もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

瀬戸田 潮音山向上寺Ⅱ

2012年09月30日 | 落合郷土史

国宝の三重塔にさらに近づいてみると

 

 和様、禅宗様折衷型の塔だが、一層の造作は禅宗様の特徴が多く見られる。
 黒く塗られた華頭窓、観音開きの桟唐戸、扉の受けに当たる部分のそ盤など…

 

 一層の垂木は室町建築の特徴が顕著な扇垂木、木鼻の彫刻も手が込んで入る。

 

 回廊四隅の柱は逆宝相華の形をしている。
 海岸近くに建てられたお寺の為か、部材の各所に風蝕が見られ痛々しい。

 


  

 石垣の中に、燈篭の台座と思われる石が流用されている。
 信長の安土城や秀吉の姫路城に先駆けて、このような事が行われていたのか?

 

 青空をバックに聳える九輪と本堂の棟を飾る鴟尾、まるで斑鳩に足を踏み入れたような眺め。
 紺碧の空が、どこまでもく麗しい。

 

 仰ぎ見ると…

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瀬戸田 潮音山向上寺

2012年09月28日 | 落合郷土史

 9月27日は落合郷土史研究会定例の歴史探訪日、気心の知れた仲間と国宝三重塔のある向上寺を訪れた。
列車に乗って、船に乗って訪ねる旅は、ちょっとした旅行気分。

 

 小金持ちの我がグループは三原港から瀬戸田行きの、高速双胴船で一路目的地を目指す。
 この船はなんと昭和63年製とあり、竣工当時はモダンな船体だったのだろうが、今や見る影もない。

 

 三原⇔瀬戸田間の主力輸送手段は、こちらのフェリーらしい。
往路に乗った高速船は、我々17名以外の乗客はたったの2名、これでは航路廃止も近そう。

 

 船上からのご機嫌な景色、瀬戸内海国立公園は本当に美しい。
 先週の大久野島に続いて、見事な多島美を今日も堪能する。

 

 目指す国宝向上寺の三重塔が、紺碧の空をバックに聳え立つ。
 日本建築は何処までも優美、見る者を飽きさせない魅力がある。

 

 喘ぎつつ登る参道の傍らに咲く彼岸花。
 黄色のヤツは初めて見たが、皆さん如何でしょうか?

 

 全容を現した国宝向上寺三重塔、室町建築の美しさが眼前に展開される。
 三重塔の国宝は全国に13基ある。

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黄檗宗 初山宝林禅寺

2012年09月23日 | 歴史探歩

 ガールフレンドの友達の実家が、国重文の建て屋を持つこのお寺の奥様。
 8/30日、何かのご縁で偶然参詣することになった。

 

 間もなく9月になろうとするのにこの日も油照りの真夏日、あまり気乗りがしなかったが誘われるままに訪ねた。
 坂を登って弾む息が静まらない内に、いきなり杮葺きで国重文の本堂が眼前に現れた。
 おおっ

 

 “宝林禅寺”の掲額は隠元禅師の書である。
 いくら知識の乏しいオイラでも、このお寺が黄檗宗であることがわかった。
 黄檗宗⇒宇治⇒黄檗山万福寺⇒普茶料理と繋がっていく。
 隠元禅師は日本に隠元豆を伝えた。

 

 本堂の北側には、お庭を挟んでこれも国重文の方丈がどっしりと控えている。美しい!
 茅葺き屋根は昨年葺き替えられたばかり、京都は美山の職人が半年がかりの作業だったと云う。
 伝統の技術は何時までも、伝えてもらいたいものだ。

 

 方丈側からお庭を挟んで見る本堂。杮屋根の修理跡が痛々しい。

 

 方丈から眺める枯山水、禅宗寺院らしく雄大でありながら背後の自然に融合している。
 中央は竜門瀑と鯉魚であろう。

 

 ご当地、金指の名士:近藤家墓所の脇には、地獄の六道から信者を救う仏が…
 近藤家は徳川家康の遠州進出に、多大な貢献をした名家であると云われている。

 案内してくれたガールフレンドは川崎市在住、友達のお寺は浜松市北区で町はずれ、オイラは広島市在住。
 持つべきは友達だね! 広域で楽しい出会いが実現できたのだから…

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カープサポート

2012年09月21日 | ボランティア

9/19日、今シーズン最後の“カープサポートボランティア”に従事しました。
この3連戦も、当面の敵:ヤクルトにものの見事に3タテを喰らい、息の根を止められてしまいました。
球場自慢の回廊の一画に、このようなものが展示されておりました。

 ニッカウィスキーの創始者を生んだ町:竹原市、文字通り竹がウリの町です。
 竹造りのオブジェが飾られていました。

 

 精魂込めて作られたものですが、主役のカープのだらしなさにあきれて、此処を訪問された方々の目も虚ろです。

 


 この形は球場にこられた方はご存知かと思いますが、同様の形でバックスクリーン裏に竹で囲われたオアシスが造られています。
 デーゲームの時は、此処に快適な木陰が出来、皆さんに涼を提供していました。

 

ウナギ取りの籠を連想させる飾り、本当に流用しているのかもしれません。

 ファンも必死に声援を送りましたが、あえなく…秋めいて来た風がすっと首筋をなでて行きました。
 今シーズンもささやかな願いが届きませんでした。???

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大久野島Ⅱ

2012年09月20日 | ボランティア

本土から僅か3キロの位置にありながら、日本軍は明治30年代から第二次大戦敗戦まで、この島を軍事施設として利用し続けてきた。
本土側から見えない部分に施設を集中的に配備し、地図上からはこの島を抹消してカモフラージュした。
今から思えば随分単純な方策にしか見えないが…

 

 中にある建て屋を隠すため人口の山を築いた。この設備は三度戦争に使われたと云う。
 一度目は日露戦争時、瀬戸内海へ侵入してくるロシア艦隊をせん滅するための砲台を築く為の資材搬入路。
 二度目は第二次大戦中の毒ガス工場に供給する発電所。
 三度目は朝鮮戦争時、米軍の弾薬庫として活用。

 

 この建屋内に、ディーゼル発電機を5基設置していた。 第二次大戦末期には、燃料不足に悩まされたと云う。
 当面倒壊するまでこのまま放置されるようだ。

 

 島に数十か所残された防空壕跡には、毒ガスに汚染された廃棄物が投げ込まれ、入り口は密閉された。
 これらの防空壕は一般の人達が利用するための物。

 

 こちらは幹部用の防空壕跡、コンクリートで補強され内部は広い空間が確保されている。
 軍国日本の象徴のような遺産。

 

 島内いたる所に咲いている“夾竹桃”この花、何故かしおれているような花びらが多いが、この島の花はとてもきれいでした。
 綺麗に見えないのは写真の腕が悪いからです。花に罪はありません。

 

 大久野島周辺海域は大河のような急流が、渦を巻いて流れています。
 この海域からも毒ガス施設の廃棄物が見つかったとか…海底はどのようになっているのでしょうか?

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大久野島

2012年09月19日 | ボランティア

観光ボランティアの研修として、負の遺産の一つに数えられる大久野島を訪ねた。
今回で訪問するのは4回目だが、漫然と訪れた過去の記憶は定かではなく、新たな気持ちで勉強する。

 

 上陸していきなり、なんともおどろおどろしいこの資料館内で、ガイドの説明を聞くことになる。
 それにしても「なんとストレートな表現の館名である事か」

 

 本土から直線にして僅か3キロの位置にあり、周囲は4.3キロの小さな島に悲しい歴史を残す。
現在は環境省の管理下に置かれ、宿泊施設を始めとする従業員さん達は全て本土から通う。

安全を徹底する為、水は全て対岸の三原市から船で運ばれている。

 

 全島至る所に野うさぎが生息している。唯一この事だけが記憶に残っていた。
なぜなら「毒ガスの効果を試すための実験に、うさぎが使われていた。その子孫が残って野生化した」と聞かされていたから…
でもこれは誤りで、現在のウサギは観光用の宿泊施設が完備した後、島に放されたものだと云う。

 

 島内最大の平坦地で、現在は一部に芝生が植えられ、グランドゴルフ場になっている。
 毒ガス工場の中心的施設が此処に造られた。
 島民が生活していた時には水田が広がっており、食糧が自給されていたと云う。

 

 上記した芝生広場には、所狭しと毒ガス関連の施設が建てられていた。
 背景は今なお美しい瀬戸内海国立公園内の島々。

 

 負の遺産、毒ガスの島を説明して下さるガイドさんは、おもてなしの心を持ったお方。
 我々を日陰に誘導し、熱射病対策に配慮して下さいました。
 それにしても説明を聞く時は、日傘をたたむ
のがマナーじゃなかろうか?

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試練のルーキー

2012年09月16日 | ボランティア

スポーツボランティアをしながらエールを送る、サンフレッチェ広島と広島カープ。、双方試練の時を迎えているが、カープのルーキー:野村祐輔が、打線の援護をもらえず悲劇の主人公になろうとしている

 

この人もそのような試練を受けてきたが、最近ちょっとツキを呼び込んでいる節がある。

 

全てを超越しているこの人は、代打:前田!を告げられるだけで、場内を大歓声の渦に巻き込む。

 

オイラが普段観戦するのはこの位置、仲間内では“天守閣”と呼んでいる。
その意味は、とてつもなく高い位置から試合を見下ろすから…

 

先日ある仲間の御尽力で、この位置から観戦させてもらった。
普段と全く雰囲気が違うのにはビックリ! 冷房が利いた部屋と云うだけではありません。

 

この人は今シーズン限りで引退、横浜のファンからエールを送られていた。
「タクロー ありがとう」素晴らしい人徳に敬意を表す。

今日:9/16日も苦手ドラゴンズ戦、まったく心配の種は尽きず、他に言葉はなし ガンバレカープ!

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奥山半僧坊

2012年09月12日 | 歴史探歩

夏の青春18切符の旅は、廻り廻って故郷浜松までたどり着きました。
主たる目的は中学時代の同窓会出席でしたが、少し時間に余裕があったので、仲良したちと懐かしい場所へ…
正式には、臨済宗深奥山方広萬寿禅寺(俗称:奥山半僧坊)を訪ねた。

 

 浜松市の中心部から車でおよそ40分、短い門前町を通り過ぎるとこの高麗門に着く。
 閑静な禅寺の入り口、此処から鬱蒼とした境内に向かって歩を進める。

 

 高麗門を過ぎて程なく、何処にでも見られる楼を巡らした二重門が現れた。

 

 参道の途次に見られる16羅漢…
 どうですか!この安らぎに満ちたお顔は、この世の幸せを一身に納めているかのようです。

 

お馴染み石垣ですが、打ち込み接ぎでこのコーナーの積み方、あまり見かけませんね。
此処は半僧坊の宿坊です。

 

 大権現:烏天狗の後ろ上方にチラッっと見えるのが、“奥山半僧坊大権現”
 当時の開山は、後醍醐帝の皇子:無文元選禅師で、中国での修業を終えて帰国の途次、東シナ海で嵐に遭遇します。
 この時開山を救ったのがこの男でした。
  開山後弟子入りを願ったこの男を、禅師は「われは既に半ば僧である。弟子入りは無用」と告げ、この古事から“半僧 
 坊”と名付けられたと云われています。

 

 後醍醐帝直系のお寺として、五条塀に囲まれた南庭には、砂と石で築かれた枯山水が見られます。
 我が故郷にも古刹がありました。 

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西国13番札所石山寺

2012年09月11日 | 西国33観音霊場

今夏、青春18きっぷを使っての西国観音霊場巡りは、この石山寺で最後にした。
滋賀県で最も古い木造建屋が残る当寺は、さすがにしっとりと落ち着いた雰囲気で気にいった。
でも本当のところは暑さにバテ気味の身体が音を上げていて、バス停から近いこのお寺は本当に助かった。
そのせいではないかな?

 門前には瀬田川が滔々と流れる絶好のロケーション、山門も古びていてドッシリ!
 仁王像前に金網が無く、本当にすっきりしている。

 

 本堂に続く参道脇にも緑が一杯、涼しげな木陰がうれしい。

 

 最初に目に入る建物が多宝塔。周囲に現代風の構造物が見当たらず、平安時代がそのまま残されている感じ…
 やたらと石像などを飾り立てるお寺が目に着く中、清掃が行き届き余計なものが無いのはとても新鮮。

 

 石山寺、寺名の由来と云われる“硅灰石”が境内至る所に見られる。
 本堂もこの石の上に建立されている。

 

 桧皮葺、寄棟造の本堂内に組み込まれた“源氏の間”。正面に華頭窓を配し唐破風が飾られている。
 此処であの紫式部が『源氏物語』を書き進めたと云われている。

 

 本堂に連結して建てられている礼拝堂。地形を巧みに利用して“懸造り”となっている。
 境内一面とっても静かだ!

 

 帰り際、振りかえれば竜門瀑が流れ落ち、苔むした鯉魚も…

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西国30番札所宝厳寺

2012年09月10日 | 西国33観音霊場

8/28日3度目となる竹生島訪問、台風14号の余波か波が荒い。
琵琶湖観光船は、波が30センチを超えると運行停止となるらしい。理由は琵琶湖周辺の船着き場は水深が浅いため、喫水の浅い川船が使用されているためらしい。

 竹生島の船着き場、結構大きな船だが御覧の波程度で欠航も心配されるようだ。
 早く長浜港に着船できることを祈るばかり。

 

 船着き場から石段を上っていざ!境内へ。
 緑深い懐に抱かれた荘厳な雰囲気だが、裏山に回ると森は一面“川鵜”のフンだらけで、環境破壊が心配されている。

 

これぞ神仏習合のお手本か?手前の鳥居には“竹生島神社”の掲額。
 奥側の鳥居には“厳金山”と宝厳寺の山号が掲示されている。(遠く緑色に見える二の鳥居の額)

 

 国宝:宝厳寺唐門と奥に続く観音堂。手前にある手摺りのオレンジ色がなんとも不釣り合い。
 京都の豊国廟から移築された唐門の重厚さを台無しにしている。

 

 正面から見る国宝唐門。此処でも左側に繋がる石段の手摺りがオレンジ色に塗られている。
 センスが悪いでは済まされない。早急に改善してほしい。

 

 観音堂と都久夫島神社を結ぶ“船廊下”。豊臣秀吉の朝鮮征伐の際造られた“御座船”を流用しているのだとか?
 この幅では、船はたちどころに沈没しそう。もっと幅が広かったのだろう

1回目は湖西の今津から、2回目は国宝彦根城のある彦根から渡り、3回目は秀吉初の居城長浜からと三様の宝厳寺訪問。
やはり今回も手摺りの彩色に違和感が残った。 

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西国29番札所松尾寺

2012年09月09日 | 西国33観音霊場

JR小浜線に松尾寺駅があります。当然松尾寺の門前にあるかと思いきや、なんと歩いて50分程も離れているのです。

 

  

 このお寺の御本尊は“馬頭観音”。西国霊場では珍しいです。

 

 宝形造りに裳階の付いた良くある形の本堂、屋根は銅板の覆いが被せられています。

 

 正面向背部分には、彫り物がこれでもかと彫られています。

 

 鰐口が3っつ下げられています。参拝客が多いのでしょうか?

 

 重厚な山門、付随する塀が無いので一層重みが感じられます。

 

 境内には何本かの多羅様の木があり、お寺の方が数枚切り取って私に下さいました。
 この葉に50円切手を貼って、親しいお友達に手紙を書いたのですが…
 とんでもないチョンボをしてしまいました。

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西国28番札所成相寺

2012年09月08日 | 西国33観音霊場

西国札所参りの途次立ち寄った“天橋立”の照会が長くなってしまった。
8/27日湖北にあり、広島からは交通の便から考えると、33の札所中、もっとも行き難いお寺であろう。

 成相寺参道に立ちはだかるように建立された元伊勢神社。
神明鳥居があって、その奥に伊勢内宮に相当する、御本殿が鎮座している。

 

 本殿入り口脇に一対の狛犬があり、鎌倉時代の作品で国重文だと云う。
狛犬は文化財としての価値が乏しいのか、国重文指定の物などめったにお目にかかることはない。
必見である!

 

 やっとのこと、28番札所所成相寺参道にたどり着く。
天橋立駅からだと、観光船⇒ケーブルカー⇒バスと乗り継ぎが必要だ。
 この寺本殿の屋根は、桧皮に銅板覆いが掛けられているため美しい姿は隠されているが、桧皮葺きの鐘楼は絶品。

 

 組み物も凄いが圧巻はこの木鼻、手前に向って獏?、90度交差して像が彫られている。
木鼻の動物は何かと結構論争になるが、2頭並べて彫られれば分かりやすい。

 

 そして成相寺自慢の一品はこれ、左甚五郎作“真向の龍”
おどろおどろしいものではなく、むし「かわい~い」と云う感じす。

 

 参拝を終えて山門に戻る道すがら、次に参詣予定の“松尾寺(まつのおじ)方面を遠望する。

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天橋立Ⅲ

2012年09月07日 | Weblog

どうも最近天橋立を訪れる観光客は、マイカー利用が多いらしい。

 

朝1番:8:30天橋立桟橋発⇒一宮桟橋行の観光船、こんな立派な奴です。
でも乗船したのは、オイラ一人っきりでした。 旅の情緒が感じられる素敵な航路なのに…

 

 天橋立砂嘴(さし)の内側を行く観光船、船が立てるうねりがあるだけで、全く鏡面の状態。
橋立の向こう側が若狭湾、波はどのような状況かしら?
 でも船上からの日本三景:天橋立は今一ですね。

 

 一宮桟橋で下船、ケーブルカーを乗り継いで展望スポット“傘松公園”へ(リフトもあるでよ…)
「ウーム!これは絶景かな!絶景かな!」

 

天橋立と云えば“股のぞき”どうだ、決まっただろう! 皆さん御感想は如何でしょうか? 

宮津節の一節 『丹後の宮津で ピンと出した』と歌いますが、その意味は?
①これまで私は、股のぞきの時にお尻がピンと出る様だと思っていた。
②異説では、宮津は京に次ぐ芸者遊びの盛んな場所、ここから支払いの時、真新しいお札をピンと出した。
③もう一説は、博打でピンゾロを一発で出した。

 

 林 春斎は天橋立の美しさは砂嘴が成長して行く様だと述べたが、どうですこの写真は…
白っぽく砂が、若狭湾にせり出している景色をばっちり!

 

 観光船や船着き場、北近畿タンゴ鉄道天橋立駅周辺に、お客が少ないと地元の方は嘆いていたが…
目の前にある知恵の輪、こいつに綾かって何か妙案はないものかな?

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天橋立Ⅱ

2012年09月06日 | Weblog

8/27日、成相寺参詣日の朝、観光船の時間待ちの間に、文殊山智恩寺に立ち寄る。
北近畿タンゴ鉄道天橋立駅と観光船船着き場の間に位置する古刹、中々見どころのあるお寺であった。

 

 松の巨木に囲まれた境内の一角に、二重屋根楼門付の壮大な山門が建っている。
朝早いので仕事に向う人と、境内清掃の人達が目に入ったが、私以外の参詣者は見当たらない。

 

 本堂(文殊堂)は、杮葺きの宝形造りで落ち着いた雰囲気。清掃も行き届いている。
日本三大文殊堂とされているが…

 

 国重文の多宝塔。絶妙のバランスでうっとりするような美しさ。

 

 和泉式部の歌塚と云われる宝筺印塔、しかし説明書きには鎌倉時代に建立とある。
和泉式部の人気はここでも。

 

 おみくじは扇型をした独特のもの、半開きの状態で掛けられていた。
文殊堂だけあって、知恵に纏わるご宣託が記されている。

 

 境内には庚申塚もある。
庚申信仰も日本人の中に深く浸透しているようだ。

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天橋立

2012年09月05日 | Weblog

「かくれ里を行く」歴史探歩の会と小浜で別れ、単独行動で西国33観音霊場巡りに入る。
28番札所成相寺の門前に広がるのが日本三景の一つ天橋立。
旅の御褒美にゆっくり楽しませてもらう。

 

 日本三景選定の親:林春斎は選定理由をこう述べたと云う。
①自然がゆっくり造成されていく美しさが天橋立
②自然が荒々しく侵食されていく美しさが松島
③自然と人の力が調和した美しさが安芸の宮島

 

 日本三景が育てた美味なアサリを取る老人。今朝の収穫は今一と顔をしかめた。

 橋立側の砂浜に艶然と咲く「はまなす?」 イケじい花名を、又また一手ご指南願います。

 

 きらめく朝の光を浴びて、老船頭が一人釣り糸をたらす。
スペンサートレーシー主演の「老人と海」を思わせる様なワンショット!

 

そろそろ一番船の出る時間なので本土側に戻ろうとした時、係の方が早く橋を渡れとせかす。
なんとこの橋電動で旋回するのですぞ! あやうく連絡船に遅れるところだった。
手前が天橋立駅がある本土側、向こうが美しい橋立側である。

 

 開いた橋の脇を大型の鋼材運搬船が、ゆっくり通過して行く。
橋上の人と比べたら船の大きさが分かるじゃろう。

 

 では日本三景:天橋立をたっぷりご覧いただきましょう。
中々のものでありますぞ!

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