世界初のDMVが運行される街:海陽町の売りはコレ方?
道の駅宍喰の傍らに著名人の碑があった。
ゴルフで一世を風靡した尾崎将司のものだ。
宍喰町(現海陽町)出身で不世出のプロゴルファーだ。(もっとも世界には羽ばたかなかったが)
尾崎将司、建夫、直道の3兄弟のメモリアルコーナー。
しかしながら将司の物ばかりで、建夫、直道の物は1点も無い。
もう一人、宍喰町出身の著名人は、プロ野球阪急ブレーブスの上田利治監督だ。
速球派下手投げの山田、技巧派下手投げの足立、剛速球の山口などを擁して、阪急の黄金時代を築いた監督だ。
梶本、米田も在籍しており、玄人受けのする球団だった。
道の駅にもこの看板があったが、地元民はどのくらい活用しているのだろうか。
オイラが乗車した往復2便では、地元客は僅かに1人だった。
地域の足としては路線バスの方が便利らしく、こちらは多くの方が利用している。
宿の部屋から臨む国道55号線は、四国88カ所詣りの遍路道でもある。
オイラの思考は遥か昔、2004年(平成16)へ遡る。
オイラは実に2006年、2011年と、合計3回四国遍路を歩いている。
遍路道脇に残る多角経営の、宿兼食堂。
2004年当時は、確かに営業していたはずだが、もはや廃業しているのは間違いない。
寂しい限り。
この街では、少し遍路道から脇にそれた旅籠にお世話になったことを思い出し、訪ねてみた。
こちらは今も現役で旅館を営んでいた。
なんだか、他人事ながらホット安堵する。
四国のバス停はこのような、長椅子を備えた大型な建物が結構多い。
これは、一夜の宿を求める遍路が休めるようにとの配慮から、このような形にしているとのこと。
最小限で雨・風を防ぎ、横になれるよう手摺の無い長椅子の形式になっいる。
さらに、畳める縁台と突き上げ雨戸を備えた、商店の跡も残っていた。
歩き遍路で一番気に掛かるのがトイレ。
コンビニがほとんど無かった、2004年当時の四国では、鉄道の駅に随分とお世話になったものだ。
地元の皆さんのDMV:阿佐海岸鉄道の利用状況を心配しながら、帰途につく。
牟岐線の車両にも、大々的にアピールされているが・・・
貴重なお土産がこれだ。