父の祥月命日。少し迷ったが、やはり御参りに行った。某市営の霊堂(納骨堂)である。先客が供えた線香がまだ燃え続けていた。その脇に私も焼香し合掌し南無阿弥陀仏を幾度か唱えた。
若い頃、私は唯物論を崇拝していた。「宗教は阿片だ」と思った。今でも「霊」の存在を信じている訳ではない。確たる信仰心も無い。だが齢を取るにつれて、死者たちとの語らいが大切に思われてきた。
公営の霊堂には、宗教的な施設でありながら非宗教施設という微妙な建前がある。御参りをする心が、確かな宗教的対象を求めて揺らぐような不安定感がある。止むを得ないことではある。
か細い線香だが、その煙は激しく渦巻く。死者たちから生者たちへ、何かを訴えているかのように・・