もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

縮景園

2011年02月28日 | Weblog

 梅が見ごろの縮景園、梅見茶会やら神楽上演を上演したりして、必死に集客増を図っているらしい?

確かに、指定管理者に代わってから園内の案内標識やら、清掃状況など改善の兆しがみられるが、手放しで喜んでばかりいられない。

つい最近からと思うが、65歳以上無料の扱いが無くなったらしく、料金表の1部にテープで目隠しされていた。

折角これまで、広島は年寄りに優しい文化都市だと宣伝していたのに、簡単にこれを覆してしまった。
大した金額ではないのだろうから、今からでも遅くない。即時撤回してほしいもんだ。

紅梅もそろそろ満開になりますよ!

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梅見

2011年02月27日 | Weblog

 今日は『東風ふかば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』

都を追われ、大宰府に流され、亡くなった後は怨霊となって、遂には神様に祀り挙げられた菅原道真。

梅の時期には学問の神様として、受験生の1番人気となる天神様。

今日は縮景園内を梅の花を求めて、ゆっくりと散策。


青竹を背景に、咲きかけた白梅をどうぞ…

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行者山

2011年02月26日 | Weblog
 その名の通り、山岳信仰の信者たちの行場となっている山で、本格的な鎖場が数箇所作られている。

もちろん我々無信人者には縁の無い場所、「きつそうだなぁ~」などと呟きながら、横目で見て素通りする。

ここも、山陽本線沿線で便利が良いせいか、平日なのに他の登山客数名と頂上で挨拶を交わす。

2/25日は今年一番と言ってよいほどの、絶好の登山日和。遠くの景色を堪能しながらも、足の筋肉に適度の刺激を与えるという、所期の目的を達成したので、満足感に浸りながら下山。
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磨崖仏

2011年02月25日 | 落合郷土史

 冬の間、寒さに身をすくめてお休みだった、郷土史仲間との歴史探訪が2/24日再開、今回は村上水軍の本拠地因島を探訪。

臼杵次いで、磨崖仏が多いとガイドの説明があり、その数の多さはさすが、頂上の狭い一角に所狭しと置かれている。

その代表的なヤツを一体送ります。

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観世音寺の梵鐘

2011年02月23日 | 歴史探歩

 観世音寺の国宝は、白鳳時代の古鐘。

面積は広いが、少し荒れ気味の境内中央?に鐘楼はある。最も奈良時代の創建時は、広大な寺領を誇っていたようなので、この表現は的確ではないかもしれない。

第二次世界大戦時の供出を免れる為に、人力で移動したためか、各所に傷が付いているが、最も顕著なのは“乳”(釣鐘上部に付いている乳首状の突起)が何個か、削ぎ落ちている。

古い鐘の特徴である撞座が、非常に高い位置にあるのが分かる。

 

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観世音寺

2011年02月22日 | 歴史探歩

 久し振りに九州は大宰府にある“観世音寺”の、仏像達との出会い旅、気の置けない仲間たちと出掛けたが、金魚のフンよろしくぞろぞろ連れだって歩くのでは無く、各々好き勝手な講堂に終始。

オイラは宝蔵の仏堂たちをじっくり眺める。狭い空間に丈六級の仏たちが収蔵されているので、身近に拝めて(観察出来て)とても親しみが湧く。

監視の目?がきつくないので、本当にリラックスして、仏像鑑賞が楽しめるのです。

九州は気どりが無くて、本当に「よかとこバイ!」

観世音寺戒壇院の三尊仏:中央が盧舎那仏、左が弥勒菩薩、右が文殊菩薩

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自然現象

2011年02月18日 | Weblog

 最近とんと見掛けることが無くなったこの景色、懐かしくありませんか?

周囲が路地の中まで舗装されてしまった結果、少々の冷え込みがあっても霜柱の姿を見ることはほとんどありません。

標高350メートルばかりの山頂では、正午近くでもこの姿が残っていました。感激で~す。

アラコキ近くの老人は、益々子供の心に近づいていくようで複雑な心境であります。
童心に帰るってことは良いことですよね

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ミュシュラン級

2011年02月17日 | Weblog

 我が町広島市は周囲が山に囲まれており、公共交通機関で1時間以内に格好の山が点在している。
いずれもミュシュランガイドに掲載されれば、三ツ星認定間違いなし!

時ならぬ降雪で震えあがった戻り寒波も数日で去り、16日は絶好の小春日和。鈍った体をほぐすべく、早速リュック担いで弁当持ち、近くの山を目指す。

先日来の雪も一部残っていたが、麗らかな陽気に誘われて、シャツ1枚の軽装で頂上を極めた。

中高年登山客数組と頂上で遭遇、エールを交換する。

お陰で只今両脚とも筋肉痛であります。

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雪の厳島

2011年02月15日 | 歴史探歩

 四季折々に感動の景観を見せる世界遺産でもあり、国宝でもある厳島神社、凍える日でも参詣のお客様は引きも切らず…

日本列島全域が時ならぬ寒波で震えあがるこの時、厳島神社もやっと待望の薄化粧姿を見せてくれました。

2月12日は前夜から降り続く雪が、あたり一面を覆い絶好の撮影日。早朝から凍結した路面を踏みしめ、最寄りのJR駅に掛け込んだところ…ああっ無情!列車は不通で、復旧の予定は立たずとか?

すごすご我が家に引き返すしかありませんでした。

リベンジの14日必死の思いでシャッターを切ったのですが…

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仕事始め

2011年02月14日 | ボランティア
 冬眠中だった観光ボランティアの依頼が久々にあり、オイラとしては本年の初ガイドと相成った。

断っておきますが、他の真面目な仲間達はとっくに立ち上がっているのですヨ。

3人の家族連れを、平和公園、広島城、縮景園と、フルスペックでご案内、途中小雪交じりの広島市内を5時間半、年の初めのためしとしては充分ハードな内容で、少々へばったのであります。

早朝、朝日をバックにした世界遺産:原爆ドームを激写、普段と異なるアングルで納めたが、如何でしょうか?
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春の雪

2011年02月12日 | Weblog
 テレビの気象情報は、全国的に時ならぬ大雪に見舞われると伝えている。当地広島を飛越して、大阪も名古屋も東京も激しい雪の洗礼を受けているようだ。

遅ればせながら?広島も、今日12日朝から雪が舞い始めたので、早速近隣名所の雪景色を映そうと、朝食もそこそこに防寒着に身を包み、最寄りのJR玖村駅に駆け込んだが…

無情にも、駅構内放送(無人駅ながら、最近放送が導入された)が、雪による列車運休を告げていた。

ローカルの単線は、一旦事故が起きると、容易に復旧出来ない。早々に諦めて家に戻る。
テレビのニュ-スは、山陽本線も運休中でああることを放送中であった。

今年は今のところ、春の到来が遅れているようだ。
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悲しい遺産

2011年02月11日 | 歴史探歩

 瀬戸内各地の歴史探歩をしていると、日清・日露戦争を始め、多くの戦争に纏わる史跡が残っている。

第二次世界大戦の傷跡は、なんといっても原爆の被害に尽きるが、その他本土決戦に備えた戦争遺跡もそこかしこ。

安浦港の防波堤代わりに、港の入口に置かれたコンクリートの塊、注意深く観察すると、なんと船の形をしている。

鉄資材の枯渇を補うためコンクリート製の船が製造され、荷物を積み込んだ後に自力航行が出来ないため、タグボートで引っ張る作戦だったらしい。
ここ安浦には2隻がタンデムに沈められており、防波堤として醜い姿をさらしていた。

船尾から船首を見ているが、舳先部分のみコンクリートの外側を鉄板で蔽って補強している。

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長閑な瀬戸内Ⅲ

2011年02月10日 | 歴史探歩

 猛烈な寒波に襲われた今冬、ここ4~5日春らしい麗らかな日和が続いていましたが、本10日夜から冷え込み積雪も予想されるらしい。

三寒四温の言い伝えそのままに、春は刻々と近づいてくるようです。

首をすくめて炬燵に潜っていた年寄りにも、スポーツボランティアの活動予定やら、観光ボランティアの活動が始まり、これから又それなりに充実した季節が到来しそうです。

安浦歴史散歩の途次、めずらしい標識に出会いました。なんと読むのでしょうか?又どのような意味があるのでしょうか?

『なんとか納経』と読めるので、お寺参りの記念碑でしょうが、真相を知りたいものです

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長閑な瀬戸内Ⅱ

2011年02月09日 | 歴史探歩

 2月8日投稿の内海氏に纏わるお話を、早速“的場の爺さん”が、懇切丁寧に解説して下さったので、読者の皆さん!是非コメント欄をご覧になってください。


2/8日掲載の観音堂は、本日の写真:内海氏終焉の地に残る、五輪塔のある場所から撮影したものです。

皆さん、持つべきは良き友ですよ! 何処で調べようかな?と思って悩んでいましたが、あっと言う間に一つの答えを得ることができました。
「ありがとう 爺ちゃん!」

これからも歴史探訪に出掛け、疑問点は洗いざらい本欄に掲載します。皆さん奮って突っ込みをお願いいたします。
お互いに

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長閑な瀬戸内

2011年02月07日 | 歴史探歩
 連日の歴史探歩、上手く日程があたって、今日も桜の季節を思わせる暖かな1日、瀬戸内海国立公園の一角:安浦の地を堪能しました。

偶然の出会いか地元の篤志家が、大切に管理している“西福谷観音堂の秘仏”観音様の、1年1回のご開帳日とかで、観音様を拝むことから歴史散歩は始まりました。
その場所は、戦国武将?内海氏終焉の地だとか?

内海氏? オイラの歴史知識の中には記憶されていませんが、なんでも厳島の合戦で毛利方に組みしたものの、内海氏は何故かその後、一族郎党すべてこの世から姿を消してしまったとか…勝った側の一族が全滅とはどうゆうことでしょう。

今度詳しい人にこの一族の顛末を聞いてみようっと!
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