古市監区天皇陵で最後に訪れたのは、第18代反正天皇陵です。
反正(はんぜい)と発し、意味は「正しさに反する」ではなく「正しい状態に返す」の意味から、名付けられたと言われています。
堺市市役所の展望階から望む反正天皇陵、やはり確認出来るのは森だけで濠の存在は全く判りません。
南海高野線の堺東駅から歩き始めます。
この辺りはとても丁寧な案内板が設置されていました。
どの天皇陵も「かくありたし」、と願うばかりです。
堺東駅から5分ほどで、それと思しき場所に到着しました。
綺麗に刈り込まれた植え込みの中に、制札版が濡れていました。
ここに至って雨は本降りです。
前方後円墳の場合拝所は方部にあり、ほとんどの陵墓ではこの場所からお濠が見えますが、ここでは全くお濠が見えませんでした。
方部を囲むお濠は何らかの事情で、多分埋められてしまったのではないでしょうか?
小振りな前方後円墳なので、植生の高さがひときわ目立ちます。
雨に濡れて反正天皇陵とはっきり読み取れました。
仁徳天皇の第3皇子である反正天皇、兄の第17代履中天皇の崩御に伴い即位しました。
兄弟に天皇が継がれたのは、天皇系譜でこの時が初めてでした。
皇后を持たなかった反正天皇は僅か6年で崩御し、弟の第19代允恭天皇が継いで即位しました。
反正天皇の御陵印です。
この後土砂降りの雨に見舞われて、阪和線堺市駅までずぶ濡れになりながら歩きました。
何か失礼があったのでしょうか? それだとしたら恐れ多いことです。