もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

世界平和記念聖堂Ⅱ

2012年06月30日 | 歴史探歩

設計思想の2番目は「日本の伝統を織り込んで」
随所に日本古建築の様式美や、お庭等もさりげなく配置して、日本人の心を掴む工夫がされているのだと…

 

①外壁上部にスペードの様な形の窓が見えるが、これは松を表現する。
②写真の中央付近に雲の様な窓が5か所見えるが、これは梅を表現する。
③それならば竹もある筈だが…松竹梅が揃わないと不自然です。

 

 前述の窓を建屋内から見てみると、このようになります。(ピンボケですみません)
青くステンドグラスによって、光って見える部分が竹だそうです。
 めでたく“松竹梅”が揃いました。

 

 “枯山水”様の石組も敷地内に配されています。

 

 欄間風の装飾もデザインされています。

 

 こちらは小格子天井です。さすがに絵画・彫刻は施されていませんが…

 

 電球が光って見難いのですが、吊り下げられた彫刻は、蓮を模したものだそうです。

被爆地広島に戦後、一早く建てられたカトリック教会、随所に日本人の心に訴える仕掛けが施されています。
近代建築を代表する文化遺産として、一度ゆっくり御覧になって見られたら如何でしょうか?

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世界平和記念聖堂

2012年06月29日 | 歴史探歩

 この建物を観賞するのが歴史探歩とは?解せないと云う向きもあるでしょうけど、実は国重文に指定されているのです
原爆で犠牲になられた方々の冥福を祈るために建てられた“世界平和記念聖堂”。
6/24日、広島市現代美術館の主催で、説明会が開催されましたので行って来ました。

 

 灰色にくすんだ様な色調ですが、落ち着きと安らぎが感じられ、周囲の景色にも溶け込んでいます。
設計のテーマは『モダンな中にも日本情緒を配した宗教的な建物』だそうで、関連する内容が話されました。

 

 もう少し建物に近づいてみますと、表面がゴツゴツした感じで仕上げられていることが分かります。
浮き出た柱部分の空間を埋めているのは、無数のコンクリートを日干しにしたレンガだそうです。

 

 このレンガ建物全体の重量軽減のため、御覧のように中空に造られています。
コスト面から焼成煉瓦を使用することが出来ず、やむを得ずコンクリート製日干しレンガを採用したと説明されました。

 

 それでも側面外壁には、美しい装飾の窓が配されています。

 

 さすがにカトリック教会らしく、聖堂内正面にはイエスの像が…
まずはモダンな建物らしさを紹介したつもりです。

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西国33番札所華厳寺 門前町

2012年06月27日 | 西国33観音霊場

 三セク:樽見鉄道で谷汲口駅が最寄り駅となるが、到着から帰りの列車までまで2時間の余裕がある。
ゆっくり華厳寺にお参りして、門前町で食事をして帰ると丁度よい時間になっているようだ。

 

 華厳寺山門前の富岡屋さんにある由来書き。

 

 何の変哲もない普通の食べ物屋さんの風情。
前述の通り、帰りの列車まで時間があるので、ちょっと立ち寄ってみる。

 

 まだお昼ちょっと前だが、喉も渇いた事ゆえビールを1本頼む。
すると栓をしたビールとコップと栓抜きが出された。これは気分が良い!
 最近は店の奥で栓を抜いたり、ジョッキに注がれて飲み物を出されることが多く、中身は何か少々疑問の時がある。
このほんの些細な気遣いだけで気分良く、美味しく飲むことが出来るから、人間の心理とは不思議である。
 お断りしておきますが、オイラはこの銘柄を気に入っていると云うことではありません。

 

 “こばら”を満たすため、味噌田楽を注文した。
豆腐と山椒と味噌味で、とても美味しかったです。

 今回の“病後の初旅”は、台風4号で出足は躓いたものの、“乗り鉄”の面では当初の目的を達した。
   6/19~20日:飯田線の豊橋⇔辰野間。
   6/20日:身延線の甲府⇔富士間
   6/21日:武豊線の大府⇔武豊間
 これで東京と新潟を結ぶ線より西側は、90%以上制覇したと思います。よく調べてみようっと!

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西国33番札所華厳寺

2012年06月26日 | 西国33観音霊場

 病後の初旅最終4日目は、岐阜県にある西国33観音霊場の満願寺:谷汲山華厳寺を訪ねる。

 JR大垣駅から三セクの樽見鉄道に揺られること小1時間、列車は谷汲口駅に…
すると駅前には揖斐川町のコミニュティーバスが待っていて、すぐに発車華厳寺参道入り口まで運んでくれる。
ほとんど町時間はなく、とても便利である。
 揖斐川町全体が、谷汲山の門前町の感じである。

 

 山門までおよそ十丁の門前町をゆっくりと登って行く。
さすが西国33観音霊場の満願寺、風情のある参道である。

 

 二重門に楼を巡らせた山門には、両側に巨大なわらじが奉納されている。

 

 山門入り口から、緑滴る境内を望む。
台風一過雨上がりの境内を、涼風が吹きぬけて心地よい。この日は6/22日である。

 

 薄暗い本堂に参詣、巡礼の型通りに納経をする。
納経帳を差し出すと「本山は満願寺であるため900円納めよ」と云われた。
??? いぶかっていると内訳は“本堂、笈摺堂、満願堂の3か所”で、合計900円だと告げられた。

 

 満願成就の巡礼は、笈摺堂に笈摺や杖を奉納し、満願堂に結願を報告するのだと云う。
四国の88番札所大窪寺や秩父34観音霊場の水潜寺も同じように満願寺だが、900円納めろとは言わなかった。
 これが満願堂である。

 

 狭い境内に樹木が一杯で、本堂の全容は臨めない。

 

 境内で目を引いたのはこの建物。
奉仕中の方に聞いてみると、経蔵だと云う。さすが天台宗のお寺立派なものだ

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野間大坊

2012年06月25日 | 歴史探歩

 6/19~22日の病後の初旅は、出だしから台風4号の洗礼を受け、計画はズダズダになってしまった。
長野の岩松院参詣を諦めたことから、三日目の6/21日は日程に余裕が出来たため、そぼ降る雨の中知多半島の先端近くにある野間を訪れた。

 名鉄内海・河和線で野間駅に降り立つが、駅舎の周りに人家はなく目指す“野間大坊”への案内も全くない。
途方に暮れたが、駅に向ってきた高校生に聞くと、野間大坊をすぐに教えてくれた。
 が、雨の中20分は掛かると…やがて立派な二重楼門が現れる。

 

 本堂は入母屋造り、平入り、回廊付きと云う一般的なもの。

 境内の一画に、めずらしい形の石庭がある。
これも三尊石の一種なのであろうか?

 

 野間大坊=源義朝の墓、と言われるほど有名な義朝の墓は、自然石にに囲まれた宝筺印塔型。
『せめて我に、木太刀の一振りでも…』の故事から、奉納された木刀が御覧の通り。
 重臣:鎌田政清の墓も同一敷地内にある。

 

 義朝の首を洗ったと云われる血染めの池。

義朝を討った長田忠致、景致親子は源頼朝の治世になって、頼朝に討たれた?とも伝えられる。
近くに“磔の松”も残されているが…

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がん封じ寺

2012年06月24日 | 歴史探歩

 普段はほとんどよりつかない息子が、がん封じのためのお守りを持って見舞ってくれた。
病気で気がめいっている時、こうゆう物には何となく頼ってみたくなっている。

雨がしょぼ振る、6月21日の木曜日お礼詣りに訪れた。西浦不動である。

 

 JR蒲郡駅で名鉄線吉良吉田行きに乗換、この駅で降りる。
写真の通り寂れた地方の駅だが、ひょっとするとこの先大ブレークするかもね?
 もちろん“がん封じ寺”としての評判が高まって…

 

 駐車場に続いて2軒のお店が開いており、参道には願い札がこの通り。
この札がほとんど新しいものばかりなので、がん封じの名声が急激に高まっているものと推察した。

 

 真新しい山門、参詣客が多いので新築された。
境内もそれ相応に清掃が行き届いている。

 

 がん封じ堂にも、願い札がびっしり!

 

 本堂に上がり般若心経を唱える。お経はこれしか知らないので、これでお礼詣りに替える。
効能あらたかだったお守りをお返しして、参詣を終えた。

 

 日本大雁塔と説明されていたが経蔵らしい。これも新しいが立派な建物である。

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病後の初旅Ⅱ

2012年06月23日 | 歴史探歩

 良く使われる言葉に『台風一過の秋晴れ』と云うのがあるが、今回の台風4号は梅雨の最中に日本列島を襲ってきたため、翌6/20日も雲の多いすっきりとしないお天気。
  今日も長野県下中央本線のダイヤは乱れに乱れ、運行状況が皆目分からない。後の日程がつかえているのでやむなし、長野の岩松院参詣を諦める。3年前100名城巡りの時も長野電鉄の事故で参詣が叶わず、再び夢は断たれてしまった。
  福島正則の怨霊でも潜んでいるのだろうか?

 

 

 甲府盆地を中央本線から乗り継いだ、身延線の鈍行列車が行く。遠くに見える山並は何処かで見たような景色。

 

 思い出した。九州は阿蘇の外輪山にそっくり!
山なみの切れ目を通って列車は静岡県に入り、富士宮を目指すのだろう。

 

 地名から見て、此処が甲府盆地の出口なのではないか?
武田信玄から見れば甲府盆地からの出口、今川義元からすれば甲府盆地入り口となるのだろう。

 途中下車して、日蓮宗の聖地:身延山久遠寺に立ち寄ることにした。

 

 身延と云えば此処、日蓮宗の総本山久遠寺、門前町を過ぎると巨大な三門が眼前に…
日蓮宗は広島では本当になじみが薄い。①独特な字体の「南無妙法蓮華経」の髭文字 ②「お題目を唱える」と云う言葉
③太鼓を叩きながら賑やかに唱えるお経 これ位しか日蓮宗に関する知識は無い。

 

 文字通り、胸突き八丁のなが~い階段が続いている。
もっとも多くの参詣者は、駐車場から斜行エレベータで本堂まで一気にお参り。

 

 鉄筋造りの塔堂伽藍には何の趣もなし。

 

 三門と周囲の巨木は凄い! 参詣者と比べてみてください。

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病後の初旅

2012年06月22日 | 歴史探歩

 6/19日から台風と帯同して長野、山梨、静岡、愛知、岐阜の各県を巡る筈の旅だったが、異常に足が早い台風4号に途中で追い付かれ、哀れ予定を大幅に変更する羽目に陥った。

 

 JR飯田線の一駅である駒ヶ根駅、今回も只通過するだけの筈だったが、広島の自宅を出てから約12時間後、ここで台風に追い付かれてしまった。
 この日は長野市まで足を伸ばす計画だったが、「風も吹かず、雨も降らぬに」JR東海はここで、列車の運行を打ち切ってしまった。

 

 やむを得ず、ここ駒ヶ根駅前に宿を取って一夜が明かす。翌早朝の駅にはこの情報が出ているだけで、駅員の姿は見えず。
後で判ったことだが駅員は駅舎内居たが表には出ず、8時前になってやっと姿を現したが、これ以上の情報がもたらされることはなかった。
 JR各社の中でも、最も旧国鉄に近い体質を維持しているのが“JR東海”。その顧客を粗末にする体質は国鉄時代そのもの。

 

 台風一過の高原を列車はようやく走り始めたが、長野行の筈の列車は車掌の車内放送で、はるか手前の岡谷で打ち切ると伝えられた。繰り返しマイクで伝えられた情報も車掌の一声で翻ってしまう。…どうなっているんでしょうね、この会社は???

 かくして今回の旅は、スタート初日から散々な目に遭わされてしまった。
懺悔の記録をお届します。

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弁財天御開帳

2012年06月18日 | 落合郷土史

 厳島神社の御島廻り神事の報告が終わったと思ったら、今度(6/17日)は厳島神社の修理を担当する、大願寺の弁天様の御開帳と相成った。

 

 いつ見ても美しい五重塔をどうぞ! 
この塔には恋焦がれているのですが、明治維新の廃仏毀釈の際“仏舎利”を紛失したとかで、国宝指定をされないのは残念至極。
 屋根の反りに、室町の様式を残して優美な姿なのになぁ~

 

 こちらは国宝厳島神社の祓殿入り口の造作。
複雑に入り組んだ様は、えも言われぬ優雅さであります。

 

 日本に唯一残された寝殿造りの姿が、此処に展開されています。
寝殿造りの特徴、回廊を廻って対屋に到る。このアングルが最高の撮影ポイントです。

 

回廊から勅使橋を望む。浮世離れした橋がこの情景にピッタリ!

 

 お目当ての弁財天(弁才天:こちらの表記が正しいと云われているが…)は秘仏の為目視のみ。
こちらは過日NHKテレビで放映された『歴史ミステリー 清盛の夢』で、奈良時代の作と紹介された十一面観音。
番組では、厳島神社の本地仏と紹介されたが、真偽の程は如何に?
 厳島神社の別当寺:大聖院に祀られている。

 

 大聖院におわす五百羅漢達。

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厳島神社御烏喰式Ⅳ

2012年06月16日 | 歴史探歩

 本日の御烏喰式を催行して下さった厳島神社の神官の皆様。
右から御師(おし)、令人(れいじん)、船頭の皆さんと一緒に、楽しい直会(なおらい)。

 

 直会場所は第6拝所:須屋浦神社前の浜です。

 

 講中にはご婦人方も数多く、いずれ劣らぬ…

 

 七えびす、全て廻り終えたら厳島に上陸し大元神社に向います。

 

 大元神社に祀られている神様たち、でも御烏喰式の結果報告を何故この神社にするのでしょうか?
私の推察では、この大元神社に“厳島大神(厳島大明神)”が祀られているのだとおもいます。
その心は、平清盛が現在の社殿を造営し宗像三女神を勧請した時、厳島大神は大元神社に移されたのではないでしょうか?

 

 大元神社前で、講中頭がご挨拶。
この後一行は、厳島神社本殿に最後のお参りを済ませ、行事は無事終了です。

 

 大元神社拝殿に奉納された我が講中の額。
下の段に、慎み深くオイラの名前もありますよ。

 

 神烏は決してその場で団子を食べることはなく、必ず養父崎神社裏の原生林に持ち帰ります。

 

 来年もこの御姿が拝めますように…

私達講中は来年もこの行事を催行する予定です。
参列ご希望の方が居られましたらご一報ください。まだ先の話ですがね。

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厳島神社御烏喰式Ⅲ

2012年06月15日 | 歴史探歩

 神烏は“しとぎ団子”を御覧の通り

 

 しとぎ団子を浮かべてから待つ間もなく、神烏がお越しになり団子をくわえました。

 

 下はしとぎ団子を咥えて養父崎神社へ向かう神烏。
上は次のしとぎ団子に向う、もう1羽の神烏、海面すれすれのところで行きかいます。
 御師の話では2羽は番いとのことで、2羽揃って3回お越しになりました。

 

 神烏は6個のしとぎ団子を残さず咥えて、養父崎の森に御帰りになりました。
昨年に続いてパーフェクトな神事となりました。

 

 第5拝所:山白浜神社を遙拝し、第6拝所:須屋浦神社にはこの日3度目の上陸です。
御烏喰式がつつがなく上がったことを報告します。

 

 信者は御師から御幣を賜ります。
私達講中の思いが今年も叶いました。

 

 須屋浦神社の前浜で“直会”が行われます。
供される神酒は非売品の“清酒厳島”です。

 

 第7拝所は御床神社、厳島三女神が祀られています。
神社前の岩の割れ目を良く御覧になってください。厳島神社紋:三亀甲剣花菱が浮かび上がっています。
 この後大元神社にお礼詣りをします。

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厳島神社御烏喰式Ⅱ

2012年06月14日 | 歴史探歩

 続いて包ケ浦神社に向い、神烏に朝御食(あさみけ)をお供えする。
包ケ浦神社は厳島七浦の外神社だが、御師、講中とも遙拝する

 手前側の岩上に白く見えるのが朝御食(あさみけ)。
この日この場所には神烏は現れなかった。

 

 向こう側御師の船と、我々講中の船はこの状態。まさに至近距離で行事は執り行われる。
第2の拝所:鷹巣浦神社で遙拝の様子、第3拝所:腰細浦神社も同様に遙拝する。

 

 第4拝所:青海苔浦神社では2回目の上陸、全員で参詣する。

 

 御師(鳥居の中)は祝詞をあげ、令人は雅楽を奉納する。
青海苔神社は陸路はなく、此処にお参りするには海路からしか道はない。

 

 神烏がおわす養父崎神社が近づいてきた。
この沖に海水で練ったしとぎ団子を神烏にお供えする、クライマックスが待っている。

 

 これが神烏にお供えする“しとぎ団子”
俵の上に6個のしとぎ団子が乗せられ、海に浮かべる。
 御幣は海風にたなびき、令人の吹きならす笛の音が海上に流れる。

 

 来た!!! 令人の吹きならす笛の音を待ち切れずに“神烏”の登場である。
この後神烏は“しとぎ団子”を咥えたのであろうか?

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厳島神社御烏喰式Ⅰ

2012年06月13日 | 歴史探歩

 御烏喰式(おとぐいしき)と読みますが、安芸の宮島厳島神社では毎年神秘的な「御烏喰式」が執り行われます。
私達の講中も、6/11日に御師(おし:行事を執り行う神主)の船に随行して、「御烏喰式」を行いました。
『安芸の宮島 廻れば七里 浦は七浦 七えびす』と歌われるように、宮島を一周しながらこの行事は行われます。


 早朝8時、宮島に渡った桟橋から御師の船が、島廻りに出航します。
中央白装束の方が、厳島神社の神官で本日の御師を務めます。
 紫の袴の方は、本日の付添人ですが、厳島神社のスポークスマンでテレビでお馴染みの先生です。
私達講中の為に、神社は万全の態勢で迎えてくださいました。

 

 御師の船では「御烏喰式」の準備が行われています。
右が御師で左の方は令人と言い、神烏を呼ぶため海上と各神社で笛を吹きます。

 

 私達講中21名はこの船で、御師の船に続いて式に参列します。
直近で「御烏喰式」が見られる、まさに究極のぜいたく、講中冥利に尽きます。

 

 この日の海は波一つないべたなぎの状態、絶好の日和に恵まれました。
第1の拝所:杉の浦を目指します。

 

 御師の船が拝所に到着しました。
我々も後に従い上陸して、杉の浦神社に参詣します。

 

 設えられた神域を潜って、最初のお祭りに参加します。
参加する信者も神官と共に上陸出来るのは、貸切で行事を催行する私達の特権です。

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東広島市西条

2012年06月10日 | 歴史探歩

 久し振りに酒蔵の街を歴史散歩、西条駅周辺をゆっくりと散策した。

 手始めに訪れたのは、商売っ気むき出しのこの酒蔵です。
ケーキに吟醸酒をぶっかけて食べさせたり、そばを打って食べさせたりとなんでもありの様相。

 

 それでも昼飯くらいは少し落ち着いたところでと、この店に入ったが…
時間がかかった割には、今一の味でちょっとがっかりでした。

 

 気を取り直して“花の寺”を看板にする、真言宗妙心寺派のこの寺を訪ねる。
ふらっと出てきた普段着の住職が、判ったような判らないような説教をぶってくれた。
 境内の手入れの良さは秀逸!

 


 

 さらに歩を進めて安芸の国の国分寺を訪ねた。
寄棟造りの山門はめずらしい。

 

 境内で見つけたこの花は河骨じゃろう。

 

 国分寺跡一帯は可成り手が加えられて、公園広場の様な感じに整備されている。
しかし休日にもかかわらず、7重の塔跡も人影はまばらである。

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カープサポートボラ

2012年06月09日 | ボランティア

 春に体調を崩した関係から、今シーズンはボランティア活動を大幅に縮小した。
特にカープは観戦を重点にして、ボラは最小限にしている。
その心は、今シーズンは先発投手に駒が揃い、相応の成績が残せると踏んだからである。
 久し振りに強いカープを楽しもうと思ったのにな!



 マツダスタジアムにこんな光景が拡がっています。
カメラの解像度が今一なので見えませんが、清流が流れています。
 これは球場に降った雨を集めて利用しているのですが、一部は植生の為に流用しているのだとか…

 

 本日はパリーグ球団ですが、お隣のソフトバンクホークスを迎えての2戦目。
札止め満員の盛況、球場は熱気に包まれていたのですが…
それにしても、あまりにだらしのないカープには愛想がつきます。

 およそボールパークらしからぬ光景が楽しめるのがマツダスタジアムの売り物。
今シーズンからウッドデッキ近く、竹でで編まれたコーナーが出現しました。

 

 遅ればせながら球場周辺の開発も進められ、ボールパークとしての体裁が整えられつつあります。
ライトスタンド後方のフィットネスクラブ?今日もクレーンが稼働しています。
 試合の興味が薄れてしまい、周辺の景色に目が行ってしまいます。

 試合終了?ではありません。7回裏が終わったらこの状況になりました。
まだ16時を少し過ぎただけなのに、ファンは完全にカープを見切ってしまいました。
 皆さん家路へ急ぎます。
広島カープ、これから先どうなってしまうのでしょうか?

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