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この前の土曜日と日曜日のこと。

2025-06-27 13:57:53 | Weblog

僕はこの前の土曜日と日曜日には、福山に行っていたのだが、

そのことを書く。

今、目の前のカレンダーを見たらなんと、

その日、6月21日は「夏至」だった。「冬至」も「夏至」も、実際の我々の生活には

直接、関係ないと言えばそうなのだが、太陽暦において大事な日。

ちなみに、「冬至」の日は、今は亡き畏友、岩佐亘の誕生日だ。

 

それはともかく。

この日は僕は珍しく、クルマで福山に行った。そして偶然、

ちょうどこの日の午後に、

畏友、土井健のバンドが練習で、メンバーが集まる、という。

これは、千載一隅のチャンス!ということで僕は彼らを「見学」しに、

福山市S町のコミュニティ・センターというところへ出かけた。昔なら「公民館」といったようなところ。

土地勘もないし、多少方向音痴なので(あかんやん)少し迷って、でもたどり着いた。

ちょっとした冒険でもあった。

着いたのは3時20分くらい。練習は4時までと聞いていたので、まあギリギリではある。

教室みたいなところで3人は、いた。

彼のやってるバンドは easy-marksという名前で、

土井健が歌とアコギとハーモニカ。

平田さんという年上の人がエレキベース。なんと、5弦フレットレスだ。

そしてカネヒサくんがカホン。

僕はカネヒサ君とは初対面だった。照れ屋な感じの人。

彼らの演奏する、様々な曲を聴けた。

歌はPAもマイクもなしの、生。アコギは生音とアンプからの音のミックス。

ベースもアンプ持ち込みで、とてもいい音。

カホンも生でいい音。小さなシンバルが、とても効いている。

全体の音のバランスも、歌を含めていい感じ。木の床が、柔らかく音を吸う。

で、まずは

土井健が作詞作曲した「花酒」という歌。この3人の編成でこの歌を聞いたのは初めてだった。

ゆったりとした、優しい歌。しかし内容は実は、反戦歌だ。

そしてベースの平田さんが歌う、彼のオリジナル曲を2曲。懐かしい、70年代ロックの匂い。

そこから「悲しくてやりきれない」のカヴァー。ちょっとエスニック風のアレンジ。

あと清志郎の歌詞で「500マイル」。

土井健が自分で歌詞を訳した「WHAT  A  WONDERFUL  WORLD」も、やってくれた。

そしてなんとあの「原爆許すまじ」という歌を、ロック・アレンジで。

ぶっきらぼうな感じが素敵だった。元のあの歌の、暗すぎる感じは、微塵もなかった。

この後、ピース・コンサートに出演する予定がある、とのことで

ピースに特化した選曲のようだったみたい。いい選曲。

土井健の、立ってギターを弾いて歌う姿はとても素敵だった。

僕らは中学2年で生涯初めてのバンドを組み、僕は彼の横でギターを弾いた。

そんな時代もあったのだ。

(いつかまた演りたい、と常々、思っている。)

最後は、僕もギターで参加させてもらって、ジョン・レノンの「イマジン」を

4人でやった。これも日本語詞は忌野清志郎ヴァージョン。キヨシローは偉大だ。

とても有意義だった。「見学」というか、お客は僕1人の小さなコンサートみたいだった。

最後は飛び入りまでしてるし。

土井健と、メンバーのみなさん、ありがっとです!

僕と土井健はこの後、2人で福山の駅前の繁華街に繰り出して、良い店ないかな?

と歩いていたら

驚いたことに、中学の時の教師に偶然、出会った。珍しい、っていうか僕は、初めてだ、こんなの。

我々の好きな先生だった。朴訥な人。

もちろん、一緒に飲んで・・・ということにはならなかったのだが、

少しは、心動かされる出来事ではあった。昔、すごく大きく見えた先生が今では、僕より少し小さかったのも

驚きだった。こんな僕でも少しは、背が伸びたのだな。

そして我々は居酒屋で、午前1時過ぎまで飲んだ。

とても有意義で、至福な午後から夜中過ぎであった。

 

この後、僕はホテルで寝て、次の日、妹のところにいたら

アメリカ軍によるイラクの核施設爆撃のニュースが入ってきた。歴史的なバッドニューズ。

その前の日の午後はピースな音楽に浸っていたというのにね。

しかもトランプは「この攻撃(イラクへの攻撃)は、広島や長崎への原爆投下と本質的には同じだ」

と語ったそうだ。

すごいこと言う。

 

そう考えてみれば僕は、今回のあのアメリカのイラクへの攻撃の時、

広島の爆心地から、おおよそ100キロ離れた場所にいた。・・・たった100キロメートル。

僕の祖母は1945年8月は福山にいて、広島から100キロ歩いて避難してきた人たちを見た。

その1945年は、僕らの産まれる、たった21年前だった。

 

なんだか、いろんな物事が「近い」なぁ・・・・・・と、思った。

 

 

 

軍事力による一方的な殺戮では、恒久的な平和など望むべくもないだろう、と僕は確信する。


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エンパシー再び。ブレイディみかこ氏の著作について。

2025-06-26 18:09:51 | Weblog

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という本があって

以前もこのブログで紹介したことがある。

写真左の、黄色い本だ。これは文庫版。

単行本で2019年に出た本なのだが、出た当時ラジオ等で、作家の高橋源一郎が絶賛していて、気になっていた。

で、僕が単行本を買ったのは出てから半年後くらいだったのかな。

すごくすごく面白くて興味深くて、

最高だな、と思って、読んだ直後にちょうど帰省の時期だったので土井健に会い、

「これ読んで」と渡したら彼は既に新刊本を買っていた。まだ読んでなかったのだが。

2人で大笑いした。彼と僕は、興味の対象が似ているのだ、昔から。

そのあと、「本屋大賞」というなかなか良い文学賞も取って、世間で話題になり、

ベストセラーみたいになったのだと思う。

異例の速さで文庫化されたみたいだった。

文庫化されてからはブックオフとかで100円前後でこの本を見かけるようになったので、

見かけては買い、読んで欲しい・・・・と思った友達に配った。

配った、って言っても5人くらいかな。

それくらい気に入った本だった。近年、まれ。

さてその内容は・・・もちろん一口では言えないのだけれど、

僕としては「パンク姉ちゃんの人種、政治問題てんこ盛りの、英国での子育て奮闘記」のように感じた。

そう、この作者、ピストルズ大好きであるからして、視点がすごく社会的なのだ。

アナーキズムについてもちゃんと突っ込んで勉強している。

そしてこの本には、移民差別問題、貧困問題、などの、弱者の立場に立った社会問題が、

これでもか!というくらい描かれる。

小説ではない。ノンフィクションと言っていいと思う。

で、僕としては裏テーマのように「エンパシー」というものがある、と思った。

 

で、

最近、写真右の本を発見した。

「他者の靴を履く」著者ブレィディみかこ。

文庫本の奥付には2024年5月10日 第一刷  とある。1年前か。

帯には、

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の大人の続編本!

とある。

ん?「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」」(以後「ぼくY」と略す)は、

「ぼくY2」という続編が、とっくの以前に出ているのだがな・・・・

と思いながら、家で「はじめに」を読んでみてわかった。

「ぼくY」での世間の反応が、「エンパシー」に集中したのが驚きだったのだそうだ、著者としては。

 

以下引用

後付けで「本のテーマはエンパシーです」などと言い始めた部分はあるにせよ、

書いた時点では、少なくとも著者のわたしはそんなことは考えてもいなかった。

引用終わり

 

なのだそうだ。

「ぼくY」の中で、ほんの5ページしか出てこない「エンパシー」。

でも、一介の読者として、やはり思う。「ぼくY」の中であの「エンパシー」の話は、強烈だったし、

この本の、それ以後のエピソードも全部、「エンパシー」の影響下にある。

 

で、とにかく著者としては

 

以下引用

「もっと深くエンパシーを掘り下げて自分なりに思考した文章を書くことは、たった5ページで

その言葉の「さわり」だけを書いてしまった著者がやっておくべき仕事ではないか、と考えるようになった。

(中略)だから、これは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の副読本とも言える。

引用終わり

 

、ということなのだそうだ。どこまでも面白い人。

僕はこの人の本を探して、もう何冊も読んだ。どれも最高に面白い。

今は「他人の靴を履く」を読んでいる途中なのだが、「ぼくY」と違って、子供が出てこないし、話が固い。

社会問題にがっぷり四つで向かい合っている。だからちょっとだけ読みにくい。でも。面白い。

 

 

今回の僕の日記は、話が長くなってしまったが、

もうちょっとだけ続けて書くから読んでね。

 

今こそ、って言うか・・・・このエンパシーという概念について我々は考えたい。

他者の靴を履く、ということは

「他人の立場に立って物事を考えてみる」ということだ。

で、「エンパシー」が「シンパシー」と違うのは、それが憐れむ、とか共感する「感情」ではなく、

他人の立場に立って考える「能力」である、というところなのだ。

「共感する能力」と言っても間違いではないのかな。

 

我々は・・・っていうか僕の友達や知り合いの、ほとんどの人は「弱者」だ。

弱者同士、助け合って生きていきたい。

 

気になった人は

ブレィディみかこ著「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を、読んでみてください。

 

 

 

昨日、清治に おススメしたのは、この「ぼくY」だった。

 

 


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つむじ風のように友、来たる。

2025-06-25 18:52:56 | Weblog

畏友であり盟友であり悪友でもある西妻清治が突然京都を訪れた。

埼玉から、奈良に来ていたので寄ってくれたのだそうだ。

僕は昨日の雨でちょっと風邪気味だったのだが

2人で近くのスタバで1時間弱喋って、彼はつむじ風のように去っていった。

まったく・・・ものすごい機動力と幸運を身に纏ったやつ。

俺たちはいつ会っても、一瞬であの頃に戻ってしまう。

奈良の学生寮で一緒に暮らした3年間に。

全然久しぶりな感じもしないし、話したいことは山ほどあるし、

聞きたいことも山ほどある。

時間はどれだけあっても足りないから逆に、たった1時間の邂逅でも物足りなさもない。

会おうと思えばいつだって会える。

奴は奴で、あの頃のまま生きてるし、僕もそうだ。

自分がリセットされたような気分になった。

間違いだらけの世界だし、自分自身だって失敗や、”やらかし” の連続なのだが

それでも、

これはこれでいいや、と思わせてくれた。

生きてると冗談抜きで、たまに死にたくなるけど、

大丈夫かもしれない、生き抜いていけるかもしれない、と思わせてくれた。

清治、ありがと~。

 

 

 

 

写真は、清治にも ちらっと見せることが出来た、今年の向日葵の花壇。

最初の失敗の後の2度目の種まきが成功して、現状に至る。

このまま、うまく育ってくれると思う。

乞うご期待。


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21日のトランプ大統領の演説について。

2025-06-24 21:30:26 | Weblog

僕はこの土日、福山に行っていた。

そこで、アメリカによるイランへの空爆のニュースを知ったのだ。

妹の家にいたから、普段は見ないテレビのニュースを見ることが出来た。

それで、6月21日の

トランプ大統領のホワイトハウスでの、国民向けの演説を目撃して

すごく暗い気持ちになった。

あの顔、

表情。

いつもにも増してトランプ氏、

憎しみと強い偏見がモロに顔に出ていた。

僕は思ったのだ、これではまるで、映画とかに出てくる「悪役」じゃないか、と。

ちょっと前の日記で僕は、

友達や知り合いが亡くなった時に「死に顔」は見たいのだ、というようなことを書いた。

それは、そこからしか読み取れない何かがあるような気がして。

で、生きてる人間でもその表情から読み取れることって多いのではないか、

と思っていて、

だから国会とかでも本当ならテレビ中継で見たいのだが

テレビ嫌いだし昼間だし、見られないのでよくラジオで聞いていた。

一番よく聞いたのがアベ首相時代だった。

声だけでも、信用できない感じが伝わってきた。

 

トランプ氏はやはり、モノの見方が偏狭だし、思考も短絡的なのではなかろうか。

ちょっと前にブルース・スプリングスティーンのライヴでの批判に対しても

口汚く罵る、という反応だった。・・・子供か?

今更言ってもしょうがないし、僕にはアメリカの選挙権も当然ないから無意味なのだが、

こういう人は指導者に向かないのではないだろうか。

寛容さのカケラも感じられない。

弱者に対して無慈悲だし。

ただ今回、日本政府の反応が「判断留保」だったのが少しだけ意外だった。

即、アメリカ支持するか、と予想したから。

でも結局は支持するのだろうと予測する。

日本政府にはアメリカに対して、反対意見を言う権利もないように見える。

 

「憎しみの連鎖」、というのが諸悪の根源である。

「ドント・ルックバック・イン・アンガー」と歌ったのはギャラガー兄だった。

ギャラガー兄弟も他人のこと言えない・・・っていうか超・仲悪いのだが、

でも概念としてはやはり、これしかない気がする。

「怒りを持って振り返ってはいけない」。

許し合うことが、我々に出来ればいいのだ、と思うことしか出来ない。


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戦争

2025-06-23 21:31:46 | Weblog

アメリカ軍がイラクに対して直接、攻撃を実施した。

今までなかったことだ。

これからどうなるのか、一切わからない。

いい予感は、しない。

すわ、第三次世界大戦か?というのもあながち、間違いではない。

それくらい危ない事態。

どこまでも今回は突き進みそうな、嫌な予感がする。

しかし

中東のイスラエル問題、というのは・・・頑張っても理解しにくい。

我々が100%理解することはもしかしたら、出来ないのかもしれない。

憎しみがとても深いのが悲しい。

 

・・・・・・「時効」というのは優しい概念だと僕は思う。

昔のことは「なかったこと」になるのだ、それは自然だ。

いろんな事が「時効成立」すればいいのに。

関西の人は「じかんぐすり」という言い方をする。

 

戦争の被害者はいつでも「弱者」だ。

前線に行かされるのも弱者、空襲で殺されるのも弱者。

特攻させられるのも弱者。飢えるのも弱者。

どうしても殺しあいたいなら

戦争を決めた者(偉い?ひと)たちが、その個人同士で戦って殺しあえばいいと思う。

我々、庶民は助け合い、愛し合うのだ。

 

誰かをディスりたくなるようなことあっても、

自重せねばならない。

 

殺し合いはやめよう。

憎みあうのはやめよう。

過去のいざこざは積極的に忘れよう。

圧倒的な兵器からは、みんなで手を引こう。

そして「共存」しよう。

 

 

愛は憎しみに勝つ・・・っていうか、勝って欲しい。

 

カート・ヴォネガットは、「親切」が大事だ、というようなことを言っていた。

「愛」よりも有効なのは他人に対する「親切」だ、と。

 

僕もそう思う。

 

新たな殺戮と虐殺は、ぜひぜひ回避してほしい。

 

 


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「聖者の行進」と、「この素晴らしき世界」

2025-06-20 12:51:20 | Weblog

最近は日課として、1時間ほど歩いている。

本当は走りたいのだが、まあいいだろう。徐々に回復していけばいいのだ。

で、近所の大きな川の土手を歩いて、そこから小さな川沿いの道を通って戻る。

ほとんど、人ともすれ違わないので、ある時思いついて、

歩きながら

ハーモニカの練習をすることにした。家で吹いてるとハーモニカって意外に音量が大きくて、

近所迷惑なのだ。

初めは去年、片山道郎ソロ弾き語りで一人でギターと歌とハーモニカで演った

ルイ・アームストロングの「WHAT  A  WONDERFUL  WORLD」のメロディを吹いていた。

この曲は、こないだYOUTUBEにアップした2007年のランブルフィッシュ最後のライヴでも

佐治くんが歌って、僕らが演奏した。

ランブルは滅多に有名曲のカヴァーは、やらないバンドだったのだがこの時は、

この曲を歌いたい、と佐治くんが熱望したのだ(僕が聴き取りで、コード進行を発見した)。

ランブルの時は僕はもちろん、ギターだけだ。

邦題は「この素晴らしき世界」。

これはGのハーモニカで。

そして次はCのハーモニカで、

自作曲「地上から何処へ?(ココカラドコヘ?)」のイントロとアウトロ。

高音域の辺を集中的に吹いてみた。延々と試行錯誤を繰り返す。

するとある時偶然「聖者の行進」のメロディがするっと出てきた。

原題は「WHEN  THE  SAINTS  GO  MARCHING  IN 」という、あれだ。

(「聖者が街にやってくる」という邦題もあるが。)

おお、これはいい感じ、ということで集中して練習してみた。

簡単ではないが だんだんと、つっかえずに頭から終わりまで吹けるようになってきた。

そして飽きたらGのハーモニカに戻って「WHAT  A  WONDERFUL  WORLD」を吹く。

 

自作曲の「地上から何処へ?」と、

「WHEN  THE  SAINTS  GO  MARCHING  IN 」と、

「WHAT  A  WONDERFUL  WORLD」を交互に吹きながら歩く。

少しずつ上達するのが自分でもわかって、楽しい。

 

で、「WHEN  THE  SAINTS  GO  MARCHING  IN 」ってどういう由来の曲だったっけ?

と思って帰ってからググってみて、軽く驚いた。

ウイッキペディアによるとこの曲は、古い黒人霊歌(ゴスペル)のひとつで、

アメリカ南部のニューオーリンズで、古くから葬送の際、演奏されてきた曲・・なのだそうだ。

埋葬後のパレードでしばしば演奏される・・・らしい。

ニューオーリンズの葬送パレードと言えば、「セカンドライン」だ!!!!!

しかもこの曲が世界的に有名になったのは1960年に

アメリカ映画「5つの銅貨」に使用されたからで、その時歌ったのが

ルイ・アームストロングとダニー・ケイなのだ。

そう言われてみれば・・・・サッチモの「聖者の行進」って、超・有名だよね。

スタンダード中のスタンダードというか。

(しかも偶然、本家のキーもGで、僕は知らずに、全く同じ音で吹いていたことになる。)

記憶の底のほうでは・・・・ずいぶん昔から知ってた気がする。

 

で、無意識で行動した結果、

僕は、

ルイ・アームストロングの超・有名2曲をハーモニカで交互に吹きながら京都・伏見の河原を歩く、

という珍妙なことになってしまった。

 

 

なんとなく、運命的なものを感じずにはいられない。

 

 

 


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やってる音楽を言い表す言葉。

2025-06-19 21:01:44 | Weblog

自分たちの音楽を、どんな言葉で言い表すか?

これは、とても難しい。

だって、「何にも似てない音楽」を目指してるのに、

安易に自分でカテゴライズなどしたくないし、

あの、○○っていう(有名なバンド)の感じに近い・・・とかも言いたくない。

このことは昔から、小さな問題ではあった。

僕は何年か前、京阪電車の最終で酔っぱらった陽気な気のいいオジサンたち(同年代と思う)

と友達になって(こっちも酔っぱらっている)、

「どんな音楽やってるの?」と聞かれて、

「いや・・けっこう激しいロックだけど何にも似てないので、”どんな”とかひとことでは言えないなー・・・・」

と答えたら、

「親身になって言うけどな、言えないとそれ、損やで」と、

まるで「心配してる親」みたいな顔で言われた。

 

振り返って、ランブルフィッシュ時代には僕は、そんな場合に

「ブルース・ロック」と答えていた。

でも「ブルース・ロック」って・・・・誤解を招く言い方だなあ、と後年になって思った。

僕はストーンズとか、J・ガイルズバンドとか、ブルース・ブラザーズとか・・・・・・・

フェイセズとか、ドアーズとかオールマンブラザーズバンドとか、

その辺の意味で言ってたのだ。

しかし「ブルース」という言葉がそれ以前に日本語化していて、

わが国では、淡谷のり子さんの演歌的歌謡曲が「ブルース」だった。

情念の歌、みたいな。

でも本来のアメリカ黒人のブルースはカラッとしているものが多いし、

人種差別の苦しみは根底にあるものの、リズミックなダンスミュージックでもあるし、

根本は、ふてぶてしくて明るいものが多い。

日本の「演歌」とは全然違うのだ。

だから「ブルースロック」って言い方、違うなあ、と反省して、近年は

ランブルのこと「ストーンズ直系」みたいに言ってたのだ。

前回の日記にもそう書いたのだが・・・・・・・・・・・・読み返したらそれは「軽すぎる」と反省。

ランブルは、ストーンズに深く影響受けたバンドだけど、ストーンズの真似はしなかったし。

もちろん、ストーンズのカヴァーとかコピーもしてない。したこともない。

だから昨日の日記は一部、書き換えた。

ストーンズ直系ロックンロールバンド、と描いたところを、

ソウル直系ロックンロールバンド、と、訂正した。

しかし、世界中見回しても専属ギタリストが二人いるバンドは「ストーンズ直系」が多い。

エアロスミスも、ブラッククロウズも、NYドールズも。

 

言葉って、難しい。

 

今、やっているROCA’66は、

僕がヴォーカル/ギターで、赤井君が専属ギターで、伊藤克ちゃんが歌とベースで、トビーがドラムスの、

4人編成だ。

言ってみれば、ビートルズ編成????かな?

音楽性は「日本語のノイジーなフォークロック」?????

 

・・・・・・・・・・いや、やっぱり

ひとことでは言えないわ。

 

 

 

 


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日々は往く。

2025-06-18 22:58:57 | Weblog

突然の激痛で、仕事に行かなく(行けなく)なって2か月。

 

初めの頃は、久しぶりの「自由時間」に戸惑って、

なんだか罪悪感を持っていたものだが、もう慣れた。

こんな風な、時間に縛られない自由な時間こそが人間本来の在り方である。

そうそう、昔はこんなんだったよ、高校生の夏休みとか。

幼児だったころのことはまったく覚えてないのだがきっと、こんな風であったと思う。

乳児もそうだ。

一日をどんな風に使おうが自由だ。

朝から飲んだくれたって、特に問題ないのだ。

でも慣習というものが染みついてて、僕は朝から酒飲む気にはなれない。

それに

夏が終わったら仕事を探し始めるから、アル中とか廃人になってる場合でもない。

昼間から酒も飲まずに歌ったりしてるのだが、

こーゆーのはキリギリス的で良い。

傍から見ると遊んでるように見えるだろうが実は僕はミュージシャンなので

歌うのは遊びではない。ギター弾くのもそうだ。

プレイすることは遊びではないのだ(語義矛盾)。

今日も今日とて以前(2,3年前)に作りかけて放っといた楽曲を

ノートから発見した。

あれあれ、すごくいい。60年代サイケデリックというか、中期ビートルズの出来損ないみたい。

「マジカル・ミステリー・ツアー」に収録されててもおかしくない。

いや、それは無理か。

でもビートルズ風味の楽曲って、バンドマンなら誰でも、どうしても憧れてしまうものなのだ。

きょう再発見した歌は、いつの日かライヴでやるからタイトルだけ覚えといてくれ。

「PSYCOLOGICAL  MARMARADE」だ。

 

夏にレコーディングに入るが、それ以降の楽曲を今、作りためている感じ。

新曲は、バンドにとってガソリンなのだ。

もしも新曲が出来なくなったら・・・・僕はもうバンド演れないかもしれない。

「前に進むチカラ」が、常に必要なのだ。

音楽理論から外れそうな、ギリギリの音楽が僕は好きだ。

不協和音が多少、混ざるような。それでいて破綻はしない。

でも、マトモではない。

常に、そーゆーのを狙っている。「ちょっと変な音楽」。

 

話は戻るが、やっぱり「自由」は良い。良いのだが怖いのは、眠れない夜だ。

以前は昼間、毎日疲れ果ててたので夜中に目覚めることはなかった。

夜中に目覚めて考え事をするのは危ういし、良くない。

喪失感と後悔に飲み込まれてしまって、

それから抜け出せなくなったりすることが、たまにあって困る。

人間って、複雑で難しいものだ。

カマキリならきっと、こんな思いに捉われることはない・・・のであろうと推測する。

でもなあ、

きっとカマキリの人生も過酷だと思う。

 

 

 

 


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佐治くんの横でギターを弾いてた頃

2025-06-18 20:21:05 | Weblog

 

もう、多くの人が見てくれたので満足なのだが、

2007年6月3日に大阪・十三ファンダンゴ(今現在は大阪・堺市に移転)で行われた

「還ってきたヨッパライ」

ランブルフィッシュ

ヴォーカル佐治朝吉の生前最後のライヴ映像を、もう一度貼ってみた。

2007年なら僕はもう、自分のバンド(ROCA’66の前身)を率いて、歌ってるのだが

この時はギタリストに戻っている。しかも、エレキは使わずにエレアコだ。

ランブルフィッシュは本来は、

ベース、ドラムに加え、

エレクトリックギター2本と、正メンバーでサックス、の

リズム&ブルース直系大音量ロックンロールバンドなのだが、

この日アコースティック編成なのは、

音量的に、闘病が長くなってた佐治くんの体調を慮って、ということもあるのだが

それだけでなく、積極的に アコースティックの音世界を構築したい、という

佐治くんの望みでもあった。

フォーキーな要素は昔から、ランブルの中の重要な一部分だった。

レコーディングではアコギを、使いまくってた。

しかし僕としては・・・アコギをライヴで上手に使うのはとてもとても難しい、という認識があった。

(今でも、ある。)

アコギの生音の繊細な感じはライヴのPAで再現できないし、それでなくてもハウリングしやすいのだ。

だからこの時は僕は開き直って、生音なしの、エレアコの完全エレクトリックの音でやった。

ピエゾ・ピックアップの音。アコースティック用のエフェクターで音を加工して、多少アコギっぽくしている。

潔く、サウンドホールは、完全に塞いである。

その試みはこの時は何とか、うまくいったと思っている。

って言うか・・・・・・・・・これしかなかった。

この時使ったエピフォンのエレアコはこの後、ボディが割れてしまったので

今は物置で眠っている。

佐治くんの前に置いてある譜面台の客席側に貼ってある写真の「彼」は、

1988年に不慮の事故で亡くなった、岩佐亘だ。イワサトオルと読む。

6月3日は、彼の命日なのだ。

隣に「南軍旗」の布も結んであるが、それには大した意味は、ない。

サザンロックバンド、レーナード・スキナードへのリスペクト、くらいのことだ。

僕としてはこの動画を見ていると、

佐治くんへの思いと、もうひとつ

自分がギタリストであった頃のことが懐かしく思い出される。

ギタリストって・・・・楽しいのだ。もちろん、今だって、ヴォーカル/ギターだって楽しいのだが、

ギタリストだと責任が薄いっていうか、気楽なのだ。

大好きな、かっこいいヴォーカルの横で、自由に音を探る。

もちろん「歌」を最大限に生かすことを第一に考える。

演奏の中で苦手な部分は、引っ込んでればいい。音は出さなくてもいい。

得意な、っていうか「出るぞー」みたいなところは音を上げて、散々やればいい。

コーラスもやるのだが、ロックバンドのコーラスの大事なところは(これは常識かもしれないが)、

音程以上に、メインヴォーカルと「タイミング」を合わせる、というところにある。

(音程はもちろん大事だが。)

「彼」の息遣いを慎重に察知して、同じタイミングで声を出し、同じところで声を消す。

時々、わざとタイミング外すのも、アリなんだけど。

この動画で、それがちゃんと出来てるかどうか・・・はちょっと怪しいのだが、

僕は少なくともそれを念頭に声を出している。

僕はこの時、2007年6月3日、

これが佐治くんとの最後のステージになるということは、わかっていた。

彼は闘病5年目だった。もうギリギリだった。

(この年の9月に、彼は逝った。)

 

だから自分が、感傷的になってステージで大泣きしてしまう・・・ようなことを自分で心配していたのだが

幸い、そうはならなかった。

演奏への緊張感と、ちゃんと演らねば、という義務感みたいなのが勝った。

結果、自分のギターはやはり、上手くはないが、精一杯やれたので良かったと思っている。

ギターソロも頑張って弾いている。

ああ、やっぱ、ギタリストって楽しかったな、と思う。

戻りたいか?と聞かれたとしたら・・・・ちょっと戻りたいが、

考えたら今は今で、大好きなギタリストが僕の横で弾いてくれてるのだ。

僕はやっぱ、贅沢だと思う。

 


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「暮らし」について。

2025-06-17 20:01:17 | Weblog

みんな、どんな風に暮らしてるのだろう?

 

僕は社会的なこと苦手・・・っていうか、学校も苦手だったし、

だから大学なんて行く気もなくて、絵を、図画を描いて暮らせるかも・・・みたいな

テキトーな感じでデザイン専門学校に行ったが途中で辞めてしまって、

でも高校時代からずっとやっていたバンドが人生のすべてみたいになったので

(これはよく考えたら希有なことで、とても幸運だった、と今では思う)、

いろいろなアルバイトや仕事を本当に転々としながら生きて来た。

でもそうは言いながら生活はそんなに滅茶苦茶ではなかったかもしれない。

健康保険にはずっと入ってた(る)し、大きな借金抱えるようなことにも、ならずに済んだ。

バイク大事故が一回あったけど、運転免許の更新は毎回行ってるし、

生活に支障が出るほどお酒とか薬物とかにはまり込むこともなかった。

犯罪に手を染めることも(いちおう)なかったし、危険な闇バイトに関わることもなかった。

公的に訴えられたこともない。

髪の毛も、昔は腰のあたりまで伸ばしていたこともあるが、近年はそんなに長くない。

髭だって剃ってるし。風呂もほぼ毎日入っている。

なんだかんだ言ってバンドやりながら、ほぼ切れ目なく働いてきたし・・・・・。

意外とまともかな俺?とか思うこともある。

でも大学を新卒で就職して、ずっと同じ会社で勤め上げてきたような人

(そういう人って、ちゃんと存在するから驚きだった)を見ると、

「すげえなあ・・・まともだなぁ」と感心してしまう。

かと思えば

全国を流浪しながら各地でライヴとかやって、それで生きてる人もいる。

以前の友達に、家とか部屋は持たず(借りず)、車に生活道具と音楽機材を載せて

日本中回りながら生きてる人がいた。「すげえなあ、ぶっ飛んでるなぁ」と思う。

何年か前に、その人は亡くなってしまったのだが。

僕はまだ、生きているけれど・・・

この後の人生がどうなるのか、全く予測がつかない。

先日 読み返した本、新藤兼人の「ボケ老人の孤独な散歩」には、

年老いてから経済的に立ち行かなくなり、自殺に追い込まれた人の実話が、

いくつもいくつも載っている。

新藤監督自身、執筆時80歳なので、わが身の先行きが不安だったのだろう。

僕はまだ、60歳にもなってないのだが、不安に思ってしまうのは

今のところ(自ら望んだことなのだが)無職だからだろう。

突然の激痛が襲ってきたのがまだ、たった2か月前だし。

でもこの先にはまだまだ、楽しいことが待っている、と信じようと思う。

ライヴはいくつも決まっているし、レコーディングの日程も決まっている。

ライヴは何度演っても新鮮だし、不可思議だし、楽しすぎる。

何より、一緒に演奏してくれる仲間と、

ライヴハウスに観に来てくれる仲間がいるのがありがたい。

僕の人生は破天荒なものではないかもだけど、

ある程度マトモでいられて良かった、とも思っている。

マトモ・・・とか言いながら僕らの音楽はぶっ飛んでます。決してマトモではないかもしれない。

音楽にはそういう良さがある。

マトモな世界を突き抜けてしまう良さ。

来月、2025年7月19日には京都・四条大宮のライヴハウス「夜想」に

我々のバンドROCA’66が出演する。

ストーンズは80歳超えても余裕でライヴやってるが、我々はいくつまで演れるかわからないよね。

でも、もしも明日、ストーンズから「全米ツアーの前座やってくれ」っていう電話が来たとしても

僕は驚かないし(いや、ちょっと驚くか)、余裕でそれ、こなせるくらいの・・・・・っていうか

むしろ

前座で本編「喰う」くらいの音楽的ポテンシャルが我々にはある、と思っている。

半分冗談だが、半分本気だ。

 

 

 


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