同時代を生きる、ということ。

2024-05-21 20:22:29 | Weblog

ボブ・マーリーが亡くなった時、僕は14歳だった。

 

ということは僕とボブ・マーリーは14年間、同じ世界に生きることが出来たのだ。

同じ太陽の下。同じ惑星の上。

例えば、マリリン・モンローは1962年に亡くなっているので、

僕とマリリンは、同時代に存在出来ていない。

アーネスト・ヘミングウェイも、1961年にこの世を去っているので同じ。

ロバート・ジョンソンだって、僕が生まれた時にはすでに伝説の人だった。

そう考えると

ジミ・ヘンドリックスと、たった4年だが、同じ時代に生きられて良かったし、

カート・コバーンなんか、歳がぼくといっこしか違わないのだ。しかも彼は早生まれだから、

もしもカートが日本の小学校に海を越えて転校して来てたとしたら同学年だ。

ジミヘンを、僕が知った時には彼はとっくにこの世にいなかったのだが、

カートの音楽はリアルタイムで体験できた。

彼の死の第一報をラジオで聞いて、衝撃を受けた。

 

そのほかにも、言うまでもないが無数にそういう人がいる。

富士夫さんや どんとサンには実際に、お会いすることさえ、出来た。感無量だった。

浅川マキさんとは同じステージで一緒に、音楽を奏でることが出来た。すごかった。

同時代に生きられただけですごいことなのに。

 

 

さて話は少し身近になります。テーマは変わらないのだが。

 

 

こないだ、福山へ行った時に、

母と、妹と、妹の子供と、妹の子供の子供(妹の孫)と、妹の子供の夫くんと、ご飯を食べに行った。

妹の子供、というのは僕からしたら姪っ子、甥っ子だ。

その子供は・・・・・何だっけ?呼び方忘れたよ。彼らからしたら僕は「大叔父」なのだが。

妹の子供の子供は二人いて、下の子は何とまだ0歳だ。生まれてからまだ1年経たない。

僕の母からしたら、その子供たちは「曾孫」だ。

僕はその食事の席で、祖母のことを懐かしく思い出していた。

もう、祖母が死んで20年経つと思う。83歳で亡くなったから、

もし生きてたら100歳越えだ。大正生まれだった。

その僕の祖母と、この、まだ生まれて1年も経たないこの子とは、

同時代を生きることは出来なかったのだ、としみじみ思った。

祖母は聡明で、優しいひとだった。

 

好きな人と同時代を生きることが出来る、というのはラッキーなことだ。

 

僕がいくらマリリンを好きだったとしても、どう頑張っても、逢うこともかなわない。

実物を、ひとめ見る事も出来ない。

 

それに比べたら、

同時代を生きられるだけでなく、

偶然近い地域で生まれ育ったり、同じ学校に通ってたり、

同じクラスになる、なんて奇蹟だぜ。

 

もし、そうでなかったとしても

ライヴハウスで出会ったり出来たのも奇蹟的だ。

 

そんなのね、

出逢えない人のほうが圧倒的に多いのだ人生。当たり前と言えばそうだけどさ。

99.9999999999999999999999999999999999999999999%の人達とは出逢えない。

あ、この数字に根拠はないけどね。

 

どんな形であれ、我々が出逢うことが出来たのは奇蹟中の奇蹟だ。

何億分の一の確率だ。

この数字にも根拠はないが。

 

それで・・・・我々が友達になれる確率なんて、それ以上に、すごくくすごく低いんだぜマジで。

 

マジで

マジで

マジで。

 

 

だから僕はいろんな偶然に感謝している。

 

 

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