もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

今城塚古墳

2024年11月06日 | 御陵印

実はこちらが継体天皇陵ではないかと言われているので、御陵印の旅とは少し意味が異なるが、継体天皇陵から2キロ程度の至近に位置するため参考までに訪ねた。

 

藍野という古事記の世界に登場する地名を冠に戴いた、藍野大学のキャンパス前を通り今城塚古墳へ向かう。

 

しかし途中の三叉路で道を間違えた為遠回りしてしまった。
雨陽気の中、我ながら不注意極まりない。
自らに喝を入れながら先へ進む。

 

皆さんならこの標識を見てどちらへ向かいますか? 
今城塚古墳へ行きたいのだが・・・

本当に紛らわしい案内は勘弁してほしいものだ。

 

目的地へ着いた途端にこの判り易い標識が掲げられている。

 

本来の継体天皇陵であれば宮内庁管理となり、庶民は立ち入ることは叶わないが、この古墳は自由に立ち入ることが出来る。

 

築造時の古墳の姿を見ることが出来るかと期待したが叶わず残念。
やはり前方後円部は雑木林に包み隠されてしまっている。

 

せめてもの慰めに資料館にも入館したが、このような展示物があるのみ。

此処が継体天皇陵であることを主張する展示ではなかった。

 

公園化された前方後円墳の濠を、乾いた心で眺めながら後にする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

継体天皇陵 三嶋藍野陵

2024年11月05日 | 御陵印

又ぞろ、友より奈良への誘いがあったのに併せて、歴代天皇陵の参詣を進めた。

 

今回は大阪と京都間、京都と奈良間に点在する天皇陵数基を目指した。
JRの駅としては奇抜な図柄が見られるこの駅は、東海道本線JR総持寺駅である。

 

高架下に埋もれるように駅舎があるので展望が聞かず、小雨模様の天候が災いして方向が良く分からなかった。

 

持参した地図を横にしたり、ひっくり返したりしながら、地図と現場を一致させるのに手間取った。
ポツリ、ポツリと降り出した雨に急かされながらやっと歩き出した。
5分以上のタイムロスは痛い!

 

バス停が見付からなかったので仕方なし、覚悟をして歩き出す。
見慣れない字だが、疣(イボ)と読むらしい。
格好の道標となるようだ。

 

さらに進むと奇抜な建築物が姿を現した。
「追手門学院」のキャンパスらしい?

 

乗車しようと思っていたバスの降車場である「太田バス停」が見えた。
ヤレヤレ、方向は間違っていないようだが、ここまで30分強を要した。

 

やっと目的地への案内と思しき標識が現れた。
行く先は「継体天皇陵」あるいは「三嶋藍野陵」だが、太田茶臼山古墳としか書かれていない。
管轄の行政は、継体天皇陵=太田茶臼山古墳と認めたくないのかな?

 

標識を右折して、だらだらの上り坂を先へ進む。
右手の真新しい斬新な建物は、半導体関連(東芝関連)の工場のようだ。

 

総持寺駅から40分強で、二つ目の案内標識を見つけた。
ここでも表記は「太田茶臼山古墳」だ。

此処で左折の案内となっているが、このまま直進すれば継体天皇陵の参拝所前に出る。

 

説明版もあくまで「太田茶臼山古墳」で、継体天皇陵は()書きとなっている。

 

さすがに制札版は、継體(体)天皇陵となっている。

 

定石通りの斜め参道だが・・・

 

参道脇に手水が置かれている。

 

真新しい神明鳥居の奥に前方後円墳があるようだが、ここでもその姿を確認することは出来ない。

第25代武烈天皇は多くの身内を殺害してしまい、実質の後継者がいなくなってしまったため、5代遡った第15代応神天皇の系譜に繋がる継体が第26代天皇として即位した。

 

記録では継体天皇は琵琶湖北に位置する高島生まれで、北陸は福井で生活していたようだ。

只し、応神天皇の政党系譜に繋がっておらず、入り婿として入ったとも伝えられ、それ故か陵墓の場所も判然としていない。

 

太田茶臼山古墳は考古学的には5世紀中の築造と伝えられ、531年没の継体天皇陵とするのは無理があるとして、近くの「今城塚古墳」を継体天皇陵とする説が有力視されている。

万世一系も、継体天皇陵場所も、真実はどうなのか不審に思いながら、綺麗に整備された御陵を後にした。

 

なぞ多き継体天皇の御陵印である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿蘇草千里

2024年10月15日 | Weblog

阿蘇の外輪山は何時訪れても絶景に変わりなし。

 

世界有数のカルデラを誇る阿蘇、その雄大さに圧倒される。
山は何時訪れても美しいが、写真は常に原風景には敵わない。

 

草千里と言うだけあって付近一帯はすべて草に覆われている。

 

阿蘇五岳は標高1,500m級の山々で、いずれの山容も美しい。
登山意欲をそそる山々だ。

 

記憶が定かではないが、以前訪れた時には無かった池が出現している。
気候変動による集中豪雨で出来たものだろうか?
それともオイラの記憶が間違っているのか。

 

奥の山腹に噴煙と思しきものが見られる。

 

草原の王者ススキ、一面ススキの原とはいかないが・・・

 

中岳の山腹にはっきりと噴煙が吹き上がっている様子が見えた。
日本には活火山が数多く存在する。
注意しなければいけない、御岳山の噴火も記憶に新しいのだから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天の安河原

2024年10月12日 | 歴史探歩

高千穂町の三大推しを堪能する。
①神代の出来事を目の前に引き戻してくれる夜神楽。
②この世の光景とは思われない幻想美の高千穂峡。
③最後は古事記の舞台を比定した天の安河原をこの目に焼き付ける。

 

まずはアマテラスがお隠れになった神話の舞台天岩戸を訪ねる。
神明鳥居と思われるが柱に転びがあり、独特の雰囲気を醸しだしている。
此処はその名もずばり天岩戸神社だ。

 

これも特異な形の灯篭が出迎えてくれる。
神社の境内の囲いは玉垣ではなく、木製の透かし塀となっている。

 

仏像で言えばお前立ちが拝殿に祀られている。
本殿の裏側100mほどの位置に洞窟と思しき場所があり、そこが天岩戸だと説明された。
なんでも度重なる自然災害により、その姿は近年大きく変容したようだ。

 

本殿の参拝を終えた後、アマテラスがお隠れになった天岩戸の引き開け方相談した「天の安河原」へ向かう。
岩ばしる清流沿いの参道を息を弾ませて…

 

阿蘇外輪山の周辺には至る所に伏流水が湧きだし、地域の住民を潤している。
高千穂と言う神秘的な名勝に清冽な流れはピッタリだ。

 

歩くこと十数分、荒涼としたい岩場の奥にそれらしき洞窟が見えてきた。

 

多くの石が積み重ねられている処は、あたかも水子供養の場所を思わせる。

 

生と死、此岸と彼岸、結界とも思える静寂の場所がそこにはあった。

現実の話としては参詣客が引きも切らず、一瞬のシャッターチャンスをものにした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高千穂峡

2024年10月06日 | Weblog

夜神楽と温泉は前座で、真の観光は高千穂峡なのではないか?

 

お世話になった御宿のロビーに質素な神楽の置物。

 

宿の前で天を振り仰げばこの景色。
頭上遥かな高さに一般道が走っている。

 

一転、谷を覗けば」地獄の窯が見えるかと思われる深み。

周囲から一段深い場所に高千穂町はあり、さらに深く切れ込んでいるのが高千穂峡だ。

 

鋭く切れ込んだ峡谷に、どこまでも澄んだ流れが・・・

 

高千穂の摂理はとても複雑で、地球マグマの活動と風雪による浸食は想像を絶する景色を造る。

 

清水が澱んだ穏やかな場所もあれば、激流泡を噛む姿を見せることもある楽しいところ。

 

地獄の底かと思われる処に、季節感満載の彼岸花が咲いていた。

 

一番高い処が一般道、二番目奥に見えるのが高速自動車道、苔むして自然に同化しそうなのが旧道で、高千穂の歴史を刻んでいる。

 


想像も出来ない地球活動が目の前に展開されている。
現在も鳴動しながら動いているようで、思わず足を止めて見惚れてしまう。

東北只見川流域にある「塔のへつり」より、数倍の迫力ある光景が眼の前に拡がる。

 

高千穂峡遊歩道の案内板。
こんなのっぺりした平面にはとても表せない、自然の立体感が素晴らしい。

 

深く切れ込んだ地獄の峡谷とは思えない、鏡のような水面に舟を浮かべて遊覧する。
自称、学生時代「漕艇クラブ」所属と言う、大和撫子の華麗な櫓捌きで舟遊する。
ひ弱な老人のオイラは、頼りにならないコックスの役目が精いっぱい。

 

仲間の舟は昔取った杵柄、見事な腕前で流れ落ちる滝に突入していった。
結果はどうなったのでしょう?

 

高千穂峡随一の名瀑「真名井の滝」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高千穂神楽

2024年10月05日 | 歴史探歩

今夜は温泉三昧ではなく、高千穂に伝わる神事である夜神楽見学。

 

宮崎県高千穂地方で見られる独特な注連縄。
大きく立派なものが多いが、1年中飾るのが特徴のようだ。

 

此処に設けられた常設の神楽場で高千穂神楽を見学だ。

 

神楽場入り口に下げられた注連縄。
紙垂が向かって右から7本・5本・3本になっている。
753=注連と読むのか?

 

神楽場内の照明も斗共(日本建築の組み物)風と洒落ている。

 

前口上かと思うが、なんとも俗っぽい語り口でびっくりした。
神事とは言え、観光客向けの娯楽の色が濃いのか?

 

まず登壇したのは手力男命で「手力男の舞」。
高千穂神楽はゆっくりとしたテンポで舞を続ける。
天岩戸を探す様子を舞うと説明があった。

 

続いて登壇は天鈿女命で「鈿女の舞」。
神話随一のエロチックな舞とされるが、それらしい振舞いは皆無で静かな舞に終始した。
着物を脱ぐような仕草は一切なし。

 

勇壮な袴姿に衣装替えした手力男命が再登場。
岩戸をこじ開けにかかる。

演目名は「戸取りの舞」。

 

重く頑丈な岩戸をこじ開けて、天照大神命を迎え出すクライマックス。
天岩戸は長野県の戸隠迄飛んで行ったとある。

 

扉を開けられた天岩屋、広島神楽では天照大神の姿があるが、高千穂では象徴が置かれているのみ。

 

3演目は伊弉諾命と伊弉冉命による国生みの場。
前口上で、本来はきわどい舞であるとの説明があったが、子供さんも数多く来場しているので、ソフトな舞に終始した。
出来ることならR18で鑑賞したかった。

 

「御神体の舞」とよくわからない演目名だった。
舞の途中で伊弉諾も伊弉冉も、客席に降りてきて他人と交流する演出。
相手を違えて、浮気する様子を伝えているのだとか・・・

 

最後は二人(二神)仲良くまぐわい(国生み神事)神楽は終わった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菊池渓谷

2024年10月04日 | Weblog

ウナギのせいろ蒸しでお腹は一杯、続いては腹ごなしに丁度良い渓谷歩きが待っていた。

 

此処に来るのはたしか20年前くらいに、九重山登山の途次に立ち寄って以来だ。

 

もっともポピュラーな、さわりの場所を1時間ほど散策。
①②④⑤③の順に巡った。
多言語で案内表示がしてあり、日本の自然景観も国際的になったものだ。

 

①の地点は水力発電所用に堰き止められた用水地だ。
よく見ると透明度が高く、まさに清流の言葉がぴったり。

 

木の葉隠れに滝を遠望する。
記憶していた景色より清涼感があり、期待が膨らむ。

 

この日も残暑が厳しかったが、見上げる空はこの通り。
自然は正直、季節は確実に秋に向かっている。

 

適度なアップダウンの続く遊歩道脇を渓流が駆け下る。
一帯はほとんどが岩場となっている。

 

②の地点に差し掛かった。
直近に雨が降った訳ではなさそうだが相当な流量である。

 

途中幾つかの滝もあるが、なめら状の流れも美しい。
菊池渓谷中々味わい深い!

 

④の場所は静岡県の白糸に滝を彷彿とさせる、伏流水が描き出す繊細な造形美。
これも世界一の外輪山を持つ、阿蘇の恵みだろう。

 

⑤の地点は散策路随一の大きな滝が、轟音とともに駆け下る圧巻の景色。

 

時間が許せば1日中でも散策したい思いの菊池渓谷だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水郷柳川

2024年10月03日 | Weblog

戦で負けることのなかったと言われる、立花氏が統治した柳川を訪ねた。

 

水郷柳川と称されるだけに、観光の目玉はこの舟巡りがあまりにも有名だ。
仲間の半分が舟遊びを楽しみ中、我々がウナギを食べている店前を通り過ぎた。

 

我々はたった10名の連れ合い旅だったが、ここ柳川では「舟巡り組」と「ウナギのせいろ蒸し優先組」の二手に分かれた。
しかしこの店のウナギは初めてだ。

 

オイラは舟巡りを何度も体験しているので、ウナギせいろ蒸し組に参加した。
右上のコップにはすでに、冷たい清酒が盛られている。

 

ウナギが蒸しあがるのを待ちきれずではないが、タイミング良くつまみが出たので、取り敢えずクイっと一口・・・

 

さほど待たずにウナギは蒸しあがったようで・・・
いただきます!

 

あまり時間に余裕がなかったが、立花氏の別邸「御花」には立ち寄った。

 

宮城の松島を象った御花庭、こちらは亀島と見た。

 

こちらはたぶん鶴島だろう。
ちょっと松の選定がいきわたってなくて、庭がうるさく感じたのは残念だった。

事情はあるのだろうけど、安来の名庭「足立美術館」の庭を見習ってほしいな!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡空港で

2024年10月02日 | Weblog

今回の九州旅行の出発地は、東京の羽田空港でした。

 

オイラは一人福岡空港で、羽田からの到着便を待って合流します。
時間に遅れることは許されないので、用心して福岡空港目の前のホテルに前泊しました。
ホテルから発着する航空機が見えます。

 

待ち合わせの到着便の状況を尋ねたところ、30分以上の遅れとのこと、それならとすぐさま展望デッキに向かいました。

 

格安航空が売りだった「スカイマーク」もやってきました。
この会社は「AIR  Doo」と共に、航空運賃の値下げに随分と貢献したのではないかな?

 

あわただしく離発着機が左右に行き交います。

 

今度は緑色のなるFDA会社が着陸しました。

 

PEACHもやってきました。
でも桃色はもう少し明るいんじゃないのかな?

 

ナショナルフラッグ? JALも駐機場へ・・・

 

此の航空会社名は知りません。
この彩色は「シャチ」をイメージしているのではないかな?

 

30分ほどの間に間を開けずに、多くの飛行機が離発着していました。
さすが福岡空港。
ロビーにはこの広告が…大スター名をパロッった広告は面白いな。


天下の二枚目だった草刈正雄も最近は初老の役が板についてきた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柳原 燁子

2024年10月01日 | 歴史探歩

石炭堀から一代で筑豊の炭鉱王に登り詰めた、伊藤伝右衛門の再婚相手が柳原燁子です。

 

歌人として活躍した柳原燁子の雅号が白蓮です。
信奉した日蓮(日蓮宗)に因んで「白蓮」と号したのですと・・・

 

顔も姿も嫋やかと表現するしかない、典型的な和風美人です。
薄幸感が漂って見えるのは、オイラの思い込みのせいでしょうか?

 

50歳の伝右衛門と25歳の白蓮、35歳差で共に二度目の結婚だったそうです。

 

伯爵令嬢であり、大正天皇のいとこでもある白蓮のために、伝右衛門が用意した居室です。

 

伝右衛門は白蓮のために、家紋入りの衣桁も誂えました。

 

さらに屋敷内に、九州で最初の水洗トイレも用意しました。

 

東南角に位置する白蓮の居間から眺める、伊藤伝右衛門邸の庭です。

 

何時もこのような丸髷を結っていたのでしょうかね。

 

庭から望む白蓮の居室は二階部分です。

記念品ショップも開かれています。

 

10年で離婚に至った、炭鉱王と華族の姫様の結婚は幸せだったのでしょうか?

※人物写真はすべて伊藤伝右衛門邸に飾られた写真のものです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊藤伝右衛門旧宅

2024年09月30日 | 歴史探歩

10年以上前、あることでお世話になった方にお礼を言いたくて、九州旅行の途次に福岡県飯塚市に立ち寄った。

 

筑豊地方の実業家、伊藤伝右衛門旧宅である。
まるで大名屋敷の如き立派な門構えの屋敷である。

 

屋敷は、上半分は白漆喰の塗り込め壁、下半分は板張りの堂々たる塀に囲まれている。

 

門を潜った前庭は白砂青松、中央に巨大な蘇鉄が植えられている。

 

純和風の外観からは想像出来ぬ応接間。
重厚な洋風設えで、中央には暖炉も切られている。

 

板廊下に洋風の棚が設えてあるが、衝立は和風の図柄が施されている。
和洋折衷、明治維新後の文明開化とはこういうものか?

 

芝生を敷き詰めた広大な池泉回遊庭園。
九州筑豊の大炭鉱王に相応しい、豪快な植生が際立つ。

 

軒端には巨石を加工した優美な手水も配してある。

 

駕籠置きかと思えるような巨大な敷石。

 

廊下の天井は特徴的な板張りで、歩いて楽しい。
板張りを工夫することで、天井の中央が下がって見える。

 

同じ天井を逆側から仰ぎ見れこの通り。
あらら…不思議、こちらは中央が高く見えるのだ。
目の錯覚を利用した、大工のいたずら心が垣間見える。

 

床の間と違い棚が一体に造られているのは珍しい。
奥側の明り取りも風流且、実用的で違和感がない。

 

子供の時に父親は病の床に伏し、母親は早死にして大変苦労した伝右衛門。
丁稚奉公から始まって素掘りの石炭堀を経て、巨大な富を築いた炭鉱王の大邸宅。
外見は和風の建物を複雑に組み合わせた、優美な趣となっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島美術館 春草

2024年09月25日 | Weblog

菱田春草は長野県飯田市出身の画家。

 

「柳に燕」
横山大観と共に岡倉天心の影響を受け、新しい画法に取り組んだ画家。

 

「月下鷲」
輪郭を描かない朦朧体で新しい方向を目指す。

 

「秋汀」
汀は水辺のこと

 

「美人(舞)」
舞わない美人画も描いたのだね。

 

「春の海邊」
朦朧体を脱皮して輪郭を描く手法に変わっていく。

 

「松間の月」
眼の病が悪化していき、自宅付近の景色を多く描くようになる。

 

「月下松島」

 

「栗に雀」

 

「芙蓉」

36歳の若さでこの世を去った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひろしま美術館 大観

2024年09月24日 | Weblog

横山大観の絵は誰が見ても美しいと感ずる作品ばかり・・・

 

「海暾(かいとん)」暾は朝日の意だとか・・・
海原に昇る朝日と海岸の松原が丁寧に描き込まれている。

 

「春陽」は文字通り、満開の桜と愛でる人物。

横山大観は明治維新後、岡倉天心の指導を受け、停滞する日本画壇に朦朧体という、輪郭線を書かない手法で一石を投じた。

 

「虫の声」左下の山に、小さく1匹の虫が描かれている。

やはり岡倉天心の薫陶を得て、目に見えない虫の声を表現しようとした作品。

 

「東海之仙山」 大観は多くの「富士 不二 不死 」を書いている。

これまで三原市の酔心祈念館、安来市の足立美術館で大観が描いた「富士」を見てきたが、地元の美術館で見るのは初めてである。
「灯台下暗し」かな?

 

「明け行く日本」

 

「黎明(れいめい)」
ガラスに照明が反射して見難くなっています。
すみません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひろしま美術館 西洋画

2024年09月20日 | Weblog

絵画なるものには全くの門外漢なのだが、どうしたはずみか美術館なるものの門をくぐってしまった。
入館してみたところ、名前だけは聞いたことのある高名な画家の作品が目白押しだ。

 

まずはルノアールの作品で「クロワシー付近のセーヌ河」をどうぞ!
彼の代表作の一つに「雨傘」と言う作品があるらしいが、雨傘⇒シェルブールの雨傘⇒カトリーヌ・ドヌーブしか連想できなかった。

 

続いてはモネの「セーヌ河の朝」だ。
モネと言えばすぐに「睡蓮」が思い浮かぶが、セーヌ河はフランスのシンボルなんだね。
パリオリンピックではセーヌ河の汚染が話題になったが・・・

 

ムンクと言えば「叫び」、これしか知らない。
ひろしま美術館の所蔵品は全く趣の違うこの作品、「マイスナー嬢の肖像」が展示されていた。
ムンクもまとも?な絵を描くんだ。

 

ミレーと言えば小学校の教科書でお馴染みの「落穂拾い」がすぐに浮かぶ。
同じような画題で「刈入れ」、なんだか心が落ち着くなぁ。

 

こちらはマネの「灰色の羽根帽子の婦人」。
マネの代表作「笛を吹く少年」は、昨年大塚国際美術館で陶板製の作品を鑑賞した。

 

ピカソである。
「カンカン」である。

奇怪な作品しか頭に浮ばないが、このような作品も残しているのだな?

 

この作品を一目見た時、映画アラビアのロレンス⇒ピーター・オトゥールを連想した。
全くオイラは俗人中の俗人である。
ドラクロア作の「墓地のアラブ人」、彼の代表作は「民衆を導く自由の女神」だが、銃撃された後のトランプが、自由の女神を己に比定したと聞いたが滑稽である。

 

ドガの「赤い服の踊り子」である。
彼の代表作は「踊り子」

 

セザンヌの「ジャ・ド・ブファンの木立」と言う作品らしい。
セザンヌ=印象派と記憶していたが、晩年は印象派から遠ざかっていったらしい?

 

ゴッホ、超有名だし名前は誰でも聞いたことがある画家だが、代表作は「ひまわり」と記憶するだけで、あまり鑑賞されていないのではないか?
広島郊外にあるウッドワン美術館にゴッホの「農婦」が所蔵されている。
本作品は「ドービニーの庭」である。

芸術とは対角に位置する凡人であるオイラの日常生活、気まぐれに美術館を訪れたが、酷暑のウィークデーの昼下がり、来館者の多さにびっくりした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島点描 令和6夏

2024年09月17日 | Weblog

遠来の友が訪ねてきたので、炎暑の広島を「ひねもすのたり・・・」

 

地方の中核都市として、遅からず早からず変貌していく広島の街並み。

 

街の中心地から、山脈が」間近に見られるのも広島の特徴。

 

陸の玄関口は急ピッチで改築変貌中。

 

広島でも富士山が見えるよ!
上方中央奥に富士山が見えない?
さしずめこの通りは、全国にあまた存在する「富士見通り」だね!

 

不思議な角度から見下ろす路面電車の「原爆ドーム前」駅。
上方、木立の左側がそれ・・・

 

世界遺産原爆ドームを俯瞰する。
見慣れない景色が展開される。

 

UHOと見間違えそうなヤツも、某所に存在する。

 

謎を解こうと近付くが、行く手を遮られて果たせず・・・

普段あまり近付かない景色が現れる街の中、「ひねもすのたり のたりかな」もたまには楽しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする