もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

仁徳陵

2011年07月31日 | 歴史探歩

 日本史で学んだ天皇陵のこと、何も明かされないまま時代は変わってゆく。

 徳天皇陵と伝えられる世界最大級の古墳、俯瞰するとこのように見えるらしいが、現地を訪ねてもこの光景を目の当たりにすることは叶わない。

 

 そこで堺市役所お勧めの観覧スポットを訪ねて、胸を躍らせながら「仁徳陵」眺めたのだが…
 「町中に大きな森があるな!」と思わせるだけで、これが古墳であるとのイメージは一向に膨らまないので
 ある。
 広島市の方なら市内高所から展望する「比治山」の景色が、当たらずとも遠からずである。


 仁徳陵遙拝所

 

 出来の良い立体模型で説明すると、一番大きなのが「仁徳陵」。左下にあるのが「履中陵」とされている。
   特に仁徳陵は、巨大な前方後円墳を三重の堀で囲んでいるらしいが、空中から俯瞰する以外に、これを
  肉眼で確認することは出来な い。
  「五稜郭タワーみたいなものがあったらなぁ」こんなこと言ったらバチが当たるか?

 

 仁徳陵の一番外側の堀を写真に納めた。何の変哲もない堀がそこにあった。
 地元自治体では、この天皇陵を世界遺産にと活動しているようだが、疑問が一杯???
 だって近くに寄ってもみても、周囲を巡って見ても、何の感慨を覚えることが無いのだから… 

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土塔

2011年07月30日 | 歴史探歩

 7月、最近になく、ちょっと投稿が少なかったことを反省!
 25日からこの夏始めての「青春18きっぷ」の旅に行ってきました。
 今回も盛りだくさんの内容でお届けします。
 何なりと、ご意見ご感想をお寄せ下さい。

 入り口の冠木門を潜るとこの景色です。
 ここ堺市の説明によれば「土塔」で、一辺60メートル近くのピラミッド型の遺跡で、頂上の未完成部分に、多宝塔の上部の様なものが建て
 られていたとあります。

 

 手前が復元想像図、何故か各層の土盛り部分の補強兼化粧?に、大量の瓦が使われています。
 やはり仏教に纏わる史跡と考えるにが妥当でしょうが、そうすると頂上部には仏舎利が…

 

 

 後方半分は土盛りの状態で保存されています。

 私の勝手な思い込みかもしれませんが、類似の史跡がありますので紹介します。
 一つは、奈良のある『頭塔』、新薬師寺近くにあります。
 二つ目は、岡山県熊山にある『熊山遺跡』、標高500メートル位の山頂にあります。
 興味のある方はどうぞお出掛けになって見て下さい。

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鬼ノ城2

2011年07月24日 | 歴史探歩

 鬼ノ城周辺は、至る所岩だらけ、巨岩・奇岩がゴロゴロしていて、異様な雰囲気を醸し出している。

 これは“鬼の差し上げ岩”と説明されているが、上部の岩は男岩ではなかろうか?
 子孫繁栄が約束されたような、猛々しい巨岩である。

 

 男岩の隣に端然と控える女岩? お家の安泰は約束されたようなもの…


 温羅(鬼)が立て篭もった鬼ノ城の南には、吉備津彦(桃太郎)が陣を張ったと云われる“盾築古墳”がある。
 双方の陣の真ん中あたりに、史跡“矢喰い岩”がある。

 矢喰い岩は中央で真っ二つに割れているが、言い伝えでは、鬼ノ城から温羅が投げた石に、吉備津彦が陣地から迎えの矢を放ち、見事
 真っ二つ に岩を割ったと言う。これがこの地に残る矢喰い岩。


 吉備津彦が陣を構えたのは盾築ではなく、吉備津神社だとする説もある。
 吉備津神社の門前にあるこの岩は、吉備津彦が温羅に向けて放った矢を置いた岩だと説明されている。

 いずれにしても子供の頃聞かされた桃太郎伝説は、大和朝廷と渡来人の争いだったと云うのが現在の定説。
 全く夢が無くて残念

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鬼ノ城

2011年07月23日 | 歴史探歩

 厳島神社の管弦祭を堪能した後、1時間程度の仮眠と某ホテルの朝ぶろで目を覚まし、美味しい朝食を頂く。
 休む間もなく吉備方面に向い、謎の多い“鬼ノ城”を目指した。

 

 これは、西門と称する鬼ノ城では最大級の門で、残された柱穴から想定した建物が復元されている。
 それにしても標高400メートルもある高地に、壮大な城壁や水門を配置し、四方から来襲するであろう仮想敵を監視できる、絶好の位置
 に築城されている。

 

 築かれた鬼城山はお椀を伏せたような形状の独立峰で、頂上付近に広大な敷地が容易に確保できる形状。
 城壁を一周してみたが、いずれの場所からでも、吉備の平野が眺望出来る。


 

 城内に築かれた犬走り? 写真右側が城外で、向って来る敵に矢を射かける構造になっている。


 

 谷筋にも堅固な石垣が築かれ、城門が設けられていたと思われる柱穴が、平らに加工された石面に穿たれている。
 相当に高度な技術で、渡来人の手になるものと言われている。
 人の出入り出来る門と排水用の水門が併設されている。


 尾根筋の突端に築かれた壮大な石垣。
 監視台であり、谷筋を攻め登ってくる敵に、横矢を射かける櫓も兼用しているのだろう?
 7世紀に築かれた石垣が完全な形で残されている。

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管弦祭4

2011年07月22日 | 歴史探歩

 クライマックスは本社・客人社・朝座屋に囲まれた、狭い枡形内で“御座船”を三度旋回させる荒技!
 見事成功させて万来の拍手を浴びる。

 

 この絶妙の手ブレ加減をご覧ください! 本当は深く反省!

 

 御座船の案内役は江波村、漕ぎ船は阿賀村の担当。きっちり役割分担が出来ている。

 

 一夜明けた船神事の早朝の表舞台は、御覧の通り干潮で景色は様変わり、社殿にも人影はほとんどなし。
 客人社祓殿から…

 

 祀りの主役御座船も衣装を脱いで化粧も落とし、次の満潮を待って母港の倉橋に帰ってゆく。
 雄姿が見られるのは一年以上先の、2012年8月4日。

 

 

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管弦祭3

2011年07月21日 | 歴史探歩

 大元神社への参拝が終わるといよいよ御座船は、満潮で海面に浮かびあがった、あたかも竜宮城思わせる厳島神社本殿に向かいます。

 権宮司と御神体を乗せた御座船が、大元神社の岸壁を離れます。

 

 船神事のクライマックス間近! 人々の興奮は頂点に!

 

 泣き言と言い訳  「トホホ…フラッシュを使わない撮影は難しいです」

 

 影の声 『下手な写真より絵馬の方がよっぽどまし!』

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管弦祭2

2011年07月20日 | 歴史探歩

外宮で神様を“おもてなし”した後、御座船は潮の満ちるのを待って、本殿のある宮島に戻ります。

 最初に提灯を掲げた多くの氏子たちが待つ、長浜神社に御座船は舫います。

 

 御座船は船着き場から長浜神社を遙拝しますが、神社前には厳島神社の内侍が出迎えます。

 

 御座船の先導は“江波の漕伝馬”です。きつい練習の成果を発揮するチャンス!

 

 満潮の厳島神社本殿で、氏子たちは御座船の帰りを待っています。
 素朴な疑問ですが、厳島神社の神様が御座船に乗っている間に本殿をお参りしたら、何時もと同じ御利益が得られるのでしょうか?
 これまで、何方も納得のいく回答をして下さらないのですが…

 

 御座船が長浜神社に続いて、大元神社に到着します。
 私達も“厳島講中”として、近く大元神社に絵馬を掲額させていただきます。
 その節は、皆さまにご報告させていただきます。

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管弦祭1

2011年07月19日 | 歴史探歩

日本三大船神事と称せられる、宮島は厳島神社の『管弦祭』。今年は島に泊まりがけで堪能した。

 

 どこでも見られる何の変哲もない露天屋台、お馴染みの品物が並んでいます。
 此処は厳島神社の外宮に当たる、対岸本土に構える「地御前神社」門前です。

 

 地御前神社鳥居の掲額“厳島外宮社”とされているのが見えますでしょうか?
 厳島神社(内宮)に対して、その外宮と云う位置づけです。


 「三つ亀甲剣花菱」の神紋に囲まれて、神様の御輿を迎えようとする、地御前神社拝殿。


 準備万端「整いました!」(この漫才師たちどうしたかな?) 拝殿と朱塗りの本殿。
 地御前神社本殿の、目の前の浜に御座船が接岸します。宮島に亘らなくとも管弦祭神事の一部は、地御前神社で執り行われるので、
 この場所での見学も一見の価値があります。



地御前神社直近の御堂に、端然と控える丈六の阿弥陀坐像。有難い御利益が得られるかも…

地御前神社では5月に“流鏑馬(通し矢)”も行われます。 

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初夏も閑谷

2011年07月06日 | ボランティア

 今月は自らの失態で月初めの主たる活動がキャンセルとなった。全く不徳の致すところで反省!

気を取り直して初夏も魅力いっぱいの閑谷(しずたに)学校をどうぞ!

 閑谷学校を語る時忘れてはならない人:津田永忠も名前が記された鶴鳴門前の標柱

 

 真の主役と秋の主役

 200十数棟が指定されている我が国の国宝建築の中で、唯一庶民の為の建物で国宝指定されているのがこれ閑谷学校の講堂。
 一度、時 間を掛 けて、隅々までとくとご覧あれ!
秋は手前の青葉茂れる楷の木が、見事な紅葉を見せて存在を誇示するのです。


 これは墓石ではありません。閑谷学校でしか見られない?かもしれない“繋牲石”:いけにえを繋ぐ石です。
 学校中央に位置する“孔子廟”の庭に据えられています。


 お寺でもないのに禅宗様式寺院に見られる“華頭窓”が閑谷学校の講堂に配されています。
 その心はなんなのでしょうか?
 年に数回開催される“閑谷学研修”の日は、講堂内で有難い講義が受けられます。


 閑静な校内は、今でも自然が豊か…一日中ゆったりと過ごしたい。

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