2024年10月5日放送分のピーター・バラカンのラジオ番組、
「ウィークエンドサンシャイン」を今日、ラジコで聴いていた。
最近、ドキュメンタリー映画が公開されている関係で、
ニッキー・ホプキンズの名前が番組内で、よく出てくるのだが、
僕は余り、気にしていなかった。「ふ-ん、そうなんだ」くらいのもので。
しかし、今日。
「ニッキー・ホプキンズのピアノです、聴いてください」
みたいなことをピーターさんが言ってから、
ストーンズの「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル」がかかって、
ああ、これニッキーホプキンズだったんだ?と思いながら聴くと、
この耳タコくらい聴き込んだ曲が、全然違う角度から聴くことができて、
もう何か、新鮮過ぎて、衝撃だった。
音楽ってスゲエ・・・・と改めて思った。
この曲を、ピアノを中心に聴いたことなど、これまで一回もなかった。
しかし、そう聴くとこの曲、ピアノがすごい重要であることに気付く。
曲自体を、歌と共に、グルーヴィに引っ張っていく。
始めの「抜き」の感じから、だんだん凄くなって行く感じがまるで、増長していく悪魔みたい。
いちばん悪魔っぽいのはミックなのだが、
ピアノも取りつかれたみたいに悪魔っぽい。
キースのギターソロも悪魔っぽい。パーカッションも。
ベースも、これはキースが弾いているのだが、悪魔の下僕みたいだ。
やっぱすげえなあ、と改めて思う。
巨匠・ジャン・リュック・ゴダールが映画の撮影しているような環境で
(「ワン・プラス・ワン」という映画に、実際、なっているのだこの録音現場は)、
相当なプレッシャー(精神的重圧)があったはず・・・なのだ。
「傑作の誕生」を、あからさまに期待されている。
そこで、こんなのを完成させてしまう。
やっぱちょっと彼らは、別格だとしか思えない。
確か、ブライアン・ジョーンズもこの録音現場にいるのだが、
ほとんど何も出来ていない。
末期のブライアンは、ちと哀しい。
しかし・・・もし、
ニッキー・ホプキンズがこの録音現場にいなかった、としたら
こんな風にはこの曲は、鳴っていないのだと思う。きっと、もっとショボいだろう。
ニッキー・ホプキンズの貢献は、大きいはず。
しかしそんな、天才肌のミュージシャンって僕はつい、
羨望のあまり、妬んでしまう。
ズルいなぁ・・・・・・・とか思ってしまうのだ。
あのさ、
ニッキーは
実は、リズム感は悪い方でした、とか
本当は譜面なんか読めなくて、勘だけで音楽やってました、とか・・・・・・
すごい「ずっこけ」キャラでした実は。よく失敗してました。とか、
実は彼、女には全然モテてませんでした。
とか
そういうエピソード、ないのかね?????????
ないんだろうなあ。
俺なんか上記の4条項、全部当てはまるのにな(あかんやん)。
暗転