もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

尾道21 Ⅱ

2021年11月30日 | 歴史探歩

坂の町、尾道探索は、行くたびにきつさが増してくる。

 

でも、ちょっと明るいニュースもあるでよ❕
浄土寺見学中に、この車両がお客様を乗せてやってきた。
聞けば、誰でも乗せてくれる乗合バスだと言う。

早速乗せてもらって大寧寺近くまで・・・200円/回でしたよ!

 

竜宮門が立派な大寧寺を目指す。
ゴルフカート風の乗り物に乗せてもらったお陰で、昼食時間が確保できた。

 

このお寺の本堂も立派。
およそ広い敷地を確保することが難しい尾道に、大きなお寺がいっぱい!
篤志家が多いのかな?

 

本堂より50mほど高い場所の立つ大寧寺の三重塔。、国重文です。
元は五重塔だったものを、傷んだ資材をやり繰りして、三重塔に再建した。

急坂の途中に、このような大建築を立てた人の、財力と信仰心に感心する。

 

尾道らしい?光景。
階段道ばかりで、庶民の生活は不便ではないのかな?
内部の部屋割りも見てみたい。

 

帰り際、商店街で見られた、「黒板アート(黒板に白墨で描いていた)」
凄いリアル!!!

 

陽光煌めく尾道水道を瞼に焼き付けて バイバイおのみち。

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尾道21

2021年11月26日 | 歴史探歩

県外ばかりじゃなく、地元広島も応援せにゃいけんね!

 

そんな訳で、ふらりと尾道を訪ねました。
見間違えるほどきれいに整備された尾道駅前から、いきなり商店街へぶらりと繰り出すオイラ。
尾道水道を行きかう船をあしらった、尾道市のカラーマンフォール。

 

わざわざ造った、昭和のレトロ街じゃありませんよ!
尾道にはこんな光景が至る所で見られます。

 

そのまま一気呵成に、東の街はずれまで歩いてしまいました。
こんな乱暴な尾道観光をする人って、ほとんどいないと思います。
ご一緒していただいた方、あきれていたのでは、腹を立てていたのではないでしょうか?

息を切らしてあるお寺の石段を上り詰めると、本堂前に「二たっ引き紋」の提灯がありました。
そう! 足利尊氏所縁の浄土寺です。

 

国宝本堂の妻側を注目してください。
入母屋屋根に、立派な妻降りが設えてあります。
これだけで、一級寺院の風格満点です。

 

こちらも国宝の多宝塔、晴れ上がった秋空に優美さが際立ちます。

小津安二郎監督、笠智衆主演の東京物語が、今撮影されても何の違和感もありません。

 

奈良の古刹を彷彿とさせる、寄棟造りの阿弥陀堂。
浄土寺が聖徳太子の創建と伝わることも頷ける建築様式です。

 

こちらは足利尊氏の供養塔、両方とも国重文に指定されています。
左の宝篋印塔が供養塔、右の五輪塔は納経塔だと言われています。

浄土寺中興の祖と言われる足利尊氏、これがご縁で浄土寺の寺紋は足利尊氏と同じ、二引き紋(ふたっぴきもん)が使われるのでしょう。

現在の浄土寺は、真言宗泉湧寺派に属しています。

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肥薩おれんじ鉄道

2021年11月25日 | 鉄印帳

五木寛之「青春の門」の舞台となった筑豊地方、潜伏キリシタン関連遺産が売りの平戸、などを巡った旅の最後は、悲惨な公害と壮絶な戦いを続けてきた水俣を通る「肥薩おれんじ鉄道」だ。

 

鹿児島中央駅のホームで、鹿児島⇒仙台 日本もずいぶん狭くなったものだ。そんな訳ないだろう?
鹿児島中央⇒川内ですね。

 

川内⇔八代間、120kmを28駅で結ぶ「肥薩おれんじ鉄道」、旧鹿児島本線の跡を継いだ。
JR鹿児島本線の時代は完全電化区間だったが、現在は気動車で運行されている。

 

例によって割安切符を求めた。
八代駅⇔川内駅間の片道通常運賃2,670円だが 、この券では1,500 円で1日乗れる。さらに65歳以上は750円だった。
お得感満載だが実際に乗車してみて分かったことだが、このような長距離乗車する地元のお客様は皆無だった。
地元の皆さんは、お年寄りの近距離利用に限られているようだ。

 

車内アナウンスで案内された東シナ海の波濤。
風は穏やかなのに波頭は高く牙をむいてくる。

 

第三セクターの路線内に、JRの貨物列車が轟音と共に通り抜けて行く。
共存共栄なのか、やむを得ぬ苦し紛れの対応なのか。

 

熊本きっての人気者、「くまもん列車」が「そこのけ そこのけ」と言わんばかりに・・・
さすが! 且つての鹿児島本線、線路内はよく整備されている。

 

多くの第三セクターに乗ってきたが、このような社員募集を見たのは初めて。
がんばれ! 肥薩おれんじ鉄道。
因みに社名は沿線の特産品「ゆず」の色にあやかってだそうだ。

 

今年日本でも公開された、ハリウッドのスーパースター、ジョニーデップがプロデュースした映画「MINAMATA」の舞台となった水俣駅。
さぞかし映画所縁の装飾で一杯かと思ったが、幟1本、ポスター1枚も飾られていなかった。
水俣市はこの映画の製作意図が理解できないとの理由で、協賛、後援などすべて断ったそうだ。

それでもと次の「新水俣駅」でも目を凝らしたが、映画関連の物はやはり皆無だった。

 

地元の方は「やっちろ」と発音するようだ。
九州鉄印の旅は此処で幕、残りの2路線は何時になるかな?

 

おれんじ色の鉄印です。

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鹿児島 仙厳園Ⅲ

2021年11月24日 | 歴史探歩

園内の建物を少し見てみよう。

 

御殿の北東の位置に建てられた御庭神社、1間社、妻入、瓦葺の春日型で質素な造り。
御殿北東の鬼門を守る神社に相違ない。

 

御殿南面にある渡り廊下には、硝子障子が嵌められている。
明治17年の改築とあるが、それにしても簡素な造りである。

 

あがり框に設えてある手水鉢。
下から地下水が湧きあがってきて、常にかけ流しの状態にある。

 

御殿の玄関口も何の変哲、造作もない。

 

明治28年に建築された正門、御殿に比較して明らかにこちらの方が立派。
明治時代に別邸から本邸に変わっているので、これに併せて建てられたものか。

 

薩摩藩の反射炉跡、薩英戦争の惨敗に懲りて設えたものだろう。

 

これが反射炉の全容だとすれば、左程の規模ではない。

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鹿児島 仙厳園Ⅱ

2021年11月23日 | 歴史探歩

仙厳園も中国庭園を模したと園の説明書きに記されている。

 

現在は嫌いな国第1位となっている隣国だが、数千年の歴史が有無を言わせず、日本各地の文化に影響を与えているのは事実だ。
大仰な石燈籠の傘には、ご丁寧に獅子まで乗っている。

 

御殿は純和風の平屋建、板塀も素木で質素な佇まい。
しかし藩主の部屋はすべて最高級の屋久杉で造られるなど、外観とは一変して豪華な造りとなっている。

 

お庭とは思えない、大きな川が邸内を流れる。

 

置き石、自然石? とにかくスケールの大きさは相当なもの・・・

 

背後の山に完全に溶け込んだ借景庭園。
大藩の別邸に相応しい、余裕を持った配置である。

 

自然石に刻字をしている。見たくないものを見た感じ。
中国では至る所に見られる風景だがが・・・
白で描かれているので、まぁギリギリ許容範囲かな。

 

高枡と命名されていたが、水位調整の機能を持つ装置。
園内は結構起伏があるので、このような工夫が必要なのだろう。

 

白煙を噴き上げる桜島と錦江湾。
鹿児島の2枚看板が、仙厳園には取り込まれている。

 

曲水の宴が催うされる庭。
水量が少なかったが、宴の時は水位が調整されるのかな?

 

そして竹林は紙の憑代で間違いなかろう。
園内には複数の神社と六地蔵なども配されている。

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鹿児島 仙厳園

2021年11月22日 | 歴史探歩

薩摩島津藩の別邸:仙厳園を訪ねる。

 

樹木は、松をはじめこれでもか!と言わんばかりに、徹底的に手入れされている。

 

古くから海外貿易を進めてきただけあって、南方の植物である蘇鉄の植え込みが、随所に配されている。
これだけ見ると、とても日本とは思えない。

 

菊の季節だからね
でも背後の建物は日本庭園にはそぐわない感じ。

 

自然石を活用した石垣だが、四角な石を布積しただけで、お世辞にも美的とは言えない。
積み方も雑で、すぐにも崩れそうで心配だ。

 

こちらは背後の山を巧みに取り入れて、スケールの大きい見事なお庭を演出。

 

鹿児島の誇り、「煙は高し 桜島山」も、もちろん一役買っている。

 

藩主別邸の御門はどうしたのでしょう?
極彩色で、沖縄風(南国風)?とでもいうのかな。

 

樹木の手入れは本当に頭が下がるほど・・・見事に剪定されている。

 

質素な藩主の別邸に、両脇に柱を立てただけのこの門はなに門?

 

何処まで行っても、雄大な桜島が遠望できる。
さすがです!

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鹿児島へ

2021年11月21日 | Weblog

九州鉄印帳の旅をしていて残念なのは「南阿蘇鉄道」が熊本地震で一部運休、「くま川鉄道」が集中豪雨で復旧の目途が立たないことだ。
訪ねても意味がないので、虚しい。

 

JR九州は駅もユニークだと思うが、此処新幹線新鳥栖駅もご多分に漏れない。
乗降客が少ないのに、この威容は不釣り合い。

 

新鳥栖駅構内に、広島カープを平成の3連覇に導いた、緒方孝市監督のグッズが飾られていた。
そう言えば前監督は鳥栖市の出身だったのだ。

長崎の松浦鉄道で、戦力外となった今村猛の母校を見た後、前監督の出身地に足を踏み入れたのは偶然か?

 

 

新鳥栖駅のホームに立って上を見ると、異常に天井が高いのに気がつく。
此処から鹿児島中央まで、九州新幹線は初めて乗車する。

 

運休中の二路線で鉄印が求められないので、やむなく鹿児島観光を日程に入れた。
無念の思いを代弁するが如く、屋外はやらずの雨が降り続く。

 

鹿児島に着けば先ほどまでの、しのつく雨は上がっていた。

 

鹿児島と言えば島津藩、本拠鶴丸城跡前は修学旅行生がいっぱい!
やっとコロナ禍が一服して、待ちかねたように修学旅行が復活、広島も同じだ!

 

そして鹿児島観光の目玉、仙厳園を訪ねた。

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松浦鉄道 異聞

2021年11月20日 | 鉄印帳

松浦鉄道へ向かう途次、佐賀県鳥栖駅で見た珍しいもの。

 

一つは駅フォーにム置かれた、自由席特急券の自動販売機。
JR東日本では、所々の駅でグリーン券を販売していたと思うが、JR西日本ではどちらも、駅フォームで販売していない。

 

もう一つは鳥栖駅から見えたこの施設はナント、Jリーグサガン鳥栖のホームグランドでっせ!
こんなに便利な場所に屋根付きサッカー場があるなんて・・・羨ましい。
サンフレッチェも早く中央公園に、サッカー場の完成を頼んます。

 

松浦鉄道の起点佐世保は、呉・長崎などと同様坂の町、生活には不便そうだが、軍港にはこのような地形がベターなんだろうね。

 

佐世保駅ホームには洒落た窓が嵌めてあって、一服の絵画の如く港が見えた。
JR九州は車両だけでなく、駅舎もムードがあるね。

 

松浦鉄道の途中駅に「清峰高校前駅」があった。
そうだ! 
直ぐに広島カープ中継ぎの今村猛投手の出身校だと気付いた。

 

春の選抜優勝投手の栄光を背負って、2009年ドラフト1位でカープに入団したんだ。
カープ平成の3連覇に多大な貢献をしたが、2021年末を以って戦力外となった。
非常だね?

 

清峰高校の校舎を見送っていると、突然雨が落ちてきて窓を濡らす。
今村投手惜別の涙雨だな。

今村投手広島カープでの全成績
 防御率:3.46、21勝30敗、36セーブ、115ホールド 来る日も。来る日も、中継ぎで大車輪の活躍だった。

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松浦鉄道

2021年11月19日 | 鉄印帳

続く九州鉄印の旅は、西海岸を走る二路線を征服すべく、足を延ばす。

 

松浦鉄道の起点は、佐世保バーガーでお馴染みの佐世保駅。
駅の片隅に真新しい此の標識が置かれている。
存在感に乏しく、何か遠慮がちに見えるのは何故だろう?

 

疑問を抱いたまま案内標識に沿って、松浦鉄道の乗り場へ向かう。
第三セクターのホームに、エスカレーターが設置されているのは珍しい。
オイラの記憶では初めてだ。

 

ここでも何かしらの割引切符がないかと目を凝らしていると、自動切符販売機の端っこに「往復割引切符」があった。
オイラが目指す「佐世保⇔たびら平戸口」に限って、割引券が設定してある。

佐世保⇒たびら平戸口は片道1,340円なので、往復では2,680円だが、ナント1,900円であった。

 

佐世保駅の発車ホーム、隣に特急列車が停車中でわかる通り、松浦鉄道も高架中にホームがある。
なんともリッチ?な第三セク―であることよ!

 

途中駅での「お気に入り」は此処「左石(ひだりいし)駅」、屋台で立ち飲みできるのだ。
この時の時間は午前10時頃、暖簾越しにお客様がいますよ!
時間に余裕があれば激励の意味も込めて、ちょっと一杯いくのだけれど・・・

 

そうこうしている内に「たびら平戸口駅」に着いた。
JR時代を懐かしむ「ミニ交通博物館」があった。

 

そしてこの標識、文字通り「日本最西端の駅」だったのだろう。
だから佐世保駅には、肩身が狭く「日本最西端JR佐世保駅」の表示だったのだ。

 

日本の突端、東(東根室)・西(たびら平戸口)・南(西大山)・北(稚内)、すべての駅のホームに立ちましたよ!

 

狭い海峡を隔てて「じゃがたらお春」の歌が聞こえてくるような、平戸を臨む。

 

日本百名城で訪ねた平戸城も今回は遥拝のみ。

 

鉄印です。

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甘木鉄道

2021年11月18日 | 鉄印帳

国鉄色が色濃く残る平成筑豊鉄道から、これが第三セクター?と思わせる程、垢抜けた「甘木鉄道」へ・・・

 

JR九州の鹿児島本線「基山駅」が起点で甘木駅まで、全11駅のコンパクトな路線である。

 

全長14キロ足らず、夕刻17時前の時間だが、あっという間に満席となった。
ちょっとびっくり!

 

車両も新しく、台数も結構保有しているようだ。
第三セクターに似合わず、シンプルな外装がとても素敵。

 

短い路線でありながら、離合回数が結構多い。

 

コマーシャルが案内板一杯だった平成筑豊鉄道とは、うって変わってこちらは簡潔だ。
某大手ビール会社のあるこの駅は、乗降客が半端ではなかった。(第三セクターにしては・・・)

 

終点の甘木駅構内、線路内に雑草がないもの。
すごい!

 

僅か25分で走る抜ける甘木鉄道、これからも発展し続けること間違いなし。

 

鉄印も何の変哲もなく、シンプルさが際立つ。

本当に高感度、ローカル鉄道の鑑みの様な路線です。

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平成筑豊鉄道 異聞

2021年11月17日 | 鉄印帳

今回の九州方面鉄印の旅は、予習が杜撰だったせいか、とんでもない事件が発生した。

 

平成筑豊鉄道の路線は一本だと思い込んでいたのが、間違いの初めである。
実際には 

①直方(のうがた)発⇒金田(かなだ)経由⇒行橋行と
②直方(のうがた)発⇒金田(かなだ)経由⇒田川後藤寺行の二路線がある。

オイラは直方駅で行橋行きに乗車したので、途中金田駅で田川後藤寺行きに乗り換えなければいけなかったのだが、鉄印の記帳が終わった後も、行橋行きの列車が停車していたので、慌てて乗り込んでしまった
その結果、予定外の「油須原(ゆすばる)駅」に途中下車し、30分強滞在することになってしまった。

 

典型的なローカル線、田舎駅感満載の油須原駅の魅力を満喫した。

 

駅前には文字通りの広場があり、公衆電話に郵便ポスト、扱っても居ない「手荷物預所」まで揃っている。

 

構内にはナント、長野県を走る信越本線の時刻表があるのだ。

 

ご丁寧に「信濃鉄道」の料金表まで掲げてある。
「運賃を見て下さい」何時の時代のものだろう?

誰も利用しないのに・・・

 

そして、しっかりとした木組みの出札口も懐かしい。
荷物置き場も兼ねているのだろう。

 

さらに手動式の信号機が健在。
このレバーを「よっこらしょっと」引き下げると、ワイヤーで繋がれた前方の招きが下に降りて、通行可の合図となる。

 

駅長室には列車運行管理用の「通票(タブレット)」が置かれていた。

 

信号が下がっているのを確認した列車が構内へ入ってくる。
運転士は先ほど紹介した「通票」を、手前の白い装置へ投げ通す。

後ほど駅長はこれを回収して反対路線の運転士に渡し、通行許可を与える。

 

乗降客で賑わった国鉄当時の改札口だろう。
昔懐かしい停車場のにおいが漂っている。

予習不足万歳! 乗り間違えラッキー! 昭和レトロ感満載の「鉄道博物館」を満喫できた。
平成筑豊鉄道の旅でした。

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平成筑豊鉄道

2021年11月15日 | 鉄印帳

鉄印の旅、東北と関東は一部路線を除いてほぼ廻り終えたので、今度は九州にアタック。

 

JR九州はJR各社の中で飛び抜けて多彩な車両が運行されており、何時訪ねても心躍る。
これも今回興味を引いた車両の一つ。近郊型交流電化用蓄電池電車
電化区間ではパンタグラフから給電し、非電化区間は蓄電池から電気を得て走行する車両だとさ・・・

 

JR直方駅から、平成筑豊鉄道に乗り込む。
4駅が行く先表示されており、あまり気にすることなく乗り込んだが、後ほどこれが重大な意味を持つことを、思い知らされた。

 

第三セクターではお馴染み、単車のディーゼルカーで運行されている。
でもちゃんと上部には架線が貼られているのだ。

 

JR当時の駅舎がそのまま受け継がれており、老朽化が進んでいるのも、三セクでお馴染みの光景。

 

但しこの会社は、駅の命名権を売り出しているらしく、ほとんどの駅名に冠名が付いている。
糒(ほしい)=干飯かな? 初めて知った文字であり珍名。

 

それにしてもこの駅は悲惨です。
平成筑豊鉄道さん、何とかしてあげてくださいよ。

 

筑豊地方は日本有数の炭田地帯、「ぼたやま」の名残かなぁ?

 

平成筑豊鉄道の本社がある金田(かなだ)駅。
小綺麗な駅舎だが、待合室には売店も営業していなかった。

 

金田駅では、奥で多くの従業員が勤務しており、オイラが訪ねた時は窓口のシャッターが開いていたが・・・
数時間後にはこの通り、鉄印も自動販売機で求めると言う。
なんたる手抜きかとあきれる。

これまで20数社の鉄印に記帳したが、自動販売機での対応はこの会社が初めて・・・

 

半分に折れ曲がって、箱詰めされていたのがこの鉄印。

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呉港

2021年11月05日 | Weblog

自衛艦ばかり強調すると呉港の本質を見失いそうなので、民間船舶も多く利用しているところをどうぞ!

 

呉港は瀬戸内の基幹港として、多くの航路を繋ぐ定期船が運行している。
本船は四国松山港へ向かう石崎汽船。

 

全長300メートルを超える巨大なタンカーも建造されている。
進水式を終えて艤装中の本船、油が満載されると黒く塗装された部分が喫水となる。

 

「TUG」とペイントされた部分は、タグボートが接弦して誘導する箇所。
強度を補強した場所を示している。

 

あまりに巨大すぎて、カメラで全貌を捉えるのが難しいほど・・・
且つてはこのような巨大船が何隻も同時に建造されていたのだが・・・

 

造船業のライバルと目される国籍の船がドッグ入りしている?

 

今では造船業も、競争力を増してきた中国、韓国に、受注競争で苦杯を喫することが多いらしい?

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呉港戦艦巡り

2021年11月04日 | Weblog

大手製鉄所の撤退や、日本3大舟歌にも謳われた、音戸の瀬戸の渡し船の廃業など、暗い話題が多い呉の街。

 

コロナが静まり傾向にあるので、恐る恐るだが近場の観光に出掛けた。
呉を元気づけたいからね!

 

出航して5分もたたずに防波堤の外に出た途端、眼前に駆逐艦が姿を現した。
翩翻と翻る旭日旗は自衛艦のシンボルでもある。

 

艦中央部に大きく開かれた方形の開口部は、ヘリの格納庫と説明された。
灰色の塗装された巨大な艦に、数基のレーダーが装備され、ヘリが離着艦出来る自衛艦とは、まさに兵器そのもの。

 

さらに沖合に出るとそこは潜水艦基地、日本が保有する潜水艦の50%以上が呉を母港としている。

 

船体に碁盤の目状に張られたピースは、敵が発したソナーの電波を乱反射して、艦にステルス機能を持たせている。

 

艦尾に斜めに突き出した2枚の板は方向舵。
X型をしている本艦は「そうりゅう型」で新しい高性能な舵。
従来の「おやしお型」潜水艦は、十字型の方向舵で旧型となる。

潜水艦の舵は上下左右と三次元の操舵が必要で、通常船舶の二次元操舵に比べ、方向舵の重要性が段違いに増している。

 

呉湾一帯を埋め尽くす自衛艦、灰色一色に見えるがステルス性向上のため、塗料にも様々な工夫がなされている。

 

旭日旗を掲げた艦の向こうに見えるのは、戦艦大和の建造も見届けた「休山」。

 

そして世界最大の戦艦を建造した巨大なドッグは健在である。

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岩村城

2021年11月02日 | 歴史探歩

明智鉄道沿線随一の見所は、日本三大山城に数えられる岩村城址ではないだろうか?

 

日本百名城で訪ねた時は事前知識が皆無で、日本最高の標高700メートルを超える場所にあるお城と知って、登城をあきらめようと思った城跡。

明智鉄道岩村駅から城下町を経由する大手道は、意外に平坦でよく整備されており快適。

 

小さな石を積み上げた石垣が随所に残り、お城好きの目を楽しませてくれる。

 

岩村遠山氏が鎌倉中期に築いた居城で、岩村では「女城主の城」が宣伝文句となっている。
織田信長の叔母にあたる「おつやの方」が一時城主をしていたことからの命名であるようだ。

 

本丸に至る間に何カ所かの虎口が設けられており、しっかりとした門跡や柱穴も残っている。

 

地形に併せて複雑に石垣が造成されている。
敵を欺く為であろうが、本当の意図を専門家に聞いてみたいものである。

 

積み筋がはっきり分かる布積だが、石垣の孕みを防ぐ排水溝はちゃんと設えてある。

 

通称六段積と言われる複雑な形の石垣は、唯一無二のものでよくぞ積み上げたものと感心する。
日本全国、他の追随を許さない見事なものだ。

 

本丸跡は想像よりもかなり広く、よく整備されている。

 

日本三大山城の内、登城の厳しさは高取城、備中松山城、岩村城の順で、標高が高い割には意外に歩きやすい。

一つ難点を言わせてもらえば周囲に植林が多いことかだが、城域全般はよく整備されており、往時の姿が偲ばれる名城である。

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