引くな、日和るな。

2017-07-12 21:39:39 | Weblog


ほんの少しの事で劇的に「何か」が変わる。



陰影をちょっと強くしただけで印象がガラッと変わってしまう絵のように、




気持ちを入れ替えると



現実世界の様相が変化して行く気がする。





「気のせい」じゃなくて本当に、



劇的に変われればいいのに、と思う。





僕は僕という殻を破って、




新しい世界に出てゆくべきなのだ。





とか言いながら





先のこと考えるとうんざりして気が遠くなってしまうのは相変わらずで、




でも俺達は






俺達なりのやり方で




とにも かくにも まっすぐに






自分を疑うことなく(1ミリも)、行くしかないのだ。










この世界には「戻る」という選択肢がないのだから。




「やめとく」という選択肢もない。



「イチ抜けた」という選択肢もない。



「日和る」という選択肢もない。




「引く」という選択肢もない。








万が一、怖気づいてしまったとしても闇雲に前に出る。



こてんぱんにヤラれた、としてもそんなの、




気にしなきゃいいのだ。







気にしたら負けよ。






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ファンダンゴ30周年(その前に、7月29日、ROCA'66「夜想」出演)。

2017-07-11 22:47:46 | Weblog
今年はファンダンゴ開店から30周年なのだ。

そうかぁ。

・・・・・・・・・・・・・1987年。

当時はそう、

バーボンハウスもまだあったし、

キャンディホールもまだあったし(あ、キャンディはもうなかったか?)、

エッグプラントもあったし、

バナナホールもあったし、


ファンダンゴは新参者・・・って感じだった。その感じ、よく覚えている。


十三でライヴハウス?

・・・・キャバレーの姉ちゃんが来てくれるんかな?とか言って笑ってた。


それが今や、

老舗・・・・みたいなモノではないか。

偉い。


さてさて、


10月に周年記念で、

開店当時・・・・っていうか、まあ、初期に出演していた奴等を集めて

ライヴやるんだって。


アタクシこと片山道郎は

ランブルフィッシュのギタリストだったので、出演のお声がかかった。

どうもありがとう。呼んでくれて嬉しい。

(ランブルの)佐治が今も居てくれたら間違いなく・・・・何らかの形で一緒に出たのに、

と思うと悲しい。今年は佐治の10周忌の年でもある。


このイベントは、10月7日と10月21日の二日に分けてやるみたいなんだけど。

出演者はみんな、初期ファンダンゴに縁の深い、というか「あの頃」に、しょっちゅう出演していた人たちである。

21日に出演の「橘いずみ」は、当時の出演者・・・ではなくて、当時の店員(スタッフ)だったヒトだ。

可愛かったのでよく覚えている。

シンガーになる、って言ってたのも覚えてるけどまさかメジャーデビューするなんてね。

当時は思いもしなかった。


リクオさんも・・・当初は俺、面識なかったな。・・・あ、どんなヒトでも当初は面識ないか。


21日のほうは、ケーヤンもでるけど、そうそう、ウルフルズも出演してたんだよね、ファンダンゴって。




そんなわけで



10月7日は、ぜひファンダンゴに来ておくれよ。

俺自身は今は、滅多に出ないけど、あそこは変わらずにココロのホームタウンなのだ。

いろんないろんないろんな思い出が、そこかしこに染み付いている・・・・ファンダンゴ。


でも10月なんて、まだ先よね。


その前に。

今月、7月29日に我々ROCA'66は、京都の、これまた大好きなライヴハウス「夜想」に出演する。

えーっと、現体制のROCA'66は、この日で終わります(さらっと言う)。

そういう、節目のライヴなので、

ちょっと無理してでも(嘘嘘、無理は禁物だぜ)、



・・・・・・・・・・・・・来て欲しいな。



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価値観の違い(我々が中二のときに発見した「テーマ」)。

2017-07-09 10:05:57 | Weblog

「価値観の違い」。

この概念はとてもとても重要だったし、今でもそうだ。


中二の頃、ドイケンと僕はこのことに関して随分と長く長く話し合ったものだった。

ドイケンは、僕がギターを弾くようになって初めてできた「仲間」だ。

彼は僕の家に突然やって来て、窓から部屋に入った(笑)。ワイルドだ。

あれから30年以上経つが今でも我々の関係は全然変わらず、盆暮れに長く長く話し込む。


・・・話を戻す。

価値観、という概念があって、それはもう根幹の概念で、一人ひとりがそういうのを抱えて生きていて、

しかも、その中身はその人によって全然(天と地ほども)違うのだ。

これはよく考えれば考えるほど物凄いことで、

世界中のほとんどの問題、訴訟、軋轢、争い、衝突 の根っこはこれである・・のではないか。と僕は思う。

小さな諍いから巨大な紛争まで、みんなみんな「これ」のために起こっている。


他人の価値観を認めて、お互いに尊重しあって生きればいいのだ。なんて、口で言うのはとても簡単。

この僕にしたって、許せない他人、というのは・・いる。

彼らの偏狭な価値観を尊重などしない(してたまるか)。向こうだってそうだろう。


でも、

みんながみんな「価値観の違い」を抱えて生きているのだ、ということについて考えるのは無益ではない。

うまくいけば、他人を全否定する事の虚しさに気付ける・・・こともある。

全否定したくなるような他人は、「気にしない」に限る。

お互いが気にせずに、うまく距離をとって生きられれば、諍いは回避できる。

巨大な紛争も、この原理で避けられればいいのだけれど。でもそうそう、うまくいくことばかりではない。


価値観は、ひとりひとり違う。それは、「生き方」がひとりひとり違う、ということでもあるよね。


しかし何故、今になってまた、この概念がまた頭から離れないのか。


自分でもわからないのだが、

14歳のとき(それは中二だ)に聴いていた(好きになった)音楽がその後の音楽的嗜好を決定付ける・・・・・・・・・・・

というようなことをトモダチが以前に、言っていた。そのことを、このブログでも書いたはず。

「中二病」とはよく言ったものだし、案外・・・真実を突いている部分もあるのかもしれない。

それで、同じように中二のときに発見した(と本人達は思っている)概念、というものは

その後の人生においてもずっとずっと大事な、「テーマ」的なものに成り得る・・のかも知れない。


本当に、このことに気付いたときは重要な事実を発見した・・・ように思ったものだった。(今でも思ってるけどさ。)

我々(僕とドイケン)の前には気の遠くなるほど広大な世界と、センスの無い(通じない)人々と、

理解不能な難問が山のように積まれていた。

そんな「世界」を読み解く鍵、のように思ったんだ、この「価値観の違い」という概念が。


読み解いて、乗り越えてゆくための。


あれから30年以上経って、でも難問はまだまだ山積みだ。

だが、「鍵」は、間違ってなかった・・・んじゃないか?と思う。




そう願いたい。










追伸:ドイケンへ。

昨日のピーターさんのラジオは「戦前ブルーズ特集」だったね。

・・・・渋かったな。


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逆行世界。

2017-07-07 22:16:42 | Weblog

足掻いても足掻いても私は、

前に進んでいる気が・・・とんと、せぬ。

それどころかむしろ、後退しているようですらある。

だがしかし。

もし万が一、そうならそれは、むしろ喜ぶべき事態なのかも知れぬ、と

絶望的に私はほくそ笑みつつ、思ふ。


何故かと問われれば

そうだ、

もしそれが真実で、名実共に後退していたのだとすれば私は、私の精神と肉体は一年ごとに、いや一秒ごとに若返り、

しまいめには原初の赤子に戻るであろう。

まるで「不思議のメルモ」の、青いキャンディを喰うたがごとくに。

そうして更に後退を続ければ、それ以前の

この地上に現れる前の「塵芥(ちりあくた)」みたいなモノになるであろう。



それは何と喜ばしいことか。そうなれば(あの呪わしい)エントロピー値さえ、減少するはずである。


お気付きの方もおられようが・・・

最早、私は今や、何一つ欲することはない。

どのような物事にも 心が動く、というようなこともない。


心など、寿命の尽きかけたウスバカゲロウのごとく

真夏の路上で風に吹かれて何処かへ、見知らぬ何処かへ飛ばされていった故。

そんな心許無い影を見送りながら私は、

幾度願ったであろうか・・・・時間さえ逆行してくれたら、と。


そうあってくれさえしたら

どんなこともどんなことも可能になる、というのに。




だとすれば、上記の事実を踏まえて考えれば私は、

意識的に足掻いて、足掻いて、無意識に(客観的には)後退しているのであろうか?





マイケルジャクソンのムーンウォーク?










・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まさかね。



(ああ、何か意味不明だなぁ。)


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今度は「虫」になったのね。

2017-07-06 21:38:21 | Weblog


実に、私は今、劇的に(と言うか何と言うか)、「変わろう」としている最中である。

・・・単に「変化中」なのだ、一口で言えば。


いや、本当に。

言ってみれば今は、サナギの状態。

つまり、中身はどろどろの液体で、目も鼻も口もない。

もちろん「羽根」も、ない。


でも、これは「羽化」するための準備なのだ、と自分では考えている。


あ、本当なら昆虫には 物事を「考える」ような脳はないのだが、

体中の「神経節」を総動員して、私は今・・・考えている。


思うのだが「世界」とは、

私がこのように身体をどろどろにまで溶かして、

そして再生する程の価値がある場所なのだろうか?


小さな羽虫風情が何を言ってやがる、と思われる事は承知で私は、発言している。

しかも、「全世界」に向けて。

(願わくば、世界中の生物がこれを読むことを。)


巨大な・・・気の遠くなるほど巨大な「世界」に対峙する「羽虫」一匹。

あ、まだ「羽化」してないから(いつか、する予定)、

今の私は「羽虫」ですら、ないのだ。


だが「世界」の様相、というのはとにかく、この複眼で、しかと見てみないと何もわからない。


・・もしかしたら、見てもわからないかも知れない。


だが、「感じる」ことは出来る・・・・確実に。

何故なら私は昆虫で、

羽根はまだ、なくとも・・触角ならちゃんと、あるからだ。


あ、でも今は「完全変態」の途中の

サナギで、

目も鼻も口もない・・・・のだった、忘れてた。



ははは。触角もねえよ。






それでも私は、希望的に考えている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何を?





「君を失った世界」で近日、私は羽化し、

練習もせずに羽ばたいて空を舞うだろう。




そこに悲劇的な要素は、カケラも、ない。



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ポジティヴィティVSネガティヴィティ。

2017-07-05 21:43:33 | Weblog

・・・・・・・・・・・・・・・・ポジティヴィティは、ネガティヴィティに勝つか?


(以下、面倒くさいから「ポジ」と「ネガ」と略す)











うーん。











喧嘩したとしたら、ポジは負けそうな気がする。





だって喧嘩ってさ・・・・その「気」が・・・ネガVSネガ、というか、


相手を全否定して戦うんだから、


それはやっぱりネガティヴのチカラが強いほうが勝つよ。


言い換えれば「嫌なやつ」のほうが、喧嘩は強いのだ。



競技としての喧嘩、というかつまり柔道とかボクシングとかならまた、違うだろうけど。


ジュードーならガッコで、(黒帯連中を相手に)ちょっとだけやったけど、


投げられたって、転ばされたって(徹底的にそればっかりだったが)、別に相手が憎たらしくは、ないもんね。





さて、


日常におけるポジティヴィティはやはり、笑顔だと思う。


仕事しててさ、いろんなところに行くわけなんだけど、


にこやかに仕事してるひとの気持ちいいこと!


ムスッとしてる奴等の鬱陶しくて目障りなこと!


挨拶くらいまともにしろってんだよ。(いや、実は挨拶って、難しいけどさ。)


にこやかな人たちの笑顔も、もしかしたら


ホントの笑いじゃなくて、作り笑いかもしれないけど、それはそれで、いいのだ。


そういう、姿勢が・・・尊いのだ。


日本人はへらへら笑い過ぎ、とか一時、よく言われてたけど、


何が悪い。


そういうこと出来る人は「強い」のだ。



俺はそう思うよ~。




笑顔の人々よ、「ムスッ」の奴等を駆逐しよう、




ポジティヴィティでもって。



・・・・・・・・・・・・・・・・・でも喧嘩したら負けるかもだけど。






(「強い」んじゃなかったのか?)






(暗転)




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精神生命体

2017-07-04 21:35:01 | Weblog

そうだ、きっと彼は、「精神生命体」になったのだ。


僕等のいつも抱えて歩いている懊悩とか自己否定とか贅肉とか涙とか痛みとか

二日酔いとかダイエットとか老後とか恋愛とか税金とか家賃とか自賠責保険とか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


彼は、そういう わずらわしいものすべてから、開放されたのだ。


今の彼の居るところは、ジ・アフター・ワールド、言い換えれば、ネクスト・ライフ。


プリンスが「レッツゴークレイジー」のイントロ部で言っている。

我々は死んだ後、次の人生があって、そちらが本物の人生なのだ、と。


戯言だよね・・・・・・・・・・・でも、本当にそうかもしれない、と時々思う。

つまり、この「現世」は、前段階で。

ネクスト・ライフへ移行する前に、どうしても通らねばならない、

言ってみれば「修行ゾーン」。いや、「罰ゲーム」か?

・・・だから、苦しみも多いし、(楽しみも勿論、あるのだが)どちらかというと・・・・痛みや、喪失に溢れている。

周囲との軋轢も多い。

そして、他者の命を奪って・・・喰わねば、誰も生きていけない。


ネクスト・ライフでは違う(多分・・・知らんけど)。

そこでの我々は「精神生命体」であろうから、「痛み」は、ない。

物質がないから、喪失も、ない。失くし物も、忘れ物もない。自賠責保険もない(←しつこい)。


「精神生命体」は、テレパシックに通じ合うから(多分ね)、他者との軋轢も、ない。









ああ、しかしこれって何だか、現実逃避的な妄想だな。

知らないヒトが読んだら俺の事、「このヒトは生き辛くて可哀想だ」とか思うかもしれない。


違う違う、そんなんじゃなくて。

俺は唯、ネクスト・ライフがそんなんだったらいいな、と。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・とか言いながらその実、

俺が信じてるのは「唯物論」だったりも、する。



唯物論的には、霊魂も、「あの世」も、ない。


この目に見えるもの、手に触れられるものが全てだ。


もちろん、「神」も、いない。






うーん。




でも「彼」が


「精神生命体」みたいにしてどこかに居る、というのは信じてるし、信じたい。










矛盾したこと言ってるけど



大目に見てくれ、



いつものごとく。








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法事、その夜に見た、久し振りに「凄い夢」。

2017-07-03 22:59:06 | Weblog

昨日は

ランブルフィッシュのヴォーカリストだった佐治朝吉の

10周忌の法事・・・・みたいなものに参加した。

親戚筋が集まる中で、我々ランブルのメンバー残党も呼んで頂いて、

柔らかく我々も受け入れてもらって、とても暖かい、心和む、日になった。

何だか不思議で、平和だった。


そして、その夜。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久し振りに、凄いの見た。

凄い夢。

象徴的で不可思議で意味深くて、まるで現実のような非現実。


そういう類の夢に限って、目覚めた瞬間にほとんどを忘れてしまう。

今回もそうだったのだが、

必死で、消えてゆく夢の残像をかき集めた。


どんな夢だったか?というと、


佐治と、彼の10周忌の法事の「打ち上げ」をしていたのだ、夢の中で。

笑っちゃうよな。

その夢の中での彼は、少しおぼろげな「エネルギー体」みたいなものだった・・・気がする。

一緒にサケ飲んだ。多分、ウイスキー。

場所は、どこかのマンションの部屋。

夢の中での設定では、彼の嫁さんが、一人で住んでいる部屋ってことだった。

彼の嫁さんも一緒にサケ飲んでいた。

何の話をしたのかは、覚えていない。大笑いしてた気がする。

すごくリアルな感触。

「彼に会った」という感触。

夢の中で、彼がかけたレコードの音が、これまた現実離れしたオンガクで。

原初のブルーズのような、ヴードゥーの読経のような、不吉な、死の匂いのするオンガク。

廻ってるレコードのレーベルを読もうとするのだけれど、どうしても読めない。

かっこよかった。でも怖かった。

・・・怖かったのはそのオンガクだけで、夢そのものは徹底的にハッピーで不思議なものだった。


目覚めたら、身体の疲れがどこかへ吹き飛んでいた。

でも、やっぱり少しだけ寂しかった。


ああ、目覚めてしまった・・・・・と悔やんだ。





こんな風な夢の中で、きっとまた会えると

思ってはいるのだけれど。


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