唐物(古い中国製の茶器)の点前を12/17稽古した。正客役が「お茶入の御由緒は?」と問い、亭主役の大先輩が「徳川家伝来の京極茄子でございます」と答えた。下膨れの茶器を「茄子」と云うが、「京極」の名が冠せられている由来を調べてみた。
「婆娑羅(バサラ)大名」の異名のある佐々木道誉(佐々木京極家に出生)が愛蔵した茶器だった。幾人かの手を経て、播磨の英賀衆の手に渡った。英賀(現在の姫路市内)は、本願寺の蓮如の意を受けて西国向けの宗門拠点となり、また交易の盛んな自治都市、環濠化された軍事都市でもあった。
英賀衆の勢力増大は信長に敵対視され、秀吉によって武装解除された。その秀吉へ、英賀衆は「京極茄子」を献上した。ちっぽけな茶器だが、一国の領土にも値する。英賀衆の恭順と秀吉の懐柔の象徴とも云える献上だったのではないか。
浄土真宗の始祖の親鸞聖人は、寺を持たず、弟子1人さえ自ら持とうとはしなかった。権力を持たず、権力に近付かなかった。蓮如は真宗中興の祖と云われるが、その宗門は何と始祖の精神から遠く隔たったことだろう・・
秀吉以後、京極茄子は徳川家のものとなった。稽古に出されたのは、もちろん本物ではない。模して作られた「写し」ではあるが、唐物に纏わる歴史と人々の煩悩を映すかのように、鈍い光を湛えていた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます