僕はこの前の土曜日と日曜日には、福山に行っていたのだが、
そのことを書く。
今、目の前のカレンダーを見たらなんと、
その日、6月21日は「夏至」だった。「冬至」も「夏至」も、実際の我々の生活には
直接、関係ないと言えばそうなのだが、太陽暦において大事な日。
ちなみに、「冬至」の日は、今は亡き畏友、岩佐亘の誕生日だ。
それはともかく。
この日は僕は珍しく、クルマで福山に行った。そして偶然、
ちょうどこの日の午後に、
畏友、土井健のバンドが練習で、メンバーが集まる、という。
これは、千載一隅のチャンス!ということで僕は彼らを「見学」しに、
福山市S町のコミュニティ・センターというところへ出かけた。昔なら「公民館」といったようなところ。
土地勘もないし、多少方向音痴なので(あかんやん)少し迷って、でもたどり着いた。
ちょっとした冒険でもあった。
着いたのは3時20分くらい。練習は4時までと聞いていたので、まあギリギリではある。
教室みたいなところで3人は、いた。
彼のやってるバンドは easy-marksという名前で、
土井健が歌とアコギとハーモニカ。
平田さんという年上の人がエレキベース。なんと、5弦フレットレスだ。
そしてカネヒサくんがカホン。
僕はカネヒサ君とは初対面だった。照れ屋な感じの人。
彼らの演奏する、様々な曲を聴けた。
歌はPAもマイクもなしの、生。アコギは生音とアンプからの音のミックス。
ベースもアンプ持ち込みで、とてもいい音。
カホンも生でいい音。小さなシンバルが、とても効いている。
全体の音のバランスも、歌を含めていい感じ。木の床が、柔らかく音を吸う。
で、まずは
土井健が作詞作曲した「花酒」という歌。この3人の編成でこの歌を聞いたのは初めてだった。
ゆったりとした、優しい歌。しかし内容は実は、反戦歌だ。
そしてベースの平田さんが歌う、彼のオリジナル曲を2曲。懐かしい、70年代ロックの匂い。
そこから「悲しくてやりきれない」のカヴァー。ちょっとエスニック風のアレンジ。
あと清志郎の歌詞で「500マイル」。
土井健が自分で歌詞を訳した「WHAT A WONDERFUL WORLD」も、やってくれた。
そしてなんとあの「原爆許すまじ」という歌を、ロック・アレンジで。
ぶっきらぼうな感じが素敵だった。元のあの歌の、暗すぎる感じは、微塵もなかった。
この後、ピース・コンサートに出演する予定がある、とのことで
ピースに特化した選曲のようだったみたい。いい選曲。
土井健の、立ってギターを弾いて歌う姿はとても素敵だった。
僕らは中学2年で生涯初めてのバンドを組み、僕は彼の横でギターを弾いた。
そんな時代もあったのだ。
(いつかまた演りたい、と常々、思っている。)
最後は、僕もギターで参加させてもらって、ジョン・レノンの「イマジン」を
4人でやった。これも日本語詞は忌野清志郎ヴァージョン。キヨシローは偉大だ。
とても有意義だった。「見学」というか、お客は僕1人の小さなコンサートみたいだった。
最後は飛び入りまでしてるし。
土井健と、メンバーのみなさん、ありがっとです!
僕と土井健はこの後、2人で福山の駅前の繁華街に繰り出して、良い店ないかな?
と歩いていたら
驚いたことに、中学の時の教師に偶然、出会った。珍しい、っていうか僕は、初めてだ、こんなの。
我々の好きな先生だった。朴訥な人。
もちろん、一緒に飲んで・・・ということにはならなかったのだが、
少しは、心動かされる出来事ではあった。昔、すごく大きく見えた先生が今では、僕より少し小さかったのも
驚きだった。こんな僕でも少しは、背が伸びたのだな。
そして我々は居酒屋で、午前1時過ぎまで飲んだ。
とても有意義で、至福な午後から夜中過ぎであった。
この後、僕はホテルで寝て、次の日、妹のところにいたら
アメリカ軍によるイラクの核施設爆撃のニュースが入ってきた。歴史的なバッドニューズ。
その前の日の午後はピースな音楽に浸っていたというのにね。
しかもトランプは「この攻撃(イラクへの攻撃)は、広島や長崎への原爆投下と本質的には同じだ」
と語ったそうだ。
すごいこと言う。
そう考えてみれば僕は、今回のあのアメリカのイラクへの攻撃の時、
広島の爆心地から、おおよそ100キロ離れた場所にいた。・・・たった100キロメートル。
僕の祖母は1945年8月は福山にいて、広島から100キロ歩いて避難してきた人たちを見た。
その1945年は、僕らの産まれる、たった21年前だった。
なんだか、いろんな物事が「近い」なぁ・・・・・・と、思った。
軍事力による一方的な殺戮では、恒久的な平和など望むべくもないだろう、と僕は確信する。