万葉集の梅花の歌32首の序文にある「初春令月、気淑風和、~」(730年)は、山上憶良(大伴旅人だという説もある)の作と推定されているそうですね。
ところが、この万葉集の6百年ほど前に、中国漢王朝の官僚で発明家、数学者、天文学者でもあった張衡(78~139年)が「帰田賦」(138年)という詩を作っていたそうです。その詩文の一部を抜粋すると、「於是仲春令月、時和氣清、~」 上記の万葉集梅花歌序文の一節にそっくりです。
張衡は、後漢の安帝(在位106~125年)に仕えていましたが、その政治の腐敗を嘆き、順帝(在位125~144年)のときに身を退いたそうです。「帰田賦」には、世俗の塵埃から離れた清々しい気分が表れていますね。
ところが、この万葉集の6百年ほど前に、中国漢王朝の官僚で発明家、数学者、天文学者でもあった張衡(78~139年)が「帰田賦」(138年)という詩を作っていたそうです。その詩文の一部を抜粋すると、「於是仲春令月、時和氣清、~」 上記の万葉集梅花歌序文の一節にそっくりです。
張衡は、後漢の安帝(在位106~125年)に仕えていましたが、その政治の腐敗を嘆き、順帝(在位125~144年)のときに身を退いたそうです。「帰田賦」には、世俗の塵埃から離れた清々しい気分が表れていますね。
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