倭姫の旅をめぐる歴史散歩もやっと三重県に戻ってきた。
後世俗に歌われた「その手は桑名の焼き蛤」の本場桑名に鎮座する野志理(のじりじんじゃ)神社。
玉垣の代わりに板塀とはなんとも排他的なつくりだこと?
そして伊勢が目と鼻のこの場所に、4年も斎いたとはなんでだろう。
この境内には一向一揆で信長の焼き討ちにあった、一向宗信徒の千人塚がひっそりと佇んでいた。
続いては日本武尊の后:弟橘姫の生誕地でもある押山神社。
現在の住所は亀山市「世界の亀山モデル」のキャッチコピーで売り出した、某電機メーカーの工場がある所。
さらに南に下って加良比乃神社は三重県の県庁所在地:津にある。
この神社を訪れたときはとっぷり日も暮れて、新しい鰹木だけが暮れなずむ夕日に輝いて…
日本は天皇を中心とした神の国、国家神道を進めた明治政府の定めにより、こんな山神様も合祀された。
俗に言われる「一村一神社」のお触れによるもの
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