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シアワセとは何なのか?

2025-06-16 21:46:01 | Weblog

思い返せばこんな私にも、「幸せだった」という記憶はある。

 

一番古いのは小学校1年生のものだろう。

馬鹿な話だが・・・東京の小学校で、俺はクラスの人気者だ、と思った瞬間があったのだ。

その時は嬉しかった。でもその直後に転校して、

言葉もろくに通じない世界で疎外されたようになってしまった。あの落差は今思ってもスゴイ。

次の記憶は・・中学生で、

ギターを始めて、たどたどしいながらも弾けるようになって、

遠くから見ていただけだった友達と親しくなれて(僕はどいけんを、一方的に知っていただけだった。)、

生まれて初めて「合奏」をしたときの記憶。

「感動」が、あった。そして、彼らと話をするだけでもシアワセだった。。

次は・・・高校生になって

組んだバンドにサックス吹きの友達が加わった時の「え?」というような音楽的感動。

こんなに音楽って、ゴージャスになるんだ!と本気で思った。

その次は・・・・女の子のこと。感動があった。

このあたりの時代は感動とシアワセが多い。

住んでいた学生寮で、盟友と毎晩朝まで寝ずに話をしたことも、シアワセだった。

後からもそう思ったが、当時もそう思っていた。これは特別なことだ、と。

で、時系列は前後するけど

高校で組んだバンドの彼らがヤンキーではなく、芸術家・・というか

純粋なアーティストだった、と気づいた時も感動だった。

彼らは不良ぶってはいたけど、中身は全然、そんなんじゃなかったのだ。

でもその不良ぶってたやつらの中心人物と仲良くなるのはすごく時間がかかった。

彼の名前は佐治朝吉という。

いろいろあって、佐治と僕は大阪でそれぞれ、一人暮らしを始めた。19歳の頃。

我々の借りた部屋は近く、歩いて15分くらい。

他に大阪にまだ友達もいなかったから、しょちゅう会っていた。

週に何度も2人で、飲みに出ていた。飲んだくれていた。

今思えばあの時代もシアワセだと思う。当時は夢中で、気づいてなかった。

まだ何も始まっていなかった。

未来は完全に未知だった。

 

後から思い出すと、嫌だったことは綺麗に忘れている。都合のいいものだ。

 

後で思い返せば2025年の今現在も、シアワセだった・・・・と思うのだろう。

今も無我夢中で、感ずる前に日々が過ぎてゆく。

でも

克ちゃんがいて、赤井君がいて、トビーがいて。

どう考えても、これは夢の続きなのだ。

 

 

新藤監督はおそらく、

音羽信子と映画を撮っていた時代すべてが

シアワセだった、と後で思ったのであろう、と推測する。

 

 


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KINGについて

2025-06-16 20:19:29 | Weblog

殿山泰司、というひとの出演した映画を見たことはないのだが、

新藤兼人が「畏友」と言ってるし、

きっとかっこいい人であったのであろうと思う。いつか映画を見よう、と心に誓う。

それで

今回引っかかったのはこの「殿山」という名字で、

これは偽名なのかな?いや、いかにもリアルにありそうだけど。

戦前、戦後に活躍された人々は芸名を名乗ってる場合も多い。

だからわからないのだけど、

日本で「殿」といえばお殿様、将軍だよね?

それぞれの「藩」の藩主も「お殿様」なのかな。

そういえば僕の生まれた新宿の団地の裏の小さな山は、「箱根山」という名前で、

本物の箱根山を模して造られたのだそうだ。人が造った山。

当時の(江戸時代?)殿さまの遊び場みたいな場所だったらしくて、

それならあれこそ、「殿山」なのかもしれない。

で、殿と言えば「殿様キングス」を例に出すまでもなく「KING」だ。

僕は前から不思議に思っていたのだが・・・・・・・・・・・・・・

アメリカの黒人の名字に「KING」が多いよね。

マーティン・ルーサー・キング、BBキング、フレディ・キング、アルバート・キング。

キング姓のひとはまだまだいたはずだが、今は思い出せない。

黒人が圧倒的に多いように思う。

キャロル・キングとかが例外なのだが、

当時・・・1900年代のアメリカって、熾烈な人種差別があった。

酷いの一言。アフリカから無理やり奴隷として連れてこられた人達とその子孫の皆さんは、

そういう社会的な、強固な差別構造の中で生きていたのだが・・・・・・・・

だからこその「KING」という名前なのだろうか?

いつか、全部ひっくり返してやるぞ、という気持ちで「王様」という意味の「KING」を

名乗ったのだろうか???

本物の、というか支配者としての「KING」は現実に存在したし、今もその末裔は堂々と存在する。

フランスでは、かの有名な革命で王族は処刑されたが、革命のなかったイングランドでは

今も形の上では「王政」だ。UKというのは

ユナイテッド・キングダムの略で、キングダムは「王国」だ。

振り返ってみれば日本にも「王族」は、いる。「王政」は続いていないのだが。

 

「王」。

長嶋は死んだが「王」は生きている。

「殿」と「王」は、意味が違うのだろうか?

王選手は確か、大陸ルーツなんだよね。中華とか欧米とか、そっちが「王」なのかな。

 

何年か前にイングランドの「女王」が死んで、

「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」というタイトルだった彼の地の国歌は

「ゴッド・セイヴ・ザ・キング」に変わったのだそうだ。これは本当の話。

しかし、「ゴッド・セイヴ・ザ・キング」じゃ、色気もくそも、シャレも、ない。

全然面白くない。

 

 

ブルーズにおける「三大キング」は最高である。

マーティン・ルーサー・キングも、もちろん最高に素晴らしい。

 

 

「ひっくり返し」は、バラク・オバマが米大統領に就任した時に現実に、起こった。

 

 

アメリカ合衆国において大統領は、「KING」みたいなものだろう。

ただあれは、ルイ14世みたいな「世襲」ではないのだ。民主主義なのだ。

 

 

今現在はトランプみたいな狂った白人男がアメリカの「KING」だが、あれはオバマの時の「揺り戻し」だ。

このままではない、と信じる。アメリカ人は馬鹿ばっかりじゃないのだ。

 

 

でもそう考えたら日本の「世襲議員」って、絶対間違ってるよな。

ルイ14世みたいなのが偉そうにしてるのが今の日本なのだ。ギロチンみたいな物騒なことは言わないが・・・・・

奴らを、引きずり降ろしてやろうぜ。

 

 

 

 

 

 


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畏友、葬式、結婚式、親の死に目。

2025-06-16 19:29:22 | Weblog

昨日、新藤兼人の本の中に出てきた殿山泰司、という人について少しだけ触れた。

新藤監督は本の中で

「畏友殿山泰司」と呼んでいる。

いゆう。

この「畏友」という言葉、あまり馴染みがなかったので、ふとググると

「尊敬する友達」と出た。

ああそうか、「畏怖する」という言葉の「畏」、だもんね。そうなるよな。

いい言葉だ。今後、使わせてもらおうと思う。

僕にとっては友達はみんながみんな「畏友」みたいなものだ。「盟友」も「悪友」もいるが。

 

それで、その殿山泰司が「葬式無用」と言った、ということについて考えていたのだが。

「葬式無用」と言い残したからって、本当にそうなるとは限らない。

世間体が・・みたいなことで本人の意思とは裏腹に

盛大な葬式が行われてしまった人もたくさんたくさん、いると思う。

なかなか難しいんだよね、「慣習」にあえて逆らうのって。

僕もこの歳になるまで何人も何人も「畏友」や「盟友」や「悪友」を見送ってきたけど、

その中で 葬式ではない葬式・・・というか

無宗教の、それこそ「送る会」みたいなのに1回だけ立ち会ったことがあった。

酒場で出会った「畏友」 Rさんだ。

酔っぱらうと「インターナショナル」を大声で歌う人。「みんな死んだらええねん!(←叫ぶ)」が口癖だった人。

彼も彼の親兄弟も筋金入りの無宗教で、

お花もお線香も、もちろん仏壇も読経もなく、とても素敵だった。遺影もなかったな。

すぐ終わったし。とは言え、みんな号泣してたけど。

彼のお父さんが棺の中にウイスキーを丸ごと1本振りまいていた。

「式」つながりで話を続けると、

僕はある時から友達や身内や親戚筋とかの「正式な結婚式」には行っていない。

ライヴハウスとか酒場とかでやる結婚パーティーにはたまに行ってるけど、

結婚式場での正式なのは全部、辞退させていただいている。

僕のことをすっげえ傲慢で失礼で無礼で嫌な奴・・・と思ってる親戚筋がいることだろう。ごめん。

お葬式・・・も苦手なのだけれど、

お葬式かお通夜は、

どっちか行かなければ故人の顔が見られないので、行ける範囲でどちらかに行っている。

死に顔を見ることは大事、と思っていて、

それは自分の中で「踏ん切り」をつけるためだ。

結婚式もお葬式も、コロナ以降は、「行かない」という選択肢も選べるようになった気がする。

(結婚式もお葬式も「しない」という人々も、昔から一定数いらっしゃる。それはそれで潔い。)

コロナで世の中いろいろ変わったが、圧力なく、いろいろ選べるのは「いいこと」だと僕は思う。

あと、風邪ひいたら普通に会社休めるようになったよね。あれもいいことだ。

ライヴハウスでのライヴもそう。

昔だったら体調不良でライヴ出演辞退なんて、ありえなかったと思う。

(よっぽどの「緊急入院」とかは、あったけど。)

風邪くらいなら、高熱があっても根性で、

ゴホゴホ言いながらみんな出演していた。インフル蔓延、みたいなことも昔なら、あったかもしれない。

これももちろん、今の風潮のほうがいいに決まってる。堂々と休めばいいのだ。

ライヴのこと言えば、

ミュージシャンは親の死に目にも会えない、というのが定説だった。

親が危篤でもライヴは休むな、ってことだったと思う。

芸人の世界全体がそういうノリだったのかな?舞台に穴をあけるな、と。

今はどうなんだろう?

友達の、某メジャーの人気バンドのTくんは何年か前、親がそろそろ寿命近いんだ、

と言ってたのだが・・・・死に目には会えたのだろうか。

間に合っててほしい、と思う。

我が身を考えてみたら子供とかいないし、死ぬときは1人かもしれない(きっとそうだ)。

でも僕としてはそれがそんなに寂しいこととは思わない。

永井荷風は一生独身を貫いて、最後は一人で死んだ。

新藤監督はどうだったのだろう?

 

 

 

 

 

 

新藤監督は死に際に、「あー、これで やっと音羽君に会える」と思ったであろう。

 


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新藤兼人と音羽信子

2025-06-15 17:53:22 | Weblog

ここのところ夢中になってしまうような本に出会えてなかったのだが、

久しぶりに本棚の奥から取り出して読んで、面白かったのが、

映画監督の新藤兼人のエッセイ集「ボケ老人の孤独な散歩」だった。

ボケ老人とか言ってるがこの人は「日本インディペンデント映画の先駆者」なのだ。

でも僕は実は映画に興味がないので。新藤監督のことも音羽信子のことも知らずに読んだ。

新藤監督の映画は永井荷風の「墨東奇譚」や「北斎漫画」などが有名なのだが、どれも見ていない。

巻末に、この本が出たのが平成5年、とあるから1993年だよね、たぶん。

この時点で新藤さんは80歳。

妻である女優、音羽信子と東京で二人で暮らしている。音羽さんはこの時点で68歳。

話題の多くは、老人問題だ。安楽死問題とか、脳死判定の話もあった。

さすが、元シナリオライターだけあって文章が作為的で面白い。

本音で書いてるのではない感じがひしひし伝わってくるのだが、

妻の音羽信子を失うことは極度に恐れている。これは本音だと思った。

永井荷風の映画を撮るため、かなり研究したらしく、荷風の話も多い。

で、もうそろそろ読み終わる頃なのだがふと興味がわいて、

1993年に80歳なら新藤さんはもうこの世にいないであろうな、と予測しつつ

軽い気持ちでググってみて驚いた。

何と、音羽信子は1994年に亡くなっていた。

えー、それ・・・この本の出た翌年だよ。

新藤監督があれほど恐れていた「妻の死」が、この翌年に訪れている。

この本の中に音羽さんもたびたび登場してるのだが・・・全然元気なのに。

そして新藤監督は2012年に亡くなっていた。1912年生まれだから、

100歳まで生きたんだ、すごいな。

本の中では「音羽さんより先に僕は死ぬから」と何度も言っているのだが、無理だったのね。

僕がこの本を手に入れたのは多分、1994年くらいだと思う。

「ばるぼら」のライヴ活動が始まった年だ。

あの年に、音羽信子は亡くなっていたのか。

テレビとか全然見ないから全く知らなかった。

ドラマ「おしん」の、主人公の晩年を演じた女優らしいが 僕はテレビ嫌いで、

「おしん」自体、1秒も見たことないのだ。

こういうのってしかし、歴史を紐解くみたいで面白かった。

この本に出てくる人々はそのほとんどがもう、この世にいない。

びっくりしてしまうのは、新藤監督の友達の役者、「殿山泰司」の話。

彼はこの本の書かれる何年か前に亡くなっているのだが、

以下引用

「三文役者殿山泰司は、神も仏もないから、葬式無用、と言い残したので、われらはそのように送った。

フリージャズマン高柳昌行のジャズで。」

引用終わり

 

とある。ここで、ノイズギターの元祖中の元祖の、「高柳昌行」の名前が出てきてびっくりした。

ひぇぇええええええ、すごいなあ。

不謹慎だが、その「葬式」ではない・・「送りの場」を、見てみたかったな。

 

 

高柳昌行も、とっくに亡くなっていて、

そのギターは今、音楽家で(ノイズ系?)ギタリストの大友良英が使っている。

そのことはラジオで、大友さんが言っていた。

 

 

 

 

思うのだが僕も死んだら、「葬式なし」にしてほしいなあ。

心からそれ、熱望する。

 

 

 

 

 


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バンド練習スタジオ、そして翌朝の夢。

2025-06-15 11:58:30 | Weblog

昨夜は、大阪某所でROCA’66のスタジオ入り。

レコーディングのための修練に入っている。

メンバー4人で、タイミングと音を、丹念にブラッシュアップしていくのだ。

修練とは言え、演奏がピタピタとはまって気持ちいいので、とても楽しかった。

思ったのだが我々は、ライヴの時か、もしくはこういうスタジオの時しか集まらない。

若い頃やってたバンドではメンバーが意味なく集まってだらだらするようなこともあったのだが、

今のバンドメンバーとは、オトナになってから出会っている。

住まいもそれぞれ、関西圏とはいえ他府県だし、それぞれ仕事のスケジュールも違う。

家族とかもいるし。だから我々が会えるのは「活動」の時だけなのだ。

(スタジオの後飲みに行ったりはするけど。)

そのことに昨日、ふっと気づいた。

彼らと時間を共にできるのも貴重なのだ。そしてそれは僕の「特権」でもある。

バンドってが演れるってやっぱ、「贅沢」なことだと、改めて思う。

で、一晩明けて、今日の朝。

僕は練習スタジオ翌日ってすごーく疲れてるのです体力的に。

全身全霊じゃないと大声なんて出ない(カラオケの比ではない)し、それを2時間ぶっ続けでやる。

もちろん望んでそんな風にやってるのだけど。楽しいし。

しかしライヴよりスタジオのほうが体力の消耗は激しい。

で、今朝、疲れ果てて二度寝か三度寝していたら夢の中で、20年前に亡くなった祖母と、

久しぶりに会えた。嬉しい。

夢のことって絶対長く覚えていられないので、書き残しておく。

 

僕は子供のころ住んでいた古い大きな家(薄暗い)にいて、トイレを探してさまよっている。

で、トイレを発見して洗面所の鏡を見ていたらちらっと、誰かの顔が映る。

あれ?と僕の体に「怖くない鳥肌的感覚」が走る。

この感覚は、5年ほど前に岩佐の家で感じたのと同じだ。

一瞬映ったのが祖母の顔だった気がして「チャーちゃん?」と聞きながら振り返るも、いない。

あ、うちの祖母はギタリストのCHARさんとは関係ないのだが・・・身内からは「チャーちゃん」と呼ばれていた。

で、僕は もしかして鏡の中ならいるのかな?と思い、

角度を変えて鏡をのぞくと、やはり、鏡の向こうには祖母がいた。洗面所の中。

洗面所の中は明るい。

で、もう一度振り向くと消えずにちゃんといてくれて、

僕に気づいて、真正面からこっちを向いてくれた。懐かしい微笑み。目も合ったし、至近距離。

祖母は深い群青色のパリッとした着物を着ていた。見たことのない和服。

少し、話もできたのだが、話は今ひとつ嚙み合わなかった。そんなもんかな。

で、突然ぱっと目が覚めた。

目が覚めてすぐに気づいたのだが、あの重い疲労が消えている。

はー、やっぱ、祖母はすごいな。

祖母の顔もちゃんと見たし、満足。僕は顔が丸いのだが祖母は面長なのだ。

祖母に似たら良かったのにな、と昔思ったことを今朝、また思った。

そういえば今年は、祖母が亡くなってからちょうど20年なのだった。

 

いろいろあるけど、ガンバローと思う。


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完璧な絶望といったものは存在しない。

2025-06-13 20:07:26 | Weblog

いつ頃からこんな風に生きてるんだろう?とふと思う。

高校生くらいだな・・いや、中2くらいからか。

「中2病」というのはよくできた概念だと、今更ながら思う。

 

ついこないだまでやってた運送の仕事の中で出会った、僕よりだいぶ年下の若い男は、

優しくて力持ちで勘もよく、人付き合いもちゃんとできる、好感度の高い、いい奴。よく笑うし。

仕事の合間に話を聞くと彼は高校まで野球をやっていて

何と、ずっと長いこと4番打者でピッチャーだったのだそうだ。

すごい。野球漫画の主人公か、もしくはオータニのような奴。

ホント、人生っていろいろだ・・・と痛感した。

 

僕はと言えば野球は苦手で、絵と文章だけが好きだったし、得意だった。けど、他のことはほとんど苦手。

でも中1で頑張ってギターが弾けるようになると、

あれよあれよと交友が広がった。

僕にとってはその頃から友達がすべてだったし、今もそうだ。

友達が世間のこと教えてくれたし、友達だけが僕のことを評価してくれた。

 

ギターは、今でも大事な「武器」だ。

楽器のことを「武器」なんて言うのはおかしい・・・けど、

僕を頭から否定する世間(の奴ら)と戦うための「武器」なのだ、楽器は。

 

ところで

昨日は久しぶりに、集中して「絵」のことをやっていた。

ROCA’66の、バンドTシャツ第2弾を製作するから。僕の描いたメンバー全員の絵。

それの細かい「修正作業」をやっていた。

この夏 制作予定のCDの、ジャケットのこともそろそろ考えだしてもいい頃だ。

そーゆーのって、楽しすぎる。

「絵」を描くのは今でも極上に楽しい。修正作業も楽しい。(「絵」と言っても、線画だが。)

「絵」を描いてると、まるで無重力空間で思いのままに泳いでる気がする。自由なのだ。

時間も、すぐ経ってしまう。

でもこの「絵」は、音楽のために描く。主役は音楽だわよ。

 

で、音楽のこと。

楽器とノートを手にして曲作りをしてると、「未開の地」へ、冒険に出かけてるような気になる。

この冒険は無重力ではなく「徒歩」なのだが手にはギターという無敵の武器がある。

こちらも、すごくすごく楽しい。うまくできなくて、苦しい時もあるが。

バンド仲間と「合奏」するのも無上の喜びだ。

バンド演奏って、

バレーボールとかの少人数で緻密なチームプレイをする競技と実は、似ている面がある気がする。

阿吽の呼吸、みたいな。

個々が「楽曲」というワクの中で、自由に自分自身の演奏をする。

その「ワク」というのは楽曲のキーだったり、コード進行だったりする。

「楽譜」は、ない。ストーリーもない。指揮者もいない。

だからクラッシックとかにくらべたら随分「自由」だ。

(クラッシックの「自由」はきっと、もっと、テクニカルな深遠な、ミクロ的なところにあるのだろう。)

 

たまに思うのだが・・・・ もし、

自分自身に絶望してしまったら音楽など続けられないだろう。

でもきっと、「完璧な絶望」など、存在しないのだ。

「完璧な文章」といったものが存在しないように。

これは「風の歌を聴け」の冒頭の文章からの引用だ。

センテンスの前後は逆になっているが。

 

 

 

僕としては・・・・あの頃と、

1ミリも変わらずに、存在し続けられたらいいのだけれど。

 

今のところの、望みは・・・・それだけだ。

 

 


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向日葵、第一弾・・・壊滅的失敗(大層なことではないが)。

2025-06-13 16:22:45 | Weblog

・・・・・・やらかしてしまった。

僕としては「良かれ」と思ってやったのだ。

しかし、せっかく芽を出してくれてた向日葵は、全滅に近いくらい枯れてしまった。

もっとよく調べるべきでは、あった。

 

きっかけは・・・・

まず、今年は、虫の被害がけっこう、ひどかった。

芽を出したばかりの葉っぱがあちこち、喰われている。

むむむ、これは放っておいたら駄目だ、と思ったのだが化学的な殺虫剤は使いたくなかった。

で、ネットで調べてみたら「お酢」が、その用途に使えるという。

おお、自然だし、いいかも・・・と思い。

とあるサイトの「お酢を使った無農薬殺虫剤の作り方」のページを見た。

お酢と水を1対1の割合で混ぜて、唐辛子とニンニクのすったものを混ぜる、とあった。

早速、それを作って夕方、まだ小さな小さな向日葵の「芽」たちに噴霧して回った。

小さな双葉の表にたっぷり、裏にもたっぷり。

けっこうニンニクの匂いがきつくて、

これは虫どもも嫌がるだろう、はっはっはっ・・・と

昨日の夕方の私は自信満々であった。

しかし今朝、ルンルン気分(←古い)で水やりに行ったら、何と 枯れているではないか。

前日に数えたら40以上が芽を出していたのに、

3分の2以上が葉を茶色くして、萎れている。

がーん。

どうも、お酢の濃度が濃すぎたようだ。ニンニクも・・・入れすぎたか。

ネットを見直してみたら、昨日参考にしたサイトでは相変わらず

お酢と水を1対1で、と書いてあるのだが、ほかのサイトを見たら

お酢と水の割合は1対100とか書いてある。全然違うじゃん。1対30、というのもある。

300ミリリットルの水にお酢とニンニクで作った原液をスポイトで数滴たらす、というのもあった。

解説によって全然違うのだが、1対1という濃さで作る、などと書いてるサイトは他に、

1件もない。あちゃー。

これはやっぱり、濃すぎたのだ。

向日葵たちよ、スマン。知らなかったとはいえ、高濃度のお酢による攻撃を実行してしまった。

がががが。悪気はなかったのだ。

害虫を遠ざけるつもりが、結果的に向日葵を排除してしまった。。

あと10本くらい辛うじて元気なの(身長1,5センチくらい)が残っているが、今はまだ6月中なので、

追加の種まきをすることにした。

・・・・・・・・・・・ということで急遽、20粒くらい追加で種を蒔いた。

そして大量に水もまいた。

どうなるだろうか。後発部隊も無事、芽を出してくれるだろうか。

ヘルニアでまだ完全に健康体でない私にとっては向日葵は、この夏の人生の楽しみ(の大事なひとつ)なのだ。

5~6年前から借り物の花壇で、毎年夏前になると向日葵の栽培をヤッている。

こんなに自分が「園芸好き」だとは思わなかったのだが、

楽しいのはいいことである。

しかいし、ここ来て やっちまった的・大失敗。

こんな失敗談、読んでも楽しくないかもしれないが、

失敗を忘れてしまわないためにも(僕は何でもすぐ忘れる)、書き残しておく。

 

うーん、しかし・・・・・・・・・・・ちと へこむ。

 

でも、ここから復活する。見てなさいよ。


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「睡眠」に関する、最近の学説(仮説)について。

2025-06-12 11:26:09 | Weblog

今更ながらYOUTUBEというのはホントにスゴイ。

ミシシッピの古い古いブルーズマンの動画とか、

昨日言った蜂の巣撤去動画とか、UFO動画とか、何でもある。

道具を(ナイフさえ)持たず、食料も持たずに無人の荒野で1か月生き抜く、

というような「サヴァイヴァル動画」も面白い。(僕は「冬山遭難」に関する書籍の愛好家なのだ。)

でも、

こればっかり視聴してると早晩、廃人になりそうで怖いから、あまり見過ぎないようにしてるのだが。

あ、自分たちのがアップされたりもしたよね最近(ランブルフィッシュのライヴ動画とか)。

で、ここからが本題。

そのYOTUBEのなかに、たまに、お勉強的・・というかちょっと学術的な説明動画もある。

それでそんなのを昨日、見てたのだが、

睡眠に関する新しい学説・・・みたいなのがあって、とても面白かった。

その動画は長くて、説明がかったるい(難しい)ところもあったので

飛ばし飛ばし見ていたのだが。

近年の研究で、「クラゲ」も眠っている、ということが判明したらしくて、これがものすごいことなのだそうだ。

・・・というのは「クラゲ」には脳がないからで、

もっと原始的な「ヒドラ」のような生物でも、眠るらしい。当然、脳はない。

それだとつまり「睡眠」は脳を休めるために必要なこと、とされていた定説がひっくり返る。

では一体、生物は何のために睡眠を必要としているのか?

で、新しい仮説が提示された。

それは、「睡眠状態が生物のデフォルトだったのではないか?」というものだ。

(この場合のデフォルトは「貸し倒れ」「契約不履行」ではなく

「定番」「普通」「当たり前」などの意味で使われる、最近の言い方。

意味の中に「パソコンなどの初期設定」もあるので、この場合、ぴったりだと思う。)

つまり、生物はもともと、眠っている状態が普通だったのではないか?ということ。

で、ある時「覚醒」して動きまわる生物が出現して、

そのことが生存に有利に働いたので、

進化論の「自然淘汰」の概念に従って、環境に適した生物が生き残った(メタ的に見れば)。

それを長年繰り返した結果、今のように「覚醒状態」が普通で、休息のために「睡眠」をとる、

という生き物が圧倒的に多くなった・・・のではないだろうか、という。

その証拠のひとつに、植物の在り方が挙げられている。

植物にとって動き回ることは生存に必要でない・・・ていうか、重要ではない。だからそのように進化はせず、

植物は今でもずっと、「睡眠状態」で生きている・・・・のだそうだ。

 

 

えーっと彼ら(動画の人)が言ってたことはこれで大体、合ってると思う。誤解はない・・はず。

 

で、僕はこの説に、感動した。

 

なぜなら僕はすごくすごく眠るのが好きで、

放っておくと眠る。長く眠る。いつまでも眠っている。

子供のころ、寝過ぎるので親が心配して、医者に連れて行かれたほどだ。

(診察結果は何事もなく、笑われながら健康が保証された。)

ロングスリーパー、と言えば聞こえがいいが。

で、

この「睡眠」に関する新しい学説が正しかったなら、僕は間違ってなかったのだ。

大げさに言えば「生物として正しい」のだ(本当に大げさだな)。

嬉しい。

 

でも最近、もうひとつ、ちょっと怖い説もちらっと見かけた。

それは「鬱病」のひとは、長く長く、いつまでも眠る傾向にある・・・というもの。

(説、というか・・これは実証されてるのかな。)

「鬱病」?

あの、僕はどっちかっていうと「躁病」に近いくらいで・・・・。

いや、自分でそう思ってるだけなのか?

 

 

「睡眠」に関することって、いろいろで、難しいけど、面白いよね。

 

 

さて、僕は昼寝します。

 

 

ぐう。

 

 

 

 


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人間って、やっぱ巨大だ。

2025-06-11 10:27:13 | Weblog

「蜂の巣の撤去動画」の中で、誰かが言っていた。

蜂から見たら人間は、我々から見るゴジラのように大きいですよね・・・・と。

確かにそうだ。

蜂の立場に立ってものを考えるのも、たまには大事かもしれない。

・・・・蜂から見たら我々はゴジラか、巨大化したバルタン星人だ。

そんな巨大な生物に攻撃してくるだけでもすごいのに、

スズメバチなら人間を殺してしまうことすらある。蜂の勝利。

わが身になぞらえて想像してみれば身長50メートルのゴジラに、強力な毒薬を仕込んだ「槍」を武器に

(弓矢や銃のような飛び道具ですら、ないのです)、

10人くらいで、タケコプター(ヘリコプターではない)で飛びながらゴジラを殺そうとする・・・ようなものだ。

もしそれが「仕事」なら、そんな仕事には絶対就きたくない。

しかもそのゴジラ(人間)は変に頭が良くて、連係プレイもするし、

我々専用に開発した毒薬(殺虫剤)をスプレーで散布してきたりする。

ゴジラ(人間)が防護服など着てる場合には「槍」も皮膚を貫通しない。

遠くからジェット水流のものすごい圧力で「家」を壊されてしまう。

で、ゴジラ(人間)は我々の子供(蜂の子)を喰い、我々が必至で貯めた宝物(ハチミツ)を

強奪し、喰うのだ。

ひどい。

 

で、巨大ということに戻るのだが、

考えてみたらこの地上に、人間より大きな生物って、、、、「滅多にいない」と言ってもいいくらい、

少ない。

象?は、そりゃ大きいけどあれは例外中の例外。日本にはいないし。

動物園とサーカスと動画と写真以外で象を見たことある??????僕は、ない。

あと海には、クジラ(そして鮫)という超・巨大生物がいるが、これも例外でいいと思う。

マグロとかメカジキも大きいが、人間以上のサイズはさすがに少ない。

(海にはうようよいるかもしれないが我々と出会うことはない。)

あと、熊はでかい。これは日本でも山奥には、生息している。

下手したら・・・遭遇してしまう可能性もある。

イノシシの大きい奴もそうかな。

鹿のオスも、我々よりでかい。でも鹿は自分から攻撃してくることはない。

あと、家畜化されている牛と馬(鹿は、家畜化することが出来なかった)。

他は????いない。

身近の野生動物で考えたら熊と、鹿と、イノシシ・・くらいのものだ。

逆に考えて、我々より小さな生物は・・・・・・・いくらでもいる。

微生物レベルまで行けば本当にきりがない。

やっぱ、人間って巨大なのだ。

 

僕は、個人的な好みを言わせてもらえば、あまりデカいのは好きではない。

デカくて太ったようなのはちょっと苦手。

小ぶりなのが好きだ。

でも人間のサイズで小ぶりでも、他の生物と比べたらやはり、巨大なのだ。

 

自戒しよう、と思う。

 

 


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ダイエットの「ダイ」は、死のDIE 。

2025-06-10 19:26:14 | Weblog

ダイエットの「ダイ」は、死のDIE 。

この台詞は確か、古い少女漫画で見かけたものだったと思う。

少女漫画初期からの光り輝く巨匠、大島由美子画伯の漫画だったかな。

あの、名作「綿の国星」の作者である。彼女の作品のテーマは常に「生と死」だ、と僕は思う。

ダイエットに話を戻すと、

大島由美子の作品にはそのものずばり「ダイエット」という短編があったと記憶している。

なぜダイエットが「死」を連想させるくらい苦しいか?といえばそれはやはり、

「喰うこと」が「生きること」と直結しているからだ。

生物は、喰わなければ生き続けられない。

喰うことを理性で制御する・・・のはいいが、

その制御具合を間違えば、生命の維持に関わるのだ。

野生動物は「歯」が駄目になったらそれは「死」を意味する。喰いたくても喰えないから、だ。

だからこそダイエットのダイは死のDIE、ということになる。

なぜダイエットするのか?と問われれば

太った豚より、痩せたソクラテスになるべし、という強烈な教訓がある。

太った、かっこいいロックスターなどいない・・・・

いや、「ピクシーズ」のブラック・フランシスを除いては。

痩せ過ぎな人もいる・・・と言うか、いた。

僕が真っ先に頭に浮かぶのが、エイミー・ワインハウスだ。

彼女は西暦2000年代に、27歳で死んだ。死後に彼女の兄が明かしたのだが死因は拒食症だったそうだ。

(一般にはドラッグの急性中毒と報道された。)

そして

1980年代のカレン・カーペンターの死は拒食症というものを全世界に知らしめた。

エイミーも、カレンも、それでなくても痩せ過ぎだった。

単純に、拒食症はダイエットの行き過ぎである、と言って間違いではないと思う。

冗談ではなく、ダイエットは「死」につながる・・・のだ。

極端な話、断食を1週間続ければ生命の維持に致命的な支障が生じるだろう。

と、ここまで書いて

私の現状を正直に書くかどうか、悩んでいる。

 

・・・・・・・・・・・・私は今、断食をしている。

もう7日を過ぎた(作者注・念のため言うが、真っ赤なウソです、フィクションです、心配しないでね)。

そろそろ眩暈がしている。汗も、小便も、鼻水も、涙さえ、もう出ない。

「喰う」欲望は、もうとっくに消えた。胃の痛みも消えた。

ていうか、すべての欲望も消え失せた。

DIEは、とても甘美だ。

ああ、そうだったのか、と私は気づく。

ダイエットのダイは、「死」のDIEだったのだ、と。

 

もし私が・・・・・・・・・・・・・・・・(ここまでで切れている)。

 

 

 

 

上記の告白は嘘。

落ち込んだりもしたけど、私は元気です。

7月19日の「夜想」でのライヴでお会いしましょう。

 


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