3/28~29日 青春18切符で熊本へ、今年は青春18切符発売20周年記念とかでナント8千円、年金生活18ファンには何よりの朗報であります。
フラリと20年前に訪れた熊本城に、残念な事に本丸御殿を木造で復元中のため、足場の鉄骨を取り除く(本丸はほぼ完成)クレーンが林立しており、若干天守閣の景観を損ねていたのは残念でしたが、とにかく城郭域の壮大さは圧倒的迫力で、中でも焼け残った重文の宇土櫓は貫禄です。櫓と云えども3層5階の規模を誇り、そこらあたりの小城の天守閣をしのぐ大きさです。
私くしめは、広島城御案内役を返上したくなる程の強烈なダメージを受けました。広島ガイド仲間の皆さん一度熊本に出掛けてやってチョ(急に名古屋弁だがや)。
折しも城郭域全体に桜が開花しており、満開に近い木も数本ありました。
今日は武田山山麓を散策、山には登らずに、安芸武田の栄光と挫折を体感しようと言う、軟弱なお勉強会
しかしながら感動の1篇に出会う。場所は安芸武田の墓所と言われている処、写真の如く整然と整備清掃されており、さすが…である。何処の何方のご尽力であろうか
清々しいの一言
広島周辺も捨てたものではありませんネ
3/25日 気象庁の予報は今日もモノの見事に外れて、強風交じりの荒れた天気など何処にもなく、見事なまでに晴れ上がった。我が落合郷土史研究会に、郷土史紀行(紛らわしいが別の団体です)のベテランさんが加わった探歩会、まずは幸先良しである。
案内側の皆さんも気合が入っていて、ナント3人も出席して下さいました。ちなみに案内される側は12人です。
かろうじて原爆被害を免れた草津(軍津:これもくさつと読むらしい?)地区、寺社仏閣、山城跡など随所に見所あり
中でも案内してくださった方々の自慢は、土蔵に残された「鏝絵」らしかったが、オイラはつい先日「大和郡山市」で逸品を見かけたばかりなので感動は今一…
写真はその逸品です。
例によって昼食時美味しい料理とつきもので一杯 無事終了です。
何せ北入りの建物が道路際一杯に迫っていますので、優雅な佇まいと云う訳にはいきませんが…
3/24日は朝から鬱陶しい雨こんな日こそ内勤に励み、資料整理をすべきなんでしょうが、生来の整頓ベタ何も出来ずに終わってしまうのでしょう
皆さんのお力で、大判写真を貼り付け可能になりました。本当にありがとうございました。今後基本的にはこのスタイルで掲載します。
表紙の画像にカーソルを置いて、左クリックしてください。不気味な画像が突然現れて卒倒してもオイラの責任ではありません。
3/22日は観光ボラの例会、今年も年度末を無事迎えました。なんだか会社みたいだネ。こちらもブツクサの呟きをつきながら続けています。
先に受験した宮島検定の結果発表しまーす。年齢相応に優先座席(シルバーシート)を獲得しました。あれだけ主催者をけなしたのに、合格すればヤッパ嬉しい
全体の結果は プラチナ:0人、ゴールド:11人、シルバー:55人(ここにオイラは入りました)、ブロンズ:88人で合計認定率:52%
3/21日 今年もサッカー「サンフレッチェ広島」のサポートボランティアやります。あまり強くないチームなので、サポートしながらつい身贔屓したくなり、大変やりがいがあります。
今日も「ナビスコ杯」ガンバ大阪、コテンパンにやられてしまいました。ボランティア仲間も皆ため息をつきながら、「Jリーグ戦ではないからいいや」ですと。リーグ戦でもガンバには完敗しています。今年もヒリヒリしながらのサポートですヨ
更に一言。今年はどうやら広島カープのサポートもボランティアで計画されているようです。実現すれば本当に楽しくストレスを感じられそうです。
この意味ファンならお分かりですよね。でも今年のカープはヘンシーーンかな
特に今回は閑谷学校でもある謎解きが出来るチャンスだったのです。3泊4日の旅はいたるところで、目から鱗の探歩旅になりました。
下の写真がその一端を覗いたものです。これまで閑谷で私の解説を、真面目にお聞きになられた皆さんは、十分理解出来ると思いますが、備前焼瓦屋根の下に埋められていた「パイプ」の秘密が明らかになりました。
機会がありましたら私とご一緒しましょう。現地で建物を見ながら説明出来れば、不真面目ガイドでもたまには良い事をお知らせ出来るかも
四国遍路で出会った「霊能力」の強い人の話では、遍路道の各所で霊に出会うのだと話されました。勿論超凡人の生臭もどき坊主のオイラには、霊能力等かけらもありません。
今回尋ねた中で最も印象に残ったのが、阿部仲麻呂、吉備真備と第8回遣唐使の同級生:僧正玄の首塚と言われた頭塔です。
実際は東大寺の高僧が造営した仏舎利塔が正解らしいのですが、その形美しさと三尊仏を中心とした、多数の仏を配した建造物?は初めて見ました。皆さん一度是非尋ねてみてください。
後で聞いた事ですが、ナント岡山県の某所に類似の史跡があるらしいのです。近日探歩報告が出来ると思いますよ。お楽しみに
このページ中々勉強になるでしょう。
誰に聞かれたか知らないが、オイラがご本尊前で読経の真似事をしていると、近づいてきて「遍路に行かれたんでっか?」と尋ね、「二回もでっか?」と続けてえらく感心されたのです。
嘘でも坊さんに褒められれば気持ちが良いものです。エッヘン!!
3/17日 大和探歩2日目は堺屋太一が、日本一の名補佐役と名付けたご存知関白秀吉の弟「豊臣秀長」によって城下町が完成した大和郡山。
累代城主は松永久秀⇒筒井順慶⇒豊臣秀長⇒柳沢吉里だが、大和・紀伊・和泉三国100万石の太守となった豊臣秀長時代に、城郭、町割等が完成したと伝えられている。
城の石垣、遊郭、寺など全てに、この時代の面影を色濃く残している町並みは素晴らしい。
大和郡山城は動乱期に急いで築城されたせいか、石垣の積み方は「打ち込み接ぎ」「野積み」が混在しており、宝篋印塔の台座や写真の地蔵石(地蔵を彫った石が頭を左にして)が石垣の一部に使われている。
秀長は兄秀吉より先に51歳で亡くなった為、屋台骨を失った豊臣政権は崩壊への道を突き進んで行った。
写真上を左クリックすると「オリジナルサイズ」の大きさに拡大されます
写真が当麻寺の3重の塔ですが、皆さんに教えて戴きたい事があります。人に教えを請う時はこのように伏してお願いするのです。
各地にある塔の宝輪は一般的に9輪だと思いますが、当麻寺では東西両塔とも何故か8輪なのです。
訳を教えてたもれ
山中に複数の塔頭のあるお寺は珍しくもないが、なんと当山では「真言宗」と「浄土宗」の異なる二派を奉じていると言う。
浅学非才のオイラには理解し難いが、山中に現存する4カ寺の内2カ寺が真言宗、残る2カ寺が浄土宗を奉じているのだと。
従って西方浄土曼荼羅をご本尊とする曼荼羅堂の仏事は、上記の4カ寺が1年づつ、持ち回りでお世話するのだと云う。
寺内には4つの国宝:曼荼羅堂(写真)、東3重塔、西3重塔、厨子と須弥壇の他、重文指定の金堂、講堂や多くの仏像も安置されている。