無力感(に負けてはいけない)。

2017-05-21 07:50:33 | Weblog

共謀罪の法案はやはり、強行採決されてしまった。

流れから見て、こうなる事は十分、予想できた事なのだけれどそれでも、

強い憤りを感じるし、

一人の有権者として、市民として、国民として、名も無き表現者として、深い無力感に襲われてしまう。

・・・でも駄目だ、無力感に負けてはいけない。

我々は、「間違っている」と思う事に関して、声を上げていかなければならない。

意見を表明していかなければならない。

我々のような何の力も無い(・・かのように見えるが、一票というチカラは持っている)、市井の、庶民一人ひとりが

ちゃんと考えて、それぞれの意見をはっきりと表明していくべきなのだ。

それがもっと出来れば、今の誠実さのカケラもない政権を退陣に追い込めるはず。

だから「やる気」を失わず、ちゃんと生きていこうと思う。




しかし、この「無力感」について、思う事があったので、ちょっとだけ聞いて欲しい。




あんな酷いことが起こったのに、「世界」は何事も無かったかのように、

何食わぬ顔をして動いている。

我々の存在って、本当に本当に微々たるもの・・・・・なのね・・・・・・・

という冷たい無機質な、嫌な手触りを、ずっと以前にもずっしりと感じたことがある。


社会的なことではなく、個人的なこと・・・(いや、これだって充分「社会的なこと」だが)。

29年前の6月3日に、

とても近しい友人であった岩佐が、不慮の事故・・・・交通事故で

突然この世からいなくなってしまった時のことだ。


ああ、またその話か・・・なんて言わないでいてくれたら嬉しい。

思った人は、以下は飛ばしておくれ。




その時、


本当に、色々な事が信じられなかった。

普通に朝が来る事も、電車が走り出す事も、人々が談笑しながら歩いてる事も、

お店が開くことも。

自分だって普通に腹が減る。

そのとき俺は、アメ村の古着屋に勤務していたのだけど、お通夜、お葬式が終われば

仕事に出掛けなければならない。

古着屋の仕事は嫌いではなかった。どちらかと言うと、楽しかった。

でもそのときは、行くのは嫌だった。何喰わぬ顔をして普通の生活に戻る事が、凄く不自然に思えた。

でももちろん、戻らざるを得ない。

無力なんだ・・・・・・・と心の底から実感した。

それからの私は、その時抱いた無力感、厭世観にどっぷりと浸かって生きたのだと思う。

そこから抜け出すのに何年もかかった。・・今思えば、だが。


この時期・・・・5月後半にはどうしても、「あの頃」のことが甦ってしまう。

この「無力感」。


佐治もきっと、同じような思いを抱いていたと思う。

そのことについて、いっぱいいっっぱい、話もした。

我々の心情は、とても近かったはずだ。


だからこそ、と言うか何というか・・・・・・・・・・・・・


佐治は2007年に逝ってしまったが、

我々はゆっくりゆっくりとお別れが出来た。5年ほどかけて、お別れしたように思う。

だから、佐治が・・・・逝ってしまった時、直後に伝えてもらった時、「ショク」は、なかった。

「無力感」も、感じずにすんだ。

有難い事だ、と思う。


岩佐も本当に優しい人だったんだけど

佐治もすごーく、優しかったな、と思う。






ああ、長々と語ってしまった。

この季節だから、どうしてもこのことが心に溜まってしまってたんだよ。

・・・・・・・・・聞いてくれてありがとう。



しかし、

亡き友人の思い出と

政治の世界で進行している横暴さと、一緒くたにしてはいけない。


我々は、亡き友人のためにも、

我々が正しいと思う事を大声で主張していかなければならない、と強く思う。



無力感を抱いている場合ではない。



「未来」は、変えられるのだと信じて行く。




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