明日、2017年7月29日「夜想」。我々にとっては節目のライヴ。でもトゥモローネバ-ノウズなのよ人生は。

2017-07-28 22:23:22 | Weblog


そう、明日のことなんて当たり前だが、わかるはずもない。

だから俺は予定を立てるのが昔からすごく嫌いだ。

何一つ予定なんか立てずに生きていけたらどんなに良いだろう。

まあしかし、そうもいかない。

原始人じゃないんだから。

・・・・・・・・・・原始人は多分・・・明日以降の予定なんか立てずに生きてたんじゃないか?と思うのだが

本当のところはわからない。

分刻み、秒刻みのスケジュールで再来年まで予定がびっしり・・・だったりしてね。さすがにそりゃないか。

えーと原始人はいい、として、

一歩退化して(退化するなよ)、お猿はどうだろう?

お猿は多分、予定を立てて行動しないであろう。

言語を持たないから。

だから「明日」という概念すら、ないかもしれない。いや当然、ないだろう。

そして、昨日とおとといの区別もつかないであろう。

それって・・・・・・とても素敵だ。

しかし私はお猿に憧れている場合ではない。

何故かというと、意外に深く、当初思っていたより、深入りしてるのだ、言語的森林に。

言語の森で私は、迷子になりかけている。

むう。

だがそれでも、明日以降の予定を立てるのは嫌なのだ。

不自由だからだ、窮屈だからだ、不自然だからだ。

私は

思いついたときに(即座に)思いついたことをしたい。

何一つ、制約を受けたくない。

新幹線の切符を予約したくなんかないし、

歯医者の予約も、クソ喰らえだ。

ああ、でもライヴはあらかじめ決めておかなければ、ライヴハウスに出演する事は出来ない。

大体、3ヶ月前には決めておかないと。

でも3ヵ月後に私は、生きてるのかしら?

明日の予定すら、立てるの嫌なのに。

まあいいさ、

でもそういえば3ヶ月前に決めたライヴが、明日に迫ってきているのだよ諸君。

時間が経つのは早いなあ。

明日だ、明日。

これは「明日の予定」ではない、

「明日の宿命」だ「明日の運命」だ。「明日の必然」だ。

今思いついた。明日は京都で会おう。

京都で、待ってるアル。






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