もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

本郷町の草花たち

2012年05月30日 | 山野草

 三原市本郷町は横穴式古墳がつとに有名だが、路傍の草花も如何ですか?

 手始めに、しおれてしまったスズランか?

 

 これは例によって名前を知る由もないが、妙に存在感がある花です。

 

 お馴染み、野草の代表格ともいえるアザミ。

 

 完全に時期遅れか? ただ一輪残っていたのを逃さずに…

 

 これ!なでしこじゃないかな?
女子サッカーで一気に話題の中心に登りつめた感じ

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カープの話

2012年05月29日 | Weblog

 5/28日は観光ボランティアの月例会の日。
しかし出席したオイラの服装は、赤のポロシャツにカープのロゴ入り帽子と完全にナイター観戦モード。

 

 今日の対戦相手は千葉ロッテマリーンズ、試合開始時真っ黒なフアンがパフォーマンス席に陣取る。
千葉ロッテの応援は本当に素晴らしい! 掛け値なしに12球団随一である。
 次いで2番目はソフトバンクホークスだろう。 
セリーグではトップの応援を展開する我がカープも、この2チームの応援振りにはちょっと歯が立たない。

 何が素晴らしいと云って、その息の合った纏まりぶりとバリエーションの多さは群抜いている。

 

 例によって試合は5回の攻防で終わり、この日もまったく無気力なカープであった。
唯一盛り上がったのが7回表、往年の人気者河内の登板が告げられた時。
 広島の人達はカープの不振を口々に嘆くが、球場に行って応援しようと云う人が少ない。
『どうゆうことじゃ! よそ者のオイラが一所懸命応援してるのに…』

 

 胃がんの手術から3カ月以上過ぎて、やっと近頃人に毒づく元気が出てきたみたい。
これは、ある佳人から“快気祝い”にと頂いた盆栽。
かわいらしくて結構なものだが、末永く育て続けられるじゃろうか? 心配で腫れものにさわる如し。

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広島城メモリアルデー

2012年05月28日 | ボランティア

 広島城が現在の姿に復元されたことを記念して、開催される子供向け?のイベントです。
広島城学芸員とボランティアで各種の催しを行います。
 今年は5/26日に開催されました。

 この日の売り物の一つ、戦国武将が甲冑を纏う実演です。
ゲームソフトから抜け出たような“美少年武将(実は女性)”が出来上がって行きます。
 脚絆や籠手を着けただけで、凛々しさが漂っています。

 

 このセットは、広島城に常時展示されているレプリカですが、それでも総重量は20キロを超えています。
いよいよ腹巻型の鎧を着けるところです。

 

 綺麗に編みあげた組み紐を結んで、各装具を体にフィットさせていきます。
本当に戦国武将は、この装束で戦闘に望んだのでしょうか?

 

 子供さん向けのイベント、各種の兜を被って広島城天守閣をバックにハイポーズ!
これは安佐北区高陽町にある、中小田古墳から出土した兜のレプリカ。

 

 5月人形のような鎧武者が、次々に誕生して行きます。
来年もこの時期に開催されますので、是非お越しください。
 多分、オイラも何処かのコーナーで、お手伝いしていると思います。

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本郷の古墳

2012年05月27日 | 落合郷土史

 三原市本郷地区は“古墳の里”と呼称される程、数多くの横穴式古墳が点在している。
数10分の徒歩圏内に、4っつの古墳が集中して存在する。

 

 

 集落の中、斜面の部分に何気なく存在する横穴式古墳の入り口。
周囲の開発は進んでいるせいか、石室が露出しており、全体の形は失われている。

 

 巨石を精巧に加工して造られており、石棺が残されたものもある。

 

 石棺が入り口から奥に向って、縦に2個並んだ古墳の内部。
棺を覆う蓋石は巨大、被葬者は相当身分の高い首長級の墓であろう。

 

 広島県内最大級の“梅木平古墳(ばいきひらこふん)”の内部。
幅:3.1m、奥行:13.2m、高:4.2m と全国でも有数の規模を誇る。
 副葬品も多数出たが、残念ながら全て東京の国立博物館へ持ち去られている。

 

 高さ4.2mは、20名以上の人が入っても、まったく息苦しさを感じさせない。
梅木平の名称は、字梅木の地名からとったもの

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凄真寺

2012年05月26日 | 落合郷土史

 本郷町を離れて大和町にある代表的なお寺:凄真寺を訪ねる。
大和町は大和(やまと)に通じるとかで、鎌倉幕府の意向により当地に下向した土肥実平がらみの話題が多い。

 

 現在は公園やオートキャンプ場になっている場所が、境内だっとかであるが、本堂を見る限り古刹の面影はなし。
臨済宗妙心寺派のお寺らしく座禅堂は、茅葺きの趣のある建物である

 

 中央の五輪塔が、開基の白雲禅師等の墓とされるが、決め手となる刻印は見当たらず。
中央にある宝筺印塔は、古い形のものと思われるがいわれは不明。

 

 沼田庄の守護職となった、土肥遠平の妻女(源頼朝妾腹の娘)の墓と伝わる宝筺印塔。
古い形のものと見えるが、塔身は明らかに新しく、後に補修されたものであろう?

 

 これは何と云う花でしょう?同一株に二色の花弁があるが…

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楽音寺

2012年05月25日 | 落合郷土史

 尾三地区を訪ねたら、やっぱり立ち寄りたくなるのがこのお寺。
今回は住職も出てこられて、一席演説をぶってくれました。

 寄棟造りに裳越付き?(錣葺き)は、古都奈良の寺院を思わせる風情で中々の物。
 古い瓦を中央に寄せて葺き替えてあるのもGOOD!

 

 山門近くの参道には、崖にしがみ付くように咲いている、根性皐月も見られました。
茎も葉もなく、花が一輪健気に咲いている、付近には笹と苔が共生しています。

 

 山門から広大な境内を歩いて、やっと本堂への階段にたどり着きます。
この階段、注意してみてください。ガタガタですぞ!
 でも階段の先に見える、本堂の屋根はさすが!延喜式に残される大寺院の貫禄が…

 

 現在は真言宗妙心寺派で、御本尊は丈六の薬師如来と説明されたが、何故か壁面には釈迦三尊仏のパネルが掲げられていた。

 

 寺領7千石を誇った当時の境内の様子。
福島正則時代に、寺領は没収の憂き目にあった。

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三原市本郷

2012年05月24日 | 落合郷土史

 5/24日は落合郷土史研究会の定例歴史探歩、今回はバス利用で三原市本郷と大和町。
まずは“東禅寺”へ、中型バスで狭い道も入っていけると思いきや、予定のバスが故障で大型に変更された。
 やれやれ!歩く距離が長くなるぞ!

 東禅寺へ向かう参道沿いで見掛けた地蔵堂。
長押に近い場所:高い位置にお地蔵様を祀っているのがめずらしい。

 

 外観は質素なお寺で本堂が1棟建っているだけだが、天井はご覧の通り

 

 内陣には寄木造り?と思われる四天王立像が控えている。
祀る位置はちょっと疑問だが、躍動感あふれる像である。
 向かって右は広目天、左は多聞天かな?

 

 木組みもそれなりに凝った細工が施してある。
結構見所のある寺院である。

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観光ガイドも再開

2012年05月17日 | ボランティア

 今年初めての観光ガイドをした。半年以上のブランクが…

 

 快晴、初夏を思わすような日ざしが降り注ぐ、広島平和記念公園。
5/16日、恒例の「原爆死没者名簿」100冊の虫干しが行われたらしい。
 1ページづつめくって天日で干し、湿気を払って保存する。
その一冊には『氏名不詳者 多数』と記されているようだ。 ちなみに昨年8月5日までの死亡者は275、230人

 

 私が案内したのは、富山県滑川市の中学生達、元気よく質問にもハキハキ答えてくれた。
とても気持ち良く、半年ぶりのガイドを終えることが出来た。
『滑川中学の生徒諸君 ありがとう!』
 修学旅行生ばかりでなく、一般のお客様も園内一杯に…

 

 この朝テレビで話題にしていた“アンネ、フランクのばら”一番手前の黄金に輝いている株がそれ。
残念ながらちょっと盛りを過ぎているが、他のバラ達と共に園内を飾る。

 今年ももうすぐ、原爆記念の日がやってくる。

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雨に濡れて

2012年05月16日 | 持芳庭

 春は結構雨が多いのだけれど、今年は雹が降ったり、竜巻が襲ったりで尋常ではない。
それでも庶民の庭にも、季節の移ろいが感じられます。

 この時期どこの家庭でも見られるヤツ、今が盛りです。
どこと言って特徴の無い花ですが、紫色とい云うのが気に入っています。
 サンフレッチェカラーってことですよ!

 

 これは“しゃが”と云うやつですかね? やはり藤色で…

 

 季節を代表するのはこの花か?
以上三つの花とも、毎年何の手入れをしなくても、きっちり開花する律儀なヤツ。
 無精者の庭に最も適しているかと思います。

 

 目に痛いような新緑の中心に純白の花弁が際立つ。
山法師も庭の中心にあって、存在を一生懸命主張しています。

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広島カープ

2012年05月12日 | Weblog

 今年こそ良いところへ行くじゃろ? 期待できるよね?
毎年言い続けて早幾年、万年Bクラスに安住してしまう我がカープ。
 これから熱いシーズンを迎えようと云う時期に、早くも肌寒い風が吹き始めている。
それでもスタジアムに足を運んでしまうと云う…

 昨5/11日は、今シーズンもカモられっぱなしの難敵、中日ドラゴンズを迎えてプレーボール。
季節外れの寒風が吹きすさび震え上がる。
 それでも球場に足を運ぶ、本物のカープファンは結構いるもんだ。

 

 それでも試合は投げてはベテラン:大竹が7回無失点。
打っては中京大中京出身の、進気鋭:堂林が決勝点、やっと中日に一矢を報いた。

 名古屋出身の若者の一打で天敵を一蹴、ちょっとばかり気分良し!
何時の間に、こんなカープファンになってしまったんだろう。

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広島東照宮

2012年05月09日 | 歴史探歩

 広島城の北東、鬼門の方角に東照宮が建てられている。
国家公務員宿舎が撤去された現在、広島駅北側に広大な空き地が出現、東照宮は広島駅から指呼の位置に見える。
 その名の通り、徳川家康を祀る神社が何故広島にあるのだろうか?

 昨年来、原爆の災禍を免れた回廊の修復工事が行われていたが、外観は完全に修理を終えている。
5/8訪問時は、内装の細部に手を加えていた。
 唐門、回廊の地味な彩色は、創建当時のものかもしれないがなんとも地味で、東照宮らしさが無いが…
ガタガタだった石段も修理され、本当に歩きやすくなった。

 

 東照宮らしくない地味な彩色が、落ち着きと、ある種の風格を生んでいる。
被爆建物らしい雰囲気が再現されていて、GOOD!

 

 50年に一度開催される祭り神輿を収納する御蔵、現在内部の棚修復工事が行われている。
回廊と同じ、地味な小豆色で仕上げられている。

 

 三つ花懸魚だが、中央に刻まれた三つ巴の文様は珍しいのでは…

 

 唐門の内側から、桜の馬場方面を展望する。
此処に、往時を偲ぶ桜並木が復活するのは何時になるだろうか?

 

 とって付けたようで、なんとも不釣り合いな金の三つ葉葵紋。

手術後3カ月、初めて悪友たちとの“飲み会”に出掛ける途次立ち寄った。

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長崎街道とは

2012年05月06日 | 歴史探歩

 我々は長崎街道を門司から長崎を目指して歩きの真っ最中だが、ここで長崎街道27宿を紹介しておきます。
小倉スタートの長崎終点で27宿だが、門司を入れると28宿になるのかな?

 小倉は無法松で有名な“小倉祇園太鼓”、窯業の町黒崎を経て“木屋瀬(こやのせ)”は昔の名残が一杯!
飯塚は炭鉱の町だったが、漢字が読めない?で有名になった総理のお膝元です。

 

 美しい松並木の旧街道が残る内野

 

 神崎は“吉野ヶ里遺跡”の発見で、すわっ邪馬台国が見つかったと大騒ぎになりました所。

 

 佐賀は化け猫騒動で有名な鍋島藩のお膝元、華麗な本丸御殿が復元されています。

 

 柄崎(つかざき)は武雄のこと、このパネルも武雄温泉街の中心にあります。
私達は門司宿から嬉野宿までを13日間掛けて、歩き通しました。

 

 彼杵(そのき)から先の7宿場は、来年以降ゆっくり走破する予定です。

 

 長崎到着は何時になりますやら… 丸山で派手にやりたいものですが、どうなることでしょう。

 

 街道に埋められていた長崎街道27宿のパネルを、この広場に移し替えたのが武雄市長。
我々が武雄温泉に到着した日、たまたま広場に来ていた市長を囲んで記念撮影。
 とても気さくで、PR上手の市長御夫妻でした。(前列スーツ姿が市長、スカート姿が奥様)
残りは野蛮且凶暴な、オイラの街道歩きの仲間達の一部

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同級生の御子息

2012年05月05日 | Weblog

 一昨年だったと思うが、中学校の御師と仲良し同級生を広島に迎えて、旧交を温める機会があった。
私が積極的に動いて、広島をアッピールしたと云うのが本当の処かもしれない。
 古希が近い年になっても、多感だった中学時代の思い出は鮮明に残されている。楽しかった!

 今年の5/1日、その同級生のうちの一人から、息子が広島に行きたいと云っている。
「差し支えなければ案内してくれないだろうか?」と…依頼があった。

 

 生憎?厳島神社の大鳥居は、この春襲ったゲリラ突風で桧皮が壊れ修理中。
でもこんな姿は望んでも見ることは出来ないので、逆に貴重な体験でもあるかな?

 もちろん喜んで、二つ返事で引き受けた。
でも自分の息子とも満足には…他人の御子息と打ち解けて話が出来るだろうか?

 

 鳥居ばかりか、この日は客人社前や鏡が池辺りまで、パワーショベルが入って土木工事中。
なんとも珍しい光景に遭遇、世界遺産の維持管理は大変なんだ!

 昨今俄かに話題になっている“歴女”なんぞとは違って、御子息はとても常識的。
博識と云うのだろうか? 全国各地に出掛けているようで、確かな知識を持っている。
 こちらが教えられるような場面がしばし…

 心配は杞憂だった。

 

 普段はめったにお客様を案内しない「大元神社」を一緒に参詣する。
この場所には、私が属する講中が“御島廻り”した時の額が奉納してある。

 大元神社は厳島古来の神が祀られている場所?と私は思っている。
宗像勢力に平定された厳島の神が…

 

 今年は平清盛の年、清盛神社に立ち寄る。
比較的新しく建てられた社だが、良く見ると桧皮葺きである。さすが清盛を祀る神社だけのことはある。

 

 屋根が痛む直前に納めた大鳥居。

 造詣の深い人を案内した後は清々しい気持ちになる。
『久し振りに美味しいお酒が飲めるゾ』

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長崎街道Ⅲ

2012年05月04日 | 歴史探歩

 4/30 長崎街道歩き3日目、朝から少し冷たい雨が降り続く。
春のアウトドァーは結構雨が難敵。横殴りの降りではないので傘を開いて歩き始める。

 佐賀県の神社の特徴は、ずんぐりと太く安定感のある鳥居。
八幡系が多いが、稲荷系も海神系も一応にこの形の鳥居である。

 

 街道沿いの「とある正一位神社」の玉垣の外に、おびただしい数の五輪塔が無造作に置かれていた。
これも明治政府による、廃仏毀釈の名残であろうか?

 

 旧街道は宅地造成や開発によって、至る所で分断されている。
この場所でも長崎街道の標識が指し示す方向には道が無い。
 しばし立ち止まり意見を交わし、妥当と思われる方向を定めて前に進む。

 

 人がすれ違うのがやっとの細い道、これが天下の長崎街道だと云う。
嬉野温泉きっての有名旅館の、庭先をかすめて長崎を目指す。

 

 宿場の境界に置かれていた石の一つ、このような石が2000個も並べられていたらしい。
ちなみにこの石は119番と記されている。

 

 街道には山道もあれば川を越える“渡し場”もある。
この先には、濁流泡を噛む「平野渡」ですよ!の案内標識。

 

 そして今回は、佐賀と長崎の県境にある“俵坂宿”が終点である。
門司を出立して13日間で、やっと肥前長崎に足が掛かった。

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長崎街道Ⅱ

2012年05月03日 | 歴史探歩

 4/29日 長崎街道2日目、今日も快晴で絶好の歴史探歩日和。
日焼けを気にしつつ、街道に足を踏み入れる。

 旧街道歩きで目に入るものは、石碑・石仏の類が圧倒的に多く、此処長崎街道もご多分に漏れない。
しかしこの石碑には、目を凝らして見ると“庚申講逆修”と刻まれている。
 これにはどのような意味があるのだろうか?

 

 街道沿いでは、地域挙げての盛り上げ運動が展開される。
個人宅の軒先を掠めるように進む、旧長崎街道。

 

 佐賀県の石像で特筆されるのは、えびす様の多さとこの形の“六地蔵”である。
円柱の支えに、一石六仏が彫られた形。

 

 本州側から数えると、門司を起点に27宿で、終点長崎にたどり着く。
我々一行が、長崎は丸山の料亭に草鞋を脱ぐ日はいつになるのだろうか?

 

 これもめずらしいよ! 露座に置かれた閻魔大王。
こんな仕打ちを閻魔さまにしても大丈夫なんじゃろうか? 舌を抜かれるよ!

 

 このように趣のある街道も随所に残されている。
この道を急ぎ足に往来した、坂本竜馬や吉田松陰に思いを馳せる。
 感動!!!

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