みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

愛着と廃棄

2012-10-03 18:43:42 | 着物

充分な睡眠時間だったのに、朝の体の芯に理由のない疲労感が取り付いているようでした。胃腸の具合も変です。体調が悪いと、考えることも暗くなりがち。犬の散歩、犬と鶏への給餌、菜園の見回りなどの必要最低限のことは済ませましたが、今日は茶道の稽古日。行こうという意思を定めるのに時間を要しました。

Dscn2745のろのろと着物への着替えを始めました。今日の着物も、近所の方から譲ってもらったものです。帯を締め終わったころには、心身とも少し持ち直しました。

先生宅の茶室に入り、この季節ならではの破れ風炉(錆びて縁が欠けた形状の鉄製の風炉)の中置(炭火が入っている風炉は、夏季は客から遠ざける趣旨で畳幅の片側に寄せて置かれますが、季節の変わり目の今月は、火を客に近付ける趣旨で畳幅の真中に置かれます。)などを拝見したら、心が浮き立ってきて「やっぱり来て良かったわ!」と私。すると若先生が、美しいお顔を茶目っ気で満たして「そうよ、やっぱり来なくちゃね!」

大先生が、私の着物の模様を「なかなかいいわねぇ」と言ってくださいました。かって着物を日常的に着ていた人々は、もう着る機会が無くても着物には愛着があるので、手離さないことが多いそうです。しかし、そのご本人が亡くなられると、娘たちもお嫁さんも着ないし、たとえ着物を着るとしても寸法が合わないので、廃棄されてしまうようです。そんな話を、先生や諸先輩が嘆かわしげに暫し語り合われました。

私には着物のこともサッパリ分かりませんが、皆様がおっしゃるには、昔の着物には今の着物には無い良さがあるそうです。伝統文化の急速な衰退は、本当に残念だと思います。