又ぞろ、友より奈良への誘いがあったのに併せて、歴代天皇陵の参詣を進めた。
今回は大阪と京都間、京都と奈良間に点在する天皇陵数基を目指した。
JRの駅としては奇抜な図柄が見られるこの駅は、東海道本線JR総持寺駅である。
高架下に埋もれるように駅舎があるので展望が聞かず、小雨模様の天候が災いして方向が良く分からなかった。
持参した地図を横にしたり、ひっくり返したりしながら、地図と現場を一致させるのに手間取った。
ポツリ、ポツリと降り出した雨に急かされながらやっと歩き出した。
5分以上のタイムロスは痛い!
バス停が見付からなかったので仕方なし、覚悟をして歩き出す。
見慣れない字だが、疣(イボ)と読むらしい。
格好の道標となるようだ。
さらに進むと奇抜な建築物が姿を現した。
「追手門学院」のキャンパスらしい?
乗車しようと思っていたバスの降車場である「太田バス停」が見えた。
ヤレヤレ、方向は間違っていないようだが、ここまで30分強を要した。
やっと目的地への案内と思しき標識が現れた。
行く先は「継体天皇陵」あるいは「三嶋藍野陵」だが、太田茶臼山古墳としか書かれていない。
管轄の行政は、継体天皇陵=太田茶臼山古墳と認めたくないのかな?
標識を右折して、だらだらの上り坂を先へ進む。
右手の真新しい斬新な建物は、半導体関連(東芝関連)の工場のようだ。
総持寺駅から40分強で、二つ目の案内標識を見つけた。
ここでも表記は「太田茶臼山古墳」だ。
此処で左折の案内となっているが、このまま直進すれば継体天皇陵の参拝所前に出る。
説明版もあくまで「太田茶臼山古墳」で、継体天皇陵は()書きとなっている。
さすがに制札版は、継體(体)天皇陵となっている。
定石通りの斜め参道だが・・・
参道脇に手水が置かれている。
真新しい神明鳥居の奥に前方後円墳があるようだが、ここでもその姿を確認することは出来ない。
第25代武烈天皇は多くの身内を殺害してしまい、実質の後継者がいなくなってしまったため、5代遡った第15代応神天皇の系譜に繋がる継体が第26代天皇として即位した。
記録では継体天皇は琵琶湖北に位置する高島生まれで、北陸は福井で生活していたようだ。
只し、応神天皇の政党系譜に繋がっておらず、入り婿として入ったとも伝えられ、それ故か陵墓の場所も判然としていない。
太田茶臼山古墳は考古学的には5世紀中の築造と伝えられ、531年没の継体天皇陵とするのは無理があるとして、近くの「今城塚古墳」を継体天皇陵とする説が有力視されている。
万世一系も、継体天皇陵場所も、真実はどうなのか不審に思いながら、綺麗に整備された御陵を後にした。
なぞ多き継体天皇の御陵印である。