もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

会津鉄道

2020年09月30日 | 鉄印帳

会津若松駅は、日光方面へと続く第三セクター「会津鉄道」の始発駅でもあります。

 

ここまで来たのですから、会津鉄道本社のある会津田島駅を目指します。

 

後でわかったことですが、会津鉄道きってのオンボロ列車に巡り合えたようです。
三セクの主要車両は、ディーゼルの単車両が基本ですから、JRからのお下がりが少なく、どこの会社も老体車両を上手に長持ちさせているのが実態です。

 

 

沿線には、若者を引き付ける仕掛けも設えてありました。

 

沿線には、あちらこちらに奇岩が突き出した絶景があります。

 

石の芸術品とも言えるのが、会津鉄道沿線随一の絶景「塔のへつり」です。
自然が作り出した、柱状節理の傑作です。

 

 

会津田島駅の待合にある「ちょい飲み」スタンド。
さすが、名だたる日本酒の蔵がある会津地方ならではの光景です。

 

沿線は温泉地が連続してあります。
茅葺屋根の鉄道駅は珍しいのでは?

 

芦ノ牧温泉駅の駅員さん? 頑張っています。
今度来たときは立ち寄りますね!

 

会津鉄道は東武鉄道と繋がっていて、日光経由で浅草に直通で行くことが出来ます。
東北と首都圏が一体となって、鉄道の存続を図っています。

 

会津の「鉄印帳」。さすが松平容保の城下町、直筆で鉄印してくれました。

朱印帳をお持ちの方でしたら、そんなのあたりまえと言われるでしょうが…

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只見線

2020年09月30日 | Weblog

今回の北陸・東北旅では、新たな目標となった「鉄印帳」と、従前から楽しんでいた「乗り鉄」の、二兎を追うことにしたので、何かと忙しない。

 

金沢から直江津まで3社の三セクを乗り継いできたが、ここからは再びJR線となる。
昔はこの間も、JR北陸本線だったので、青春18きっぷで乗り継げたが、現在は大枚2,450円が別途必要となった。

 

直江津を発車してほどなく、この駅に停車した。
とっさに「 米山さんから雲が出た~」が口をついて出る。
オイラは、この歌詞で始まる民謡を「米山甚句」だと思い込んでいたが間違いで、「三階節」が正解だった。
結構思い違いと言うものはあるんだね?

 

直江津から信越本線・上越線と乗り継いで、やっと只見線に乗車できる。
予想通りの〇〇〇〇(カタカナ4文字)車両である。

只見線は2011年の新潟・福島豪雨で橋梁が流されてしまい、現在も一部区間が不通となっている。

 

未踏の「只見線」に入ると沿線の家々の佇まいが急に変わっていた。
豪雪地帯なのだろう? 1階部分は車庫や物置として嵩上し、2階より上が住居となる家がほとんど。

 

只見川の急流に沿って路線は続き、旅人の眼を楽しませる。

 

やがて只見駅に到着、ここからは代行バスに乗り換えになる。
往時の繁栄を物語るかのように、広い構内が残されている。

 

只見駅で降りたお客はオイラを含めて5人、代行バスに乗ったのは?
この大きな代行マイクロバスに乗車したのは、たったの一人だった。
約45分のバス旅は女運転手で貸し切り、至福の時間だった。

 

会津川口からは再び列車に乗り換えて旅は続く。

 

ようやく、暮れなずむ会津盆地に到着。戊辰戦争に思いを馳せる。

只見線は沿線の景色が期待されるので、全線復興するまで待ちたかったのだが、橋梁架け替えは大工事で完成が相当先になりそう。
オイラの寿命が怪しくなってきたので、「代行バスでもやむなし」と今回「乗り鉄」を決行した。

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えちごトキメキ鉄道

2020年09月29日 | 鉄印帳

そして泊駅⇔直江津間を繋ぐのが「えちごトキメキ鉄道」である。

 

泊駅のホームに説明版が置かれ、同じホームに停車する列車でも会社が異なると懸命に訴えている。
越前:石川鉄道、越中:富山あいの風鉄道、越後:えちごトキメキ鉄道と北陸本線は、県毎に別会社に分離されてしまった。行政の都合でお客はいい迷惑である。

 

えちごトキメキ鉄道の愛称は「トキてつ」分断された3社の中では、最も好感が持てた。

 

車両のペインティングも気が利いているし、車内放送も聞き取りやすかった。
たまたま乗り合わせた車両だけかもしれないが…

 

しかしながら見掛ける駅舎は、どの駅もほゞこの感じ、日本海からの風雪に痛め付けられている?

 

そしてこの駅「親不知(おやしらず)」漢文表記の駅名は心に残る。

水上勉原作、佐久間良子主演の映画「越後つついし親不知」を思い出した。

 

おぼろげな記憶では、親不知駅⇒筒石駅と続いていると思っていたが、これはオイラの記憶違い。
両駅間には5駅を挟んでいた。

筒石駅はトンネル内に狭いホームがあり、薄明りに矢印で出口が示されているだけ、3度目の訪問だが一人の乗降客も見掛けたことがない。
怖いもの見たさに一度降りてみたいと思うが、今回もその勇気がなかった。

 

えちごトキメキ鉄道の鉄印帳です。

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いしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道

2020年09月28日 | 鉄印帳

北陸新幹線開業に伴い、北陸本線は三つの第三セクターに分離されてしまった。
本当に地元の皆さんはこれで幸せになるのだろうか?

 

七尾から金沢に戻る途中、突然車内が非常灯のみで薄暗くなった。
後でわかったことだが、七尾線と北陸本線の電源が異なるため一瞬停電状態になる。
この直前に車内放送があったのだが、聞き取り難かったためびっくりした。

 

今回金沢は特に目的地ではないため、街中観光は素通り。
金沢駅前のモニュメントは、巨大な鼓を象った覆い屋根。

 

金沢駅コンコースでのオイラ。
サーモグラフィーでは上半身真っ赤っか、体温は36.3度を示している。
とりあえず、ほっと一息。

 

ここが金沢⇔富山間を運行する三セク「いしかわ鉄道」のサービスカウンター。
さすが北陸本線を引き継いだだけあって、コンコース中央に堂々と位置している。

 

石川鉄道の鉄印をゲット。
やる気のなさが如実に表れている。
乗車記念日がナント日付印で代用されている。

 

石川県と富山県の県境にある、泊り駅で別会社に運行は引き継がれる。
越前から越中へお国が替わった。

 

これが「あいの風とやま鉄道」の車両ぺインティング。
JRから引き継いだため、三セクとは思えない近代的車両。

 

最近鉄道会社は積極的に女性を登用しているようだ。

 

北陸新幹線開業前、金沢⇔直江津間は全部「青春18きっぷ」でOKだったのに…

 

これが「あいの風とやま鉄道」の鉄印。
いしかわ鉄道のやる気のなさが「わかるじゃろう」?

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のと鉄道

2020年09月27日 | 鉄印帳

外出して楽しめとか、まだまだ自重したほうが良いとか、世間は何かと喧しい。
そんな中、ままよ!っと気合を入れて「鉄印帳」の旅を継続することにしました。

 

最小限の心得として、首都圏や関西圏での滞在を避けるプランを考えました。
山陽新幹線と北陸本線特急を乗り継ぎ、七尾線で一気に石川県七尾駅まで…

 

ここから第三セクター「のと鉄道」に乗り換えて、和倉温泉経由穴水駅を目指す。

 

第三セクターの車内らしい雰囲気が充満している。
「どこが三セクらしいの?」
例えばシートカバーなど、それらしいと思いますけどね。

 

穴水駅に降り立ったら、この方がお出迎えです。
誰だっけ? 
化粧まわしの柄、よく覚えておいてくださいね。

 

駅前広場に幟が立っています。
「遠藤関」今場所は小結でしたが成績奮わず、挙句の果てに途中休場の体たらく。

石川県能登出身の力士と言えば「黄金の左」で一世を風靡した、輪島市出身の輪島関ですね。

 

何の変哲もない穴水駅の佇まい。

 

街中ブラリで面白い看板を見つけました。
区画整理に伴い、お店は新しくなっていますが、看板は昔の物を利用しているようです。

このお店金物店かな? 「鋤・鍬あります」の看板もありました。

のと鉄道からの日本海、疾走する車内から必死で捉えました。
遠藤関の化粧まわしのデザインは、この櫓をあらわしています。

これは沖から湾内に、押し寄せる「鯔(ぼら)」の大群を見つける櫓です。

 

のと鉄道の「鉄印」です。
ゲットするのに、広島からだと1日がかりです。

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北条鉄道

2020年09月26日 | 鉄印帳

兵庫県中央部の加古川線の粟生(あお)駅⇔北条駅間わずか13.6キロを結ぶ第三セクターである。

 

沿線はほとんどこんな感じ、典型的な田園風景が続く。

 

全9駅で13.6キロだから、平均駅間は2キロもない。

 

丁度中間点の法華口駅で離合する。
新設された真新しいホーム。

 

それも今年度に新設したものらしい。
三セクで新規投資をするのは極めて稀で、離合用の線路を増設するなど聞いたことはない。

 

播磨横田駅は新装なったばかり、駅舎改造など積極的に乗客の利便性を向上させているようだ。

 

勿論古い駅舎も残っているが、トイレだけはどの駅も改装されているようだ。

各地のローカル線や第三セクターでは、押しなべてトイレが旧式で、不快な思いをすることが多いが、北条鉄道は本当にすばらしい。

終点の北条駅で鉄印を戴く、そういえば往復とも女性運転手だった。

 

北条鉄道とは別の話だが、姫路駅の通り抜け通路から、姫路城が目の前に見えた。

姫路駅は長いこと改装中だったが、大きく改善されている。

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天橋立

2020年09月25日 | Weblog

以前観光ツァーで天橋立を訪れた時、ガイドの説明は確か以下だったと記憶している。
昔の人は着物だから「股のぞき」の時「尻っぱしょり」しなければ景色が見えない。
その様子が宮津節の一節で「丹後の宮津で ぷいっと出した」と歌われている。
聴き間違いだったか?

 

これが日本三景の一つに数えられる「天橋立」

 

そしてこちらが「股のぞき」の絶景!!!
あまりの美しさに、撮影を終えた後頭がくらくらして、しばらく平衡感覚が戻らなかった。

 

名残を惜しんでの最後の一枚。

 

ケーブルカーの待合に置かれた「傘松公園ピアノ」どなたでもどうぞお弾き下さい。
今日は弾き手が同行していません。


 

不思議な構成のケーブルーカーの離合場所、左側を通って来たのだがこれで大丈夫?
どう考えても脱輪しそうな感じだが?、当然ながら何事もなく下り終えた。

 

下りのプラットフォームだが、斜面なっていて乗降し難い。

 

「丹後の宮津でピンと出した」縞の財布が空になっては困るので、海鮮丼で我慢する。
この食堂には、日本三景の案内が平等に掲げられていた。
宮島名産もちゃんと書いてある。

日本三景は日本美三景ではないと林鵞峰は言っている。
①太平洋岸の浸食される風景が「松島」
②日本海岸の造成されていく風景が「天橋立」
③瀬戸内海にあって、自然と建物が調和している姿が「宮島」

日本を囲む三つの海に、三様の姿が見られる代表的な場所であると…

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天橋立 アプローチ

2020年09月24日 | Weblog

日本三景の一つに数えられる「天橋立」、他の二つはは「松島」と「宮島」である。
林鵞峰(春斎)が日本の「三処奇観」と記したのがはじまり。

 

今回は天橋立駅からは対岸にあたる、傘松公園側からの「股のぞき」にトライ。
この大きな船に早朝便のせいか、乗客はオイラ一人。
対して迎える側は、切符もぎり、もやい解き、船長の三人掛かり、しかも女船長(真ん中の人)である。

 

目指すは対岸、山の中腹に見える、少し削られた場所が傘松公園。
右手のこんもりとした森が、天橋立を形成する「砂嘴」である。

 

船着き場で下船して、案内標識に従って進むといきなり、今伊勢神社参道に出る。
社伝によると、倭姫の行幸により天照大神が伊勢に鎮座されるまでは、此処今伊勢に祀られていたと言う。

 

なるほどと思わせるような、神明鳥居が出迎えてくれる。

 

社殿も切妻造りに、千木と鰹木をいただいた神明造りである。

 

全体的に作りが新しい中で、狛犬だけは国重文となっている。
姿は狛犬と言うより獅子であり、でっぷりとした体つきに、どっしりとした足が特徴的。

 

いよいよ宮津節の一節に唄われた「丹後の宮津で ピンと出した…」の「股のぞき」に向かう。
ケーブルカー駅舎の骨組(トラス)を見て下さい。なんと木組みですよ!

 

ケーブルカーの隣には、リフトも併設されているが、この日?はお休み。

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天橋立 智恩寺

2020年09月23日 | Weblog

天橋立駅は、京都丹後鉄道の旗艦駅

 

東西方向で言えば路線のほぼ真ん中に位置し、日本三景「天橋立」の最寄り駅だ。

 

駅に隣接する位置にある智恩寺は、天橋立観光船乗り場への通り道にある。
立派な楼付き二重門が迎えてくれる。

 

誇らしげに「日本三文殊堂」の案内板、因みに他の二寺は…
奈良の安倍文殊院と山形の大聖寺だそうだ。
安倍文殊院は陰陽師の安倍清明でおなじみだが、山形の大聖寺は知りませんでした。

 

宝形造りの本堂は高廊下が四方を囲み、どっしりした重厚な雰囲気。

 

国重文の多宝塔は、彩色されておらず?周囲の樹木に溶け込んでいる。

 

文殊堂なので必要なのかもしれないが、これが「知恵の輪」と言われても…

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京都丹後鉄道

2020年09月15日 | 鉄印帳

夜も大分更けてから豊岡駅へ着きました。
ここから乗り継いで、「京都丹後鉄道」の旅が始まります。

 

JR豊岡駅の人影も途絶えた一角に、京都丹後鉄道の始発駅があります。

 

西舞鶴までは2時間近くの旅程、夜半の走行なので沿線の景色は見えません。
発車時には十数人のお客様が乗車していました。
生活路線として利用されているようです。

 

豊岡と言えば「こうのとりの郷」、今回はこの看板を横目に見て先を急ぎます。

 

途中、車内アナウンスで気になるコールがありました。
「峰山」不世出のプロ野球選手の出身地です。

誰でしょうか? 自らを人知れず夜に咲く「月見草」に例えた、野村克也さんです。

 

舞鶴と言えば呉、横須賀、佐世保と共に日本4大軍港の一つであり、今も海上自衛隊の基地があります。

第二次大戦後は、引揚げ港として多くの人たちを迎えました。
岸壁の母」の舞台としてあまりに有名です。

 

翌朝、白日の下で車体をよく観察すると「北近畿丹後鉄道」と記されています。
関係者に確認すると、京都丹後鉄道に改名する前の表示がそのまま残っているとのことでした。

 

三セクと言ってもこの会社は、相当の規模で運営されているようです。

路線内に、JRとの相互乗り入れではありますが、特急も走っています。
これがオイラが求めた乗車券と特急券、ここでも硬券が使われています。

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山陰海岸ジオパーク

2020年09月15日 | Weblog

山陰本線、今回は鉄印帳記帳のため繋ぎで利用したが、本当はゆっくり楽しみたい沿線光景がいっぱい!

 

山陰観光のキャッチコピー「天地(あめつち)」。
「八雲」や「因幡の白兎」があしらわれていて、一服の名画のおもむき。

 

三セクの車両とは一線を画す、山陰本線の列車は垢ぬけている?

 

ガッタン・ゴットン鈍行にゆられて、夢うつつに「はまさか~」のアナウンスを聞く。
夢千代日記や民謡貝殻節のふるさと、下車したい誘惑にかられるが今回は目的が違うのでぐっと堪える。

 

そして「餘部」。仰天するような列車大事故のあった場所である。
そんな惨事があったことなど感じさせない、山陰独特のリアス式海岸が臨まれる。

 

且つてこの場所に架かっていた「餘部鉄橋」の雄姿。2007年撮影の資料映像。
海岸から吹き寄せる強風に煽られて、列車が橋脚から落下、直下にあった海産物加工場を押しつぶし、多くの死傷者を出したのは記憶に新しい。

 

事故後架け替えられた橋上からの景色。

 

そして「鎧駅」は宮本輝の『海岸列車』の舞台となった。
この小説を毎日新聞の連載で読んだ時は「若かったなぁ」

 

いろんなことを思い起こさせる長閑な旅。

 

山陰海岸ジオパークには此処:名湯城崎温泉も含まれる。
ユネスコ世界ジオパークに指定される山陰海岸は見所満載である。

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若桜鉄道

2020年09月14日 | 鉄印帳

山口県の錦川鉄道で「鉄印帳」を求めて以降、なんとなくお尻が落ち着かない毎日です。
ウジウジ悩むのは体に悪いので、そおっと次のターゲットを目指すことにしました。
智頭急行から若桜鉄道、京都丹後鉄道を経由して北条鉄道まで鉄印記帳の旅です。

 

旅の最初で躓いてしまいました。
智頭急行に乗車したまでは良かったのですが、智頭駅の停車時間が短く鉄印記帳が出来ませんでした。
全くドジな男です。柄にもなく智頭急行経由の特急列車を利用したのが仇となりました。

気を取り直して次の若桜鉄道へ、因幡の里はゆったりと時間が流れているようです。

 

若桜鉄道は、JR因美線に併設された郡家駅から若桜駅まで全9駅のコンパクト路線です。
出発点の(こおげ)駅で発行されたのはこの通り硬券でした。

 

桜の季節にはピンクの列車を運行するなど、話題に事欠かない若桜鉄道ですが、乗車したのはこの車両。
どっしりと落ち着いたカラーリングでした。(何色と言うのでしょう?)

郡家駅を発車して4ツ目が「隼駅」。
若者が数人下車し、駅周辺にもバイクのライダーと思しき人影もチラホラ目に付く。
後で聞いたら「スズキ」の大型バイク「隼」の集いが、毎年開催されるのだとか…
でも今年はコロナで中止、バイクファンは断腸の思いでしょう。

 

路線中に替わった駅名は特にありませんが「丹比駅」はちょっと気になります。

丹は(たん,に)などと読まれますが、この字が付く地名では朱色に繋がることが多いようです。
おそらく且っては、朱色の顔料となる、水銀などの鉱物が産出していたのでしょう。

 

丹比駅近くの山肌は、人工的に削り取られた様に見えます。

 

あっという間に若桜駅に到着。
さすが終着駅、SLや気動車などがスタンバイしています。

何より軌道敷内が綺麗に除草されているのは素晴らしい。
JR北海道も見習ってもらいたいです。

 

若桜駅の時計はまさに正午、腹ごしらえをしなければ…

駅カフェのオーナーが教えてくれた店の「焼き鯖重」は美味しかったが、調理に時間がかかり過ぎで、若桜町巡りの時間が取れなかったのは心残り。

 

若桜鉄道の「鉄印帳」です。

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福知山城の御城印

2020年09月13日 | 御城印

今、日本全国のお城で、最も注目度が高いのが「福知山城」ではないだろうか。

 

天守は3層4階だが、2層妻側は複雑な構造の破風である。
何破風と言うのかな?
手前右下の建物は「御門番所」と言われる建物で、二の丸にあったものを復元時天守台に移した。

 

2層の小天守が連結される「望楼型天守」となっている。

 

石垣は野面積と説明されているが、天守下この部分は切込み接ぎに近い。

勾配が緩く簡単に登れそう、げんに「石垣に登らないで…」の注意書きがある。

 

大規模の改修があったと思われる部分、年代の違いが継ぎ目で良く分かる。

 

この城のキャッチコピーともなっている、転用石がはっきりわかる。
これは宝篋印塔の転用である。

 

少し気になるのは転用石が、石垣の上部や隅に偏っており、近世積み替え時に多く使用されたのではの疑問が…

 

これは石垣の中央部分に位置し、築造が古いと思われる部分にあり、本来の転用石であろう。

 

明智光秀によって1579年に築城された福知山城。
娘婿の明智秀満を城代としてこの地を統治した。

光秀と秀満、これほどわかりやすい偏諱?もなかろう。

水色桔梗紋」は明智光秀の家紋で、「福山城」は明に因んだもの…

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鳥取城の御城印

2020年09月12日 | 御城印

コロナの呪縛から逃れたい気持ちは刻一刻強くなり、もうどうにも抑えきれない。

 

御城印を求めて因幡の国まで足を延ばす。
我が広島県と鳥取県は、ほんの僅かに地続きの部分はあるが結構遠隔地である。

鳥取城の天守は、標高263mの「久松山」山頂にあり、市街地から全容を臨むことが出来る。

 

麓に位置する二の丸、三の丸には石垣を中心に多くの遺構が残る。
10年以上前から大規模な修復工事をしていた石垣だが、まだあちらこちらに崩れた箇所が散見される。

 

自然の岩盤と付近から切り出された石を、巧みに組み合わせて城壁を築いている。
複雑な構成が垣間見えて、築城者の苦労が偲ばれる。

六段重ねの石垣を誇る岩村城をちょっと思い出した。

 

数次の修復跡が残る。
中央部分に扇の傾斜が見られるし、様々な時代の境目がはっきりとわかる。

 

天球丸と称している場所だが、石垣の孕みを抑えるための物だろう。

池田光政時代に築かれたと言われているが、備前の閑谷学校の石塀と相通ずる姿をしている。
日本中此処だけに見られるようだ。

 

これが鳥取城の御城印である。

右は池田氏の家紋「揚羽の蝶紋」、オイラは数ある家紋の中で一番美しいと思う。
左は「角輪紋」と言うらしく、初めて見たし知った。
池田氏の副紋だとか、因幡と伯耆の二地域を表す紋と伝わるようだ。

 

そして鳥取攻めの羽柴秀吉が陣を引いた「太閤ケ平(たいこうがなる)」
標高263mの鳥取城に対抗して、1.5キロ東の太閤ケ平(本陣山)は標高250mと拮抗している。

右上は鳥取城に籠る毛利氏攻略を命じた織田信長の「木瓜紋」
右下は言わずと知れた、太閤秀吉の「五七の桐紋」
左上は城を守る側、毛利氏の「一文字三ツ星紋」
左下は時の城主吉川経家の「丸に三つ引紋」だろう。

 

凄惨な兵糧攻めにあって全員が餓死したと伝わる鳥取城の天守は、息を切らせて登ること40分、今目の前にある。

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広島城の御城印

2020年09月04日 | 御城印

昨今、若いお城マニアの間でブームになっているという、「御城印」が広島城でも発行されました。

 

広島城三の丸からの天守、毛利氏によって築城された112万石の威容を誇っています。

2か月ほど前(令和2年7月初旬)のこと、天守前でガイドをしていた時、うら若き女性観光客から「広島城の御城印はどこでもらえますか?」と聞かれ、とっさに「天守2層の売店にあります」と答えたが、これが間違いで「日本百名城スタンプ」と勘違いして案内してしまいました。
喜々として入城していった女性は、ほどなく憮然とした表情で戻ってきて一言、「広島城では発行されていません」と言って、怒って帰ってしまいました。
ガイド失格です。柄にもなく手摺に片手をついて反省しました。
不勉強の極みでした。ガイドと称するならば「日々是研修」でなくては…

 

令和2年9月になって発行されたのが、この「御城印」です。
押印された家紋は、上から初代藩主:毛利氏の「一文字三つ星」、次いで2代藩主:福島氏の「沢潟」、一番下が3代藩主:浅野氏の「違い鷹の羽」紋です。
忠臣蔵で有名な赤穂浅野氏は、おなじ「違い鷹の羽」紋でも羽根の重なりが逆になっています。

 

もう一葉の御城印がこちら。今を時めくカープのマークがあしらわれて「鯉城」と記されています。

広島城の別名として、鯉城(りじょう)が知られています。何故鯉城といわれるのかは、はっきりしませんが、江戸時代末には頼聿庵(らい いつあん)が漢詩のなかで「鯉魚城」と記しています。
全国の城郭の別名に、鶴や亀などの縁起の良い動物が使用される例が多いことから、登竜門で知られる「鯉の城」と名付けたとも考えられます。明治20年代後半には「鯉城=広島城」は定着していたようです。
広島東洋カープの「カープ」は広島城が鯉城と呼ばれたことに由来しています。(御城印の説明から…)

 

オイラはなぜか、広島城ではこの角度から臨む多門櫓、太鼓櫓の光景が好き!
剪定された松の姿も秀逸だと思うが如何でしょう! 地表の整備状況がちょっと残念ですが…

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