「弾き語り」について その2

2018-01-20 13:39:56 | Weblog


「弾き語り」という言葉は柔らかく、悪くすると軟弱なイメージがあるかもしれない。

でも、違う。

「弾き語り」はパンク以前のパンクなのだ。

ディランもそうだったハズで、


つまり、

オンガクなんて、習わなくても、楽譜読めなくても出来るし

高価な楽器なんか持ってなくても、オンボロなギター一本で充分だし、

音響のいいホールなんか出られなくても全然OK,安いバーとかカフェとかで演る。

ケバケバしい衣装も、着ない。普段着でいい。


そして何よりも、

音楽家のセンセイの作った楽曲なんか演らない。

演るのは、自分で作ったシンプルな歌。言葉もメロディも自作する。

もしくは、古くから歌い継がれてきた民衆の歌(フォークソング)。

だからマイノリティのことも、マイノリティの立場で歌う。

反戦も歌うし、底辺からの社会批判もする。

個人的なことも歌う。ラヴソングだって歌う。


って、そういうのが「弾き語り」の原点だと思う。多分、間違ってない。


・・・・・・・・・ハードだ。


吉田拓郎だってそうだった。

拓郎の出てきた1966年前後は日本ではグループサウンズ全盛だった。

彼はそれへの、「アンチテーゼ」として登場したのだ。

スタイルこそディランそのまんまではあったが、独創的で戦闘的だった。


で、そのディラン。


ポップミュージックの歴史の中で、この人は重要人物!という人が何人かいる。

私見だが・・・・チャック・ベリー、エルヴィス、レノン&マッカートニー、ジェイムズ・ブラウン、・・・・・・etc,etc。


そしてディランも、間違いなく「超」のつく重要人物だ。

当時の、世界中の若者がディランの影響下にあったかもしれない。


現代でも・・・少なくとも、ギターを持って歌を歌ってる人間は皆そうだ。


彼は、しまいには「ノーベル文学賞」受賞者になってしまった、(平和賞でもよかったかもね。)


すごいなあ。


そして、今になって再び、アコギを持って「弾き語り」を演ろう、という私もまた、

多少間接的ではあるにせよ、ディランズ・チルドレンの一人なのだ、

我々は「大きな流れ」の中で泳いでいる魚のごとき存在でしかない。





「弾き語り」は、ハードなのだ。




2018年2月17日、

日本橋 太陽と月 で開催される弾き語りライヴイヴェント、

「ONE PLUS ONE&ONE」。


ワタクシこと片山道郎も出演します。

原点回帰の、「弾き語り」で。


コメント
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