そんな風になれない

2019-10-24 18:42:23 | Weblog

十月は本当なら美しい黄昏の国であるはずなのに

降り続く雨の中、立て続けの訃報が届き

僕等は季節を楽しむ余裕を持てないでいる二千十九年。

何者もこの世に留まり続ける事は出来ないのは真実であるとしても

誰一人、自分自身の「終末」など信じてはいない。

そう・・・・それはいつかは訪れるものなのではあろうが、

「いつか」なんて、来た試しがない。

「いつか」とか、「こんど」とか。

「こんど、飲もうぜ」って言って、そんな希望的観測がどれだけの数、

虚空に消えてしまったか。

空砲の散弾銃みたいにそんなのを僕達はあてずっぽうにぶっ放してきたのだ。

そして「いつか」。

いつかは何とかなる・・・とか、その他もろもろ。

そんな夢想的な「いつか」が実際に訪れる前に、

タイムリミットのほうが先に来てしまったのかもしれない。

でもどれだけやったって、どんなに達成したつもりになったって、

誰だって「志半ば(こころざしなかば)」なのだ。

嫌なことは遠慮もなくぶしつけに目の前に現れるし、

そうかと思ったら細かい幸運がまるで小ぬか雨みたいに降って来たりする。

そんなことの混ぜ合わせだし、組み合わせだし、繰り返しだし、

だからって結局、人生は謎なのだ。

僕は本当にそう思う。

今でも、昔みたいに時々 真剣に長時間、考え込んでしまうことがあるんだぜ?

人生に何か深い意味って、あるのだろうか・・・・・・って。






それにしても


本当なら今頃の季節の私は、

色とりどりの毛糸で自分の身をくるんだ「ミノムシ」みたいに幸福に、

晩秋の始まりの陽光や翳や、風の音や時間や衣擦れや溜息や・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そういうもの達を惜しむように、慈しむように生きれるのに。






今は、どうしてもどうしてもそんな風になれない。











それでもメゲずに、言おう、



「こんどさ、飲み過ぎて記憶飛んぢまうまで、  一緒に・・・飲もうぜ。」




とりあえずは来月の三日・・・・・・・・かな。




難波でね。










追記


「十月は黄昏の国」というのは


佐治くんの大好きだったレイ・ブラッドベリの小説のタイトルです。





ああ、もちろん僕も大好きだよ。


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