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トモダチのこと、そして19日の「夜想」でのライヴのこと。

2025-07-14 12:18:10 | Weblog

先週はバンド関係の友達と会うことが多かったので記しておく。

 

7月10日は京都・磔磔へ、DESTINYとスキマノザラシのライヴを見に行った。

スキマのギターのヒロシと会えたのは実に久しぶりだった。

この前会ったのは同じく京都の拾得で、10年前?そんなに経つのか。

ヒロシは全然変わってないし、むしろ若返ってるので驚き。ギターは深みを増していた。

スキマを聴くと、イトちゃんがまだそこらへんで笑ってる気がする。

ミズガミくんも元気そうで良かった。DESTINYの清水くんも相変わらずキラッキラ。

DESTINYもスキマも、かっこよかった。

その帰り道、京都の名物バー「うさぎ」にも久しぶりに寄った。ミヤガワくんも元気で愉快だった。

 

12日の土曜日は、近年、ライヴハウスで知り合った新しい友達である

COZMIC SPOONのVO/ギターの、OGGYさんのウチに遊びに行って、

ベースのHOLLYさんも交えて、楽しく飲んだ。

我々は同い年で、

話をしていてだんだん判明してきたのだが、僕がランブルフィッシュのギターだった

1990年ごろ、彼(OGGYさん)は「極楽蝶」というバンドのVO/ギターで、

しかもブルーズ系ロックで、関西で活動していて、

大阪・十三ファンダンゴにも出演していた、とのことで、

つまり

我々は、めっちゃ近い(地理的にも、音楽性も)存在だったのに、何故あの当時出会わなかったのか不思議だ。

僕は確かに「極楽蝶」という名前は知っていたし

彼も「ランブルフィッシュ」の存在は知っていたらしい。

「ランブルフィッシュ」と「極楽蝶」は、対バンしたことがない。

で、あれから30年以上経って、今になって出会えたのもなかなか、貴重な縁だと思う。

本当に、人と人との出会いって不可思議であるよな。

 

さて、そして13日の日曜日はちょっと久しぶりの、ROCA’66のスタジオだった。

今現在の僕の、実質一番近しい友達がROCA’66のメンバーだ。

ベース 伊藤克っちゃん、ギター 赤井くん、ドラムス トビーくん。

一番よく会うし、気心も知れている。

一緒に演奏したりすると人間同士の距離って、すごく縮まるのだ。

歌詞とかって、心の中をさらけ出してるみたいなものだし、

もっと突き詰めれば「音」だってそうなのだ。心の中をさらけ出してしまう。

心の中、考えてること、虚勢、自分のスキル、度胸、繊細さ・・・・・全部バレてしまう。

 

この日のスタジオでの演奏はほぼ完ぺき。来月から我々はレコーディングに突入する。

 

その前に、今週末はライヴだ。

言うまでもなく、ライヴは我々の生命線だ。

思えば今日の日記に名前が出てきた全員と、ライヴハウスで知り合っている。

生きる理由、とか、目標・・と言っても大げさではない。

もちろん、何もかもがうまく行ってるわけではない。困難もあるし、

失敗もあるし、後悔もある。ずっこけも、時々ある(あかんけど)。

それでも、また新しく人に出会える可能性も多々あるし、

とんでもなく道が開ける可能性だってある、と本気で思っている。

この日記だってそうなんだけど、

広く「世界」に向けて我々は独自の、自作の音楽を発信しているのだ。

目撃しに、来て欲しいデス。

ライヴは7月19日、土曜日

京都の阪急「大宮」駅から徒歩5分くらいのところにある地下のライヴハウス

「夜想」で。

出演は

CLOVER

我々ROCA’66

THE  LULA

忌(イム)

 

出演順は上記の通り。

我々の出番はオンタイムで19:40から。

それぞれ持ち時間はたった30分なれど、ギュッと詰まったライヴをやります。

チャージは2000円プラス1ドリンク600円。

 

 

昔からの友達も、比較的新しい友達も、まだ出会えてない人も、

ライヴハウスで何度でも、出会いたいデッス。

 

 


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この夏の私

2025-07-12 14:28:21 | Weblog

真夏に突入。

もう何か、最近は毎日が穏やかで、

こんなんでいいのか?というような思いもやっと消えて、

ゆるゆると生きている。

思えば十年もの長きにわたって毎日毎日、急かされるような日々だったのだ。

自分が、それ以前の自分に戻りつつあるのを感じる。

大体が僕はのんびり屋で、ぼーっと何もせず過ごすのが好きだったのだ。

夏の暑さも好きだった。

まあ、9月になって仕事を探し出して、また働き始めたら

また毎日が「戦い」みたいになるのかもしれないけど。

この2025年の夏の間はせめて、ココロ楽しく暮らそうと思う。

やらねばならぬこと、なんて人間・・・・実は少ないのだ。

最低限、最小限の用事だけで生きてゆくのは素敵なことだ。

昔の、陽水が出てたCMじゃないけど

「くう」「ねる」「あそぶ」みたいな。

それだけでいいのではないか?

夜中に考え事をするのはやめられないが、

喪失感に打ちひしがれることが少なくなってきた。これはいいことだ。

そして啓示的な夢もまた、見るようになった。

啓示的、暗喩的、暗示的。

忘れてしまったことは膨大な量になるが、それはそれでいいのだ。

何もかも覚えてたら、気がおかしくなっちまうよ誰でも。

 

今日は散歩の道中で、驚くほど多種の昆虫たちと出会った。

カブトムシ、アブ、モンシロチョウ、アゲハチョウ、ミツバチ、トンボ。

カミキリムシにも出会いたかったな。

トンボは僕の周りを飛びまわって、すぐ近くの草に着地した。

すごく近くまで近づいても逃げないのだ。

たぶん、今の僕に「敵意」とか、「殺意」とか「捕まえよう」とかいう気が皆無なのが

伝わってたんだろうと思う。

子供の頃はよく昆虫を捕まえてはプラスティックの容器に入れて「飼った」つもりになっていた。

今思えば全部全部、逃がしてあげるべきだった。

そのほうがお互い、シアワセだったのに。

IF YOU  LOVE  SOMEBODY  SET  THEM  FREEというスティングの歌があったけど、

本当にその通りだと思う。

もし誰かを愛するなら、その誰かを解放してあげるべきなのだ。

愛することは簡単だが、難しい。

対人関係にしても、その「距離感」が難しいよね。

 

僕の生きがいは今でもバンドで、

今、やってるのはROCA’66という名前の4人編成のバンド。

次の週の7月19日は京都・四条大宮のライヴハウス「夜想」に出演。

いろんなことが活性化すればいいな、と思う。

 


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ドレミ・ソング (道郎和訳改訂版)

2025-07-11 17:03:40 | Weblog

ド、は「オーヴァーー・ドゥ」のド    

レ、は レレレの零

ミ、は「ミーイズム」のミー

ファ、は「ファブ・4」のファ

ソ・レ・DE・イ・イ・ノ・ダ

ラ・っ観的に行こう

シ、ぬ時は4ぬ

また1から始めましょう

 

どーなってもいいのよ

零点でもいい

ミーがミーであるために

ファはサイケのファー

ソ・レ・ガ・ド・ウ・シ・タ?

ラヴ・ウィル・ティア・アス・アパート

4ぬほど好きだよ

1オクターヴ上がりましょう

 

 

解説

オーヴァー・ドゥは「やりすぎ」の意、

ミーイズムは「自己中心主義(天上天下唯我独尊)」、

ファブ4は、ファビュラス・フォーの略で、ビートルズのこと

「サイケデリック・ファーズ」は1980年代英国のロックバンドの名前

「so  what?」は、マイルズ・デイヴィスの名曲、そして山口富士夫の自伝タイトル。

ラヴウィルティアアスアパ―トは、「ジョイ・ディヴィジョン」の曲名

4ぬ程好きだよ、はプリンス「DIE4 U」の意訳

 

 

なんか こればっかり考えてて

馬鹿みたいではある。

 

 

 

 

しかし「ミーイズム」って意味的に「エンパシー」と、ほとんど対極だな。

あんまりよくないなあ。

やっぱ「ミーのカー」のほうがいいかしら。

ゆらゆら帝国は偉大だし。

 

 


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ドレミの歌(DO-RE-MI)

2025-07-09 10:34:19 | Weblog

相変わらず2025年夏の私は無職で、

日課として1日に1時間ちょっと、付近を歩いたり小走りに走ったりしている。

名前はまだ、ない。

嘘。

名前はあるのだが収入がない。

そして歩きながらハーモニカを吹いている。

まるで「ハーメルンの笛吹き男」のようだ、と言えなくもないが

子供は誰もついてこない。きっとまだまだ修行が足りないのだ。

で、「WHAT  A  WONDERFUL  WORLD」と「WHEN  THE  SAINTS  GO  MARCHING  IN 」

の2曲を吹いているのだが、なかなか思うように上手くならない。

もしかしたら音楽の才能がもともとないのかもしれないのだが(あかんやん)、

吹いてて楽しいのだからしょうがない。でも、少しその2曲に飽きてきたので、

ハーモニカで、違う曲に挑戦してみた。「ドレミの歌」だ。

これは「サウンドオブミュージック」の中の歌で、

ペギー葉山の訳詞で、日本でもとてもポピュラーな歌。

この歌知らない、という人は少ないのではないだろうか。

この曲は実は音楽的に凄くて、何がどう凄いのかうまく説明できないのがもどかしいのだが、

要するにC(ド)のキーで使える音を歌メロが網羅しているのだ。

この歌メロを弾く(吹く)ことが、スケール練習になるというか。

ばるぼら の頃、ベースのキヨシがこの曲を絶賛していた。

ふうん・・・・と当時は思っていたのだが確かに、

ハーモニカで吹いてみるとこの曲、難しい。10穴ハープの、あらゆる音を使う感じ。

歩きながら苦心の末、

独学で、Cのキーの10穴ハーモニカ(ブルーズハープ)で、歌メロ全部、吹けることを発見した。

音楽的な理屈はイマイチよくわからないのだが、ハーモニカの音列は偉大だ。

しかしこの曲、僕としてはなかなかの難関である。

だからマゾ的に、面白いことこの上ない。

で、吹いているとどうしてもペギー葉山の「ドレミの歌」の歌詞が浮かぶ。

「ドはドーナツのド」、というアレだ。

この日本語詞、悪くはないのだが、ちょっと引っかかる。

特に2番の「どんなときにも列を組んで」のところ。

列なんか組みたくない。戦中の軍国主義みたいに感じる。

ミ、が「みんな」なのもちょっと・・いまいち。原詞では何と、「ミー」なのだ。

個人主義と全体主義と考えれば、正反対だ。

なので頭の中の暇つぶしも兼ねて、ハーモニカ吹きながら

自分なりに「ドレミの歌」を訳してみた。

 

「DO-RE-MI」

 

ド、は「どうする?」のド(もしくは「怒髪」のド)

レ、はレレレのレ  (天才バカボンより拝借)

ミ、は、「ミーのカー」のミー(ゆらゆら帝国より拝借)

ファ、は「楽しむ」のファン

ソ、れでいいのだ(再び天才バカボンより拝借)

ラ、ッ観的(楽観的)に行こう

シ、ぬ時にゃ死ぬ

またイチから始めましょう

 

どんな風に生きてもイイ

零(れい)点でもイイ

ミーがミーで在るために(我思う故に我在り)

ファーはサイケのファー(サイケデリック・ファーズより拝借)

ソ、れがどうした??? (山口富士夫 自伝「SO WHAT?」より拝借)

ラ、ーメン食べたい  (矢野顕子より拝借)

シ、は終わりじゃない(プリンス「レッツゴークレイジー」の冒頭より拝借)

さぁ、オクターブ上がりましょう

 

 

 

ちなみに、原詞も、とても素敵なので備忘録的に書いておく。

作詞はオスカー・ハマースタイン2世、

作曲はリチャード・ロジャース。

 

「DO-RE-MI」

 

DO 、 A DEER、 A FEMALE  DEER  ディアは鹿、それも雌の鹿

RAY、  A  DROP OF GOLDEN  SUN レイは金色の太陽から零れ落ちる光

ME、  A  NAME  I  CALL  MYSELF ミーは自分のことを呼ぶ名

FAR、 A  LONG  LONG  WAY  TO  RUN  ファー、走るべき道は遥か遠い

SAW、 A  NEEDLE  PULLING  THREAD ソーは 針を追って縫う糸

LA 、  A  NOTE  OF  FOLLOW  SAW  ラは ソ、の次の音

TEA、  A  DRINK  WITH  JAM  AND  BREAD ティーは ジャムとパンと一緒に飲むもの

 

THAT  WILL  BLING  US  BACK  TO  DO そして我々はまたドに戻る

 

 

でも思うに、戻った「ド」は、もとの「ド」にあらず・・・・で、

1オクターヴ上がってるんだよね。

そして「音階」の上限がどこまでなのか?は、わからないらしい。

無限なのかもしれない。

 

 

 

付記:この曲が登場する「サウンド・オブ・ミュージック」という映画、

僕は全然興味なかったのだが今回、ウイッキでちょっとだけ見たら何と、

ナチスの迫害を逃れてオーストリアを脱出する家族の話(しかも実話)だ、という。

知らなかった・・・・。

時代的にそれって、ジョン・アーヴィングの1作目小説「熊を放つ」と近いんじゃないか?

地理的にも。

俄然、興味がわいたので、いつか必ずこの映画、観ようと思う。


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千年前を思う。

2025-07-07 21:31:02 | Weblog

何故か・・・今現在の僕は京都市に住んでいて、

まあ、本当の「京都」は一条から九条の間の、狭い地域なのだそうだ。

いわゆる平安京?だよね。

お勉強関係は全部苦手、というか、それを全力で拒否して忌避して生きて来たので(あかんやん)、

僕には知らないことが多い。あまりにも多い。

平安京エイリアンという電子ゲームがはるか昔にあったと記憶しているのだが・・・

そんなものは一度もプレイしたことがない。

それはともかく

僕が住んでるのは伏見で、京都より宇治のほうが近い。そんな場所。

京都には「歴史」が、それこそ佃煮のように地層のように降り積もっていて、

それに興味があれば、京都も、伏見も、宇治も、面白すぎる土地であろうと推測する。

僕はあまり興味がないのだが・・・今日、ふと手にした、平安京を舞台にした時代小説を読んで、

ん?となった。

その小説の主人公は藤原道長で、大流行した「陰陽師」を思わせるフィクションなのだが、

その藤原道長の、実際の生まれ年を目にしてあれ?と思った。

彼が生まれたのは西暦にすると966年なのだそうで、

それって・・・・僕の産まれた1966年の、ちょうど1000年前になる。

1000年!

100年くらいなら、想像したこともある。

僕の好きなおじちゃん、タカハシさんが昭和3年生まれで、

あと何年かで100歳になる。昭和元年から大雑把に100年なのだ。

そして、かのローリングストーンズの楽曲に「100YEARS  AGO 」というのもあった。

京都の、とあるライヴハウスの建物(古い蔵なのだ)が、築100年、とかそういう話もあった。

しかし1000年ならそれの10倍だ。

1000年???

しかも藤原道長は名前に「道」が入っていて、親近感がわく。

「みっちゃん」とか、呼ばれただろうか(違うと思う)?

「ミッチー」とか(もっと違う)?

「♪みっちゃんみちみちうんこして♪」という歌は、もうあっただろうか?

しかもこの「みっちゃん」こと藤原道長は、

京都・三条あたりに住んでいたという。おお、近いじゃん。

京阪電車にすぐ乗れりゃ、20分くらいで着くよ。徒歩なら・・・ほぼ半日くらいか?

西暦966年生まれの道長は西暦1028年に亡くなっている。

62歳か。この時代の人なら、長命だ。ロキソニンもないのに。

・・ということは、僕が2028年に死んだら62歳没、になるのだな。

平安時代にはどうやら、楽器の「琵琶」は、存在したようだ。

もしかしたら現代の「ギター」みたいだったかもしれない。全然違うと思うけど。

しかし・・・・基準音は、どうやって合わせたのだろうか??

「音叉」みたいなものすら、ないような気がする平安京。

しかし考えるまでもなく

藤原道長なんて、歴史にも何度も登場する超有名人だ。

「この世をば、我が世とぞ思う望月の 欠けたることも なしに思えば」

という歌は、僕でも知っていた。

公卿、であるらしい。

むむむ。でも、どう考えても僕(を含めた多くの人)の先祖は貴族でなんかアリエナイし、

それで全然いい。むしろ嬉しい。

だから

こういう人に興味を持つのは僕としては、間違いな気がする。

しかし、平安京に興味を持ったのなんて初めてだし、まあいいだろう。

今度、三条あたりに行ったら、

このあたりにフジワラの「みっちゃん」がウロウロしてたのだな、と思うことにする。

1000年前に!

 


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ライヴ告知、そしてROCA’66のTシャツ完成

2025-07-03 14:18:16 | Weblog

以前つくったバンドTシャツは、アタシの描いた猫の絵で、

猫好きの人はこの世に多く存在するので、いっぱい売れた。ドモ・ありガットです。

今回作った第二弾。バンドメンバー4人が立っている、似顔絵Tシャツ。

絵を描いたのはもちろん、アタシだが最近はこの絵、チラシとかで使ってたよね。

思い切ってTシャツにしてみた。

猫好きの人はこの世に多いのだが、

我々を猫のごとくに愛してくれる人はもしかして・・・それほど多くはないのではないか?

という不安を抱えつつも、えーいもうやったれ!という心意気で

大量に作りマシた。

白・赤・黒・紫、S,M,L,XL お値段は2500円。

次のライヴから発売開始です。

大量に作ったというのは真っ赤なウソで、各色、ほんの数枚しかないので(どっちやねん)、

見かけたら買ってね。

さて、その我々ROCA’66の、近々のライヴは、

2025年7月19日 土曜日

京都の、四条大宮のライヴハウス「夜想」にて。

OPEN18:30 START19:00 |¥2000+1DRINK

出演は

CLOVER

ROCA’66

THE  LULA   

 

上記がそのまま出演順。

我々の出番は2番手で、オンタイムなら19:40から。

でもこの日は、ほかのバンドも全部スバラシイので、初めから最後まで見て欲しい。

 

2025年7月の我々のライヴは、この日だけ。

バンドというのも宇宙規模の長い目で見たら、ほんの一瞬の存在。

まるで流れ星のごとく、である。

「いつまでも あると思うな 親と金」と歌ったのは憂歌団だが、

すべてのことに、それは言えるのだ。

我々のバンドは今が、「最盛期」だ、と思う自分で。

そして

次に作る音源がアタシの人生において最強の音源になると思う。

それで、バンドをいつまで続けられるかは、まったくわからない。

一寸先は闇だ。(やれるとこまでやるけどさ。)

だから

少しでも多くの友達に、ライヴに来て欲しいのデス。

 

 

 

 


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音楽配信チャンネル BIG UP

2025-07-02 18:45:11 | Weblog

https://big-up.style/FcIvkGpbT0?fbclid=IwY2xjawLR3tRleHRuA2FlbQIxMABicmlkETFxZGVlMkJNT096bDBCVVVtAR6eoIA9Rg7kPA8UfY-phMdxby-9ZAosA_RwMgUtxmDkyIIdsK75SAbsCNKQcg_aem_rPCFyivcsBKKnMLcKC7bXA

 

 

BIG  UP  という音楽配信チャンネルに、

我々ROCA’66の音源がアップされました

上にリンクを貼ってみたのだけど・・・・これで聴けるのかな?

 

(埋め込みは出来なかった…残念。)

 

上にアップしたのは5年くらい前に撮った音源。

我々の代表曲?みたいになっている「シスター」です。

 

でもこれは「前フリ」なのだ。

 

この夏に、我々は録音作業に突入する。

この「シスター」以降も、いっぱいいっぱい、良い曲があって、

それを形として残す。10曲前後、録る。

CDを作るのだが、レコード会社とかと一切、今は関係を持ってないので

ライヴ会場での手売り、ということになる。

レコード店の店頭には並ばない。

で、このBIG UPに、新しく録音した曲たちをアップすれば、

インターネットを通して、世界中で聴いてもらえるではないか。

遠くの町に住むあなたにも、ROCA’66の正式音源を聴いてもらえる。

YOUTUBEも、もちろん素晴らしくてありがたいのだが、

ライヴの動画より、ちゃんと録ったスタジオ音源のほうが

僕は・・絶対いい、というか、そっちのほうを聴いて欲しい。

 

  新音源は、今年中にCD化して

このBIG  UPにもアップするつもり。

 

そしてもう7月だから、次のライヴの日も近づいてきた。

2025年7月19日、土曜日

場所は四条大宮のライヴハウス 夜想。

 

「ライヴでの活動」と、「録音作業」は、

演奏する素材はどちらも同じ、我々の自作曲なのだが、

 

それでもこの2つは全然、別物だ。

「ライヴ」と、「録音」。もちろん、どちらも愛して止まない。

この「違い」をいつか、うまく言葉で表現出来る日も、来るかもしれない。

 

 

7月19日は京都の「夜想」に、来てね。


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ぜんぶクーラーのせいだった。

2025-06-28 19:14:20 | Weblog

 

雨に降られたのとクーラーのせいで、僕は調子が悪い。

まあ、たまにはこんなのもいいだろう。

月曜日は仕事、ってわけでもないのだ。

ライヴも、スタジオもとりあえず、近日中に予定は入ってない。

知らない街をさまよい歩く夢ばかり見る。何処にもたどり着かない。

これが何かの暗示でないことを。

次のライヴはどこだっけ?

ああ、そうだ、四条大宮の「夜想」だな。7月19日だ。

ライヴかスタジオがなければ、飲みに行くのも面倒になってしまってる。

友達に会えるなら、飲みにも行くが。

「飲み」だけを企画したりすることがめっきり無くなってしまった。

でも、そんなものなのかも。

雨に降られると簡単に風邪をひいてしまうし、

飲み過ぎると次の日の朝が地獄のようにツライ。

酔っぱらうとコケるし。

突然 年取った、ってわけではない。

昔からそうだった。

際限なく眠るのも、浅はかなのも昔からで、

少しずつ擦り減って行ってるのだろうが、自分にはその自覚がない。

その逆で、

厚かましくなって行ってる、という説もある。

どちらが本当なのか、僕にはわからない。

楽曲づくりも、5つくらい、すごくイイのができたところで とりあえず休止している。

作り過ぎて、自分でどう頑張っても思い出せない歌・・・が増えていったとしても、

それはそんなものだし、誰だってそんな経験はあると思う。

楽曲を、きちんとした形で記録しておく、というのはとても大事なことだ。

そうしないと

片っ端から消えて行ってしまう。

これまでに、どれだけの数の楽曲がこの世から失われていったか。

僕には想像もつかない。

ただ今日は、ちと元気がない。

いつもいつもこんな感じ、ってわけではない。

ぜんぶクーラーが悪いのだ。

まだ7月にもなってないっていうのに!


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この前の土曜日と日曜日のこと。

2025-06-27 13:57:53 | Weblog

僕はこの前の土曜日と日曜日には、福山に行っていたのだが、

そのことを書く。

今、目の前のカレンダーを見たらなんと、

その日、6月21日は「夏至」だった。「冬至」も「夏至」も、実際の我々の生活には

直接、関係ないと言えばそうなのだが、太陽暦において大事な日。

ちなみに、「冬至」の日は、今は亡き畏友、岩佐亘の誕生日だ。

 

それはともかく。

この日は僕は珍しく、クルマで福山に行った。そして偶然、

ちょうどこの日の午後に、

畏友、土井健のバンドが練習で、メンバーが集まる、という。

これは、千載一隅のチャンス!ということで僕は彼らを「見学」しに、

福山市S町のコミュニティ・センターというところへ出かけた。昔なら「公民館」といったようなところ。

土地勘もないし、多少方向音痴なので(あかんやん)少し迷って、でもたどり着いた。

ちょっとした冒険でもあった。

着いたのは3時20分くらい。練習は4時までと聞いていたので、まあギリギリではある。

教室みたいなところで3人は、いた。

彼のやってるバンドは easy-marksという名前で、

土井健が歌とアコギとハーモニカ。

平田さんという年上の人がエレキベース。なんと、5弦フレットレスだ。

そしてカネヒサくんがカホン。

僕はカネヒサ君とは初対面だった。照れ屋な感じの人。

彼らの演奏する、様々な曲を聴けた。

歌はPAもマイクもなしの、生。アコギは生音とアンプからの音のミックス。

ベースもアンプ持ち込みで、とてもいい音。

カホンも生でいい音。小さなシンバルが、とても効いている。

全体の音のバランスも、歌を含めていい感じ。木の床が、柔らかく音を吸う。

で、まずは

土井健が作詞作曲した「花酒」という歌。この3人の編成でこの歌を聞いたのは初めてだった。

ゆったりとした、優しい歌。しかし内容は実は、反戦歌だ。

そしてベースの平田さんが歌う、彼のオリジナル曲を2曲。懐かしい、70年代ロックの匂い。

そこから「悲しくてやりきれない」のカヴァー。ちょっとエスニック風のアレンジ。

あと清志郎の歌詞で「500マイル」。

土井健が自分で歌詞を訳した「WHAT  A  WONDERFUL  WORLD」も、やってくれた。

そしてなんとあの「原爆許すまじ」という歌を、ロック・アレンジで。

ぶっきらぼうな感じが素敵だった。元のあの歌の、暗すぎる感じは、微塵もなかった。

この後、ピース・コンサートに出演する予定がある、とのことで

ピースに特化した選曲のようだったみたい。いい選曲。

土井健の、立ってギターを弾いて歌う姿はとても素敵だった。

僕らは中学2年で生涯初めてのバンドを組み、僕は彼の横でギターを弾いた。

そんな時代もあったのだ。

(いつかまた演りたい、と常々、思っている。)

最後は、僕もギターで参加させてもらって、ジョン・レノンの「イマジン」を

4人でやった。これも日本語詞は忌野清志郎ヴァージョン。キヨシローは偉大だ。

とても有意義だった。「見学」というか、お客は僕1人の小さなコンサートみたいだった。

最後は飛び入りまでしてるし。

土井健と、メンバーのみなさん、ありがっとです!

僕と土井健はこの後、2人で福山の駅前の繁華街に繰り出して、良い店ないかな?

と歩いていたら

驚いたことに、中学の時の教師に偶然、出会った。珍しい、っていうか僕は、初めてだ、こんなの。

我々の好きな先生だった。朴訥な人。

もちろん、一緒に飲んで・・・ということにはならなかったのだが、

少しは、心動かされる出来事ではあった。昔、すごく大きく見えた先生が今では、僕より少し小さかったのも

驚きだった。こんな僕でも少しは、背が伸びたのだな。

そして我々は居酒屋で、午前1時過ぎまで飲んだ。

とても有意義で、至福な午後から夜中過ぎであった。

 

この後、僕はホテルで寝て、次の日、妹のところにいたら

アメリカ軍によるイラクの核施設爆撃のニュースが入ってきた。歴史的なバッドニューズ。

その前の日の午後はピースな音楽に浸っていたというのにね。

しかもトランプは「この攻撃(イラクへの攻撃)は、広島や長崎への原爆投下と本質的には同じだ」

と語ったそうだ。

すごいこと言う。

 

そう考えてみれば僕は、今回のあのアメリカのイラクへの攻撃の時、

広島の爆心地から、おおよそ100キロ離れた場所にいた。・・・たった100キロメートル。

僕の祖母は1945年8月は福山にいて、広島から100キロ歩いて避難してきた人たちを見た。

その1945年は、僕らの産まれる、たった21年前だった。

 

なんだか、いろんな物事が「近い」なぁ・・・・・・と、思った。

 

 

 

軍事力による一方的な殺戮では、恒久的な平和など望むべくもないだろう、と僕は確信する。


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エンパシー再び。ブレイディみかこ氏の著作について。

2025-06-26 18:09:51 | Weblog

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という本があって

以前もこのブログで紹介したことがある。

写真左の、黄色い本だ。これは文庫版。

単行本で2019年に出た本なのだが、出た当時ラジオ等で、作家の高橋源一郎が絶賛していて、気になっていた。

で、僕が単行本を買ったのは出てから半年後くらいだったのかな。

すごくすごく面白くて興味深くて、

最高だな、と思って、読んだ直後にちょうど帰省の時期だったので土井健に会い、

「これ読んで」と渡したら彼は既に新刊本を買っていた。まだ読んでなかったのだが。

2人で大笑いした。彼と僕は、興味の対象が似ているのだ、昔から。

そのあと、「本屋大賞」というなかなか良い文学賞も取って、世間で話題になり、

ベストセラーみたいになったのだと思う。

異例の速さで文庫化されたみたいだった。

文庫化されてからはブックオフとかで100円前後でこの本を見かけるようになったので、

見かけては買い、読んで欲しい・・・・と思った友達に配った。

配った、って言っても5人くらいかな。

それくらい気に入った本だった。近年、まれ。

さてその内容は・・・もちろん一口では言えないのだけれど、

僕としては「パンク姉ちゃんの人種、政治問題てんこ盛りの、英国での子育て奮闘記」のように感じた。

そう、この作者、ピストルズ大好きであるからして、視点がすごく社会的なのだ。

アナーキズムについてもちゃんと突っ込んで勉強している。

そしてこの本には、移民差別問題、貧困問題、などの、弱者の立場に立った社会問題が、

これでもか!というくらい描かれる。

小説ではない。ノンフィクションと言っていいと思う。

で、僕としては裏テーマのように「エンパシー」というものがある、と思った。

 

で、

最近、写真右の本を発見した。

「他者の靴を履く」著者ブレィディみかこ。

文庫本の奥付には2024年5月10日 第一刷  とある。1年前か。

帯には、

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の大人の続編本!

とある。

ん?「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」」(以後「ぼくY」と略す)は、

「ぼくY2」という続編が、とっくの以前に出ているのだがな・・・・

と思いながら、家で「はじめに」を読んでみてわかった。

「ぼくY」での世間の反応が、「エンパシー」に集中したのが驚きだったのだそうだ、著者としては。

 

以下引用

後付けで「本のテーマはエンパシーです」などと言い始めた部分はあるにせよ、

書いた時点では、少なくとも著者のわたしはそんなことは考えてもいなかった。

引用終わり

 

なのだそうだ。

「ぼくY」の中で、ほんの5ページしか出てこない「エンパシー」。

でも、一介の読者として、やはり思う。「ぼくY」の中であの「エンパシー」の話は、強烈だったし、

この本の、それ以後のエピソードも全部、「エンパシー」の影響下にある。

 

で、とにかく著者としては

 

以下引用

「もっと深くエンパシーを掘り下げて自分なりに思考した文章を書くことは、たった5ページで

その言葉の「さわり」だけを書いてしまった著者がやっておくべき仕事ではないか、と考えるようになった。

(中略)だから、これは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の副読本とも言える。

引用終わり

 

、ということなのだそうだ。どこまでも面白い人。

僕はこの人の本を探して、もう何冊も読んだ。どれも最高に面白い。

今は「他人の靴を履く」を読んでいる途中なのだが、「ぼくY」と違って、子供が出てこないし、話が固い。

社会問題にがっぷり四つで向かい合っている。だからちょっとだけ読みにくい。でも。面白い。

 

 

今回の僕の日記は、話が長くなってしまったが、

もうちょっとだけ続けて書くから読んでね。

 

今こそ、って言うか・・・・このエンパシーという概念について我々は考えたい。

他者の靴を履く、ということは

「他人の立場に立って物事を考えてみる」ということだ。

で、「エンパシー」が「シンパシー」と違うのは、それが憐れむ、とか共感する「感情」ではなく、

他人の立場に立って考える「能力」である、というところなのだ。

「共感する能力」と言っても間違いではないのかな。

 

我々は・・・っていうか僕の友達や知り合いの、ほとんどの人は「弱者」だ。

弱者同士、助け合って生きていきたい。

 

気になった人は

ブレィディみかこ著「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を、読んでみてください。

 

 

 

昨日、清治に おススメしたのは、この「ぼくY」だった。

 

 


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