みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

年の暮

2021-12-25 14:41:30 | 暮らし
令和3年も押し詰まって、村の田んぼはすっかり枯田となり、里山は眠りに就いたような色合いとなった。



幸いにも今のところ戦争は無く、いきなり空から焼夷弾が降ってくることもない。静かで穏やかな村だ。
しかし、その1軒1軒、1人1人には、それぞれの喜怒哀楽があり、大きなドラマがある。
私の暮しも、そんな村の人々と共にある、という実感がいつの間にか私の体の中に形成されてきている。
移住して20年の間に。

御多分に漏れず、高齢化が著しい村である。この1年の間に村では3つのお葬式があった。
亡くなった一人である御婦人の場合は、天寿を全うしたと言えるかも知れない。

もう一人は、私より年下で立派な体格の、重機を使いこなす男性だった。
逞しい印象のその人は、急に病に伏してほどなく亡くなってしまった。

もう一人は、八十路となっても矍鑠として農作業に勤しみ、人望も厚かった。
村の共同作業に元気に参加されてから1週間ほど後、突然倒れて幾日も経たぬうちに亡くなられた。

この村で共に暮らしてきたあの人、この人、の死は、私という存在のある部分の死でもあると思う。
しかしまた、亡くなられた後になって、その人の存在感が増す、という実感もある。
心はいつも過去と現在を行ったり来たりしている。

先般、当地の山寺での樹木葬という形で改葬することが出来た亡父・・・
改葬を終えて、私にとっての亡父の存在感は益々大きくなったように思うのだ。

村の上空を、一羽の鷹がゆっくりと舞っていた。

          空の階巡り昇りて鷹消ゆる





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