もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

熊本城23

2023年09月29日 | 歴史探歩

熊本地震で大打撃を受けた熊本城、復元が進んで観光客も回復しているようなので出掛けた。

 

熊本城のお濠も兼ねる坪井川沿いに築かれた、全長242メートルの「長塀」。
何時見ても、日本城郭で最も美しい光景だと思う。
地震で崩れた部分も完全に修復され、護岸堤防も綺麗に整備されている。

 

しかし歩を進めていくと、無残に崩れた石垣をコンクリートで仮補修している。
これは長塀の内側に築かれた「馬具櫓」石垣の補修部分。
馬具櫓とは珍しい名称、熊本城以外でこの櫓の名は聞いたことがない。

 

大手通りを進んでいくと、大手門の手前で観光客は通行止めとなり、鉄骨で架設された「特別公開南ルート」へ誘導される。
熊本地震後修復された「数寄屋丸二階御広間」の石垣は、集中豪雨によって再び崩壊した。

 

建屋の根太が変形し、漆喰塗り込めの塀にも無残なひび割れが走り、屋根にも大きな歪みが生じている。

 

竹の丸から飯田丸を経て、本丸御殿へ続く連続枡形付近も大きく石垣が崩れている。

 

奥側の勾配が緩い古い石垣を、手前側の新しい石垣で支えている。
おそらく古い石垣が孕んだものを、新しい石垣で支えているのだろう。

 

古い石垣の美しい扇の勾配を、補修した新しい石垣が壊している感じで、ちょっと残念。
天守に至る複雑な石垣の積み方は、さすが築城の名手加藤清正の面目躍如といったところ。

 

この石垣も途中崩落の兆しが見られ、下部が右側にせり出しているのがわかる。

 

本丸搦め手側の石垣も修復作業が遅れており、コンクリートでの補修が無残な姿をさらす。
修復が進んでいると度々報道された熊本城だが、実態はまだまだ修復途上で、本格的に修復されるのは何年先になるか、全く予測できないほど地震のダメージが残っている。

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熊本へ

2023年09月27日 | 歴史探歩

熊本地震で大きなダメージを受けた熊本県へ出掛ける。

わが街広島から西へ向かうのは九州新幹線。
東京行は「のぞみ」偏重のダイヤだが、博多行のバラエティーに富んだ行く先表示板は、見るだけで楽しい。
これに博多方面へは「みずほ」ってのも運行されているし。

 

広島からは2時間足らずで、日本一の人気キャラが控える熊本駅に到着する。
「くまもん」勝手に決めつけてはいけないけれど、たぶん日本で一番人気だよね!

 

駅前が少し中心街から外れていて、路面電車で街中に向かうところも広島に酷似している。
電車はほとんどが単車で、1日中車内は混雑している。

 

路面電車の軌道敷に敷かれた芝生の緑が美しい。
広島も軌道敷に芝生を植えろと懇願しても、一向に実現しない。
緑を見るだけで爽やかだし、涼しげだし、環境に良さそうに見えるので、広島でもぜひ実現してほしい。

 

街中で見かけたカラーマンフォール、ここでも五島と同じ「ツバキ」がデザインされている。
南国九州のイメージが定着しているようだ。

 

まずは熊本一番の観光地、熊本城へ出掛けた。
地震後の改修で、エレベーター完備の上、厳重な耐震構造に生まれ変わっている。
城内と思われないこの光景にはとても違和感が残るが、自然災害に耐えるにはやむ無しかな。

 

築城主であり、初代城主でもある加藤清正像。
あまりお眼に掛かることがなく珍しい。
即位戴冠姿では、武将加藤清正のイメ—ジと少し異なるが・・・

 

蛇の目紋はお馴染みだが、桔梗紋が加藤家の裏家紋とは知らなかった。
折墨紋は、初めてその存在を知った。

 

「西南の役」で焼失する前、在りし日の熊本城。
焼失の原因は不明となっているが、それにしても惜しいことをしたもんだ。

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津山城

2023年09月08日 | 歴史探歩

岡山県北部美作の地に、今尚広大な縄張りを有する津山城址が存在する。

 

武家屋敷跡と思われる白塗り階段塀が残る城下町。
平山城と言えるか、ゆったりとした傾斜が続いている。

 

一部を切り取れば、それなりの雰囲気を持つ歴史的景観が多く残るのだが・・・
何せ保全状態が劣悪、この町は文化財を何と思っておるのか?

 

織田信長の小姓として、あまりにも有名な森蘭丸。
その弟:森千丸の手になる津山城を訪ねた。

城主:森忠政(森千丸)像、猪首だったのか、首をすくめたような姿が印象的。
ユーモラスと表現したほうがぴったりかな?

 

三の丸一帯は他の城下町同様、多くの桜が植樹されお花見の名所となっている。

 

ソメイヨシノの手入れには熱心ながら、城内の維持清掃は全く出来ていない。
これでは本末転倒ではないのかな?

 

石垣、登城路などスケールの大きな景観だが・・・
階段の補修にセメントを流し込むなど、文化財の保存状態は最低、劣悪。

 

櫓跡など、複雑な構造が残っており、非常に興味をそそられるのだが・・・
なんでもない場所に、工事用のカラーコーンが残されるなど、お城としての景観はぶち壊しである。

 

この階段も、すべてコンクリートで固めてある。

 

二の丸へ向かう登城路の先に、備中櫓が望まれる。
このようにとてもお城らしい景観も、随所にみられるのだが・・・

 

二の丸から望む、唯一復元された備中櫓の雄姿。

 

修復された(増築)と思われる石垣。
全体的に石垣は雑に積まれた感じ、丸亀や熊本などの優雅さとは比べるべくもない。

 

排水溝が穿たれているので建設当初の石垣と思われるが、稚拙な積み方である。
そしてここにも、意味なくカラーコーンが置かれているし、排水樋の残骸?も放置されている。

 

そして広大な本丸跡。
13万石の小大名の城としては、スケールが大きい本丸。

 

明治維新後破却された天守跡は、正方形と思われる天守台が残る。

 

明治維新後取り壊された、津山城の雄姿。
数多くの櫓が、層塔型の天守を囲んでいる。

現存していればなぁ!

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