全部、つながってる「気がする」ことの奇妙さ。

2019-10-10 22:14:05 | Weblog

昨日、東京のインターFMのラジオ番組、レディステディジョージを聞いていた

(ラジコでいつも聞いているのだ)。

そしたら

ゲストで出てきたクロマニヨンズの二人のどちらか(多分マーシー)が

「今日はジョンレノンとチャボさんの誕生日だ」、と言っていて、

ああそうなのか、と思った。

確か、

ジョンレノンは1940年生まれ、

仲井戸麗市は1950年生まれだったはずだ。

ちょうど10歳違うのだ。

と、いうことは

1966年6月のビートルズ来日のとき

ジョンは25歳

チャボは15歳。

並べるのも僭越だが・・私こと片山道郎はその年の9月生まれだから、生まれる直前。

この世にかろうじて、存在はしている。

そーゆーのって、すごいなあ・・・思う。

当時、高校生だったチャボは、新宿の戸山ハイツに住んでいたはずだから、

私とチャボはご近所にいたはずである。

まだ若かった私の両親(母なんかまだ21歳である)も当時、新宿の戸山ハイツに住んでいたのだから。

その時の私はまだ、胎児だが。


1970年にビートルズはなくなって、

1980年に、たった40歳のジョンレノンはダコタハウスの前でマーク・チャップマンに射殺されて死ぬ(ひどい話・・・)。

1970年に私は4歳で、まだ新宿にいて、

1980年に私は14歳で、広島県福山市にいた。

14歳と言うと「中二」で、

その頃にジョンレノン射殺さる、というニュースに遭遇したのだ。

何というか・・・そういうのって、一種のトラウマみたいなものでは、ある。

僕は彼の魅力を知る前に彼の死を知ったのだ。


そして2019年10月の私は53歳で昨日、

ラジオで大好きなラジオ番組のゲストがジョンとチャボの誕生日のことを言っていたのを聞いた。

何だか、全部が全部、「つながってる」気がするのは・・・気のせいかもしれない、そうでないかもしれない。

このレディステディジョージというラジオ番組は本当に本当に大好きで、

昨日なんかペイヴメントの曲がかかったのだ。すごくセンスがいい。

冗談抜きで、ラジオでペイヴメントがかかったのを聴いたのなんか、初めてだ。

私の友達の、怒髪天の増子直純も時々、ゲストで出演する。


切なくなるほど好きなものがある、というのは幸せなことだと思う。

好きなものが多ければ多いほど幸せである。

僕はビートルズもチャボもレディステディジョージも

大・大・大好き。あ、クロマニヨンズの二人も、怒髪天も敬愛する。


世の中に・・・私が、軽蔑する人も数々いるが、

それに劣らず、敬愛する人も、数多くいる。


敬愛するジョン、チャボ、ついでにショーン、

ハピバスデ。


今週末、っていうか日曜日の尼崎TORAでの

「闇夜のグラムロック」はどうやら、

台風一過・・・・のあとに開催されそうな感じ。



地球史上最大・・・とまで言われる台風、「19号」(ドラゴンボールの人造人間を連想する)よ、

あまり暴れないで通り過ぎておくれ。




そしてみんな、グラムロックに混じって出演する我々を尼崎まで

見に来ておくれ。






(注意)今日は全員、「敬称略」です。すいません。

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ライヴ2019年10月13日尼崎TORA「闇夜のグラムロック」。

2019-10-09 22:09:13 | Weblog

友達よ、我々はライヴを続けましょう。

困難は多いし、すんなりとは行かないし、

今週末には今季最大の台風さえ接近するというのに。


・・・・・・まだ、手が届いてはいないのです。

それは逆に、喜ぶべきことで、

手の届かないものこそが美しいし、

それがあるからこそ我々は前に進めるのです。


ああ、もちろん・・・美しかった思い出はポケットに、

一生の宝物として持ち歩きましょう。

それがあっての私だし、そのことは忘れようにも忘れられませぬ。


だけど、まだ見ぬ風景がきっとありましょう。

それは、そのこと自体が「希望」でもある。


遥かな希望に向かってジタバタと足掻くことの中にこそ、

生きている実感は、あるのです。

っていうかさ、そこにしか「それ」は、ない。


だから友達よ、

我々はライヴを続けましょう。


雨が降るかもしれないし、

風で傘が裏返ってしまうかもしれない。

でもその程度のこと、

鼻で笑い飛ばして行こうではないか。

うまくいった時には、目も眩むほどの光を放つ(希望的観測)のだ我々は。

そして我々の友達もとても素敵だ。


やれる限り、

可能性がある限り、

やれることはやりましょう。

そして可能な限り、楽しもうと思う。

そして君にも、楽しんで欲しい。


2019年10月のライヴは

今週末、13日の日曜日



尼崎TORAにて


「闇夜のグラムロック」



出演は


T☆ROLLS


VOO DOO MAFFIN



HERSHEY’S



そして我々ROCA’66







きっと楽しいから、来てね。






写真はこないだのメレでの、アタシとギター赤井。


撮影はカメラマン、大瀧くん。
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無題。

2019-10-08 21:55:16 | Weblog

しかし気付けば私も五十をとうに過ぎてしまっている。


私的には、自分にいちばんしっくり来た年齢は十九だった。

今でも、十九の頃から成長した気はしない。

それはさておき

五十過ぎという年齢について思うのはそんなの、

ブルースマンの年齢としてはまだまだヒヨッコだぜ、ということだ。

だがしかし、

若かった頃はそんな風に思わなかった。

私の、画家だった大叔父は五十代で亡くなっているのだが

そのことについて私は

「大往生じゃん」みたいに思っていたのだ。(1970年のロッカーたちは二十七歳で死んだから。)


思ってただけでなく、口にしたこともあったと思う。

若い、というのは愚かである、というのと同義だ。

今思えば五十代で死なねばならなかった大叔父はどれだけ無念だったか。

そして

最愛の兄を失った私の祖母がどれだけ悲しかったか。

そういう想像力・・というか配慮に欠けていたのだ、若かった頃の私は。

考えてみたら、

いくつで亡くなったとしても、その死は無念だし、百歳超えたとしても大往生なんて、ないのだ。

でも今、50過ぎの私は、

まだ死にたくない・・と思う半面、

もういいかな?とチラリと思ったりも、する。

生きることには希望も絶望もあるから。

でも最近になってやっと、ささいな日常の楽しみ方を知った・・というような気もする(だから生きたい)し、

そう思う反面、

もしもこれ以上生きなくてもいいなら、そりゃ楽でいいや・・・・・

などと不謹慎なことを思ったりもする。


12年前、死の床にあった友達はどんなことを思ったのだろう。

そして

今、それに近い状態にいる友達は・・・・・・・・・・・・・・?






今、それに近い状態にいる友達よ、俺だって、誰だって、

大きく言えば、それに近い状態にいるのだ、だから何も恐れないで欲しい。

君はそこまで生き延びてきたのだ。

それはそれで、大したものだと、俺は思うんだぜ。


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GOES ON AND  ON.

2019-10-07 21:54:05 | Weblog



どんな種類の物事でも、続いてゆく・・・ということに意義は、あると思うのよ。

アタシの座右の銘は、このアタシがまだ若かった頃から

「継続は力なり」だった。それだけだった、それ以上でもそれ以下でもなかった。


・・・・・・・・・・どんなことでも、止めてしまったらそこで継続は途切れるわけで、

思うに、何事にせよ、壊してしまうのは簡単だわよ。


本当に、

創り出すことの困難さに比べて、壊すことの簡単さよ!


でも、壊すことには甘美な誘惑がつきまとうの。

壊すことは一種退廃的な快楽でもあるからね。


ビルト・トゥ・デストロイみたいに、

壊したあとに建設できるならそれも良かろうが、

多くの場合・・・壊しただけで満足してしまうことが多いので怖いよね。


壊すことはある種簡単で、しかも楽しい。

でもその行為は、刹那的だったりする。


刹那的で何が悪い?とも思うのだが多くの場合

刹那的な行動はただロマンティックなだけ・・・であったりするわね。

ロマンティックなら、それはそれでいいじゃんかよ、と思わなくもないわよ。


でもアタシは

非・ロマンティックであろうが何だろうが、

続けることに意義がある、と思うのさ。

意義とは?

意義って何?


いや、それは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


単にさ、

やってて良かった、とか

生きてて良かった、とか

そう思えること、それくらいのささいな事でいいんじゃないかしら。


アタシが欲することって、突き詰めて考えたら結局「それ」だし、

あえて言うけど人生って、

その程度でいいんじゃないの?




「その程度」とか言ったけど、

それって極上だからさ。









ついで・・みたいに言うけど、

次の日曜(13日)は、尼崎TORAまで、おいでよ。


「闇夜のグラムロック」ってのに、出演するからさ。







写真はこないだのメレでのもの。

撮影はカメラマン、大瀧くん。


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馬脚

2019-10-04 22:58:28 | Weblog


あの、

タコメーターってのは


エンジンの


回転数を示すメーターでありんす。



誰にも尋ねられてないんだけどさ、


それでも。




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「闇夜のグラムロック」2019年10月13日 尼崎TORA。

2019-10-03 21:11:52 | Weblog

人生は一回しかないし、どんなことも一回性を帯びている。

だからこそ一瞬一瞬を大事に生きよう、などと毎回

思うのだが、

そう思った端から・・・まるで手の平から零れ落ちる砂のように

時間ってヤツはアタシの目の前をすり抜けてゆく。

そして、呼べど叫べど戻っては来ないのだ。

バックギアとか付いてたらいいのにね?クルマみたいにさ。

でもアタシたちはバイクなので、そんなの付いちゃいない。

ワイパーも、ドアもねえのよ。

特にアタシのバイクは、タコメーターも付いてねえ。燃料計すらないのだから、

何をかいわんや。

そんな一回しかない人生の中で「次のライヴ」の告知が出来るのは本当に幸せアル。

「いつまでもあると思うな親と金」と歌ったのは憂歌団だったが、

ライヴだっていつまでやれるかわからない。

ある日、ボキボキボキッと音を立てて心が挫けてしまうかもしれない。

いや、その前に声が出なくなるかもしれない、指が動かなくなるかもしれない。

もう動けなくなるかもしれない。

ライヴハウスというライヴハウスが全部営業をやめてしまうかもしれない。

自由に歌を作って歌うことが違法にされてしまうかもしれない。

いつ、そうならないとは限らないのだ。

だからその前に、やれるだけやろうではないか。

いや、数撃ちゃ当たる鉄砲ではないのだから、ひとつひとつを大事に、

心して望むのだ。

次のライヴは、、T☆ROLLS プレゼンツの

「闇夜のグラムロック」。

日程は、2019年10月13日 日曜日

場所は、尼崎 TORA。

出演は

T☆ROLLS


VOO DOO MUFFIN


HERSHEY’S



そして我々  ROCA’66。




豪華でど派手な、グラムロック・イヴェントである。

我々だってグラムロックは尊敬してるし憧れてるし、影響も受けてるから、

出る資格はあるのよ。

引けはとらないつもりよ。

でもしかし、こんなグラムロック・イヴェントなんて生まれて初めてだから楽しい。

蝶よ、花よ・・みたいな感じで破裂するようにロックしたい。
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