の慰労を兼ねて、がばいばぁチャンの佐賀を訪ねる。といっても泊まりは「柳川」と「川棚」でいずれも県外。
“おさんどん”からの開放が主、温泉につかるが従、佐賀藩鍋島家探訪はほんのおまけであります。

どんこ舟、御花、北原白秋の柳川は素通りして、2年前「本丸御殿」を復元した佐賀城跡を訪ねる。月曜日というのにナント、入り口には受付嬢が二人いて下足入れの案内、襖を開けて一歩本丸に足を運べば数人のボランティアガイドが待機、有無を言わさず案内を始める始末、
仕方なく20分でと難題を突きつけて敵の出方を窺う。
敵もさるものブツブツいいながらも案内を始めた。

ガイドは材料調達の苦労、費用が20億強掛かったの自慢、佐賀藩の近代性などを懸命に語ってくれました。
木造での完全復元で立派なのだけれど、残念なことに畳表が合成繊維製、これを指摘すると、くだんのガイド氏『どうして分かりました?』と聞く『べらぼうめ、こちとら畳屋の息子だぞ!』と…心の内で吼える。
僅かな手抜きでも、見る者が見ればすぐに分かるんですよ!

堂々の畳廊下だが材質がちょっと問題ではの写真
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平和公園の緩衝地帯

2008年02月16日 | ボランティア

2/16日 めちゃくちゃ良い子になってしまったオイラ。今日も穴の開いたガイドの補欠で平和公園へ… 
ホケツからの連想 『法華津:この字でしたっけ。北京オリンピック馬術の日本代表に選ばれた人は、名前も珍しければ年齢も半端じゃなかったでしょ。世の中すごい人がいらっしゃいますね。』

さて本題:真面目なオイラは早めに現地に到着、余裕の時間にガイドに必要な取材をします。
本日は”緩衝地帯(バッファゾーン)”の写真を収める。
世界遺産の登録を継続するためには、指定ゾーンはもとより”緩衝地帯(バッファゾーン)”の維持管理も重要な要素です。
ちなみに平和公園は残念ながら、例のマンション建設などが問題視され、要注意の目を向けられています。

他にも写真の情景などは???でしょう。

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観光ボラのお勉強会

2008年02月16日 | ボランティア

2/14日はチョコレート会社が大騒ぎする日で、相変わらずそれなりの話題を提供しているようです。斯く申す小生は近年トント縁がなく、何処の世界の話かな?状態であります。

お勉強会は岡山方面、後楽園と岡山城でした。岡山城築城時の城主は“宇喜多直家、秀家”親子の時代。宇喜多家にまつわるR-18のお話を…
①直家は変死したと伝えられているが真相は、豊臣秀吉に毒殺された。
②直家の正室は”竜”後に大阪城で”西の丸の方”と呼ばれた
③秀家の秀は豊臣秀吉からの偏諱で、秀吉の上の一字をもらうのは特別
④秀家の奥方は”豪姫”豊臣秀吉の娘、すなわち前田利家・まつの娘である
⑤秀家は若冠でありながら五大老の一人に任じられている
⑥秀家は眉目秀麗で文武に秀でていたと言われる

①~⑥で懸命な皆様は意味が飲み込めたと思います。為念、申し添えますと…
豊臣秀吉は宇喜多直家の奥方:竜に懸想したので直家を毒殺、秀家を最高待遇で持ち上げ、奥方:竜を自分の側室にした。が真相
なにがR-18かと言うと『秀家を稚児可愛がり』したことと、お竜の方は美人であったが、それ以上に『床上手であった』と伝えられる。茶々以上に秀吉が愛でたのは”お竜の方”だったそうな。このあたりは「加藤 廣著:秀吉の枷」に詳しい

お勉強会楽しかったです。バスの中や研修中も付近の方々と会話が弾み、寡黙なオイラには珍しく能弁だったのです。
別理由としては過日、この協会の行事では「飲食に金を使うのは自粛しよう」なる迷言が発せられ、1日中禁酒が続いた故かな?

秀吉の肝いりで、華麗壮大な岡山城が築城された。

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新聞取材

2008年02月15日 | 落合郷土史

2/13日は“落合郷土史研究会”の月例会日であります。本日はナント読売新聞の取材があるとかで、前回予告があったのですが県庁行き(ある地方では晴れ装束の事をこのように言う?)で着飾って来なかったと言って、座を和ませる人も居りました。
でも3月例会では地元紙:中国新聞の取材があるらしい。全会員本当に県庁行きで勢揃いするのでしょうか。? チンドン屋の競技会と間違われたりしないか、今から心配で頭が痛くなってきた。

くだんの読売新聞記者嬢:例会後インタビュー形式で取材していたが、なかなか熱心で結構細部に亘って質問を浴びせてきました。どんな記事になるか楽しみです。
内輪話をちょっと、女性記者のせいか女性会員に対しての質問が、仲々鋭かったと言う感想がありました。

読売新聞といえばあの”ナベツネ”思っただけでも虫唾が走るいやなやつ、しかし本日の記者はさわやかで、読売新聞のPRに相当寄与していたと思いました。

真ん中:記者嬢、左側が会の一枚看板:米田会長、右側:久保財務部長
頭のみの参加:○○のじっちゃん、空間めがねが代表がオイラの席…

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すご~い!

2008年02月13日 | Weblog

広島の植物公園が、ある雑誌の特集で、日本の”植物公園ベスト10”にランクアップされている事は先だって披露しました。
何が評価されてのランク入りかその筋の方々に聞いてみると、どうも二つの理由からのようです。
 ①大温室の規模が日本有数の大きさであるらしい。
   (幅:35m×奥行:65m×高:22m)
 ②ランの原生種の保有数が日本一?
何でもおらが国さは日本一と自慢したがる風潮の中での話しなので、真偽のほどは定かではありません。”ベスト10”と言いながら、ランキングは付けていませんので、判断が難しいですね。

広島植物公園の売り物のイベント:大温室空中散歩(ブルータスを読むまで、このような催しがあるのをまったく知らなかった)。

どうですこのアングル

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とかくこの世は…

2008年02月12日 | Weblog

この世を見限ったような話で恐縮ですが、まぁ~聞いてみてください。

春には春の、秋には秋の四季折々、季節の花々が野に山に、あるいは散歩道に咲き誇り、これを愛でる人々は世の移ろいや楽しみを肌で感じてきたものです。
でも最近の園芸店などでは冬でもあでやかな、外国の華やかな花が多く店頭で見られます。美しいのですが少し違和感も…

この寒い時期にも、健気に小さな花を咲かせる草花もたくさんあります。写真は『福寿草』で、20年程前までは里山の何処にでも咲いていました。小さな目をお正月の鉢植えで楽しむこともできました。しかし心無い一部の人たちにより乱採され、自然の物にお目にかかる機会は皆無となっています。又自然に咲く場所は非公開となり、せっかく綺麗に咲いた花も、人に見られることがなくなってしまいました。

花にも人にも住みにくい世の中になってしまいました。

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座禅

2008年02月11日 | ボランティア

四国遍路を三回も巡拝したせいか、最近では芳しからぬ“あだ名”で呼ばれることが多い。
曰く『生臭坊主』(これは身から出た錆で許容範囲)とか『エロ坊主』(本人の評価はまことに実直な男で色事のにおいはまったくしない。よってこちらは些か不本意)など、仏道を卑しめるような事をしてはいけません。罰が当たりますぞ

本人はいたって真面目、車運転中に眠くなったりすると、『般若心経』を唱えつつ眠気退治をして、危機を突破しているのです。

写真は:誰が名付けた花なのか~
(バーブ佐竹:ネオン川のメロディーでどうぞ!)チト古いかな
「座禅草」というのです。見事に姿を映した花名ですね

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春の目覚め

2008年02月09日 | ボランティア

2/9日 本年のボランティアガイド初めである。随分真面目な男になったもんだ。フン!誰もそんなこと思っていませんヨ!

今日のお客様は京都からの大人のご一行、広島平和公園にはさしたる興味もなく、物見遊山だろうとななめに構えていたところ、バスが30分遅れで到着した。
原爆を被弾した後の広島市の取り組みなどを、少し引き気味に話したところ予想外に興味を持って聞いてくれました。
単純な男は一遍に機嫌をを直して、懸命に案内をするのでした。
短い時間だったけど、大人の観光客も一味違ってガイドし甲斐がありますね。

第二次世界大戦後、日本で始めて国重文に指定された『原爆資料館』の建物。

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