みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

真木悠介著「時間の比較社会学」 その1

2012-10-11 19:52:18 | 

気温の低下につれて、草取り、種蒔き、収穫などの菜園作業も少なくなりました。体調も、夏期のどうしようもないだるさから脱け出てきました。あまり本を読まない私ですが、それでもこの季節には、少しまとまった時間を読書に当てることがあります。

Dscn2758先日は公民館の図書室にお願いして、県立図書館から「時間の比較社会学」(真木悠介)を取り寄せてもらいました。当ブログ(2009.5.27記事)へ頂いたコメントに触発されて読みたくなった本です。

先のコメントにも書かれていますが、私もやはり、この本の最初の部分を書き出しておきたいと思います。

この世の生の時間は一瞬にすぎないということ、死の状態は、それがいかなる性質のものであるにせよ、永遠であるということ、これは疑う余地がない・・・。

このことはひとりパスカルの恐怖であったばかりではなく、やがてみることになるように、たくさんの明晰な近代精神の、いやおそらくは、近代的理性そのものを究極においてふちどる恐怖であった。

著者は、この恐怖の由来を人々の時間意識からあぶり出しています。<死の恐怖>と共に<生の虚無>も。

<死>が狂おしいほど怖ろしい私ですが、読み進むにつれて、その恐怖の輪郭が見えてきたように思います。

不勉強な私にとっては難解な頁もありましたが、全体を通して著者の熱く脈打つ血の流れが感じられて、得難い隣人を知ったような読後感があります。

図書館の本は2週間で返さなければなりません。本は原則として買わない私ですが、この本は買わずにはいられませんね。