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散文詩「ユー・ガット・ムーヴ」意訳

2025-07-21 22:59:07 | Weblog

オマエが俺を動かす

オマエ以外は面白くない

何故そう?なのかはわからない

ただそれは事実

どうしようもない

心の動き

誰かがそれを動かす

 

オマエが俺をハイに上げる

オマエが俺をローに落とす

何が原因かわからない

オマエはエンジンなのかとも思う

ガソリンの要らない

永久不変のエンジンかと

 

 

黄金がゴミに変わる

純銀が無価値なものになる

心の価値観はころころ変わる

何が正しいのか誰にもわからない

ただお前が俺の心を動かす

 

愛は不変ではない

万物が流転してゆく

1秒たりとも留まってはいない

何もかもが失われる

それはそれでいい

刹那は刹那だ

それ以上でもそれ以下でもない

 

オマエは動く

その動きこそがすべて

オマエは愛する

何もかもが失われゆく

全部それでいいのだ

そうでしかないのだ

ユー・ガット・ムーヴ

 

 

 

 


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魔の記念日・1993年・夏

2025-07-21 20:47:23 | Weblog

参議院選挙の結果は、心愉しいものではなかったようだ。

思うのは、

僕にとって、何が正しくて何が間違ってるのか?を

自分として、

ちゃんと判断できるように、していたい。

気を抜かず、手を抜かず、惑わされず。

そして

「自分が正しい」と、思い込み過ぎないことも大事だよな、と 今、

思っている。

譲れないところは譲れないけどね。

 

 

 

 

 

そうだ、昨日は「魔の記念日」だったのだ、僕にとっての。

・・・・・・・・・・・・・というのは、

1993年の7月20日未明に僕は250CCのバイクで単独大事故を起こし

(路上駐車の大型ダンプに突っ込んだらしい)、

 ほとんど他には被害を及ぼしてない(みたい)なのだが・・・本人は死にかけた、ということがあったのだ。

(ダンプはおそらく違法駐車で、バンパーがへこんだけど賠償はいらない、と言って去ったらしい。)

バイクは廃車。

本人も廃車になりかけた。気を失って血だらけで、深夜の路上に横たわっていた(と、後で知った)。

馬鹿だからヘルメットのあごひもを緩めて乗っていたのは覚えている。

誰か知らない親切な人が通報してくれたらしい。

その前後のことは何も覚えていない。

もちろん、その瞬間のことも、何も記憶にない。

(後で尋ねたら、医者によればそれは、ひどい脳震盪のせいだという。)

で、頭蓋骨の内側では脳出血していて、その次の日の夜が

生きるか死ぬかの「ヤマ」だ、ということで、

親、兄弟がはるばる福山から呼ばれたようで、来てくれた(らしい)。

しかし奇跡的に脳出血は止まり、手術は、せずに済んで、

骨折も、していなかったので、大事には至らなかった。

10日ほど入院はしたが。後遺症も、深刻なものはなかった。(でもその入院中の記憶は、ない。)

しかし、腰まで伸ばしていた髪の毛は知らないうちに救急隊のバリカンで刈られ、丸坊主になったのだ。

それは、脳手術する可能性があったから。

32年も前のことだ。

毎年毎年、このことは書くことにしている。

自戒のために。自己嫌悪的な猛省を薄れさせないために。

あの頃の、20代後半の僕は目も当てられないほど馬鹿で、

高慢ちきな馬鹿がベルボトムを履いて歩いていたようなものだった。

任意保険にも入ってなかったし、自賠責すら切れかけで危うかった。

そして、自分がどれけ非常識で、はた迷惑な存在か、気づいてもいなかった。

愚かにも、選挙にすら行ってなかった。

今現在は、あのころと比べると格段にマトモだと思う。

そうであってほしい。

それ以外のことでもきっと、周囲にいてくれたトモダチの多くにきっと、

多大な迷惑をかけていたと思う。

だから、

自分がいかに馬鹿だったか忘れないように、毎年 書いている。

ダンプのバンパー以外、誰も傷つけずに済んだ(みたい)なのが不幸中の幸い。

1993年の7月には僕は26歳で、

あと2か月足らずで27歳になるところだった。

(誕生日は9月なのです。)

後になって「27クラブ」の話を知った時は、心底、ゾッとした。

27歳っていうのは、天才だろうがそうでなかろうが、

人が「死」に、最も近づく年齢なのだと思う。

 

生きてて良かった、

と思えるワタシはきっと、シアワセなのであろうと推測する。

 

 

 

でもあれは、後で思えば人生の「重大な転機」だった。

あれのせいで・・・・翌年の、「ばるぼら」結成に至るのだ。

 

 

あれがなかったら「ばるぼら」は、なかった。

 


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昨夜はありがとう2025年・夏

2025-07-20 18:02:25 | Weblog

とてもとても良い夜になりました。

お客さんとして来てくれた友達と、我々を呼んでくれたライヴハウスの友達と、

対バンで共演してくれた友達と、バンドメンバーの友達に感謝を

捧げます。

本当にありがとう。無職療養中の私にはピンとこないのだが世間様はどうやら

連休、というものらしくて、

関西のあっちこっちで面白いライヴが目白押しだったみたい。なので昨夜は、

人が・・・・あまり、来てくれないのではないか?

もしかして「閑古鳥」が鳴くようなことになるのではないか?と

散々心配されたのですが蓋を開けてみると、多くの友達が来てくれました。

盛況、と言っても罰は当たらないのではないか。 

共演はトモダチのバンドばかり。知り合いばかり。

1番手の「CLOVER」とは随分久しぶり。

ジャズ風味が増して、素晴らしく音楽的なバンドになっていて驚きだった。

彼女らが、歳を取らないのも驚きだった。全員若く、綺麗なまま。

2番手は我々「ROCA’66」だった。

持ち時間いっぱいに曲を詰め込んだので普段よりさらにMC少な目。

少な目、というかMCほぼ「なし」だな。まあいいだろう。

演奏は ちゃんと出来た。大音量で音響も完璧なので、異世界にワープしそうな感じ。

お客さんたちが、じっくり聞いてくれてたのがわかる感じですごく良かった。

何人かは、一緒にワープしてくれたんじゃないか?と思う。

3番手の 「THE LULA」 も良かった。

宮木くんの使用ギターは昨夜はフェンダー・ムスタング。大好きなギターだ。

曲と演奏がいいよね、このバンド。

4番手、トリは「忌(イム)」。ピンクの髪の毛のチェリーくんのバンド。

ガチャガチャした感じのニューウィーヴ風味の音。かっこいい。

テンポは速いし、リフやフレーズが細かいから、演奏は難易度高いはず、特にベース。

とても良かった。昨夜は、生命の儚さ、を感じさせるMCが多かったのが印象的だった。

(たるたにくんと一緒に音楽やってたものね・・・・。)

チェリーくんは、まるで遊んでるような、それでいて深く生真面目なような、不思議な人。

 

僕としては近年は、バンドがメンバーみんなが揃って、元気で、

演奏をキチンと、いい音で、良い環境でやれたら満足なのです。

それが普通に出来ることではない・・・ということは痛感している。

誰かに共感してもらうのは、もっと難しい。

トラブルなく、チカラを発揮出きれば・・・自分としては否応なく、感覚が「作品世界」に没入していきます。

そこは懐かしく、「痛み」もあるが

「僕の失ったすべて」と言っても過言ではない世界。

そのためにこそ、そこに行くためにこそ、

仲間と共に音楽をやってるのだ、ということを再認識できた夜でした。

人前で演奏できるだけで、それだけで楽しく、嬉しいのに ライヴの前後ではいつも、

久しぶりの友達と会えたりして、すごく楽しい時間も過ごせます。

 

出演させてくれるライヴハウスはとても貴重だ。

そして、お客さんとして来てくれる人が、本当に貴重で、ありがたい。

理解してくれてありがとう。感謝してます。

 

 

 

新作ROCA’66 Tシャツも昨夜持って行って販売したのだが、

買ってくれた友達が何人もいた。ありがとう。

そんなに枚数、作ってないので、わりとすぐ・・無くなると思う。2500円デス。

 

もし、「買ってやるぜ」、という人がいたら早めに、

ライヴに来てね。Tシャツは年内には無くなってしまうと思う。

バンドはずっと存続するけどさ、もちろん。次回は

8月9日に、京都・祇園の「シルバーウィングス」に出るよ。

 

 

写真は、昨夜の、ROCA’66。

共演のTHE LULAのベーシスト、由美ちゃんから頂きました。ありがとう!

 

 

 

 

追記・あ、そうだ、今日、選挙にはもちろん、行ったんだよ。

この現状をひっくり返してくれそうな、

我々の「人権」のこともちゃんと考えてくれそうな政党の人に

投票した。

結果が楽しみだ。

 


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明日は夜想でライヴ、明後日は選挙!!!

2025-07-18 13:19:00 | Weblog

まずは訂正。

明日のライヴの出演順、ROCA’66は2番手の登場です。

以前に書いた日記の出演順が間違っていた。

正しくは

 

CLOVER

我々ROCA’66

THE  LULA

忌(イム)

 

という順番。

我々の出演時間は同じ、19:40分から。

ということで

明日、京都・四条大宮のライヴハウス「夜想」に来てください。

 

それぞれ持ち時間はたった30分なれど、ギュッと詰まったライヴをやります。

チャージは2000円プラス1ドリンク600円。

 

 

 

 

ということで、ここから日記。

 

 

 

夏の盛りが到来、でもなんだか緩やかに日々は進む。

でも、そろそろ慌しくなってくる予感がする。

明日はROCA’66のライヴ。

バンドは生き物で、酸素とか呼吸しながら、少しずつ変化する。

我々も例外ではなく、脱皮とか羽化とか孵化とかを繰り返して今に至る。

 

今年の夏はおそらく自分史の中でも特殊な夏であろうと思う。

4月に突然訪れた首の頸椎ヘルニア(激痛)のせい・・・というかおかげなのだが、

実に久しぶりの「夏休み」が訪れたかのような。

 

日課はとにかく、歩くことと、首のリハビリ、向日葵の世話、そして音楽。

 

ここ10年くらいトラックに乗りながら、なかなかに充実したラジオ・リスナー生活をしていた。

たった3か月前までの話だ。

ピーター・バラカンの音楽ラジオ番組や、

ジョージ・ウィリアムズの音楽ラジオ番組をたっぷり、浴びた。

まるでラジオ漬け、みたいな日々だった(仕事しろよな)。

それで、インプットが自分の中に、だいぶ溜まってきたかもしれない。

仕事を辞めてトラックに乗らなくなってから、ほぼまったく、と言っていいほどラジオを聞いていない。

テレビはもとから絶無に見ないし、家ではレコードもCDも聞かない。

どうするか?と言えばもう・・・創り出すこと、しかない。

そしてその「創り上げたもの」を みんなの前でメンバーと共に、じょうずに演奏して、

僕の見た「世界」を音楽で再現して、

もしも「共感」してもらえたら、それ以上のことはない。

僕が望むのはそれなのだ。

 

 

 

明日、「夜想」で、多くの人に会えるのを期待してます。

 

 

そして、その次の日は「選挙」だ。

ブランキーの浅井さんが・・・あそこを支持してるらしい、とか

いろいろと選挙の話題が、いつもより盛り上がってる気がする。

盛り上がるのはいいことだ。

当然ではあるが、

多くの人が投票するべきだ、と僕は思う。

どこを支持したって自由だ。誰に入れるのも自由だ。

選挙に行かないのも自由だけど、

投票権破棄するのは、もったいな過ぎる。

面倒くさくても、投票はしよーぜ。

 

 

 

写真は、今日の私と向日葵。

今年の向日葵は例年になく上手くいっていて、開花が楽しみである。

 

開花したら絶対、写真載せるからね。

 

 

 


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さらば たるたに 2025年 夏

2025-07-16 16:43:59 | Weblog

大阪の茨木市の斎場まで、たるたにくんの顔を見に行ってきた。

あんなに人が集まってるとは思いもしなかった。

着いた当初から100人以上いて、あとからあとから続々とやって来る。

しかもボーダーTシャツ着た人ばかり。ちょっと変わった人も多い。

たるたに と 「ぱぱぼっくす」 が いかに愛されていたかが、わかる気がする。

ライヴハウス関係の懐かしい顔・顔・顔。

そんな大勢の前で

泣きはらした目で泣き笑いしながら、たるたにの作った「ぱぱぼっくす」の歌を

ちゃんと歌い切った沢田さんが見られて良かった。

「ぱぱぼっくす」は、今後も続くのだそうで、それはとてもいいことだ。

酒宴もなかなかのカオスで、やっぱ行って良かった。

しかし、やっぱ、すごいなあ、音楽関係の人脈って。

大好きな人たちとたくさん会えて僕はシアワセだった。

たるたに にもう会えないのは寂しいが

彼の作った歌たちは残っていくだろう。

 

さらば、たるたに。

またライヴハウスで会おう。

 


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人と人との距離。

2025-07-15 14:51:53 | Weblog

人と、どれだけ近づけるか?という話。

 

今現在の世界人口は80億人(!)だそうだが、

このうちの99、9%以上の人と僕は知り合えずに終わるだろう。

(数字に根拠はない。99,9999999%かもしれない。)

でも、もうちょっと大きく考えたら80億の人たちと僕は「同時代に生きている」という共通点を持てている。

例えばマリリン・モンローと僕は同時代を生きていない。ジェームズ・ディーンも。

縄文人も、古代ローマ人も、多くの江戸っ子たちも。

僕が産まれる前に以前に生き、そして死んでいった人々って、どれくらいの数になるのだろう?

想像もつかないよね。

同時代を生きているということは同じ太陽、同じ月の下で同時刻に「存在している」ということだ。

 

次に・・・・一方的に僕が知ってる人はいる。ロックスターとか、文人とか政治家とか。

歴史上の人物とか。これだってほんのささやかだが「接点」だ。

僕はジーザス・クライストを知っているし、宮沢賢治を知っている。一方的に。

 

 

そして「知り合う」ということにおいては、

まず、偶然に、

学校で同じ学年になった人、とか同じクラスになったことがある人、というのがいる。

東京の幼稚園、小学校、福山の小・中学校、奈良の高校、大阪の専門学校。

 

そして僕は仕事も随分転々としたので、職場で同僚だった、という人もいる。

アメ村の古着屋、大阪・本町の画材屋、大阪・福島の自動車部品屋、心斎橋の安物時計店、

神戸・三宮の安物時計店、大阪・八尾の軽トラ運送屋、西成区の靴工場、

大阪・ATC、梅田、岸和田、茨木、京都駅前での高額時計売り場。

京都・伏見のダンプ産廃業者、同じく伏見の運送屋。

 

それぞれの仕事での「お客さん」という人々もいる。

その人にとっての僕は「ただのトラック運転手」だったり「店員さん」だったりする。

 

ここまでくるとだいぶ接近している。その人と、手が触れたことぐらい、あるかもしれない。

 

 

話は前後するが、

同じ学校で同じ学年、同じクラスになって、その中でも・・・話をするようになる人。

そこからさらに、友達になれた人。

 

トモダチになる・・・・・これは一つの関係性の帰結であり、始まりでもある。

 

もっと進んで、お互いの家を行き来するようになり、そうなると必然的に親の顔とかも見ることになる。

兄弟とか。おばあちゃんとか。

そしてついには、バンドを結成したりする。

ここまでくるともう、「ものすごく近しい存在」だ。

ソウルメイトみたいなものである。

僕にとっては「バンド組んだ人々」は、親兄弟よりも近しい存在に感じる。

 

で、紆余曲折会って・・・そのバンドが不特定多数の人の前で演奏したりすることになる。

そうなると、そのバンドのライヴを一方的に見てくれた人、というのがいるはず。

中学校の時のザ・レイン、高校でのネクスカ、

学校をドロップアウトしてからの ランブルフィッシュ、風の歌、

ばるぼら、MITT’S、ピカレスク、ROCA’66。

ライヴは見たけど、すぐ帰ったから本人は知らないわ。っていう人もいると思う。

かと思えば

お客さんとして来てくれて、しかもすぐ帰らずに、話しかけてくれた人。

あげく、一緒に打ち上げで酔っぱらって、意気投合した人。

そんな風に、トモダチになれた人。

 

 

その我々のバンドと、同じライヴハウスに同じ日に出演して、

対バンになって、知り合って、一緒に酔っぱらったりして個人的にトモダチになれた人、というのも出現する。

ただし、電話番号も交換していないし、2人だけでライヴ以外で会ったこともない。

ただライヴハウスでお互い、何度も何度も会うし、そのたびに意気投合するのでそのうちに、

精神的にすごく近しい存在になる。

そーゆートモダチ、である。

ただ、ライヴ以外では会う機会はない。

暇なときに電話で話したりもしない。手紙を書くこともない。

こーゆー人が僕は、ものすごくたくさんいる。

今では有名人になってしまった人、とかもこの中にいる。

今現在はこーゆー人とSNSで繋がれる。ありがたいことだと思う。

 

そしてそこから一歩踏み出して

電話番号とかも交換し合って、ライヴ以外でも外で飲みに行くようになったり、

近くまで来たら電話くれたりする。

家に行ったり、家に呼んだり。

で、事情にもよるが、家に泊めてもらったりする。

 

バンドメンバーとは、毎月毎月、関西でライヴするのとほかに、

ツアーに出たりする。観光ツアーではなく、演奏旅行。

毎日「打ち上げ」と称して、一緒に居酒屋で酔っぱらう。

同じ車に8時間以上も詰め込まれるのは日常茶飯事、

クルマに泊まることもよくあった。

スタジオで一緒に泊まるし、時には飛行機で海外まで一緒に旅をすることもあった。ホテルは同室だ。

ランブルの時はツアーの途中で福山の僕の実家にも寄って、

両親や祖母と、バンドメンバーがご対面していた。

 

入院すれば(遠方でなければ)お見舞いに行ったり、する。

こちらが入院した時には お見舞いに、来てくれたりもする。

 

 

亡くなれば、その時の都合にもよるが、

お通夜に行くこともあるし、お葬式に行くこともある。

 

あえて行かないこともある。

 

 

 

 

 

人と人との出会いと別れって、興味深く、面白いものだわよね。

 

 

 


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訃報あり

2025-07-14 19:42:04 | Weblog

トモダチ、というほど親しくしてたわけではないのだが

「ぱぱぼっくす」の たるたにさとし が亡くなったみたいだ。

そうか・・・・・・1年前に正垣祐樹の「お目出度い集まり」で

西成クラブ・ウオーターの2階で会った時は 元気そうに見えたんだが。

明日の夕方、茨木に 顔を見に行ってみようかな。


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トモダチのこと、そして19日の「夜想」でのライヴのこと。

2025-07-14 12:18:10 | Weblog

先週はバンド関係の友達と会うことが多かったので記しておく。

 

7月10日は京都・磔磔へ、DESTINYとスキマノザラシのライヴを見に行った。

スキマのギターのヒロシと会えたのは実に久しぶりだった。

この前会ったのは同じく京都の拾得で、10年前?そんなに経つのか。

ヒロシは全然変わってないし、むしろ若返ってるので驚き。ギターは深みを増していた。

スキマを聴くと、イトちゃんがまだそこらへんで笑ってる気がする。

ミズガミくんも元気そうで良かった。DESTINYの清水くんも相変わらずキラッキラ。

DESTINYもスキマも、かっこよかった。

その帰り道、京都の名物バー「うさぎ」にも久しぶりに寄った。ミヤガワくんも元気で愉快だった。

 

12日の土曜日は、近年、ライヴハウスで知り合った新しい友達である

COZMIC SPOONのVO/ギターの、OGGYさんのウチに遊びに行って、

ベースのHOLLYさんも交えて、楽しく飲んだ。

我々は同い年で、

話をしていてだんだん判明してきたのだが、僕がランブルフィッシュのギターだった

1990年ごろ、彼(OGGYさん)は「極楽蝶」というバンドのVO/ギターで、

しかもブルーズ系ロックで、関西で活動していて、

大阪・十三ファンダンゴにも出演していた、とのことで、

つまり

我々は、めっちゃ近い(地理的にも、音楽性も)存在だったのに、何故あの当時出会わなかったのか不思議だ。

僕は確かに「極楽蝶」という名前は知っていたし

彼も「ランブルフィッシュ」の存在は知っていたらしい。

「ランブルフィッシュ」と「極楽蝶」は、対バンしたことがない。

で、あれから30年以上経って、今になって出会えたのもなかなか、貴重な縁だと思う。

本当に、人と人との出会いって不可思議であるよな。

 

さて、そして13日の日曜日はちょっと久しぶりの、ROCA’66のスタジオだった。

今現在の僕の、実質一番近しい友達がROCA’66のメンバーだ。

ベース 伊藤克っちゃん、ギター 赤井くん、ドラムス トビーくん。

一番よく会うし、気心も知れている。

一緒に演奏したりすると人間同士の距離って、すごく縮まるのだ。

歌詞とかって、心の中をさらけ出してるみたいなものだし、

もっと突き詰めれば「音」だってそうなのだ。心の中をさらけ出してしまう。

心の中、考えてること、虚勢、自分のスキル、度胸、繊細さ・・・・・全部バレてしまう。

 

この日のスタジオでの演奏はほぼ完ぺき。来月から我々はレコーディングに突入する。

 

その前に、今週末はライヴだ。

言うまでもなく、ライヴは我々の生命線だ。

思えば今日の日記に名前が出てきた全員と、ライヴハウスで知り合っている。

生きる理由、とか、目標・・と言っても大げさではない。

もちろん、何もかもがうまく行ってるわけではない。困難もあるし、

失敗もあるし、後悔もある。ずっこけも、時々ある(あかんけど)。

それでも、また新しく人に出会える可能性も多々あるし、

とんでもなく道が開ける可能性だってある、と本気で思っている。

この日記だってそうなんだけど、

広く「世界」に向けて我々は独自の、自作の音楽を発信しているのだ。

目撃しに、来て欲しいデス。

ライヴは7月19日、土曜日

京都の阪急「大宮」駅から徒歩5分くらいのところにある地下のライヴハウス

「夜想」で。

出演は

CLOVER

我々ROCA’66

THE  LULA

忌(イム)

 

出演順は上記の通り。

我々の出番はオンタイムで19:40から。

それぞれ持ち時間はたった30分なれど、ギュッと詰まったライヴをやります。

チャージは2000円プラス1ドリンク600円。

 

 

昔からの友達も、比較的新しい友達も、まだ出会えてない人も、

ライヴハウスで何度でも、出会いたいデッス。

 

 


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この夏の私

2025-07-12 14:28:21 | Weblog

真夏に突入。

もう何か、最近は毎日が穏やかで、

こんなんでいいのか?というような思いもやっと消えて、

ゆるゆると生きている。

思えば十年もの長きにわたって毎日毎日、急かされるような日々だったのだ。

自分が、それ以前の自分に戻りつつあるのを感じる。

大体が僕はのんびり屋で、ぼーっと何もせず過ごすのが好きだったのだ。

夏の暑さも好きだった。

まあ、9月になって仕事を探し出して、また働き始めたら

また毎日が「戦い」みたいになるのかもしれないけど。

この2025年の夏の間はせめて、ココロ楽しく暮らそうと思う。

やらねばならぬこと、なんて人間・・・・実は少ないのだ。

最低限、最小限の用事だけで生きてゆくのは素敵なことだ。

昔の、陽水が出てたCMじゃないけど

「くう」「ねる」「あそぶ」みたいな。

それだけでいいのではないか?

夜中に考え事をするのはやめられないが、

喪失感に打ちひしがれることが少なくなってきた。これはいいことだ。

そして啓示的な夢もまた、見るようになった。

啓示的、暗喩的、暗示的。

忘れてしまったことは膨大な量になるが、それはそれでいいのだ。

何もかも覚えてたら、気がおかしくなっちまうよ誰でも。

 

今日は散歩の道中で、驚くほど多種の昆虫たちと出会った。

カブトムシ、アブ、モンシロチョウ、アゲハチョウ、ミツバチ、トンボ。

カミキリムシにも出会いたかったな。

トンボは僕の周りを飛びまわって、すぐ近くの草に着地した。

すごく近くまで近づいても逃げないのだ。

たぶん、今の僕に「敵意」とか、「殺意」とか「捕まえよう」とかいう気が皆無なのが

伝わってたんだろうと思う。

子供の頃はよく昆虫を捕まえてはプラスティックの容器に入れて「飼った」つもりになっていた。

今思えば全部全部、逃がしてあげるべきだった。

そのほうがお互い、シアワセだったのに。

IF YOU  LOVE  SOMEBODY  SET  THEM  FREEというスティングの歌があったけど、

本当にその通りだと思う。

もし誰かを愛するなら、その誰かを解放してあげるべきなのだ。

愛することは簡単だが、難しい。

対人関係にしても、その「距離感」が難しいよね。

 

僕の生きがいは今でもバンドで、

今、やってるのはROCA’66という名前の4人編成のバンド。

次の週の7月19日は京都・四条大宮のライヴハウス「夜想」に出演。

いろんなことが活性化すればいいな、と思う。

 


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ドレミ・ソング (道郎和訳改訂版)

2025-07-11 17:03:40 | Weblog

ド、は「オーヴァーー・ドゥ」のド    

レ、は レレレの零

ミ、は「ミーイズム」のミー

ファ、は「ファブ・4」のファ

ソ・レ・DE・イ・イ・ノ・ダ

ラ・っ観的に行こう

シ、ぬ時は4ぬ

また1から始めましょう

 

どーなってもいいのよ

零点でもいい

ミーがミーであるために

ファはサイケのファー

ソ・レ・ガ・ド・ウ・シ・タ?

ラヴ・ウィル・ティア・アス・アパート

4ぬほど好きだよ

1オクターヴ上がりましょう

 

 

解説

オーヴァー・ドゥは「やりすぎ」の意、

ミーイズムは「自己中心主義(天上天下唯我独尊)」、

ファブ4は、ファビュラス・フォーの略で、ビートルズのこと

「サイケデリック・ファーズ」は1980年代英国のロックバンドの名前

「so  what?」は、マイルズ・デイヴィスの名曲、そして山口富士夫の自伝タイトル。

ラヴウィルティアアスアパ―トは、「ジョイ・ディヴィジョン」の曲名

4ぬ程好きだよ、はプリンス「DIE4 U」の意訳

 

 

なんか こればっかり考えてて

馬鹿みたいではある。

 

 

 

 

しかし「ミーイズム」って意味的に「エンパシー」と、ほとんど対極だな。

あんまりよくないなあ。

やっぱ「ミーのカー」のほうがいいかしら。

ゆらゆら帝国は偉大だし。

 

 


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