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もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

藤25

2025年04月29日 | Weblog

薄紫の儚さが漂う藤の花。

 

強固な藤棚に支えられて保護されています。

 

長~い房が垂れ下がって、手招きをしているように見えませんか?

 

長閑な山並みを背景に、「近寄って良~く見てください」と訴えているようです。

 

一口に藤と言っても、多くの品種があるようで、それぞれに咲き方が違って見えます。

 

根元は立ち入り禁止となっているので、近くで見える花は多くはありません。

 

薄曇りの空は格好の引き立て役ですね。

 

四方八方へ枝をいっぱいに広げて、雄姿を誇示します。

 

花の形も様々に変化していくのでしょう。
色合いも多様で見る者を飽きさせません。

 

豪華絢爛、藤娘が根元に立てばさぞかし・・・

 

あまりにに伸びやかで、フレームに収まり切れない。

 

これは異種か?ピンクに近い豪華な一房。

 

可憐な純白の花びらもありました。

 

地元の方によると、木が老化しているので、年々花房が短くなっていくようだと語っていました。
幹が複雑にくねっている様子をご覧ください。

 

来年も頑張ってね! エールを送りながらその場を離れました。

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雨の持芳庭

2025年04月26日 | 持芳庭

これと言って手入れをしないのに、花たちは勝手に楽しませてくれるのです。

 

葉の若緑と小粒の白い花が、命一杯に拡がる満天星つつじです。
秋の紅葉も楽しめて、一人二役の優れものです。

 

灯篭脇に楚々と控えめなつつじ、純白ってところが何故か希少価値感満載でいじらしい。

 

街路樹として何処でも見られる奴ですが、開き始めの蕾が雨に濡れて・・・

 

これなんだかわかりますか?
ボタンの蕾ですよ!

 

開花しました! これから一気に大輪(2倍以上に)へと変化していきます。

 

下にも一輪花があります。
めりっ メリッ と音がするように、見る間に花開いていきますよ!

 

牡丹=富貴とも言われる百花の王、妖艶としか表現できませんね。

 

松の新芽と花も伸びてきました。
50年前にお正月の鉢植えから、庭に下した松が立派に育ちました。
これから「みどり摘み」の時期に入ります。
葉の先端に「松の露」が・・・

 

半分廃墟の如き荒れた庭に、彩を添えんと毎年懸命に咲き続けます。

 

乙女椿も今が盛りです。
蕊を持たない品種なので、子孫繁栄につながりません。

雨の持芳庭、初夏の一幕でした。

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美しい里山 Ⅱ

2025年04月23日 | Weblog

里山を巡っていれば、意外な場所でハッとする景色に遭遇することがあります。

 

エヒメアヤメを見に行ったのに叶わず、枝垂れる桜が目に留まりました。

 

こちらは沈丁花、クチナシ、キンモクセイと併せて、三大香木に数えられるとか・・・
誰もいない山里に、馥郁たる香りが漂います。

 

こんな立派な七福神が、何気なく置かれています。

 

早くも代掻きが終わり、田植えを待つばかりとなっている山の田です。
思いもよらぬコメ不足に見舞われた日本列島、農水省の無能振りにはあきれてモノが言えません。

 

一面絨毯ではない芝桜。

 

畔にも雑草ではなく可憐な奴が咲いています。

 

これでは一輪草の名を返上しなくてはいけませんね!

 

「菜の花畑に 入日薄れ 見渡す山の端 霞み深し・・・」

 

何気なく、丁寧に、整理整頓された里山は、限りなく美しいです。

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美しい里山

2025年04月22日 | Weblog

熊の出没や、猪や鹿による被害などの報道が連日伝わる昨今、美しい里山の維持が重要と叫ばれています。

 

これも報道で知ったことですが、美しく維持されている里山が、一般に公開されていると・・・
ある篤志家が懸命に守る里山を、惜しげもなく公開してくれています。

 

お庭のあるお宅で時々見掛けて気になる花です。

 

此処では群生しています。
最近虜になっている、ローアングルで迫って見ました。

 

程よく手入れされている里山の模様をご覧ください。
雑草が目立たず、花々が控えめに顔を覗かせています。

 

散り際を惜しむ桜と「ムスカリ」という花がコラボレーションする景色をどうぞ!

 

楚々とした風情は「一輪草」です。
川中美幸の十八番は「二輪草」でしたね。

 

20年以上前、山登りに熱中していた頃、比婆山系で出会って以来です。

 


真紅に輝く花も所々に見られます。

 

「アネモネ」です。
花言葉は〝君を愛す”とか〝はかない恋”らしいです。

 

初夏の日差しを一杯に浴びて、伸び伸びと里山が装いを変えていきます。
ムスカリの花言葉は〝寛大な愛”とか〝何も言わなくても通じ合う心”ですよ!

 

〝寛大な恋”と〝はかない恋” オイラにとってはどちらも関係ないことでございます。

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朱雀天皇陵 醍醐陵

2025年04月20日 | 御陵印

醍醐天皇の第11子である朱雀天皇陵は、醍醐天皇陵と至近の場所にあります。

 

案内標識はありませんが醍醐天皇陵を背中にして、制札版の前の道を左へ進みます。

 

続いて直の交差点を右に進みます。

 

道なりに進めば朱雀天皇陵入口に至ります。
実際は何の変哲もない住宅街の道なので、不安がありましたが無事到着しました。
実際は心配になってオイラは途中で、犬とお散歩中のご婦人に訪ねています。

この通りをさらに真っ直ぐ南進すれば、醍醐寺の北門に突き当たります。

 

うっかりすると通り過ぎてしまうほどひっそりと、朱雀天皇陵参道入り口はありました。

 

両側に住宅が迫り窮屈な場所にあります。

 

参道脇にある散り際のモクレンが、少し哀れをさそう感じです。

 

砂利が敷き詰められた参道と御陵前の広場が、狭い場所にありました。

 

第61代朱雀天皇御陵です。
円丘墳とされていますが、墳丘奥の景色が透けて見える程度の大きさです。

 

僅か8歳で即位しましたが、在位中に富士山の噴火や風水害が頻発、さらに平将門や藤原純友の乱が起こるなど困難に直面し、病弱なこともあって24歳の若さで譲位しました。

 

30歳で没し、父醍醐天皇のお墓近くに埋葬されました。
その後人家の裏庭に2間四方の小規模なお墓が作られ、改葬して現在に至っているようです。

第61代朱雀天皇の御陵印です。

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醍醐天皇陵 後山科陵

2025年04月18日 | 御陵印

山科駅から地下鉄六地蔵行に乗車します。

 

山科から2駅目は「椥辻(なぎつじ)駅」と難読駅です。
この地は南北に醍醐道、東西には京都道が通り、その交差点が椥辻です。
昔村内に大きな梛(椥)の木があったことから命名されたとの説があります。

 

地下鉄山科駅から3駅目の小野駅で下車、南へ150mの交差点を左折します。
随心院へ向かう道になります。

 

随心院と醍醐寺への道案内はありますが、醍醐天皇陵への案内はありません。

 

京都市山科区小野御陵町にある随心院は桜も有名です。
小野小町所縁の寺でもあり、立ち寄りたい衝動に駆られますが、じっと我慢して先へ進みます。

小野小町の生まれた地とも言われ、余生を送った地でとも伝えられています。

 

随心院の北西角を右折して南へ向かいます。
さすが真言宗善通寺派大本山、荘厳な雰囲気を漂わせています。

 

醍醐・京道とするところではないでしょうか。
おそらく椥辻の交差点でしょう。
左折して東へ向かいます。

 

地下鉄小野駅から20分程で、醍醐天皇後山科陵の参道入り口に到着です。
制札版の脇で「日向ぼっこ」をしていたご老人が、「醍醐天皇陵へお参りですか」と聞かれたので「はい!お参りさせていただきます」と挨拶しました。
「綺麗に整備された御陵ですよ」と我が事のように自慢されました。

 

砂利敷の参道は真っ直ぐ北へ向かっていました。

 

第60代醍醐天皇陵です。
13歳で即位、在位は34年間の長きに亘っています。

 

在位中に、右大臣であった菅原道真を大宰府に左遷させた天皇です。
怨霊となった道真の祟りを恐れ、彼の死後右大臣として復位させています。
実権を握っていた藤原氏の所業と言われますが、平安時代最大の怨霊事件として語り継がれています。

 

墳形は円丘とされ、現在もほぼ原形を留めているようです。

 

醍醐天皇の御陵印です。
何故か歴代天皇と異なり、丸印となっています。

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天智天皇陵 山科陵

2025年04月16日 | 御陵印

中大兄皇子として大化の改新を成し遂げたことで、子供のころからよく名を知った天皇です。

 

東海道線山科駅から京都市営地下鉄で一駅、御陵駅が天智天皇陵への最寄り駅です。

 

京都の地下鉄駅構内はシンプルで迷う心配は少ないですが、念のため駅員さんに確認して、出口2を教えて戴きました。

 

地下鉄の進行方向とは逆行して、南方向に戻ります.

 

すると直ぐにありました。
ばっちり! 天智天皇陵12分とあります。
万事 こうでなくっちゃ…

 

更に参道入り口にも案内がありました。
地下鉄御陵駅から、徒歩でおよそ15分程度到着しそうです。

 

天智天皇陵参道入り口です。

 

制札版も入り口にありました。

 

橋上はぐり石ですが、その先は舗装されています。

 

京都市山科でもこの看板がありました。

 

やがて敷石の参道に代わりました。
平たく加工されており、滑り難く歩きやすいです。

 

第38代天智天皇御陵です。
墳形は大王の墓に相応しく八角形とされています。

 

斉明天皇の崩御後もすぐには即位せず、白村江の戦いを経て、飛鳥から大津京へ遷都して後、即位しました。
実権を握ってから実に、6年後の即位となりました。

 

ちょっと残念な光景、松くい虫のせいかな?枯れかかっています。
実在したことは確かであり、お墓の場所も確実な天皇です。

実在した天皇で、お墓も確かな天皇陵はあと一つ、天武・持統天皇合葬陵と言われています。

 

八角形のお墓の存在は確かめるべくもなく、荒れた感じの陵墓となっています。

 

時節柄ですね。
1本の桜が満開でした。

 

戻りは京都らしい?ひっそりとした小路を抜けて、山科駅まで歩きました。

 

天智天皇の御陵印です。

「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ」百人一首1番 天智天皇お歌

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弘文天皇陵 長等山前陵

2025年04月15日 | 御陵印

京都観光はインバウンドの影響で交通機関が混雑するなど、年寄りのオイラには少し脚を向けるのが躊躇われる今日この頃です。

 

今回は身延観光の帰途、東海道本線石山駅で下車、京阪電車石山線で大津へ向かいます。
京阪電車の車両は横幅が狭いのですが、いろいろなデザインの車両が運行しており結構楽しみです。

 

ガッタン、ごっとん、街中を揺られて大津市役所前に着きました。

 

京阪大津市役所前の大看板に「弘文天皇長等山前陵」がはっきりと記されています。
しかしながら道路標識が見付からないので、具体的にどちら方向へ向かえばよいのか迷います。
この位置からでは目の前にある大津市役所の建物が視界を遮り、弘文天皇陵は確認出来ません。

 

仕方なく市役所の隣にある駐車場脇を奥に進むと、この階段が現れました。
このまま進んで良いのか、悪いのか?微妙な雰囲気ですが、そのまま先へ進みます。

 

階段を上がった先はこの景色でした。
左手前方に見えるこんもりとした森が天皇陵ではないでしょうか?

 

さらに進むと見たような景色が開けました。

 

真新しい感じの制札版が確認出来ました。
ヤレヤレ、でもこのルートは正しい参詣道ではないようです。
ちゃんとした案内標識をお願いしたいですね。

 

制札版と御陵の間の参道は、落ち葉もなく綺麗に掃き清められていました。

 

第39代弘文天皇は天智天皇の第1子ですが、壬申の乱で叔父の天武天皇に敗れ、自らの命を絶っています。

 

日本書紀に即位した記述がなく、弘文天皇諡名は明治になってか追贈されました。
一般的には大友皇子とよばれているようです。

 

墓は円墳となっていますが、拝所から確認することはできません。

 

すぐ脇には大津市役所の建屋が迫っていました。

 

悲運の生涯をたどった弘文天皇の御陵印です。

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岳南電車 Ⅲ

2025年04月14日 | Weblog

吉原市といえば製紙工場が集積している印象ですが本当はどうなのでしょうか?

 

ヤァ~岳南電車、地元の皆さんに愛されていますねぇ!
綺麗なお花がお出迎えです。

 

主力車両はシンプルなカラーリングで好感が持てます。

 

行先表示板もこれならいちいち掛け替えなくてもOKです。
全行程僅か20分足らずですから、この手が使えますよね。

 

平日、休日ともダイヤは充実しています。

 

数少ない駅舎はすべてこんな感じ、お世辞にも褒められたものではありません。

 

車体に張られたメーカーのプレート。
上側の東急車両は製作会社のプレートかな?

下の京王重機はメンテナンスの会社でしょう。

 

電車だけではなく、動力車も用意されているようです。

 

立派な建屋の整備工場もあります。

 

車内レイアウトはシンプルで清潔感溢れています。

 

吉原駅のホームに設置されている、富士山を望むスポットです。
この日は生憎の曇り空で、利用機会に恵まれず残念でした。

 

工場地帯を突っ走る岳南電車、永続できますことを祈念します。

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岳南電車 Ⅱ

2025年04月13日 | Weblog

いかに東海道線と直結しているとはいえ盲腸線、岳南電車も生き残りをかけて様々な工夫をしていることでしょう。

 

「全ての駅から富士山が見える」がキャッチコピーの岳南電車、中でも吉原駅を発車して間なしのこの辺りでは、真正面に富士山が望めるはずでしたが、生憎のこの天気でがっかりでした。

 

岳南電車にも頑張れとエールを送りたいのは山々ですが、少し残念なのは駅名です。
始発の「吉原駅」「吉原本町」「本吉原」と立て続けに「吉原」の連発で、紛らわしいことこの上なしです。

 

吊り型あり、壁掛けあり、自立型ありで、駅名表示は柔軟です。
平仮名読みが主体なのは、意識してのことでしょうか?

 

列車はゆっくりと廃屋工場のような場所に差し掛かります。

 

実はこれが売り物の場所で、NHKの「新日本風土記」で紹介されていた、工場夜景を楽しむスポットとなっています。
操業中の化学工場の夜景をゆっくりと楽しむ、観光列車が運行されているようでした。
残念ながら昼間なので、オイラの眼前に展開されるのは赤錆が目立つ老工場の姿でした。

 

途中駅は大半が無人駅で駅舎がありませんが、中間点にある比奈駅には建物が残っています。
往時は通勤客や、貨物列車の往来が頻繁だったのでしょう。

 

複雑な退避路線もあり、現役で活躍中の列車も待機していました。

 

駅名は「吉原」ばかりと苦情を言いましたが、唯一珍しいのが「須津(すど)駅」です。
津=ど、この読み方は初めてお眼にかかりました。

 

列車は街並みを外れて、山脈が行く手に立ちはだかるように現れました。
あの山の向こうは山梨県でしょうか?

 

プラットフォームに、地域の皆さんのための掲示板もあります。

 

終点は木製で自立型の駅名表示が残されています。
このように各駅全く統一性がなく、バラバラなところが岳南鉄道の大らかさでしょうか?
はたまた、静岡の県民性ででしょうか?

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岳南電車

2025年04月12日 | Weblog

久し振りで乗り鉄を楽しみます。

 

2月上旬、ここを通った時は真っ白に冠雪していたのに、もうすでに春たけなわですね!
ヤマトタケルを瀕死の目に遭わせた伊吹山です。

 

今回の目的はこの鉄道です。
「鉄印帳」の仲間に入っていないので、東海道線に接続していてとても乗りやすい線ながら、今まで後回しになってしまいました。

 

東海道線吉原駅から岳南江尾駅間の10駅、乗車時間は僅か20分足らずの路線です。

 

それでも始発駅にはちゃんと駅員が詰めていました。
第三セクターの鉄道会社は始発駅でも結構無人駅が多いので、何故か駅員さんの姿を見かけてホッとしました。

 

桜花爛漫に富士山と、静岡県らしさ満載のペイント電車がスタンバイしていました。

 

昨今不祥事で連日話題をさらっている、Fテレビの社屋ではありませんよ。

 

始発駅らしく、立派な行先表示板がそこにありました。

 

切符は昔ながらの硬券です。
しかもちゃんとハサミも入りました。

 

運転席もレトロ感満載です。

 

一駅目から意表を突く、極彩色の駅名表示板がありました。
そうそう、この会社の最高のセールスポイントは、全駅から富士山が望まれることだそうです。

 

「田舎の乗り鉄爺さん」の期待を乗せて列車は「出発っつ 進行!」いたしました。

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春の草花25 Ⅲ

2025年04月11日 | 山野草

今年は桜の開花期間が長いのか、かたくりの開花時期が早いのか、かたくりと桜の開花時期が重なっています。

 

既に満開時期は過ぎてしまい、群生している株は見当たりませんでした。

 

二株を同一アングルで納めるのも一苦労です。

 

真っ白に光る?株を見つけました。

 

自然が育む山野草の魅力を存分に発揮しています。

 

文様、花弁の形など千差万別です。

 

花がすべて下向きに咲くので、精一杯に屈んで撮影します。

 

葉っぱにも複雑な文様があしらわれています。

 

半日蔭の場所を好むようですが、太陽の光を浴びると花弁は反り返ります。

 

ファインダーを覗かずに、ローアングルを狙ったもので、花に焦点が合わずピンボケでした。

 

同じくその二、背後の木株を見ても、カメラの位置が低いことが分かりますよね。

 

自然林を背景に、毎年健気に咲き誇ります。

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醍醐の花見 25 Ⅱ

2025年04月10日 | Weblog

一口に桜と言っても様々な容姿で訴えてきます。

 

色彩だって微妙に違いがあるのです。

 

白木造りかと見える五重塔に白の花弁が枝垂ています。
モノトーンの世界が現出します。

 

本来ならばオイラが主役なんですと塔が訴えているようです。

 

「花の色は 移りにけりな いたずらに わが身よにふる ながめせしまに」小野小町

 

梵鐘を引き立て役に・・・
ここは醍醐寺ですもの!

 

煌びやかな五七桐も喧噪の外にありました。

 

超大国の大統領によって激動の令和7年となりそうですが、桜は変わらずどこまでも美しい。

 

何処を切り取っても一服の名画を思わせる、醍醐の花見でした。

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醍醐の花見 25 

2025年04月09日 | Weblog

桜花爛漫の候、京都を素通りするのも勿体ないが、さりとて外国人でごった返す人混みも避けたい。

 

「うーむ?思案六方」そうだ山科で途中下車しよう!

 

恐る恐るで足を運んだ場所は世界遺産醍醐寺です。

 

とにかく他人と同じことは極力避けたい天邪鬼、地元の方しか潜らない?北門からアプローチ。

 

本日は晴天なり、桜花はまさに満開なり!

 

雑踏を通らずに西大門(仁王門)に到着しました。
些細なことなんだけれど、疲れ方が随分違います。

 

三宝院方面に向かう参道もこの通り、さくら・サクラ・桜です。

 

世界遺産醍醐の花見を満喫します。

 

関白秀吉が催した「醍醐の花見」はこの場所ではなく、此処から約1時間山道を登った先にある、上醍醐への途次であったと言われています。

 

迷惑千万な「自撮り棒」が禁止なので、カメラアングルの邪魔者が少なくて幸せです。

 

国宝五重塔もこの時期ばかりは、完全な脇役に甘んじています。

 

心なしか金堂参拝者も疎らでした。

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身延の桜 25

2025年04月08日 | Weblog

身延山久遠寺、言わずと知れた日蓮宗の総本山です。

桜の時期は車の乗り入れ規制があり、身延の町からシャトルバスで三門迄やってきました。
事前情報では満開を過ぎているとなっていましたが・・・

 

中々どうして期待できそうです。

 

三門から本堂へ通ずる287段を回避して、車道を選んだがこちらも急坂で汗が出ます。

 

本堂脇の駐車場からは、斜行エレベーターのお世話になりました。

 

身延山の売り物は枝垂れ桜です。

 

堂塔伽藍は新しいものが多く煌びやかです。
1500人が一堂にお参り出来る本堂です。

 

この度一番の輝きを放っていたのがこの1ッ本。
身延の枝垂れ桜です。

 

巨大な蓑甲落を持つ大屋根と、枝垂れ桜の対比は如何でしょう。

 

滝の飛沫を思わせる情景です。

 

入母屋側に黄金の宗紋が燦然と輝いています。
日蓮宗の宗紋で「井桁橘」です。

 

昨年は吉野千本桜、今年は身延枝垂れ桜、思いは次々と叶いますが、その後の物寂しさは一体何なのでしょう。

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