もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

福山城主 水野勝成

2021年07月26日 | 歴史探歩

福山城は外観復元の天守だが、史実に中実ではないと言われてきた。
なんでも縄張りから北面の防御が弱く、これを補うため天守北面は鉄板で覆われていたようだ。

 

猛暑の中、まずは水野家の菩提寺:顕忠寺へ向かう。

このお寺は境内を、山陽本線・山陽新幹線で無残にも二分されていた。
まずは沢潟紋の扉を開けて、水野勝成のお墓をお参り。

 

追贈とは言え従三位、立派な五輪塔が聳えている。

日向守は明智光秀が名乗っていたせいか、あまり有り難くないとも言われるが、水野勝成は一向に気にすることなく堂々名乗ったと言われている。

 

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墓碑名は「祖・師・西・来・意」と読めるが、その意味するところは何だろう?
出身地尾張から、西の福山に赴任したことから…?

 

歴代藩主の墓標には定石通り「空・風・火・水・地」と刻まれている。

 

ちなみに現在工事中なので天守には入れず、黒鉄門と重文伏見櫓のみが見学可能。

伏見櫓周辺はまったく手入れされておらず、雑草が我が物顔に伸びていた。残念!

 

水野勝成は、主だった家臣はすべて尾張から引き連れて入封した為、地元の評判は良くなかったと伝わるが、備後10万石は勝成の善政により実質30万石程度の石高だったようで、住民は豊かな生活をおくっていたらしい。

水野勝成は没後「聰敏明神」(聡明で闊達の意か?)と崇められ、福山八幡宮に祀られているという。

 

鬱蒼とした階段を上り、茅の輪を潜って福山八幡宮をお参りする。

 

三社ある内の向かって左の社に聰敏明神として、水野勝成が祀られている。
想像をはるかに超える立派な社である。

コメント (1)
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