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昨夜はありがっとでした!

2025-08-10 17:02:33 | Weblog

ライヴハウスの夜は賑やかに更けてゆきました。

2025年8月9日のROCA’66、京都祇園シルバーウィングス出演は楽しくやれました。

来てくれた皆さんに最大限の感謝を捧げます。ありがとう!嬉しかったデッス。

対バンの皆さんにも感謝。

マダムメキシコは、大好きになった。

ザ・カルミネーションはスバラシイ。イッシーの才能勝ち。

ロッキンクレイジーシスターズには驚き。家族バンド!。

martin gangも、面白い。

GANGSTARSはレコ発!おめでとう。やたら華やかで強烈!

 

呼んでくれたシルバーウィングスにも感謝。17周年おめでとうございます。

もうごった煮のごった煮のごった煮、という感じで、さまざまな出演バンド。

いろんなバンドがあって、いろんな人がいるなあ、と心から感心いたしました。

個性的な面々に我々も混じって、とても楽しめました。

ふと思ったのだが不思議なのは・・・・ワタクシゴトでしかないのですがライヴ後、

とことん飲んで酔っ払って大騒ぎする、というようなことが無くなってきたかも。近年は。

これって…もしかしてもう若くないのであろうかワタシとしたことが。

思い返せば昔はとことん元気ではた迷惑な阿呆であった。

ライヴが終われば 「打ち上げ」と称して居酒屋とかに場所を移して、

飲みだしたら止まらなくて、泥酔するまで必ず飲んだ。

終電逃すのは日常チャハンジであった。

次の日は丸一日二日酔いで、今後の禁酒を近いながら寝込むのだ。

楽しかったけど、トラブルも多かった気がする。

悪いことは・・・あったとしても、覚えていないのだが(関係者の皆さん、すいません)。

 

でも今は今で、音楽を心底、楽しめているのでそれはいいことだ。

昔は、音楽以外のことにきっと、興味がありすぎたのだと思う。

今でも興味はもちろん、あるんだけど、ライヴさえよければいい・・・と思う。

酔っぱらわずに電車で家に帰ればいいのだ。当たり前と言えば当たり前だが。

というワケで今朝は二日酔いですらなかった。

さて、また明日からレコーディングの続きに突入する。

デリケートな作業。

 

針に糸を通すような。

爪の垢を煎じて飲むような。

猫に小判を与えるような。

UFOとコンタクトするような。

エサもなしで魚釣りをするような。

 

でも創作することは純粋な喜びでもある。

作品さえ、ちゃんとした形で残し、誰にでも聴けるようにしておけば、

いずれ もっと多くの人に我々の音楽の「良さ」を気づいてもらえる、と私は信じている。

我々は何も間違ってない、と確信するのです。

 

とにもかくにも(兎に角、という言葉は謎だ)、昨夜はありがとう。

 

次は、久しぶりに、片山道郎ソロ やります、夜想で。

 

2025年8月27日 水曜日、京都・大宮「夜想」にて、

夜想バーコーナーライヴ

「500円分の唄ください」という企画に、アコギ抱えて、ハモニカ持って、ワタシ一人で出演する。

バンドとは全然違ったことをやるつもりなのだ。

何か面白いことが出来たらいいな、と思ってマス。

平日だけど、来れたら来てください。チャージも500円と、安いし。


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明日、8月9日は祇園シルバーウィングスにROCA’66出演!

2025-08-08 18:24:48 | Weblog
明日、8月9日(土)
 
ROCA'66は、京都祇園シルバーウイングスに出演します!
 
SILVER WINGS 17周年
 
出演:
 
マダムメキシコ
 
ロッキンクレイジースターズ
 
Martin Gang
 
ザ・カルミネーション
 
ROCA'66
 
gangsters
 
(上記は出演順)
 
■OPEN 17:00 ■START 17:30
 
■ADV ¥2000+1drink
 
■DOOR ¥2500+1drink
 
我々の出番は5番手でオンタイムなら20時10分から!
 
 
来てね。
 
 
写真は、明日配るチラシ。

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暴力は不幸と新たな問題しか生まない。

2025-08-07 16:29:53 | Weblog

 

心から思うのだが、

暴力を問題解決の手段に使ってはいけない。

それは何の解決にもならない。新たな問題を生むだけだ。

 

子供の頃とか思春期とかに、勢いで・・・というか、その場の流れで

暴力をふるって、「勝って」しまって、それで問題が片付いてしまって、

そのことで誰も責められないし、逆に、強い、とチヤホヤされたりして。

そうか、これでいいんだ・・・・・と確信してしまって、そういうことが何回かあって、

それ以後、何事も暴力で解決するような人間になった・・・・・・・・・・・・・・。

というようなひとって、いる。

 

僕は思春期ちょっと前の頃・・・近しかった友達がそんな風に変貌するのを間近で見たことがある。

優しい、穏やかな人だったのだが、

そういうことがあってから 何かあると暴力をふるうようになってしまった。

それで学校では一目置かれるようになって、

他人を威嚇する服装になって行って、僕のことはもうトモダチとは思わなくなったみたいだった。

それ以降、卒業に至るまで会話もなかった。

哀しい体験。

 

暴力で相手をねじ伏せても、それは解決ではない。

暴力をふるった自分自身も結局そのことで不幸になってゆく。

そのやり方がディス・コミュニケーションだから。

一方的に自分の主張を通すことでしかないから。

特に・・・現代社会は暴力に敏感になって行っている。

コンプライアンスとはそういうものだし、それは正しい。

そういう風に暴力を使って生きて来た人は今、にっちもさっちも行かなくなりつつある。

 

今後も、世界全体がそっちの方向に行くと思う。ゆるやかに。

そうあってほしい。

 

昨日は8月6日で、原爆の日だった。

僕は生まれていなかったのであの日を憶えていない(っていうか知らない)のだが、

僕の祖母はあの日、福山にいた。

それは爆心地からキたった100ロメートルしか離れていないところだったのだ。

広島から歩いて避難してきた人々を見た、と言っていた。皮膚が垂れ下がっていた、と。

どんなに遠かったか。そしてどんなに熱く、痛く、苦しかったか。

 

暴力を問題解決の手段に使ってはいけないのは自明の理だ。

何度でも繰り返して言うが、

それは何の解決にもならない。新たな問題を生むだけだ、本当に。

 

そして

 

熱核兵器、というのは現代における、究極の暴力であろうと思う。

 

「それ」によって第二次世界大戦が終わって、でもそれ以後、新たな問題だらけだ。

 

 

 

身近に戻るのだが、

僕の知るいちばん強い人は、いちばん他人に優しい人だった。(今はもうこの世にいないが。)

誰もがそうあって欲しいし、僕もそうありたいし、社会も、そうあるべきだと思う。

 

 

 

土曜日は、京都・祇園で我々、ROCA’66のライヴ。

 

ロックバンドのライヴは大音量で、シャウトしたりするけど

あれは誰かを威嚇してるワケではないのです。

(僕は他人を威嚇するような奴は嫌いです。)

ああいう方法でしか、大音量でしか表現できない「何か」が、ロックには・・・あるのです。

 

「威嚇」でない証拠に、僕が欲しいのは「共感」でしかない、という事実があります。

共感が欲しい人は他人を威嚇しないと思う。

 

 

 

あさって、京都のライヴハウスで会いましょう。

 

 

 

 

付記

でも思い返せば、高校で初めて出会った頃のランブルフィッシュ佐治くんの髪型と学生服と態度は

見事に他人を威嚇するもの(リーゼントに長ランとも言う)だったなあ・・・・・・・・・・・・懐かしい。

 

 


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失ったチャンス、得たチャンス。

2025-08-05 16:54:00 | Weblog

あのとき何であんなこと言ってしまったんだろう?

とか

何であんなことしてしまったのだろう?

とか

何故あのとき解決策を思いつかなかったのだろう?

とか

何であのとき、ひとことも言い返せなかったのだろう?

とか。

そんなことは多い、あまりにも多い。

 

「失敗したー!」と言うしかないようなこと。

 

そのときにはそれが正しい、と確信していたのだ。

もしくは、最善を尽くしたつもりになっていた。

もしくは、何も考えていなかった。

もしくは、頭が真っ白になって何も考えられなかった。

もしくは、とことん調子に乗っていた。

 

でもそんなことばかりではなかったのだ。

 

何の気なしにやったことがすごく感謝されていた、と後で知ったり、

何も言わないほうが得策だった、と後で気付いたり、

何も考えずにやったこと(やりすぎたこと)が知らないところで過大評価されていたり、

解決策はただの対症療法でしかなく、やっててもあまり意味がなかったかもしれなかったり、

 

失敗と成功は背中合わせで、実は同一人物だったりするのだ。

 

何もかもが思い通りにはならない。

 

もしも何もかもが思い通りになるのなら僕はそもそも、

この世に生まれて来はしなかったかもしれない。

その逆で、嬉々として生まれてきたかもしれないけど。

真実はどっちなのか、わからない。

 

とんとん拍子で何もかもがうまく行ってる気になるときも、稀にある。

逆に、何をやっても裏目に出てしまうようなときもある。

 

うまくいかなかったことは、忘れるに限るのだ。

あとで解決策を思いついたって、何にもならない。

とかくこの世は出たとこ勝負、ぶっつけ本番なのだ。

やりなおし や、テイク2は、ない・・・と思っていい。

 

 

すごく大きなチャンスって、そう何度も訪れるものではない。

僕は今まで、いくつのチャンスをモノにして、

いくつのチャンスをみすみす逃がしたのだろう?????

そしてこの後の人生でチャンスは一体何度、訪れるだろう?

 

 

時々想像するのだが・・・人は死んでから死後の世界に行って、

自分が生まれてから死ぬまでの全記録をビデオか何かで延々、見せられるのではなかろうか。

「あー、ここ、チャンスでしたね~」とかの解説入りで。

「走馬灯」とは実は、そういうものなのではなかろうか。

映像・・・でなかったらその現地に実際(時空を超えて)行って、

上から観察する(させられる)、とか。

ひぃ。

もしそれが正解だったとして、

そのビデオを、楽しんで見られたらいいな、と思うのだが、

・・・・・・・・・無理かもしれない。

 

 

 

 

さて、ライヴと言うものは我々にとって、

一回一回が、大きなチャンスであり続けている。

誰が見てるかわからないし、誰にでも見てもらえる可能性はあるのだ。

ミック・ジャガーが偶然来日して、京都のライヴハウスにお忍びで来るかもしれない。

村上春樹は京都をよくウロウロしてるみたいだから、お客さんに混じってるかもしれない。

小学校の時に好きだった女の子が何かの間違いで来るかもしれない。

高名な音楽評論家が見て、気に入ってくれるかもしれない(これは京都での話ではないが以前、本当にあった)。

トランプ大統領が・・・・いや、それはいいや。

ランブルの頃ファンだった、というようなひとが30年ぶりに、見に来てくれるかもしれない。

このブログを読んだ誰かが勇気を出してライヴハウスに来てくれるかもしれない。

 

とにかく。

ライヴは、我々の「夢の実現」そのもの、なのだ。

2025年8月9日は京都・祇園のライヴハウス「SILVER WINGS」にお越しください。

阪急電車なら四条河原町下車、京阪電車なら祇園四条下車。徒歩15分くらい。

もしアナタがトランプさんでも、門前払いは致しませぬ故。


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笑い、そして次の土曜日は祇園でROCA’66のライヴ!

2025-08-03 15:52:21 | Weblog

「笑い」というのは何なのであろう?

 

ユーモアや、軽いジョークは他人への、「警戒を解く」ための装置、という側面もある・・らしい。

「挨拶」もそうなのだが、「アナタに敵意はない」という意思表示。

 

だが他人への「威嚇」としての笑い、というのもある。「高笑い」みたいな。

集団で誰かをいじめるときにはそいつらは、笑いながらするだろう。

誰か一人を大勢で、笑いものにしたりするだろう。

 

そうでなくても大声での「笑い」は、そのつもりがなくても周囲を威嚇する。威圧する。

(これはワタクシも、自戒しなくちゃだわ。)

 

漫画とか映画でも、悪人は高笑いしながら現れる場合が多いかもしれない。

ルパンの、カリオストロ伯爵も高笑いしてたな。

それとはまた別かもだが、

いわゆる「お笑い」でも、他人を馬鹿にする笑い、というものが多かった時期があった。

 

これが「高笑い」ではなく、「微笑み」だと話は随分違ってくる。

モナ・リザとか。

 

「日本人は皆、作り笑いを顔に張り付けている」みたいなことが一時、

言われていたように思うのだが、

僕は「作り笑い」はぜんぜん悪いことではない、と思っている。

ムスッとしてたり、しかめっ面してたり、苦虫をかみつぶしたような顔してるより、

100倍もイイじゃないか。

しかも「表情」は自身の精神状態にも影響を与えるのだ。

まあ、笑えない時にまで無理に笑う必要はないのだけれど。

 

何かで読んだのだが「笑う」のと「泣く」のは、けっこう近い行動なのだそうだ。

ふむ。どちらも、抑えきれない感情の発露だよね。

 

それで僕が思い出すのは宮沢賢治の極北的傑作「なめとこ山の熊」だ。

(極北、という言葉はここでは「いちばんキツイ」というような意味で使っている。)

熊撃ち猟師の小十郎が自身の死を予感しつつ猟のため家を出る最後の朝、

九十になる彼の老母が「笑うか泣くかするやうな顔つきをした」とある。

この「笑うような泣くような」表情、というのは賢治作品の、他のモノにも出てきたと思う。

「ひかりの素足」だったかな?こんど読み返してみよう。

 

つい最近ではそういえば

たるたにくんのお通夜で歌っていた ぱぱぼっくす がそんな風で、切なかった。

 

 

シンガーソングライターの「COCCO」の90年代の大ヒット曲「RAINING」の

歌詞の最後の一節、「教室で誰かが笑ってた それはとても晴れた日で」

の「笑い」は、どんな笑いだったのだろう?と思う。

疎外を感じてしまったのか、それとも、平和だな、と思ったのか。

後者であってほしい。

 

 

 

僕は

誰かが近くで数人でくすくす・・・という感じで笑っていると(特にそれが女の子達だと)、

つられて楽しい気分になったりすることがある。我ながら脳天気だ。

それが実は僕が笑われてたりすることも稀に、あるのだが。

シャツがズボンから出ていたり、チャックが開いていたり、

寝癖がタテ巻きロールだったり(←この感じ、わかるだろうか?)。

ははは、あかんやん。

 

 

ROCA’66の録音作業は昨夜、無事に正念場の第1回が終わり、我々は気持ち良い疲労の中にいる。

次の土曜日は京都・祇園・シルバーウィングスでのライヴが決まってマス。

指さして笑ってくれても全然いいので、ライヴハウスに来てください。

(今はタテ巻きロールではない。)

 

 8月9日 土曜日

京都・祇園 シルバーウィングス

「SILVER  WINGS17周年」

OPEN 17:00 START 17:30

前売り2000円、当日2500円プラス1ドリンク

出演

マダムメキシコ

ロッキンクレイジースターズ

MARTIN  GANG

ザ・カルミネーション

ROCA’66

GANGSTARS

上記は出演順。

我々の出番は5番手、19時30分から。

 

 

 

写真は、昨夜のスタジオでの1枚。

左が赤井くんのジャズマスター。

右が道子のサイクロン。


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八月に突入、それと「運命」のこと。

2025-08-01 18:43:26 | Weblog

ついに今日から八月だ・・・友達よ。

灼熱の日々絶賛開催中。

そして運命の歯車がゴゴゴ、と音を立てて動き出す・・・・・・・・・・

っていうかもう既に、かなり動いてしまっている。

ネジを巻いたのがそもそも誰なのか我々には知る由もないのだが、

その巻かれたゼンマイの動力によって我々は生きているのだ、詳しくは知らんが。

とにかく、私は思う。この夏休みが永遠であればどんなにいいか、と。

しかし働くのも実はマゾ的に楽しい部分もある。私はマゾではないのだが。

社会参加するのも実は、ある種の快感である。

だから私は夏が終わったら少しずつ、労働環境の獲得に向けて動き出すつもりではいるのだが、

その前にミュージシャンとしての活動が活性化する。

前々からの悲願であった、ROCA’66の正式レコーディングがついに始まるのだ。

こんな真夏に・・・と、思わなくもないが、これも運命だ。

一生涯残るものを創る。あ?でも俺の一生ってもうそんなに長くないじゃん。

いや、確かにそうだが、それはどうでもいいのだ。

とにかく、我々が作り上げた楽曲をちゃんとした環境で録音して残す。

音楽とは形のない幻のようなものかもしれない。

だがそれをディスクに焼き付けてCDという形にして、ライヴで売って、買ってもらって残す。

のともうひとつ、

その録った音源をネットでも聴くことが出来るようにする。

具体的にはBIG UP!という音楽配信サイトに、録音した曲たちをアップする。

そうすると・・・もしかして「デジタル・タトゥー効果」で、

我々がいつか滅しても、楽曲はネット上に残るかもしれないではないか。

まるで「樹木葬」みたいだが、上手くいけばそうなってもおかしくない。

とにかく、音を、合奏を「残す」のだ。

録音が始まり、その次には、ライヴだ、ギグだ、コンサートだ。

8月9日 土曜日に京都の祇園にあるライヴハウス「シルバーウィングス」に

ROCA’66が出演する。

世間にライヴハウスは多いが、すべてのライヴハウスに出演できるわけではない。

こういうのも「縁」のたまものなのだ。

「縁」というのは言ってみればそれは「運命」である。

アナタがこのブログをたまたま発見した、のならそれも運命だし、

誰かに教えてもらった・・のならそれも運命だ。

運命とはこのように、けっこう融通が利く概念でもある。

いつまでバンド続けられる運命なのか?は、全然わからない。

バンドメンバーが集まれたのも運命だし、

ちょっと遠くてもライヴに来られる環境に、もしもアナタが居るならそれも運命であろう。

もしもその気なら、運命を捻じ曲げることすら可能なのだ、我々という生き物は。

アナタと私が出会った時にもしかしたら火花が散って、また新しい運命が始まるかもしれない。

始まらないかもしれない。

でもまあ、楽しいからライヴに来ておくれよ。

祇園シルバーウィングスに行くには、

阪急電車なら四条河原町、京阪なら祇園四条で下車。

ライヴハウスで会おうー。


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特定の作家に拘泥する時期があるのです。

2025-07-31 16:41:39 | Weblog

ひとりの作家の存在、というものに気づいて、

その人の作品を追って何冊も何冊も読む、ということを僕が一番初めにしたのは

多分、小学校低学年の頃で作家は 星新一だったと思う。

 

今現在みたいに古本屋やブックオフで文庫本なら何百円で買えるような時代ではなかった。

古本屋はもちろん存在したのであろうが、子供だから知らなかった。

本屋といえば新刊本屋しかこの世にはない、と思っていた。

だからどうしてたんだろう?図書室に何冊もあった気がする。

星新一はとても面白かった。センス・オブ・ワンダーで、後から考えればSFの要素もかなり濃かったと思う。

僕が今でもSF小説好きなのは、この頃の「三つ子の魂」なのかもしれない。

 

次は誰だったんだろう?宮沢賢治かな?とも思う。教科書で「やまなし」を知ってじんわり感動して、

(小学校の卒業アルバムには僕の「やまなし感想文」が載っている。)

その後、賢治作品を当時手に入る限り読んだ。これも小学校の時。

だからほとんどの賢治作品を知ってるつもりだったが、後年、ラジオの朗読番組で

「なめとこ山の熊」を知って、衝撃を受けた。あれは賢治作品の極北で・・・「童話」ではないよね。

 

次は誰だったか?

中学生の頃だったが、「スローなブギにしてくれ」が流行って、映画も良くて、

だから原作小説を買ってみたら衝撃的にお洒落・・というかカッコよくて、当分、片岡義男を読み漁った。

ハードボイルド、というのか、カラカラに乾いたそっけない文体で、

短編がほとんどだった。深く精神的に突っ込まないのがまたカッコ良かった。

あれのせいで潜在的に、バイクにも憧れ始めたかもしれない。

 

高校に入ってから、村上春樹を知る。1982年くらいなので、長編では「羊をめぐる冒険」が出たばかり・・だ。

今と違って、村上春樹の存在なんて(本好き以外は)、ほとんど誰も知らなかった。

念には念を入れて僕は、1作目の「風の歌を聴け」から読み始めた。衝撃だった。

で、「羊」以降、新作が出れば必ず買った。ずっとそうしてきたし 当然、今でもそうだ。

 

同時期に雑誌「宝島」で中島らもが連載ページを持っていた。かまぼこの宣伝ページだったのだが。

でも面白くて、その後らもさんが本を出すようになって、それも残らず読んだ。

 

ランブルフィッシュで東京にツアーに行ったときに知り合ったお客さんの女の子から

サリンジャーの初期短編集(希少本だったと思う)をもらったのがきっかけで

サリンジャーにも拘泥し結局、

訳されているものは全部、読んだ。作品数自体、少ないのだけれど。

(逆に(?)サリンジャーの初期短編は今では日本語訳でしか読めない、ので有名である。)

 

O・ヘンリーにはまってた時期もあったな。

 

あとあとにはP・k・ディックにどハマりする。この時期は長かった。

 

そう、僕が村上春樹を知るきっかけがミステリアスで、自分にとっては一種、運命的で面白くて。

畏友、ランブルの佐治くんが後年になって、

「俺の姉貴(実姉)が、ミチくんが本好きなら村上春樹読んだらいいよ、ってすすめたんや」と

(関西弁で)言った。

そして

もうひとりの畏友、学生寮で3年間一緒に暮らした清治も後年、

「俺の姉貴(実姉)がオマエに村上春樹すすめたんだぜ」と(関東弁で)言ったのだ。

ちなみに佐治くんの姉と清治の姉はお互い面識は ない。近隣にお住まいでも、ない。

す、すごい面白い偶然で不思議。そして不覚にも僕はどちらの件も覚えていないのだ。

(スイマセン。)

当然だが、佐治くんと清治と二人とも間違いなく真実を語っている。両方、実際にあったのだ。

だから必然的に僕は春樹さんにたどり着いたのだ。

でもすごいよな、と思う。お姉さん方2人とも。

1982年の時点で、村上春樹のすごさに気付くなんてね。当時は20万部くらいしか売れてなかったはず。

普通の世界(読書好き以外の世界)で話題に上がることは絶無だった。

そしてそれを、ほかでもない僕(道郎)に、勧めてくれるなんて。奇蹟だと思う。

アヤコさん、キキョウさん、アリガっとございます。

 

 

春樹さんつながりで僕はその後、カート・ヴォネガット・ジュニアにも拘泥し、多くの彼の作品を読んだ。

春樹さんつながりではないが、ガルシア=マルケスも好きになった。

 

しかし、人に本や、作家を勧める、という行為はなかなか微妙なのである。

、というのは多くの人は、勧められてもその本やその作家の作品を読まないから。

それは当たり前では、ある。なかなかすんなり、読めるものではない。

だから僕は、勧められることがあれば積極的に読む、という姿勢を持っていたいと思う。

でもそう思う僕だって、勧められたもの全部読めるわけではない。

ロシア文学とかはやっぱ、ハードルが高かった。読みにくい、登場人物の名前が長く、ややこしい。

加えて言えばロシアに親近感も持っていないのだ。

でも、いつか「カラ兄」(カラマーゾフの兄弟)を読破するぞ、マジで。

 

 

近年、僕は ラジオで 作家の高橋源一郎がおススメしていたのをきっかけに、

ブレイディみかこの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を単行本で読んで感激した。

出版からまだ、そんなに日は経ってない頃だったはず。

それ以降、出ているブレイディみかこの他の本も、何冊も読んだ。全部良かった。

この本(「ぼくはイエローで・・・」)はかなり話題になって、ベストセラーみたいになって、

しばらく経つと文庫化され、

ブックオフとかに古本が並ぶようになった。だから僕はブックオフでこの本を見かけるたびに購入して、

読んで欲しい、と思った友達何人かに、進呈して回った。6~7冊は買って、配ったと思う。もっとかな。

そんなことをしたのは・・・リチャード・バックの「イリュージョン」以来だ。

あれはリアルタイムで出版時話題になった、とかではないのだが文庫本が、

古本屋でよくあったので、見かけたら必ず買って、トモダチに進呈していた。

それくらい、とてもとても気に入っていたのだが 後年になって、

その「イリュージョン」は村上龍の翻訳に問題が発覚したらしく、今はもう、ない。

誤訳、というか原作にない文章が無断で付け加えられていたらしいのだ・・・・・すごいことするよな。

それでも断然、面白かった。もし誰か、店頭で村上龍訳の「イリュージョン」見かけたら、買っておいてね。

 

さて今回、

最近、しょちゅう一緒にライヴやってる、というかライヴ企画に僕を呼んでくれるありがたい存在、

尊敬する酔いどれバンドマン、ザ・マンガンズの前田ジュウオさんが

「原田マハ」というひとの小説を2冊ほど、おススメしてくれた。

自分ではよく他人に本をおススメしてるのだが、最近は・・僕におススメしてくれる人は少ない。

なのでとても嬉しくて、すぐに2件ほど古本屋とブックオフを回ったのだが

(新刊本屋は近所にはもうないのです。)

おススメしてくれた本はなくて、だから代わりに原田マハ著「常設展示室」という

短編集を買ってきた。そしてそれは、良かった。ピカソ、ゴッホ、フェルメール、ETC。

有名絵画にまつわる話が多く、切ない。なんか、妙に上手い。

フィクションなのだが、登場人物がこんな人、どこかに実在していそうだな・・と思わせる。

そういうのって大事だ、と僕は思う。かの賢治さんも、何かの序文で

「ほんとうに、こんなことがありそうな気がして仕方ないのです」というようなことを書いている。

ジュウオさん、おススメ アリガっとございます。有意義でした。あと何冊かマハさんの本、読んでみよう。

 

で、それに刺激されたわけではないのだけれど昨日、天王寺でやっている

「ゴッホ展」に行ってきた。ゴッホの絵の実物を見たのは恐らく僕は、初めてである。

 

 

「油絵は生きている」ということを実感した。

本物の絵、実物を見るのはそういう意味で大事なことなのだと、僕は思う。

 

彼に「会う」、という感じだった。

 

 

 

 


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お墓

2025-07-28 10:43:19 | Weblog

RCサクセションの古い歌に「お墓」というのがあった。

これはアルバムとしては確か「ビートポップス」(←傑作!!)に入っていたと思うが、

1980年ごろに出たRCの本に、この「お墓」の歌詞が載っていたのを覚えている。

だから古い歌だと思う。

後々になって関連本を読んで思ったのだが、ここで歌われているのは

清志郎の友達だった「日隈くん」のことなのであろう。

「僕はあの町に2度と行かないはずさ 僕の心が死んだところさ そしてお墓が建っているのさ」

 

 

何故お墓は石で建てられるのか?と言えば、後世まで残るから、であろう。

もっと古いものはおそらく木製であったと思うが、木はいずれ朽ちる。

石なら、朽ちないので、

その人がこの世に、確かに存在した、という証を残したいのだよね、きっと。

しかし。

石は丈夫過ぎる・・・かもしれない。

 

 

福山のお寺さんに、片山家のお墓、というのがある。

子供の頃、祖母や、祖母の姉や、父、母、と、あと僕の兄弟と一緒に、盆暮れに、

お墓詣りに行っていた記憶がある。

そこには祖母たちの兄の、画家だった公一さんが眠っている、という話だった。

事情はよく分からないのだが、東京を拠点に活動して暮らしていた公一さんを、

彼の故郷の福山に葬ったみたいだ。

祖母も、祖母の姉も、今ではその墓の中・・・である。

父は、そこに入りたくない、と生前 よく冗談めかして言っていたので、別のお墓の中である。

(っていうかそのお墓はもう満杯であったらしい。)

それはそれでよかった、と思う。

しかし考えてみれば

生前の公一さんのことを憶えているのは今や、近辺では 僕の母だけである。

僕の知る限りではそうだ。82歳の母。

母がいつか亡くなればもう、画家のおじさん のことを憶えている人は恐らく・・・いない。

僕も、幼児の頃に会ったことがあるかもしれないのだが記憶にない。

ただ彼の絵だけが僕の家にあり、兄の家にもあり、いくつかの美術館にある。

お墓には大きな石に「画家片山公一ここに眠る」と彫ってある。

このようにして いずれ人は、忘れられていくのかもしれない。

あ、そうだ時々、稀に、遺族はまったく誰も行ってないのにそのお墓に

お花が飾られていたことが以前は、あったそうだ。

でも、そういうことも無くなってから久しい。

 

 

 

奈良にある岩佐のお墓も、訪れる人は随分少なくなってしまった。

 

 

 


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終わってないコンテンツ

2025-07-26 17:59:24 | Weblog

うろ覚えで、事実関係を調べずに書くのだけれど、

絵画史上最高値がついたのは確か、ゴッホの作品だったと思う。そんな話があった。

だいぶ以前の記憶だが。

フィンセント・ファン・ゴッホ。

昔なら、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホと言ったものだが。

その、お値段は、なんじゅう億円とかだった(あやふやな記憶)。

天文学的数字。

でも確か、

ゴッホさんの生前に売れた絵は、たった1枚だったとか。

そういう逸話があるよね。

1920年代とか、そのあたりの時代は

絵画が花形だったのであろう、と推測する。

もしかして、写真技術の発達によって、絵画の隆盛にも影が差したかもしれない、

とシロートはおもうのだが、

でもそれだったら値段が暴落してもいいはず。

世間の、というか世界の価値観、というものは謎である。

 

クラッシック音楽の価値も、全然下がらない。

不思議と・・・・「古臭い」とか、誰も言わないのだ。

コスパが、とかタイパが、とかも言わない。

 

そんなこと言えばギターだって、もう古臭い楽器かもしれない。

若い人からは「オワコン」(終わってるコンテンツ)とか言われてるかもしれない。

ロックの全盛期は1960年代と1990年代だったかもしれない。

その時代に生きた人は幸せである。

でも今現在見回せば、僕の若かったころの10倍、いや、もっとか?ってくらい世界には

ライヴハウスがあふれている。

コンビニか?ってくらい・・・・ってのは言い過ぎか。

だから、若い人もきっと、バンドをやってはいるのであろうが、

我々とは接点がないなあ。まあいいけど。

若手の、かっこいい新人バンドとかって、頑張ってるのだろうか。

多くの若者がもしかして身を削って、ロックをやってるのだろうか。

 

しかし、

これからの世界はどうなっていくのであろうか。

西暦2000年くらいから、何も進化してない気がするのは僕だけだろうか。

あー、ガラケーがスマホになったな。これは大きい。

あとあれか、ハイブリッド車がめちゃ増えたよな。

電気自動車も増えたけど、バッテリーの問題はまだ解決できてないと思う。

トラックは相変わらずディーゼルエンジンばかりだし。

 

しかし、1920年くらいから作品の色とか状態が ほとんど劣化してない、のであれば

やっぱ油絵ってすごい。

100年以上先を見据えて描いていたのだ、きっと。

 

故・チャック・ベリーの楽曲に「ロング・リヴ・ロックンロール」というのがあった。

「ロックンロールには長生きして欲しいもんだぜ」と歌う。

チャック・ベリーには「ロール・オーヴァー・ザ・ベートーベン」もあった。

チャックも100年先を見ていたのかもしれない。

 

ロックも「クラッシック化」していく。

そんな中からまだまだ、新しいものが作れるかもしれない、と僕は思う。

「メロディ限界説」なんてのを信じてはいけない。

 

「ロックは進化し続ける」と、渋谷陽一は言ったが、

そのことは信じよう、と思う。

 

 

我々ROCA’66の次回のライヴは8月9日、土曜日、

京都は祇園のライヴハウス、シルバー・ウィングスにて。

「価値観のひっくり返し」を僕はまだ、狙っている。

 

 

 

そうそう、それで僕は、大阪・天王寺でやっている(らしい)「ゴッホ展」に近々、行くつもり。

絵画史上最高値の芸術作品の本物を、間近で、見るのだ。


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共喰い

2025-07-25 21:49:15 | Weblog

猿は、あと100万年経っても人類には進化しない。

 

猿は、100万年後も、猿である。

 

これは、生物学の常識だ(と誰かが言っていた)。

 

でもそうすると「進化論」は否定されるのではないだろうか?

 

僕は・・・猿は、人類に近い、近すぎると思う。

昆虫にも共感を覚えるが、猿は…他人事ではない。

 

今日、YOUTUBEで興味本位に・・・・・・・猿を捕らえて、喰う、という動画を見た。

千葉県だった。

アカゲザルは特定外来種なのだそうだ。

だから、喰おうが殺そうが、許可を得れば、法律的には問題ない(らしい)。

 

で、

それを見ていて、

自分でも意外だったのだが、強い吐き気がした。

頭が自然に、拒否したのだ。

 

共食い、というのは生物の、本能上の禁忌である(はず)。

 

ヒトが猿を喰っても、共食いではないかもしれない・・・っていうか、違うだろう。

でも、人類史に

猿を喰う事例は、少ないのではないだろうか?チャイナの人は昔から喰ってたみたいだが。

 

「昆虫食」も人類史上、少ないのだが。

どんな動物が何を喰い、何を喰えないのか?というのはなかなかの謎である。

 

極端な話、例えばコアラはユーカリの葉しか食えないのだ。

パンダも、基本的に笹の葉しか喰わない。

 

我々は何を喰う?

無機物と木、以外は何でも喰うが、共食いはしない。

 

共喰いは、怖い。

西洋の、ゾンビの怖さ、というのは死者が動き出す、という怖さと同じくらい、

共食いの怖さ、なのかもしれない。ゾンビは人を、喰うからね。

 

猿の肉はどんな味がするのだろう?

・・ヒトは?

 

噂によれば、ヒトの肉は、桃の果実のような味だ、という。

 

だとしても

僕は喰いたくない。

共食いは、したくない・・・というか、できない。倫理の問題?ではない。

もし、それしか食うものがなければ、餓死したい。

 

っていうか、

本当は

すべての「喰う」ことから解放されたい。

何も喰わずに、もし 存在できるのなら、そうしたい。

(無理かもしれない。)

 

僕は、

猿と人間が

近すぎることが 何か、怖い。

 

 

京都近郊の森で、野生の猿を目撃したことが、何度かあるのだが、

自分の中で「エンパシー」が発動してしまって、ちょっと困った。

 

僕は、あらゆる食物の中で「柑橘系」の果実が一番、好きだ。

 

で、チンパンジーは元来、「果実食」であるという。

(訂正:純粋な果実食はオランウータンだった。)

 

柑橘系の果実には、一種の「魔」が潜んでいるように思う。

なかでも、「レモンの木」(果実も)の特殊性を訴える人は多い。

 

 

 

 

 

我々はもしかしたら、元来「草食」であったのだろうか?

 

もしくは「果実食」?

 

柑橘系の果実のみを喰って人は、生きられるのだろうか??????

 

 


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