もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

知恩院

2016年12月31日 | 歴史探歩

まだ少し時間が残されている。さらに歩いて…

 

「ただ阿弥陀に縋れば救われる」という浄土系のお寺は面白みがない。
日頃から敬遠していたが、何故かこの日は足が向いた。
知恩院三門である。大きい!

 

三門の先に見えるのは男坂の石段。

 

中心の建物:御影堂は修理中で覆いが架けられ、内部は立ち入り禁止となっている。
このような場合でも、一部拝見させてくれるお寺もあるのだが、ここは何の愛想もない。

 

境内の奥まった場所にある法然上人の御廟に参詣。

 

方丈庭園も今一うったえるものがない感じ、やはりお庭は禅宗寺院のものだな。

 

失望を感じながら帰途立ち寄った「千姫の墓」

冬の旅は終わりました。本年も「もっちゃんの探歩三昧」にお付き合いいただきましてありがとうございました。

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高台寺Ⅴ

2016年12月30日 | 歴史探歩

結構高低差のある高台寺境内、意外な運動量があることに気付く

 

急勾配の下り、地道の感触が足裏に心地良い

 

竹藪が整備されているとホッとする。なんでだろう?
そう言えば「なんでだろう」でブレークしたあのコンビ、今どうしているのかな?

 

なんと!竹林の間からお隣「霊山観音」の横顔が拝観できる
なんか得をした感じです

 

臥龍の頭がこんな処に…ちょっと漫画チックなのは今風かな
臥龍の元祖:諸葛亮も苦笑いじゃないかな

 

このような小路を歩くのが大好き!柄にもなく心が落ち着くのです

 

人ごみの喧騒を逃れて、かつ時間外れのお昼を丸山公園のはずれで頂く
湯豆腐と熱燗でゆっくり…

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高台寺Ⅳ

2016年12月29日 | 歴史探歩

地味な建物が多く、落ち着いた雰囲気が季節感とマッチして最高。

 

杮葺きの勅使門「重開」と書いてあるのか?文字通り高貴な方が通る門だ。

 

池泉回遊庭園なら当然「鶴亀島」を配す。
石を立てた造りなので、こちらが鶴島だろう。実際は島ではなく築山風に盛ってある。

 

左側から右に向かって登り勾配に設えた「臥龍廊」
上り詰めた処が「霊屋(おたまや)」だ。

 

臥龍の体内を霊屋に向かって進んでいく。
高台寺も当然ながら龍が守りにつく。

 

豊富秀吉の正室:おねのお墓。

 

唐傘を開いたような形状の「傘亭」 利休の意匠になるものと説明された。
秀吉ゆかりの伏見からこの地に移築された。

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高台寺Ⅲ

2016年12月28日 | 歴史探歩

方丈脇に彫られた池の畔へと廻込む

 

中央に築かれたのが亀島だろう。低い石組からなっている。

 

方丈裏には坪庭、燈籠、華頭窓、苔と禅宗寺院の趣がそろって配されている。

 

方丈前庭が眼前に…どこかでお目にかかったことのある景色。
銀閣寺の銀砂台と似ていない?

 

白砂と緑苔の対比が見事です。

 

蔀戸から覗き見るとこのような眺めとなる。

 

築山の奥に開山堂が見えてきた。やっと寺院建築が…

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高台寺Ⅱ

2016年12月26日 | 歴史探歩

庫裏の脇にある入り口から境内に入る。

 

いきなり数寄屋風建物の裏口に出る。

 

お寺というより完全に、日本庭園の造りである。

 

まるでジオラマを見ているよう、手造り感いっぱいの茶室。

 

適当に手入れされた庭木が苔に映えて自然感が漂う。

 

広島にある某庭園の「清風館」に酷似している。

 

360度、何所から見ても飽きない質素な佇まい。

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高台寺

2016年12月25日 | 歴史探歩

豊臣秀吉の正室:おねの寺:高台寺へ向かう。

 

京都駅⇒東山七条⇒豊国廟往復で、はや膝はがくがくでやんす。
ゆっくり旅は勉強になることが一杯! 新=いまとも読ませるんですな

 

清水寺は素通りして、重い足を引きずりながら「高台寺」へ向かいます。
「だって清水さんへ向かう参道には、変な着物の着方をした人種が一杯ですもの…」
京都観光ポスターによく登場する「八坂の塔」。このあたり、人が一杯ですが下側に切りとりました。

 

最新いろはかるた「人も歩けば 珍しいものにあたる」
歩道に埋め込まれた案内標識、結構しっとりとした風情あり。

 

高台寺の庫裏が見えました。

 

条塀に沿って12月なのに、散るを惜しむ紅葉が残っています。

 

由緒も謂れも全く不明なれど、なんか感じが出ているのでパチリ!

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豊国廟Ⅱ

2016年12月24日 | 歴史探歩

京都駅から東山七条まで歩いた挙句に、胸突き八丁の石段が続く。
何を好んで苦しい道を行くのか?

 

やっと向唐門のある場所まで登ってきたが、さらに先にも石段が待ち構えているのが見える。

 

体力の衰えを感じずにはいられない。弾む息が一向に収まらないのだから…
見事なまでの遠近感が石段の幅で理解できる。

 

唐門の桟唐戸に「五七の桐紋」が彫られている。
ここでやっと豊臣家の遺跡であることが実感できた。一言で言って寂しい場所だから…

 

この石段は転げ落ちるように急で、上から見ると足がすくむほど。
きれいに加工された石が使われているので足元は確かだが、自然石であったらそうはいかない。

 

これが豊臣秀吉の墓? 巨大ではあるが何の変哲もない五輪塔がそこにあった。

 

去りがたく振り返ってみれば、滅亡した豊臣家の怨念を感じさせるが如く辺りは闇。

 

豊国廟の眼下に拡がる京の都、写真中央あたりが六条河原であろう。
関が原で敗れた、石田三成、小西行長、安国寺恵瓊が斬首されたところである。

豊国大明神(豊臣秀吉)を祀る廟を仰ぎ見ながら、彼らは冥土へ旅立った。
徳川の残忍さが際立つ。

だからオイラは浜松の出身でありながら徳川家康が大嫌い。

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豊国廟

2016年12月23日 | 歴史探歩

インバウンドの象徴ともいえる京の街、JR京都駅前のバス停は何処行きも長蛇の列

 

朝一番、気迫が漲っているので勇躍、東山七条に向かって颯爽と歩き始める。
間もなく鴨の河原にさしかかる。なんと鷺と鴨の競演である。文字通り鴨川

 

国立京都博物館、三十三間堂、智積院などには目もくれず、豊国廟へ足を向ける。
徳川家によって取り壊された神社跡、入口の標識周辺にも寂しさが漂う。

 

明治の御世になって、有志の手により再建なった?鳥居。
額受けに額はなく、現在も社格は失われたままなのかな?

 

遥拝所とも思える場所にお供え物が祀られている。
神域を感じさせる、注連縄、シテ、竹垣が巡らされているが、玉砂利を踏んん先へ進む。

 

当然ながら、拝殿、幣殿、本殿からなる社殿はないので、お賽銭替わり?かここで100円奉納する。
豊臣の悲哀がここにも…

 

さぁ~石段、気合を入れて登ろうとした時、神官風の方から「旦那さん、往復40分くらいかかりますが大丈夫ですか?」
「頑張ります!」と返して石段に足を掛けた。

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日本一の夫婦岩

2016年12月22日 | Weblog

やってきました!岐阜県中津川市にある夫夫岩

 

なんのてらいもなくこの看板が立てられています。

 

巨大さ、絶妙の配置、とても自然とは思われませんが…女性です。

 

男性です。建物と比べてみて…卒倒してしまいそうです。

 

めでたく女夫が同じフレームに収まってくれました。

 

岐阜県中津川市は信濃に近く、山懐に抱かれた長閑な街です。

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虎渓山永保寺

2016年12月21日 | 歴史探歩

岐阜県多治見市は近年、夏の暑さ日本一を競う都市として大変有名になりました。
そこにあるのが臨済宗の古刹:永保寺です。

 

今回は多治見在住の友人に、車で連れて行ってもらったので、裏側から?の参拝です。
下り参道の先に、美しく反りあがった屋根が見えてきました。

 

本堂と庫裏は残念ながら火災に遭ったため、再建された真新しいものです。

 

国宝観音殿を横から眺めたところです。
広島市の国宝:不動院の本堂に酷似しています。

 

御本尊は禅宗寺院には珍しい聖観音菩薩です。

 

心字池を渡る屋根付き橋も、優雅な流れ造り風です。
なんとも、心休まる情景ではありませんか。

 

 

散り惜しむかのような紅葉にも出会えました。こちらが真の参詣口かと思いますが…

それにしても「持つべきは友」であります。案内いただいたⅯさんは7年ほど前に100城巡りで、北海道は松前城で偶然出会った方です。今回も突然の訪問でしたが、快くお付き合いくださいました。ありがとう! 

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大寺山願興寺

2016年12月18日 | 歴史探歩

その存在を知ってから妙に惹かれて、冬の一日再び訪れました。

 

岐阜県可児市にある天台宗の古刹で、女住職が国重文の社殿を懸命に守っています。

 

伽藍だけではなく、宝蔵には24体もの国重文の仏像がいらっしゃいます。
御本尊の薬師如来は秘仏で、5年に1回御開帳されます。次は平成21年かと思います。

 

旧中山道御嵩宿の本陣脇にあり、藥医門が中山道に面しています。

 

これが国重文の本堂、大伽藍ですが鉄板の屋根が錆びだらけで、哀れをもようしています。
国の予算が下りたとのことで、これから10年がかりで、大修理が始まります。

 

回廊の床もこのありさま、どのように立派に甦るのでしょうか?

 

薬師様が御本尊なので、蟹薬師ですが、何故か「可児薬師」ではないのです。

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住吉大社Ⅲ

2016年12月16日 | 歴史探歩

建物の細部も見てみましょう

 

拝殿の妻部分です。蕪懸魚も唐草も妻部の取り回しも一般的です。

 

本殿妻部分は、拝み合わせ部分が特徴的、どうなっているのでしょう。継ぎ目が見えない
本来六葉紋が付くところなんでしょう?花飾りの様に見えます。

 

第1殿前は境内広場が広くなっています。

 

神官・音曲・巫女たちが本殿に進みます。

 

祭事が始まりました。音曲も生ですよ!

 

第1本宮というのが正式なのでしょうか?巫女舞が奉納されます。
ここの巫女さんは凛々しく、また美しいです。

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住吉大社Ⅱ

2016年12月15日 | 歴史探歩

さぁ~本殿をお参りしましょう。海難を恐れた豪商たちの寄進ぶりは、豪勢な燈籠で十分わかりました。

 

鳥居枠いっぱいに第3殿の拝殿が臨めます。
檜皮葺拝殿の奥に千木が見えました。

 

本殿が4つあり、すべてが国宝だと言っています。
神様は同居しませんから、4柱の御神体が祀られていることになります。
イザナギから生まれた住吉三神と神功皇后です。

 

入り口近くに2殿が横並び、左が住吉3神の「底筒男命」右が3韓征伐の神功皇后が祀られています。

 

3殿の奥が2殿、最も奥深い場所に1殿があります。
2殿には「中筒男命」1殿の主祭神は「上筒男命」と縦一直線に本殿が並ぶ、珍しい形式です。

 

重厚な拝殿をご覧ください。
正面にも妻が切られ、その前に唐破風様の向拝が前掲してせり出しています。

 

本殿は彩色こそしていますが、シンプルな形です。

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住吉大社

2016年12月14日 | 歴史探歩

さぁ~海の守り神:住吉さんに来ましたよ!

 

ちょっとうらぶれた駅舎と車両、阪堺電気軌道に乗ります。
関西の人は、これを"チン電車”と呼んで愛しています。

 

そして北前船の豪商たちがこぞって献燈した、燈籠が威圧感たっぷり!

 

朝早いのですが参詣者がたくさん見えました。
芸州:広島商人も負けずに寄進しています

 

歳末警戒の出陣式とあって、物々しい雰囲気です。

 

ちょっと緊張感が足りないようですが…まぁ何事もないのが一番です。

 

胸がつかえそうなお太鼓橋が出迎えてくれます。

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ベタな大阪Ⅴ

2016年12月12日 | Weblog

昔、むかし、『月の法善寺横丁』という歌がありました。

 

でもこの歌は、昭和を懐かしがる人だけのものではないようです。
藤島恒夫をが歌う『味ののれんにゃ 刃が立たぬ』は泣かせました。
『歯が立たぬ』ではないのですね?

 

ご存知、ここが法善寺横丁です。

 

どこぞのお寺でも見かけた「吾・唯・足・知」、ここでは枡形です。

 

そして水かけ不動さんですが、掛けられた水がコケになってまるでお地蔵様です。
憤怒の形相で有名な不動明王も、ここでは願いをかなえてくれる、好好爺然として見えます。

 

それにしてもお並びのこの方々、お不動様に何をお願いしようとしているのでしょう。
「皆さん、何時までもお幸せに!」と祈らずにいられないオイラでした。

 

そして安井道頓のお墓を詣で"ベタな大阪”に最後の別れを告げました。

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