もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

遍路再開しました15

2013年04月11日 | 遍路

87番札所:長尾寺を過ぎれば、結願寺の88番札所:大窪寺を残すのみですが、此処で少々厄介な問題が…

 

 87番から88番への道は3ルートあり、どれを選ぶかは個人に任されていますが、標高780メートルの険しい女体
  山胎蔵峯
(にょたいさんたいぞうほう)を越える山ルートを選ぶ遍路が多いようです。
  このルートで最も険しい場所は三点支持を順守して登る、さながら登山の状態です。

 

 近付き過ぎると手前の山に、女体山胎蔵峯は隠れてしまいました。
 どんなに険しい道のりなのか、大きな不安と少しの期待で、心臓がドッキン!ドッキン!

 

 夢中での登って行く内に、いつの間にか88番札所:大窪寺に着いてしまいました。
 確か何枚か写真を撮っている筈ですが、いくら探しても見当たりません。

 何が問題かと云いますと「結願直前に“女体山胎蔵峯に登る=禁欲修業を破る」ことになるのではないか?
 せっかく此処まで、長い期間ずっと禁欲しながら、札所を巡って来たのに、「満願を前にして女体山に登り、胎蔵させてしまった=女
 性を犯し、妊娠させてしまった」のだから、此処までの遍路旅が 無になってしまった。
 すなわち又一から修行をし直しなさいと…




 気を取り直して今回は、四国88か所の“総奥の院”と云われる、與田寺を参詣する。
 歩き遍路内では、色々言い伝えがあるようで、曰く「総奥の院:與田寺を参らねば結願ではない」とか「最初に遍路
  を始めたお寺に
はお礼詣りをしなくてはいけない」とか「最後は高野山を必ずお参りする」とか「いやぁ~京都の東
  寺も参るものだ」など、数え上げ
ればきりが無いが、せっかく始めた歩き遍路、すべてのお寺にお参りをしようでは
  ないか。

 今回は高野山詣で又の機会として、1番霊山寺へのお礼詣りで一旦打ち切りとした。

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四国遍路再開しました14

2013年04月10日 | 遍路

今回の遍路も残すところ3カ寺、程なく終わります。

 

 85番を打ち終えて86番札所:志度寺へ向かうところ。
 左側の線路は琴平電鉄、右側は国道11号線、真ん中の歩道をてくてくと歩きます。
 更に50メートル程右側には、JR高徳線も走っています。

 

 両脇を文明の利器が走る中、愚直に歩みを進めていきますと、志度寺の門前に着きました。
 堂々とした大寺の風格で、五重塔も聳えています。

 

 お馴染み山門の大わらじ、「これを見るのも後3寺だよ」一人つぶやきました。

 

 この景色はお寺の原点だよね。

 

 めずらしい重文のお堂を見付けました。なんだと思います? のぞいてみましょう。

 

 滅多に主役を張ることは無いこの方のですが、此処では堂々中央に鎮座していました。
 地獄の入口に立ちはだかる、御存知“脱衣婆”です。
 地獄に送られる人の衣類を剥いで、重さを量り、罪状を推し量る役目です。閻魔様の手先かな?

 

 志度寺はさすがのお寺、本堂の階はこのような石造りの物でした。

もう少しでこの旅も終わりを迎えます。年寄り遍路、老骨に鞭うって先へ進みます。

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四国遍路再開しました13

2013年04月09日 | 遍路

 へんろみちは五色台から急坂を下って高松の町に入ります。
 83番札所一宮寺への道すがら、面白くない街中の道をダラダラ歩いていると、後ろから来た車の方が祝儀袋をお接待してくれました。
 また気を取り直して頑張ります。「南無大師遍照金剛」

 

 高松市民が体力トレや早朝登山で、ひっきりなしに84番札所:屋島寺の参詣道を行きかいます。
 前日に続いてここも登って下る山のお寺です。
 境内は雨にもかかわらず、多くの参詣者でいっぱい。休日とあって駐車場は満車状態。

 

 文字通り“屋島”、台形がくっきりと分かります。下ってきて一休み、次の登りに備えます。

 

 85番札所:八栗寺もこの辺りから登りが始まります。
 ”the hennroyado”といった風情の御宿ですね。私は一度も泊まっていません。

 

 台形の屋島とは異なり、五本の鋭鋒を持つ五剣山の懐に、85番札所:八栗寺はあります。
  またまたキツイ登り坂でっせ!

 

 歩き遍路にまたも試練が振りりかかります。
 鳥居を潜って登り坂がへんろみち、その横をケーブルカーが登っていきます。

 

 車やバイクで登ろうとするとこの看板が待ち構えています。
 「車とバイクの人もケーブルカーを利用しなさい」と脅迫しているのです。
 私は息を弾ませながら、カーブルカー脇を、エッサホイサと登ります。

 

 狭い山懐の境内に、本堂、大師堂に囲まれて、こんな立派な歓喜天を祀る社もありました。
 四国霊場で歓喜天は初めての出会いと思いますがね。

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四国遍路再開しました12

2013年04月08日 | 遍路

 79番札所は高照院天皇寺。崇徳天皇の“もがり場”に隣接してあります。

 

 “もがり場”の碑が建てられていて、清冽な清水が湧きだしています。

 

 湧き出す清水を流す水道には、血痕とも思われる赤い色が石に染みついて見えます。
 崇徳天皇は未だに怨霊としてこの地に…

 

 80番国分寺を打ち終えると、いよいよ崇徳天皇御陵のある81番白峯寺へ向かいます。
 この案内板では判り難いのですが、この地は白峯、黒峯、赤嶺黄峯青峯と五山があり、五色台と云われています。
 この峯へ向かうへんろみちを“真っ縦(まったて)”と呼び、峻嶮な山道を直徒する感じです。

 

 白峯寺にある崇徳天皇陵:白峰御陵、宮内庁管理の御陵です。

 

 こちらは仏式で崇徳天皇を弔っている頓証寺殿。

 

 白峯を降って隣の峰:青峯に登ると、そこが82番札所:根来寺。
 世にも恐ろしい、人喰いの牛鬼が山門手前の森に潜んでいます。
 此処五色台には自衛隊の演習地があり、運が良ければ、戦車もどき車両が疾走する軍事訓練に出会えます。

 

 根来寺の地下には、高野山奥の院を思わせる位牌堂があります。

いよいよ今回の遍路も終わりが近づいてきました。一抹の寂しさに襲われるのがこの辺りです。

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四国遍路再開しました11

2013年04月06日 | 遍路

 雨の日の遍路は本当に注意が必要。
 持ち物を濡らすまいと厳重に防水対策をして、リュックにしまい込むので、どうしても地図を見るのが億劫になる。
 そして道を間違う。

 

 四国の札所で最もよく見る光景。あちらこちらにあった気がするが…
 此処は76番札所:金倉寺=「こんぞうじ」と呼ぶらしい。金蔵寺=これなら「こんぞうじ」と読めるが…
 雨の中、地図を取り出すことを躊躇ったため道を間違えたので、ちょっと八つ当たり気味であります。

 

 ちょっと絵になる光景。この女性遍路さん、我が家の隣の団地にお住まいの方でした。
 78番札所:郷照寺での出会いでした。

 

 四国一の閻魔さんの触れ書きにつられてのぞいてみました。
 「いましたよ」極彩色の立派な閻魔さん、両脇に司録と司命を従え、さらに十王様も揃っています。

 

 さらにこんな“善根宿”も坂出で見付けました。以前は無かったような気がしますがね。

 

 これも坂出商店街で「来まい、買いまい、はってんまい」=「くるまい、かうまい、はるまい」と意味かと思いますが…
 実は「来てください!買ってください!はってください!」の意味だそうです。

 

 もう一つおまけに「頑張りましょう」も見付けました。

此処坂出の町は、殊の外へんろにやさしい街で、毎回必ずお接待に預ります。今回もまた…

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四国遍路再開しましたⅩ

2013年04月05日 | 遍路

 四国遍路道、歩いていると諸行無常を感じます。(何にを偉そうに…)

 

 前回通りかかった時には、賑やかに泊まり客が出入りしていましたのに、最近店は閉じられたそうです。
 このように宿にも、商店にも、食堂にも、浮世の風は冷たいものがあるようです。

 

 捨身が嶽の説明、私には簡潔に出来ないので、この説明を呼んでください。
 字が小さくて読めない? すみません詳しいことは、お参りして確認して下さいませんか?

 

 我拝師山出釈迦寺から望む讃岐平野、長閑な佇まいが手に取る様。

 

 へんろみちはこの塀と塀の間を進みます。
 「ホントなんですからもう…どうもすいません」これ誰だか分かります?

 

 つい先程から本降りとなりました。
 四国八十八か所随一の大寺、75番札所:善通寺です。

 

 弘法大師が父親の佐伯善通から土地をもらい、創建したと伝えられています。
 また弘法大師の生誕地とも伝わります。

 

 幼少時、佐伯真魚と名乗っていた時のお姿像
 寺名:善通寺は、佐伯善通(さえきよしみち)の名前から付けられた。現在では師の名前も善通寺市。
 この寺は奈良時代に創建されたもので、佐伯一族の氏寺だとの説もある。

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四国遍路再開しましたⅨ

2013年04月03日 | 遍路

霊魂が籠る山:弥谷寺を後にして一路、弘法大師逸話の残る“捨身が嶽”を目指す。

 

 岸壁に彫られた磨崖仏が至る所に見られるが…
 “イヤダニマイリ”を済ませた信者は、教えの通り、後ろを振り返ることなく、一目散に山を降る。
 縋りつこうとする霊を振り切るように…

 

 強風が竹林を横切る時、カラカラ パリパリっと、乾いた響きだが、ビックリするような大きな音がする。
 竹林を抜ければ、霊山:弥谷山ともお別れである。

 

 間もなく遠方に独特の山容をした、捨身が嶽が姿を現す。
 弘法大師出生の地と伝わる処。

 

 一生懸命歩みを進めるが、目的地はかえって遠ざかる感じ、手前の尾根に“捨身が嶽”が隠れてしまう。
 「これが歩き遍路の醍醐味だ!」などと、強がりを言いながら歩くが、気分はポキッと折れてしまいそう。

 

 世界遺産登録を目指すと云われる“へんろみち”だが、道路や土地開発でズダズダに寸断されている。
 つい先程まで、姥捨て伝説の山を歩いたいたことが信じられない。

 

 そうこうするうちに“捨身が嶽”は目の前に近づいてきた。

 

 山腹に建てられた霊場も、くっきりと目に入る。
 お大師様は幼小時の名前は「真魚=まお」という。この地で誕生したと伝わる。

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四国遍路再開しましたⅧ

2013年04月02日 | 遍路

ある意味で、四国遍路札所中最大の難所は、71番弥谷寺であろう。
この地は昔から死霊が籠る山として知られ、地域の風習として“イヤダニマイリ”がつたわる。

 

 小集落の中の、ダラダラとした登り坂をしばらく進むと、家並の向こうにまた山が迫って来た。
 天気予報は朝から雨を予測していたが、早朝7時前のこの時点ではまだ降っていない。
 「早くお参りを済ませたい」重い足を引きずるように先を急ぐ。

 

 やがて鬱蒼とした木々が立ちふさがるような、狭い道に差し掛かる。
 このお寺は昔から、死霊が籠る山との言い伝えがある。
 平成16年最初の歩き遍路の時、一緒にこのお寺を参拝した女性遍路から「この周辺には霊がいっぱい」と聞かさ
 れた。

 今、その言葉を思い出しつつ霊山に向う。

 

 お寺の境内に差し掛かる頃、雲は低く垂れ今にも空は泣きださんばかり…
 早くお参りを済まそう。

 

 山門に到達した。眼前に長~い階段が立ちはだかる。
 合計5百数十段の階段を上って、本堂にお参りする。

 

 山腹の狭い場所に、多くの伽藍が建てられている。
 雨が降らない内にと念じて、思いっきり早朝にお参りしているので、他の参詣者は見当たらない。

 

 本堂を目前にしてやっと一息入れる。無意識に霊を恐れているのだろう。夢中で階段を上って来たのだ。
 雲は低く垂れこめているが、人里が目に入ったのでほっとする。死霊の籠る山は不気味である。

 

 本堂でのお参りを済ませて、大師堂へ向かう岸壁に彫られた“釈迦三尊仏”。
 修験の山でもあるので、このほかにも多くの磨崖仏が彫られている。

 イヤダニマイリでは、人が人を背負う真似をして、里から弥谷山へ向かうのだと云う。
 これは姥捨てを形にしたものではないのだろうか?

 私は、特に霊感が強い訳でもないが取り憑かれるのも怖いので、お寺の関係者以外、誰に出会うことも無く足早に山
  を下りた。

 何時お参りしてもこのお寺は、雨様気で不気味なことこの上ない。

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四国遍路再開しましたⅦ

2013年04月01日 | 遍路

 60番横峰寺、66番雲辺寺と名だたる難所を打ち終えほっと一息です。
 現金なもので、ひたすら山道を前に進むことから解放されると、自然に他の物に目が行くようです。
 人間弱いものですね。

 

 雲辺寺の次の札所が67番大興寺、なんとも仁王門から見える石段の美しいお寺です。
 この場所から参詣する遍路を狙って、プロのカメラマンが待機していることが…

 

 時間にも余裕があるので?仁王さんもカメラに納めます。 
 阿形像は、心持微笑んでいるように見えますが、気のせいでしょうか。

 

 吽形像はきりっとしていて、「こわいですね、こわいですね、こわいですね!」
 ちょっと古すぎるかな?

 

 続く70番札所は、国宝の本堂をもつ本山寺。
 桁行、梁間とも5間の堂々たる構えです。

 

 本堂脇には五重塔も聳えています。
 四国八十八か所札所で、五重塔を有するのは僅かに4カ寺のみです。

 

 険しい山岳寺院を参詣し終えた老遍路は、土地の人から見れば疲れ果てて見えたのでしょう。
 観音寺手前の路上で、こんなに立派な栄養剤を“お接待”して下さいました。
 「ありがとうございます、南無大師遍照金剛」

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四国遍路再開しましたⅥ

2013年03月31日 | 遍路

 四国遍路中、最高峰に位置するのが、66番札所:雲辺寺です。
その名が示す通り、雲海をはるかに見下ろす高所にあるため、歩いて参詣したへんろにとって、その満足感は計り知れないものがあります。

 

 標高の高い順に順位づけをしていますが、私が歩いた体験からキツイ順を挙げてみると…
 ①焼山寺 ②横峰寺 ③雲辺寺 ④鶴林寺 ⑤太龍寺 となりましょうか?
 でも遍路道には、これらに匹敵する厳しい峠越えが数多く待ちかまえています。

 

 雲辺寺にも100名乗りのロープウェイが架設されており、何方も気軽に参詣することが出来ます。
 歩いての登り口は、ロープウェイの反対側にあり、迷うことはありませんが、下り口は並行しており、誘惑を断ち切らなければなりませ
 ん。
 当然右の歩き遍路道を選びますが、満一のエスケープがあるのは心強いですね。

 

 

 66番雲辺寺は、香川県を歩く“涅槃の道場”に数えられていますが、現在の地図上では県境に位置しているようです。

 

 標高900メートルを越えるお寺なので、特別?にお大師様が入り口で迎えてくれます。
 でもこのお大師様は、ロープウェイのお客様に向って立っています。
 「これで良いのでしょうか」

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四国遍路再開しましたⅤ

2013年03月30日 | 遍路

 今回の遍路も歩みが進んで、菩提の道場(愛媛県)も間もなく終わる所まできた。

 

 伊予の売り物は坊っちゃんで有名な“道後の湯”と、西日本随一の標高を誇る“霊峰石鎚山”であろう。
 石鎚神社の別当寺である?ことから、山号は石鉄山:いしづちさんと読むようだ。
 この山門、本殿に向う位置には無く、ちょっと場違いな感じ…

 

 四国64番札所:前神寺の本殿、千鳥破風の前に唐破風の向拝がつくめずらしい形。
 一見したところ神社の拝殿風である。
 四国霊場の札所とは言え、夕刻の門前は閑散としている。

 

 前神寺の大師堂、ここも宝形造りに唐破風向拝付、ユニークさは本堂同様である。

 

 霊峰石鎚の前神なのだからと石鎚山を遙拝して見たが、春霞みに遮られてお姿は見えず。
 やっぱり秋から冬に掛けても、訪れてみないとね。

 

 札所の参詣用具は寄付が多いと思い前回水汲みを紹介したが、この納札入も寄贈品。
 広島のこの講中からの寄贈が、圧倒的に多い。
 此処にも奇特な広島人がかいま見えました。

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四国遍路再開しましたⅣ

2013年03月29日 | 遍路

 紹介している山道は、“遍路ころがし”と云われる12番札所:焼山寺に匹敵する難所に差し掛かりました。
 60番札所:横峰寺です。

 

 四国各県は現在も林業が盛ん、至る所に林道が通じ、材木が切り出されています。
 左手がへんろみち、右が林道です。
 案内標識が無いので、一呼吸しながら進むべき方向を確認します。

 

 四国の山谷は何処までも深く、旅人の行く手を遮ります。
 横峯寺参詣の道すがら…

 

 登って下って歩くこと6時間、さしもの難所横峰寺の参詣旅も終りに近づいてきました。
 岩を噛んでいた急流も、大分穏やかな流れに変わってきています.

 

 この近代的な建物が札所の本堂です。
 四国八十八か所の内、唯一鉄筋コンクリート造りの本堂を持つ、61番札所:香園寺。
 なんともありがたくない佇まいですが…

 

 木造ながら、一風変わった感じの大師堂、宝形造りに長屋風の建て屋が繋がっています。

 

 われら遍路の大先輩、いや大先達か、二百回も結願しているらしい?

 

 仏教と最も関わりが深い動物と云えば、やっぱり像でしょう。
 台座の上には「普賢菩薩」が乗っていることが多いですね。

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四国遍路再開しましたⅢ

2013年03月27日 | 遍路

 歩き遍路の楽しさ、苦しさは、所所にありますが、一人歩きの気楽さと心細さは、山中のへんろ道に一杯!

 

 丸太を束ねた渓流にかかる橋、雨でも降ろうものなら途端に滑りやすい、危険な場所になってしまう。
 7本も重ねてくれているので安心ですが、2本だったらサーカスの気分でしょう。

 

 山道の分岐を誤ると時間ロスもあるが、精神的・肉体的にダメージが大きい。
 ここでも真っ直ぐな広い道ではなく、左に鋭角に曲がる道が正しいと案内してくれている。

 

 へんろ道は登山道でもある。山登り愛好家との出会いも多い。
 前方の空が明るく見えてくるとキツイ登りは一段落、快適な尾根筋に出ると予告している。
 でもこの時期、花粉症の方には、地獄の責め苦が待っている?

 

 このような看板には初めて遭遇した。「しばし草刈りをしながらの遍路をお願いします」と書いてある。
 「ごめんなさい、病み上がりの上古希を過ぎた老遍路故、ゆるしてたもれ」と通り過ぎた。

 

 次の札所まで1里16丁と書いてある。「やれやれまだ6キロも山道が続くんだね」

 

 車が入れない道に、かくも立派な歩道橋が掛けられている。
 大変なご苦労に「感謝!感謝!感謝! 南無大師遍照金剛」と唱えて渡る。

 

 風倒木もそこかしこ、自然の猛威は到る所に見られる。

歩きながら自然や標識、お姿は見えないけれどもへんろ道を手入れして下さった方々と、会話しながら先へ進みます。

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四国遍路を再開しましたⅡ

2013年03月26日 | 遍路

 遍路の季語は春、3月から5月いっぱい位が最高の遍路日和。
 遍路用品と最小限の着替えに非常食を担いでいると、結構汗ばむほどの体力を使います。

 

 風通しの良さそうなへんろ休憩所を見掛けました。見通しもよく安全第一ですな?

 

 屋並が切れたと思ったらすぐに、長閑な田中(四国の皆さんはでんなかと云います)に差し掛かりました。
 平坦な道にほっとしながら、呼吸を整えつつ更に進みます。

 

 行く手を遮るように大堰堤が現れました。折角息を整えたのに又苦行の始まり
 階段状に付けられた踏み跡を、ゆっくりと登っていきます。

 

 堰堤の上には大きなため池がありました。
 それにしても四国の瀬戸内側は、至る所にため池が作られています。水は本当に大切なんですよ。

 

 今日3番目の札所は、58番作禮山仙遊寺。こちらの御住職は“四国を世界遺産に”の活動を続けておられます。
 でもこのお寺ちょっと変ですねぇ~ 仁王門には補陀落山と掲額されています。
 山号が二つもあるお寺はめずらしいでしょう。

 

 仁王門からさらに登り坂を喘ぐこと20分、やっと手水鉢にたどり着きました。
 置かれている“水汲み”もほとんど信者の皆さんの寄贈品です。

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四国遍路を再開しました。

2013年03月25日 | 遍路

 一昨年:平成23年は、愛媛県今治市にある55番札所:南光坊迄で、体調不良に陥り中断していましたが、手術後の体力が徐々に回復してきましたので、思い切って残りの札所めぐりに踏み切りました。

 

 再会の第1歩、今治市の上空はご覧の通り、「ぽっかり浮かんだ 白い雲~」と、まるで美空ひばりモードであります。
 鼻歌交じりに快調のスタートであります。

 

 「こんな歩き遍路用の標識、これまであったかなぁ~」
 しばらく?来ない間にへんろ道も、どんどん変化して行ってしまいます。

 

 以前に歩いた記憶を呼び覚ましながら、先へ進みます。
 このお宅、自宅の敷地の一角をへんろ標識に提供してくれてます。 「ありがたや、ありがたや」

 

 このお宅も塀を斜めに築いて、へんろ標識を残してくれました。

 

 さらに歩みを進めていくと、こんな処に出て来ました。
 碑には「四国遍路無縁墓地」と記されていました。

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