2009-11-17 08:00:18 | Weblog



あらゆる物事は「善」である。

何故なら、我々は

運命に対してまるっきり無力だから。

日々の天候に異議を唱えることなど出来ないし、

あらゆるものの寿命にたいしても然り。

重力にも、引力にも、

ただそれらは

そこにあるもの・・として誰もが

(無意識に)容認しながら生きている。

時間を逆行することも出来ない。

我々は宇宙の中で、

はなくそみたいに小さな存在なのだ。

はなくそから見たら「世界」は、

「善」でしかない。

世界の進む方向がすなわち、

我々の進む方向であるし、その中での

「出会い」や「別れ」に意味なんて

あったってなくったっていいのだ。

「生」に、あえて意味を求めるのは止めようと思う。

「価値観の多様さ」、というのは恐らく

我々の想像を超えている。

すぐ近くで生きていても

蟻は恐らく象の存在を知らない(・・であろう)し、

象には蟻が、見えてすらいない(であろう)。


これは「屁理屈」ではない。

・・「屁理屈」って言う奴が「屁理屈」やっちゅうねん。


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