もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

宮ケ瀬ダム

2019年04月23日 | ダムカード

「春の房総・神奈川探歩三昧」の締めくくりは、まるで遊園地のような宮ケ瀬ダムです。

 

都会の公園の如く徹底的に整備されたダムサイト。

 

堰堤を遠望する限り、何の変哲もない重力式ダムそのものです。

 

「ぬっヌッ…」堰堤脇を、ケーブルカー様の物が下ってきます。

 

そして、ナント!中央付近で離合しているのです。
これは完全に遊園地の乗り物だな!

 

堰堤の幅も半端ではありません!人影と比べてください。
オイラが眼にしたダムの中で最大の幅を持った、巨大ダムでした。

 

貯水量もたっぷり、彼方までみはるかすダム湖が続いています。

 

予測通り、完全に遊園地の趣でした。

 

自然石を配したお洒落な「宮ケ瀬ダム」の表示でした。

 

膨大な水がめに対して排水路を極めてコンパクト、細い川を最大限に活用しているのでしょう。
この日受付の女性はことのほか上機嫌で、天皇在位30周年記念ダムカードも併せてくれました。

宮ケ瀬ダム形式:G 利用目的:F・N・W・P

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絶品ラーメン

2019年04月22日 | Weblog

神奈川県某所で絶品ラーメンに出会った。

 

四国讃岐のうどん工房とよく似たパターンで、面工房が小売りしているというスタイル。
開店間もない時間なのに、すでに先客がいたよ!

 

知人に連れて行っってもらったのだが、そうでなければ絶対見つからないから…
あっさり系のしょうゆ味だった。

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逗子でジャズコンサート

2019年04月21日 | Weblog

辺地で暮らすオイラには「LIVE」と言うものとはとんと縁がない。

 

で、友人は「リビエラ逗子マリーナ」なる会場での、コンサートに誘ってくれた。
シンプルな入り口の装飾が心地よい。

 

海に向かって張り出されたテラスで、開演前のひとときをワインと共に過ごす。

 

デッキから眺める湘南の海は、遠くに江の島が影絵のよう。
「夕日に赤い帆」をモノしたかったのだが、フィルターがなく夕日は枠外に…

 

薄暮の空、次第に夕陽はかたむき、何処か異国情緒が漂う。

 

肉眼では捉えられなかった山の端が、レンズを通すとくっきり。
肉眼とレンズを通した違いは、随所にあるのだろう。

 

薄暮でなければ対岸に富士山が眺められるはずだが、この日は叶わなかった。
誰かが「映るこの頂は富士山だ!」と言っているのを聞いて、そう思いこませて撮影した。

 

「リヴィエラ逗子マリーナ ブルービスタ」で開催のコンサートチケット

 

当日はこの方のライブでした

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葉山しおさい公園

2019年04月20日 | Weblog

葉山御用邸の付属庭園を進んで行くと…

 

背後の山を巧みに取り入れた借景庭園であることが分かった。

 

入り口近くに海を想定した池が配され、舟形の自然石が花筏の中に浮かんでいる。

 

燈籠を配した島の対岸には、州浜も設えてある。

 

奥の林に続く処には何種類かの花木が植えられている。
まずは艶やかな八重の花が目を引く。

 

続いては懸崖状の木蓮が何かを訴えるように、行く手に現れた。

 

そして自然の野原にあるが如きに…

 

庭園をさらに歩を進めていくと、雑木林の雰囲気になってきた。

 

やがて砂浜に出る。どこででも見かける海水浴場のような州浜が拡がっていた。「電線が無ければなぁ」


左手奥にわずかに見えるのが、葉山御用邸の塀であろう。

 

帰り際、水音に惹かれて分け入ったところに、この滝が飛沫をあげていた。

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葉山

2019年04月19日 | Weblog

関東地方の乗り鉄は無事完結した。

ほっとした気持ちに浸りながら、今日は友達の車に揺られて葉山へ向かう。

 

実は行先は友人任せ、鎌倉の住宅街に予期せぬ桜のトンネル。
電柱がなければなぁ!

 

映りゆく景色をぼーんやり眺めてていると、突き当りに鬱蒼とした樹木に囲まれた一画が現れた。

 

今皇位継承で話題の天皇家所縁の葉山御用邸であることが判った。

 

御門の脇には、大正天皇から昭和天皇へ皇位が継承された記念碑があった。

 

そして隣にある、御用邸付属のお庭跡、現在は「葉山しおさい公園」を訪ねた。
これは駐車場で、もちろんこの場所へ車を止める。駐車場一つとっても優雅。

 

お庭の入り口には、関守石に替えて松の盆栽がさり気なく配されている。

 

 

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外房・内房・久留里線

2019年04月18日 | Weblog

房総半島と聞けば温暖がイメージとしてあるが、この日は強風(暴風)が吹き荒れていた。

 

温暖どころか、車窓から垣間見える太平洋は、遠く沖まで白波が立つ台風並みの強風が1日中。

 

首都圏に近く都会的イメージをもつ房総も、半島の先端に行けばほとんど田舎。
半島の先端を回って安房勝山近くで突如観音様が現出した。
関東で大仏と言えば「牛久大仏」くらいしか思い浮かばないが、なんという仏様かな?

 

関東地区最後の乗り鉄は「久留里線」 内房線と外房線を繋ぐ線なら利用しやすいが、やはりここも盲腸線。

 

車内に久留里線沿線の見所を掲げているが、途中下車するほど興味を引く場所は見当たらず。

 

久留里線の各駅に鯉のぼりが飾ってあるが、折からの強風で鯉は杭に磔に遭っていた。

それにしても房総半島の風は半端ではない。この日列車は何度も強風で、いったん停車と徐行運転を繰り返していた。

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東金線から外房線

2019年04月17日 | Weblog

東金線は外房線と総武本線を繋ぐほんに短いローカル線だが、乗っていないのは事実。

 

外房線大網駅から、総武本線成東(なるとう)駅まで…

 

大網駅乗車時満員だったお客が、求名駅でほぼ全員降りてしまいほぼ空っぽの状態になった。
これで求名と読むとは知らなかった。大きな学校があるようで、お客は大半が学生さんのようだった。

 

東金線の終着:成東駅、初めて降りた駅なのにここはなぜか懐かしさを感じる。
昔中日ファンだった頃、成東高校出身の鈴木孝政と言う剛球ピッチャーがいたから…

 

いよいよ関東地区乗り鉄の掉尾飾るべく、房総半島の列車に乗り込む。

 

安房鴨川駅では、ミニ水族館?で楽しませてもらう。

 

色鮮やかな熱帯魚?が活発に遊泳中、暇な旅人を癒してくれる。

 

こいつはカメラを構えるオイラを、じっと睨みつけていた。

おっとりした面構えだが、なかなかどうして肝が据わったやつ!

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千葉のホテルで

2019年04月16日 | Weblog

房総半島を巡る列車旅を前に千葉のホテルに泊まった。

 

ネットでアクセスの良さから選んだのだが、楽しいホテルだったね!
これはフロントロビーにあるエレベーターホール、乗り口がわからなかった。

 

予約した時のホテル名は「バーディーホテル千葉」だったのに…
レストランに用意された布巾はこれ?ボギーでは?

ゴルフ用語でバーディーは「ー1」だが、ボギーは「+1」ゴルフ下手のオイラは完全にグロッキーでした。

 

京葉線に乗った。広島でも八丁堀は町の中心、江戸時代が此処にも残っているね。

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乗り鉄は続く

2019年04月15日 | Weblog

今回で関東地方のJR線未乗車区間はすべてクリアーする予定。

 

快適なモーター音?を響かせながら、架線のない線路を進む烏山線の列車

少年に戻ってこの場所で、つぶらな瞳を輝かす!

 

乗り継ぎ時間の関係で宇都宮市内をうろつく。
宇都宮は餃子の街日本一を、オイラの生まれ故郷である浜松と競っているらしい。
宇都宮駅前は餃子屋の看板だらけ…こうゆう場所の店は避けるのが定石?

 

殺風景な河岸だが、枝垂桜が旅人にとってはわずかな慰め。

 

レトロ感のある建物だが、ナント公衆トイレらしい?

 

ふっとこの看板が気になったので、カメラに納めたが「なんでだろう?」
答えは「NHK広島放送局の人気お天気キャスターが勝丸さんだから…」

 

一旦首都圏に戻って武蔵野線(西船橋⇔南船橋間)と京葉線を乗りつぶす。

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烏山線

2019年04月14日 | Weblog

乗り鉄やらなきゃ絶対乗車することがなかったであろう烏山線、宇都宮から烏山行の盲腸線。

 

夜行バスに揺られて12時間弱、新宿のバスタに降り立った。
湘南新宿ラインで宇都宮へ移動、眠いまなこをこすりつつ烏山線に乗った。

 

さすがJR東日本、ローカル線でもぴっかぴっかの車両が走るんだ!

 

乗車扉脇のこの表示が眼に入った。「何の意味だろう?」
結構珍しい乗り物だった

 

ここでも金持ちJR東日本をみせつけられた。真新しい駅舎が金満ぶりを誇示している。
「JR北海道や四国に少し分けてやりなよ、両社とも駅舎も車両も哀れを留めているよ!」

 

帰りの便の関係でどこにも行く時間が取れない。これが売りらしい?

 

そして町を挙げての最大行事が「山あげ」らしい?
町の背後にある山を舞台に見立てての、一大イベントのようだ。

 

そして滝の上部に烏山線が走る絶景ポイント。
3枚の光景とも駅前広場?の掲示を拝借したもの。

 

この1枚の写真をよく見て!後方に架線があるが、前方には電線がないのがわかる。
この線は途中から架線のない部分を走る電車で、バッテリーを内蔵した車両が運行されている。

帰りは運転席の真後ろで、電線のない場所を走る電車を堪能した。

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山の辺の道Ⅲ

2019年04月13日 | 歴史探歩

天皇陵墓あり、万葉の歌碑あり、寺社仏閣あり、長閑な展望ありのご機嫌な散策道。

山の辺の道


何処にでも見られるため池ではありません。雄大な前方後円墳の環濠です。

 

いずれもこんもりとした樹木と、整理された堰堤に囲まれており、目前に見ながら立ち入りは許されません。

 

左側の堤脇には長閑な田園風景が広がります。
一部の陵墓でよいから、広く国民に公開される日が来ることを願ってやみません。

 

山の辺の道散策も終幕近し、突然目の前に神籬が現れました。

 

特徴的な「三つ鳥居」が建つ桧原神社です。
ここでは鳥居の手前から、奥の山に向かって拝礼します。

 

現代の旅人は何をお願いしているのでしょうか?

 

外国の参拝者も神社庁の指導に従い、柏手を打ってお願いをしています。

 

そして日本神道のルーツとも言われる、山をご神体とする大神神社に到着です。
この建物は当然ですが拝殿、奥の山がご神体です。

 

仏教の伝来とともに、日本は律令国家として統治されていきます。
大和川と陸路の街道が交わる海柘榴市(つばいち)が、仏教伝来地とされています。

 

桜井市を流れる大和川畔に描かれた、仏教伝来の様子。

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山の辺の道Ⅱ

2019年04月11日 | 歴史探歩

山の辺の道、なんともゆっくりした時間を感じさせる名称。そのとうり…

 

1枚の岩に二体の仏と、舟形光背が刻まれている。道端の一角に何気なく祀られた地蔵様か? 里人の深い信仰を垣間見た。
説明版には舟形地蔵とされており、腰痛に結構なご利益と記されているが、補堕落浄土を目指す地蔵様までは?

 

歩き始めて2時間ほど、わが国最古の鐘楼門が出迎えてくれる。
大和神社の神宮寺である長岳寺に着いた。

 

受付で奥様の説明を聞いた後本堂へ向かう。本当は現地を案内しながらの説明が聞きたかった。
向拝部分が一段高く、左右の屋根が反り上がった優美な造り、寄棟の建物が多い奈良にあっては新鮮な感じ。
御本尊は国重文の阿弥陀三尊です。

 

自然の風景さながらの境内、建屋、塔、緑の植栽が見事に調和している。

 

境内の一段高い場所におわすのは「弥勒大石棺仏」、鎌倉時代の作と言われています。
56億7千万年後この世にお越しになり、末法の世を救ってくださる弥勒菩薩様、自然と手を合わせたくなります。

 

歴代ご住職をのお墓か?刻まれた文言が判読(私には読めない)できない。

 

そして此岸から、阿弥陀様がおわす彼岸を拝む。

自然に手を合わせたくなる此処が、この場所が信仰なのかもしれない

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山の辺の道

2019年04月09日 | 歴史探歩

奈良の道歩きで、最も人気のある「山の辺の道」16キロを走破します

 

山の辺の道を称して『大和国原をみはるかすように、青垣の山麓につづくいにしえの道』
翠滴る山の辺の道を指し示す道標

 

朝の光が差し込む石上神宮の大鳥居から、本殿方向に向かう。
早朝にもかかわらず多くの参拝者が…

 

鉄の技術を持って日本に帰化し、全国各地に勢力を拡大した物部氏の総氏神社
国宝楼門が我々を迎えてくれる

 

楼門で一礼、拝殿を望む

 

入母屋造りの荘厳な拝殿、真っ青な空がうれしい

 

拝殿の傍らにあった、茅葺のこの建物は何だったかな?

 

『みはるかす大和の国』菜の花畑の向こうに奈良盆地が拡がる
遠方右手に双耳峰のように見えるのが二上山だろう。昨日辿った葛城山系が臨まれる

前日の雨が嘘のようにあがって快晴だ!

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葛城の道Ⅲ

2019年04月08日 | 歴史探歩

葛城地区の里人が「いちごんじさん」と親しみを込めて守るのが「一言主神社」

 

ご本殿はやはり妻側に向拝の付いた春日型、千木が後方しか付いていないのは風で吹き飛ばされたかな?

 

お願い事は神社の名前通り、一言だけ叶えてくださいます。
オイラもたった一つ、これだけはという願(癌)を掛けてきました。

 

金剛山の麓から葛城山麓を北上する「葛城の道」も終幕近し!
どっしり感のあるこのお寺は浄土宗九品寺。

 

綺麗に整備された境内を通り抜けて、山側に行くとそこかしこに仏様がおわします。

 

南北朝時代葛城の郷士は、楠木正成と共に南朝方に参戦し敗北しました。
里人はなくなった方々に代わり、慰霊の仏様を供養しました。
周囲に塵一つありません。

 

池の水際もこの通り…九品寺と言う名の通り気品すら感じた境内でした。

 

「葛城の道」も大団円に近づきました。
葛城山に向かう途次、道のど真ん中に六地蔵さんが刻まれていました。

 

分かりやすい道案内に助けられて、雨でしたが楽しく完歩できました。

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葛城の道Ⅱ

2019年04月03日 | 歴史探歩

葛城の道は「葛城氏」の地をなぞるからの命名。

 

雨交じりの強風が吹き抜ける中、葛城の道の白眉ともいえる高天彦神社(たかまひこじんじゃ)へのアプローチに差し掛かった。

葛城氏は葛城山麓を領した豪族で、武内宿禰の後裔とも言われる。

 

急な登りが1キロ以上続き、喘ぎ喘ぎの苦行。参道の景色を映す気力も無く…
参道脇に巨木がお出迎え、要約登りの傾斜も和らぎ一息つく。

 

苦闘30分、要約高天彦神社にたどり着く。葛城氏の租神を祀るがご神体は背後の山。
山の冷気に吐く息が真っ白。

 

登山道の途中には、動物除けの柵が張り巡らされている。

 

雨に煙る「万葉のまほろば」ずいぶん高いところまでやってきました。

 

次の目的地を目指す。吐田(はんだ)と読むんですね?


てくてくまっぷではオプションコースとなっているが、本当は最も葛城を感じられる道でした。

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