もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

本年最後の

2008年12月31日 | 歴史探歩

今年の最後の探歩は“ひげの梶さんと行く西国街道” 今回は、土山~神戸までを12/20~21日の2日間で歩きとおし、終着の京都は目前となりました。
こちらも来年京都で打ち上げの運びです。

城廻の方は、今年の最後は二条城。毎度お馴染みの場所でこれと言って感慨はありません。丁度50城を廻り終えました
折角でしたので、近くの“神泉苑”を久し振りに訪ねました。京都の気が噴出す場所:へそとも言われる。徳川家康の暴挙(神泉苑の過半を埋めて二条城を作った)で、景色は見る影もない状況ですが、夕闇の中悠久の都の気が篭っています。

現在料亭の一部となっているが、5条塀に囲まれている神泉苑の概観

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彦根城

2008年12月30日 | 歴史探歩
難敵小谷城を終えて、当初の計画では安土の2城を攻めるつもりだったが、時間が足りないので彦根城に予定変更した。この城は何度も訪ねているが、百名城スタンプラリーが始まって以降初めての登城。

実は確かめたい事があったので天守周辺は程々にして、全国的にも珍しい馬屋を確認した。
広島城に馬屋跡に当時の馬房が、埋めた石によって示されているが、どう考えても間口の幅が狭すぎる。案の定、彦根の馬房は間口が1間程あり、これなら充分馬を飼育できる広さである。納得!! 広島のは何かの間違い???

重文彦根の馬屋跡、間口を確認してください。
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小谷城4

2008年12月29日 | 歴史探歩
氷雨に打たれながら搦め手道を滑りながら撤退、こちらは当然のことながら道幅も狭く急坂が続く。小谷山登山道のルートになっているため、階段整備され、道案内の赤テープも張られており大助かり。
雨の山城跡に人影はなく、討ち死にしたよろい武者の、うめきが聞こえるような不気味さである。

40分で清水谷(きよみずだに)に降りた。ここは一帯に浅井長政の屋敷がおかれていたが、信長の焼き討ちにあい灰燼に帰した。

最寄のJR河毛駅から往復4時間の城めぐり、戦国時代の山城の状況がはっきり残る“浅井長政の小谷城址”を完全踏破! 気がつけば雨はやんでいる。
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小谷城3

2008年12月28日 | 歴史探歩
大石垣の跡、詰丸(切腹場所か?)、山王丸と登り詰めていくと裏は断崖となり、背後の自然防御になっている。

山王丸背後を回りこんで搦め手方向から下山するが、雨は一層激しくなり、枯葉、濡れた石に足を取られ、何度も転倒の危機に…
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小谷城2

2008年12月26日 | 歴史探歩

大手道(尾根筋)をしばらく登っていくと、ポツポツと小粒の雨が落ちてきた。雨具の取り出しを躊躇していると次第に本降りに…
本丸横の小道を下っていくと「赤尾屋敷」に至るが、この場所が浅井長政自刃の地だと説明書きがあった。
空はどこまでも暗く雨雲が低く垂れ込める。浅井一族の怨念が、この時唯一の訪問者の私にのしかかる。

結局雨を凌ぐ場所は付近になく、濡れ鼠になりながら、リュックとわが身に雨具をやっとの思いで着せた。おそろしや!

郭跡は面積も広くなく、石垣の石も小ぶりな物ばかり、しかし階段状に造られた郭跡はしっかり残っている。


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小谷城

2008年12月25日 | 歴史探歩
浅井長政の居城、信長の妹お市の方を娶り織田と同盟を結ぶが、北陸の勇:朝倉氏との盟約を守ったため、織田信長に滅ぼされる。

織田信長は敵対するものには情け容赦なく、ここ浅井(あざい)の地でも、武家屋敷、民家の密集する清水谷(きよみずだに)を焼き討ちにした。

城は標高900mの小谷山の尾根筋に、階段状に数多くの郭が造られている。城址の広場から舗装路をしばらく行くと、尾根筋に大手道の標識があり、ここから快適な登山道が続いている。

「百城めぐり」の中でも難度の高い山城で、(公共交通機関と徒歩での登城)
JR琵琶湖線河毛駅から登城口まで40分、ここから前述の登りに掛かる。
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伊賀上野城

2008年12月24日 | 歴史探歩

忍者で有名すぎる町、盆地状ののどかな空間、本当に忍者たちが修行していたのかと疑うほどの落ち着き。

城造りの名手:藤堂高虎の傑作大石垣が自慢の名城。現在は残念ながら石垣を臨む方向に、高校が立地しており、展望が難しいのが残念。

城探しにまごつくオイラに親切に道案内をして下さった初老の紳士、気持ちよく挨拶してくれた女学生など、とても好感の持てる伊賀上野でした。

高石垣を苦労して、上から覗き込んで写しました。

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三重県庁の町

2008年12月23日 | 歴史探歩
お城探訪の途中列車が停車しました。日本一短い駅名の「つ」

日本一長い駅名は現在確か熊本県にあるらしい? 近く尋ねるゾー
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松阪

2008年12月23日 | 歴史探歩
あまり縁のない土地三重県松阪、名前だけ知っているのが松阪牛「和田金」と本居宣長、その町に残された松阪城跡を尋ねる。

雨に濡れる松阪城、天守になにやら加工された、流用品の石が使われている。築城者はあの有名な蒲生氏郷

蒲生氏郷の息子:秀行彼の奥方が、浅野長晟の継室:振姫(徳川家康の娘)と言うことで、広島と松阪が繋がっているようだ(間違いない?)
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武田騎馬軍団終焉の地

2008年12月22日 | 歴史探歩

年末の慌しい時期に1週間、城廻と街道歩きに出掛けておりました。

愛知と静岡県境に位置する長篠城、現在はまったくっ砦の面影はなく、背後にひかえる山並みから、激戦の跡を偲ぶしかない。
付近にわずかに残る史跡も、JR飯田線と国道19号に寸断され、兵供の夢の跡は窺い知れない。

武田軍1万6千と織田・徳川連合軍2万5千が激突、さしもの武田騎馬軍団も、頑強に築かれた馬防柵と、数千丁と言われる鉄砲の前に壊滅した。
愚将武田勝頼、死に場所を求めたのか?…

わずかに残る長篠城遺構の堀跡

12/16日今年4回目の忘年会を、名古屋の仲間達と楽しく盛大に…

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カープファンクラブ

2008年12月15日 | ボランティア

広島カープのサポートボランティアを始めて今年は2年目、市民球場お別れイベント紅白戦を終えて、来年春新球場での開幕まで活動はしばしの休み。
この時期に耳寄りの情報をお知らせします。

シニアファンクラブの存在をご存知ですか? 只今来年度の会員を募集中なので、プロ野球に興味のある方(65歳以上)はこの機会に是非入会される事をお勧めします。

①インターネットからは 
 広島カープ→ファンクラブ→シニアファンクラブ→応募用紙を入手して申
 し込み
②電話からは
  082-221-2040へ
特典は:年会費3200円で20試合観覧出来る。今年までは外野自由席だったが、新球場では内野自由席に入場可能

女性の方は、年齢を問わず??入会できる、レディースファンクラブもあります。年会費は3800円です。こちらもお得ですよ

今年9月以降は、カープの善戦振りとサヨナラ市民球場で連日の大入りでしたが、来年も開幕から新球場を満員にして、クライマックス進出の後押しを一緒にしませんか

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ゾロ目ですゾ

2008年12月13日 | Weblog
12月13日 浜松市元城町に生を受けました。この夏確認に尋ねたところ“かの地”はコンコルドホテルが建っていました。
オイラの生家の手懸かりなど微塵も残っていません。

昨日、広島市内では例外的に原爆の被害を免れた、段原町の再開発に伴う、立ち退きのドキュメンタリーを放送していましたが、過ぎし過去に我が生家もあの状況だったのだろうか?
今となっては確かめようもありません。

賽の目最高値でゾロ目に到達であります。少しは丸みを帯びて来ても良さそうなものですが、生来の性格は仲々修正が利きませんな。

ドリミネーション第3段は火の鳥です。
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忘年会Ⅲ

2008年12月11日 | 落合郷土史
連夜のお付き合いで3回目の忘年会。地元郷土史研究会のメンバーだが、自分も含めて皆さん、大分お年を重ねてきたようで自己顕示欲が強く、酒が入ると余計抑制がきかない。
それ故に、水ずっぽい砂をかんだような酒の味になる。ソロソロ潮時かな?

美し~いドリミネーション 帆船に続いて「ロコモーション」をどうぞ!!

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忘年会Ⅱ

2008年12月10日 | Weblog

今年2回目の忘年会、会社生活を共にしたOBのおっさんばかり、色気抜きの放談会である。
最近酒量が落ちたなどのさえない話題が中心だったが、1ケ月トータルでは酒量が落ちているが、1回の宴会では日常晩酌程度で、樽が乾いているので相当飲めるし、昨今二日酔いなどまったくの死語となっている。
良く飲めるのです。

師走の町も人影は少なめ、流川も薬研堀も泣いていますよ

広島の夜を彩る「ドリミネ-ション」美くし~い! 荒波に揉まれる帆船です

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サヨナラ市民球場Ⅱ

2008年12月09日 | ボランティア

阿南監督が率いる「チーム広島」のメンバー表。
三塁側で、ライトブルーのユニフォームを着用した。

三塁側指定席のゲートを担当した、オイラとしてはこちらを応援した?が、結果はどうだったのかな???

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