もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

マツダズーム球場

2009年04月30日 | ボランティア
4/29日は新球場になってから初めてのボランティア活動。
すでにオープン前と阪神戦の観戦で二度訪れているが、仕事?となれば別で色々心配事が出てくる。

写真は外野の一角に設けられた、木のテーブルと椅子がセットになった「ウッドデッキ席」金3,500円なりで、とてもリッチな気分が味わえそう。一般席のお客様からも多くの質問があり、次回は是非ここで観戦したいと…

ここが今日のオイラの仕事場、初々しい大学生?アルバイト2名と至福のひと時を過ごさせていただいた。
勤勉な人間の役得ですね。エッヘン!!
カープは金満球団を相手に連続完封で圧勝! お天気も上々で最高でした。

評判の悪い球場売店、かちわり氷など庶民的なメニューもちらほら…
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菖蒲前伝承2

2009年04月28日 | 歴史探歩
八本松の曽場ケ城山に登った事がありますが、この麓に菖蒲前を御祭神とする小倉神社があることを知りませんでした。

写真の通り立派な大鳥居をくぐると、伊勢神宮を髣髴とさせる幅広く、良く手入れの行き届いた参道が続きます。神社の隣には菖蒲前入寂の碑があります。(菖蒲前は出家して西妙尼)

小倉神社と聞いて直ぐに一首浮かびました。
『小倉山 峰の紅葉ば心あらば 今ひとたびの みゆきまたなむ』近衛天皇のおとずれが遠のき、心さびしい菖蒲前の心境にピッタリの一首と思いましたが、どうも違うようです。

都の名所を神社名にして、小倉大明神(菖蒲前)を祀る神社がこの地に鎮座しているとは…
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菖蒲前(あやめのまえ)伝承

2009年04月27日 | 歴史探歩
「あらっ久し振りね! ほんと何時以来?」などと声を掛けられて、広島駅前から制限時間ギリギリでバスに乗り込む。でもしばらくして最下位到着者が…

空どこまでも薄暗く時折小雨まじりの風も吹き、某歴史探歩会に相応しい天候となった。
今回は時折話題が出ても真相は定かではない『菖蒲前伝承』を尋ねる会。

皇位継承を巡って様々な物語が伝えられ、都に夜々現れる怪物・もののけの出没が喧伝される。さすれば、これを退治する勇敢な武者の話が…
平安時代末期“重藤の弓と鏑矢”を持って鵺(ぬえ)を退治した「源三位頼政」は、その功績により天皇より、ご寵愛の女性を一人賜る。この女性こそが『菖蒲前』その人、

治承元年の鹿ケ谷事件によって「源三位頼政」は討ち死にし、妻『菖蒲前』は西国に逃れる。その場所こそ現在の東広島市一帯、物語は様々なかたちで伝承されているのです。

観現寺(勝谷の地)護摩堂内にひっそりと佇む『菖蒲前(西妙尼)』

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遅れ馳せ

2009年04月25日 | Weblog

広島新球場に遅れ馳せながら推参!!! 何を気取っとんじゃ!カープは2日連続コテンパンにやられてしまった。

球場内は広い“遊歩道(通路)”があるお陰で、ゆっくりとお買い物?や食べ物が選べて、楽しみも多い。
反面、なんとも法外な値段のものが大半、すべての商品が値下げラッシュの日本にあって、これは何たる事。野球ファンを愚弄しきっていると思う。

オイラが食したもの
 缶ビール(複数銘柄):1缶500円、いなり寿司:3ケ300円、ラーメン:1杯600円でした。
1番ひどかったヤツ:ラーメン、しょっぱいばかりで味なし、麺は延び放題。
業者名は伏せるが大喝っ

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信濃の国

2009年04月24日 | ボランティア

4/23日、前日に引き続き広島平和公園でボランティアのガイド。気まぐれ男が連日活動するのはめずらしい。
本人の証言なので「間違いない!!」

信濃の中学生達をご案内です。担任の先生からしてくりくりの坊主頭。見た目だけでも清潔感一杯の上、大きな声で的確な指示をして本当に気持ちが良かった。従う生徒もきびきび…
『県歌』を機会あるごとに歌うと言う県民性、飾らない気風は全国一だね。
時間一杯全力投球、久し振りに充実感を味わう。

原爆ドームも今が旬、一杯の緑に囲まれて

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一喝!

2009年04月23日 | ボランティア
何をボケッとしとるんじゃ! シャンとせんかっ」つい大声で一喝してしまった。大人気ないと反省。

4/22日、修学旅行の某中学校を広島平和公園でガイド。行動予定を旅行社の添乗員任せにしている学校は、おしなべて始末が悪い。
時間にルーズだし、言う事がてんでバラバラ。
取り立てて悪い生徒がいるわけでもないのに、集中力がなくだらだら行動する。
やはり、指導者の側に問題が多いのではないか?

反省しつつ1時間の案内を終える。中学生達は突如目が覚めた如き状態で、熱心に説明を聞きだした。

春の平和公園は“自然の素晴らしさと人類の愚かさ”が、1年中で最も際立つとき。


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箕輪の城郭口で

2009年04月22日 | 歴史探歩
街道の分かれ道は“追分”だし、合流点は“落合”。我が所属する郷土史の団体名も、地名にあやかって「落合郷土史研究会」。

上杉影虎のお兄ちゃんである、北条氏邦の居城。深さ10メートルを越す大堀切などが残されているが、築城者:長野氏時代の記録がなく、詳細はわかっていない。
武田、北条、上杉などの戦いに巻き込まれ落城、徳川時代井伊直政が12万石を領したのが最後。

大手口付近にある“木俣”写真の説明にあるとおり、道が幾重にも分かれる場所を言うらしい。
オイラは不勉強ゆえ、この言葉は初めて聞いた。

霊感の鋭い某夫人が、この写真を見たときの言葉を聴いてみたい???
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足利学校

2009年04月21日 | 歴史探歩
鎌倉前期に開学されたと伝えられ、日本最古の学校といわれている。現在見られる建物は近年の再建で、江戸時代の学校の様を残した。

教義の中心は儒学で、東京の湯島聖堂、備前の閑谷学校、佐賀の多久聖堂と共に、孔子と弟子の祀り“釈奠(せきてん)”が行われている。

天文年間には、あのフランシスコザビエルが、学徒三千人と書き記している。実数は別として、その充実振りは確かであったのだろう。

4/19日は当地区の公民館祭りが開催され、晴天に恵まれ来館者が引きも切らず、お陰様で、我が会員誌“甲申”と“落合郷土史”もほぼ完売の状況。皆様に深謝!!

足利学校を校門外から…
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鉢形城

2009年04月20日 | 歴史探歩
関東一円にも幾多の城跡が点在しているが、多くは豊臣秀吉によって滅ぼされた北条氏関連の城だ。

その造り方も当然のことながら似通っていて、自然に流れる川や谷を生かしつつ、要所に堀を多用しているところに特徴がある。
大規模な石垣を築く財力と時間がなかったのか、あるいは近隣に石材を求められなかったのか、おそらくその両方であろう。
その分堀は大規模で、堀の底に仕切り(畝と呼ぶらしい)を造り、堀の中を移動しにくく仕切っている。

ドラマ『天地人』では、上杉景勝の敵役として登場する北条氏邦の手になる、埼玉県寄居町の鉢形城も、その特徴を良く今に伝えている。

中央奥側に畝がはっきり形成されている。
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幹部頑張る!

2009年04月18日 | ボランティア

最近、某月某日、我が幹部が報道機関を相手に頑張りました。
何を思ったのか、発足10年(そんなにたっていないか???)、鬼の撹乱とも思える行動に突如走りました。

なんと、広島平和公園内「原爆の子の像」前で、突如折鶴を奉納しようと言い出したのです。
我々会員は、半信半疑の面持ちでこれに従いました。

???幹部の本心は何だったのでしょうか?

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緑の桜

2009年04月17日 | Weblog
我が屋敷?から、わずか50メートル程の場所に咲いた“緑の桜”めずらしいでしょう?
確か島根県の三刀屋に咲く「御衣黄」という品種と同じだと思いますが…

中国地方の平野部では、オオシマザクラやソメイヨシノが散り急ぎ、今は造幣局の八重桜(広島の造幣局も開放されています)が話題の中心。

この時期、異端児“緑の桜(御衣黄)”が、身近な処で健気にを存在を主張しています。

可憐な一輪をまじかにどうぞ!!
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新発田城

2009年04月16日 | 歴史探歩

今回6日間の旅では最も遠隔地であり、最も北に位置する新発田城を訪ねた。室町時代の新発田氏館跡に建つ新発田城、現在も櫓門形式の表門が威容を誇っている。
一つ残念な事は、門を支える梁の一部に、シロアリ?の被害が見られ、このままでは数年を経ずして、崩壊の憂き目に会うだろう。

このお城、表門を潜ると目の前に不自然な塀が立ちはだかる。ボランティアガイドの方に尋ねると、明治維新以降、旧軍部駐屯してきて次第にその規模を増し、城郭跡の大部分を占めてしまい、自衛隊に引き継がれて、この状態が今日まで続いているのだと言う。
この為、三階櫓の見学や写真撮影が禁止されており、折角の文化財が台無しの状態で残念!!

自衛隊も大切だろうが、何も城跡に長居をすることもあるまいに…
写真は表門軒下を、場外側から写したところ、珍しく石落としが作られている。

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素晴らしいおもてなし

2009年04月15日 | 歴史探歩

5泊6日に亘った城廻の旅は長野、新潟、群馬、栃木、埼玉、神奈川、大阪にあるお城(城跡)を駆け足で踏破した。

当然各地におけるおもてなしには、天と地程の格差がある。ほんの一握りの出会いから、全てが判るわけではないが、“観光案内”“タクシー”“みやげ物店”の対応で、おおよその判断が出来るのではないか?

昨日掲載の「上田」は今回訪問地の中で、下から二番目の低評価。最高のおもてなしは今『天地人』で脚光を浴びる上越市。4/3日上越駅前の観光案内所を尋ね、春日山への案内を請うと、係りの女性はいきなり事務所を飛び出し、今まさに国道に出ようとするシャットルバスを大声で呼び止め、とにかくこのバスに乗りなさいと教えてくれた。
「詳細は運転手さんに聞いて…」が結び!

引き継いだ運転手さんの説明で、最寄のバス停(春日山下だったと思う)下車。片道徒歩90分の処をお陰で60分に短縮できた。
感謝!感謝!

親切な案内嬢のお陰で、多少時間の余裕が持てたので、帰路は“搦め手”道をとる。さすれば写真の可憐な花も、精一杯のおもてなし。
帰宅を調べたところ、ショウジョウバカマという花らしい?

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不敗を誇った真田の城

2009年04月14日 | 歴史探歩
真田十勇士をはじめ数々の逸話が伝えられる真田軍団、この本拠地である上田城を訪れた。
中仙道つたいに、関が原へ進軍する徳川秀忠軍を迎え撃ち、これを撃破したと伝わる難攻不落の名城???

と思って尋ねたが、何かおかしい。何の変哲もない平城の様相だし、予ねてより喧伝される、絶妙な縄張りの片鱗も窺い知ることは出来ない。
城郭跡の大部分は駐車場になっており、雨でぬかるんだ本丸跡などは、観光客を拒絶しているようだ。駐車場に出入りする車の泥しぶきを浴びないよう、そそくさと櫓や堀を見て、足早に切り上げた。

観光案内所で城の縄張り図でももらおうと、尋ねたが「ありません」とあっさり断られた。
真田の観光が売り物の町ではなかったの?
そういえば、上田駅前からお城までと乗ったタクシーも、チッっと舌打ちしただけで
返事はなかった。いくら近距離でもそれはないよ!

内堀を写したが、これだけでは難攻不落と理解できないよ
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小諸

2009年04月13日 | 歴史探歩
何となくロマンの香りを感ずる心地良い響き!「こもろ」。たぶんに島崎藤村の「小諸なる古城のほとり…」で始まる千曲川のスケッチの影響だろう?

北陸新幹線の開業によりローカル化してしまったこの辺り、しなの鉄道と名を替えて、軽井沢 ⇔ 篠ノ井(長野まで乗り入れ)間は鉄道が運行されている。

小諸駅前、正面玄関側?と思われる場所に、慶長18年に再建された小諸城の大手門が残されており、しなの鉄道の線路を挟んで、天守台や本丸跡を含む城址公園:懐古園がある。
残念ながら城跡を旧国鉄が分断した形となっており、織田家家臣の滝川一益などによる、築城時の面影を窺い知ることは難しい。

早朝の凛とした空気の中、再建の大手門を臨む。
四月三日の早朝この地方は、氷点下0度を記録したと言う。城跡の至る場所に霜柱が見られた。
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