僕にとっての渋谷陽一は、何より洋楽誌「ROCKIN’ON」の人だ。
僕は若かった頃ずっと「ROCKIN’ON」の影響下で洋楽を聴いてきた、と言っても過言ではない。
でも思い返せば、彼が作った雑誌を読む、ということ以外にも、
彼の、ロックに対する先鋭的な姿勢そのものに影響を受けた、という部分もある。
、というのは・・・・・・・・・・・・・・・
以前、「ばるぼら」というバンドをやっていた。
僕と、ボケロウと、マーボーと、キヨシと、4人で。
1993年から始めて、1999年まで続いた。
3枚のアルバムを残したし、SXSWにも出た。
で、その「ばるぼら」がやっていたのは結構、特殊な部類の音楽だと自負していて、
つまり、ノイジーでジャズ風味もあって、轟音ロックで、型破りで。
いちばんの特異点は、メロディのない歌。
ラップ調でもない、
言ってみれば、非・デリケートな、叫ぶような詩の朗読・・・・みたいなヴォーカルの曲が多かった。
それは確信犯的に。
で、それをやる動機のひとつとなったのが、渋谷陽一の発言なのだ。
詳細は覚えてないし、ラジオで言ったのか、「ROCKIN’ON」誌上で言ったのかも
忘れてしまったのだが、
大意としては
「型にはまってるロックがとても多いように思う。表現したいことがあるなら、
”メロディに詞を乗せる”ことすらもどかしい、っていう気になったりしないのかな?
とにかく言いたいことを言うんだ!みたいに、もっと初期衝動的にやれてもいんじゃないか?
ラップみたいな「型」にはまったやり方でなく。
そんなロックって、ありそうでないよね」
というような内容のことを渋谷陽一は1990年代初めに、確かに言ったのだ。
それはボケロウにしても僕にしても、本当に同感で、
その渋谷陽一の言葉とか、ビートニクの詩人たちの朗読とか、浅川マキとか、NYアンダーグラウンドとか、
ソニック・ユースとか、チャーリー・パーカーとか、トム・ウェイツとか、キャプテン・ビーフ♡とか、
そういった要素すべてを参考にして咀嚼して吸収して血肉にして僕らは「ばるぼら」をつくった。
そういう「言葉」が、創作の刺激になったりすることって、あるのだ。
で、思い返せば「ばるぼら」は、1998年に「ROCKIN’ON JAPAN」の
取材を4人で受けて、そのインタヴューは、雑誌に載った。
インタヴュアーは当然(というか)、渋谷さんではなかったけど、
「ROCKIN’ON」(JAPANではない)の長年の熱心な読者としては、嬉しかった。
その後、1999年だったかな?
大阪・梅田のタワーレコードで
仲井戸麗市こと”チャボ”さんと、渋谷陽一の「ミニライヴ&トークショー」というのがあって、
僕は出かけて、生身の渋谷さんとチャボさんを、間近で見た。
あれが一番、接近遭遇した日だったな。
トークショーで2人が何を話していたのかは忘れてしまった。
チャボさんのミニライヴは、とても良かった。
そのあとの握手会はチャボさんだけで、渋谷さんは奥に引っ込んでしまった。
だからチャボさんと握手してもらって、一言二言、お話をして、
「渋谷さんにもこれ、聴いて欲しいんです」と言って「ばるぼら」の
3枚目のアルバム(FUCK FANCLUB)を2枚、チャボさんに渡した。
チャボさんは渋谷さんに、ちゃんと渡してくれたのだ、と確信している。
まあ、渋谷さんは、聴いてないかもだけど。
渋谷さん、お疲れさまでした。ゆっくりお休みください。
世の中を面白くしてくれる人が減って行って、寂しい限りだ。