お客様の出足も好調、姫路・加古川・浜松・大阪・東京・高松各地のお客様をご案内しました。
でも、故郷浜松のご婦人二人連れは、やっぱり一段の親近感が湧きました。人の出会いは素晴らしいですな!
連日の高気温に誘われて、梅も随分早く開花しています。
昔、俊乗坊重源と言う偉いお坊さんがおったげな。
焼き討ちにあった奈良の東大寺の再建の勧進役を務め、立派に復興させた人です。
この時材木を切り出した場所が山口県は徳地地区、佐波川流域の山林だったげな。
それはそれは重労働で、人足達の疲労回復のため造られたのが「石風呂」だったと言うわけ。
820年前から延々と引き継がれた石風呂が現存しており、一人の老人が今でも庶民に格安で提供してくれているのです。
それはそれは天にも昇る心地よさですヨ
チョットかわったアングルから世界遺産を臨みつつ、時代の艶笑譚を拝聴する。
美味しい料理に舌鼓を打ちつつ、夜は更けていくのでした。
それにしてもこの角度からの平和公園はまったく趣が異なり、水の都:世界平和都市広島を、ものの見事に映し出していませんか?
昨年5月、中学校の同級生3人娘が来広し、一緒に中国地方の名所旧跡を案内したが、三人仲間同士で繰り広げる“遠州弁(静岡県浜松地方の方言)”に圧倒され、妙に懐かしさを覚えてから、早一年がたとうとしている
年を取った故か、昔のことが大変懐かしく思い出される今日この頃であり、「故郷恋しや花いちもんめ」であります。
この春は何か理由をつけて あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな~ であります
観光ボランティアガイドの例会で、秋葉広島市長のお話を聞く機会を得た。毎年1回程度のペースで行われている。
開催場所が皮肉である。広島市が新たに折鶴公園として整備しようとしている、旧広島市民球場に隣接した場所にあり、撤去の対象となっている青少年センターで開催された。
通例では、平和公園内にあるレストハウスで開かれるのだが、この被爆建物、耐震強度や床の制限荷重が低く、床が抜ける恐れがあるのだそうだ。
2020年核兵器廃絶と同時に平和の祭典、オリンピックを被爆地で開催することに意義があるのだと…
具体的な構想は触れられていないが、早く現実味のあるプランを提示してほしいものだ。
青少年センターの壁面に描かれた文様、何を意味しているのでしょうか?
地元の郷土史研究会会誌の編集を終えてほっと一息、2/13日強欲にも3兎を追って“縮景園”に行ってきました。
1兎は:少しオーバーに嘆きすぎ「オイラの小さな胸は張り裂けそうでした」を、反省しつつ自らを慰める為。
2兎は:梅がそろそろ見ごろとなる“縮景園”を愛でる為。
3兎は:関東から旅行に来られたお客様をご案内する為。
これが本当の馥郁たる香りというのでしょう。園内全体が香りのヴェールに包まれているようです。
一瞬、菅原道真になった心境になりました。
連日そぼ降る雨続きで、本当に気が滅入る、ストレスは頂点に達します。
前から分かっていた事ではあるが、地元歴史研究会会誌の原稿締切日が重なって、オイラの小さな胸は張り裂けんばかりの状態でした。
でも、慣れないパソコンと苦闘の末、何とか編集作業を終えました。
これといって、特別な作業は無いのですが、やっぱり人様の作品を預かるってことは、それなりに緊張するものです。
会員各位の力作は完成目前、程なく出来上がりますので乞う、ご期待!!!
ちょっと余裕が出来たので、何時もながらの風物詩、春の息吹をお届けします。
世間一般ではちょっと珍しい角度から、阿弥陀様を捉えた。
特に由緒あるものではないと思うが、昭和10年の建立と云うから、第二次世界大戦時の金属供出令を免れたことになる。
仏様の背中側に回るとこの姿、緑青が発生しているのが良く判る。しかるに何故この場所に存在するのか? はたして謎である。
宗教法人ではない、一般のお宅の庭に鎮座する「阿弥陀三尊」をどうぞ!
矢野歴史探訪の訪問先の一つ「向井様宅」
廊下の床下から生えている松が、床板・天井・屋根を貫いて、天高く聳えています。さらに松が綺麗に選定されていることにも脱帽です。
このお宅のやさしさは本物です。我々闖入者が無遠慮に庭に入り込み、傍若無人にカメラ撮影してもニッコリ、それかあらぬか廊下の「すだれ」を引き上げて、室内を詳しく見せて下さいました。
みだりに写真を撮るな!と怒鳴りつけるお寺がある昨今、本当に人のやさしさが身にしむ1日でした。
早いもので庚寅年、早くも2月に入りました。巷間かまびすしい地球温暖化はいずこに行ってしまったのか、厳しい真冬の寒さが続きます。
皮肉なことに今年は、絶えて久しく見ることのなかった霜柱や、薄氷も見かけました。逆にほっとした気分になりました。
早くアウトドアーに相応しい季節が来ないかなぁー
尾道の見どころ続けて送りますね