人と、どれだけ近づけるか?という話。
今現在の世界人口は80億人(!)だそうだが、
このうちの99、9%以上の人と僕は知り合えずに終わるだろう。
(数字に根拠はない。99,9999999%かもしれない。)
でも、もうちょっと大きく考えたら80億の人たちと僕は「同時代に生きている」という共通点を持てている。
例えばマリリン・モンローと僕は同時代を生きていない。ジェームズ・ディーンも。
縄文人も、古代ローマ人も、多くの江戸っ子たちも。
僕が産まれる前に以前に生き、そして死んでいった人々って、どれくらいの数になるのだろう?
想像もつかないよね。
同時代を生きているということは同じ太陽、同じ月の下で同時刻に「存在している」ということだ。
次に・・・・一方的に僕が知ってる人はいる。ロックスターとか、文人とか政治家とか。
歴史上の人物とか。これだってほんのささやかだが「接点」だ。
僕はジーザス・クライストを知っているし、宮沢賢治を知っている。一方的に。
そして「知り合う」ということにおいては、
まず、偶然に、
学校で同じ学年になった人、とか同じクラスになったことがある人、というのがいる。
東京の幼稚園、小学校、福山の小・中学校、奈良の高校、大阪の専門学校。
そして僕は仕事も随分転々としたので、職場で同僚だった、という人もいる。
アメ村の古着屋、大阪・本町の画材屋、大阪・福島の自動車部品屋、心斎橋の安物時計店、
神戸・三宮の安物時計店、大阪・八尾の軽トラ運送屋、西成区の靴工場、
大阪・ATC、梅田、岸和田、茨木、京都駅前での高額時計売り場。
京都・伏見のダンプ産廃業者、同じく伏見の運送屋。
それぞれの仕事での「お客さん」という人々もいる。
その人にとっての僕は「ただのトラック運転手」だったり「店員さん」だったりする。
ここまでくるとだいぶ接近している。その人と、手が触れたことぐらい、あるかもしれない。
話は前後するが、
同じ学校で同じ学年、同じクラスになって、その中でも・・・話をするようになる人。
そこからさらに、友達になれた人。
トモダチになる・・・・・これは一つの関係性の帰結であり、始まりでもある。
もっと進んで、お互いの家を行き来するようになり、そうなると必然的に親の顔とかも見ることになる。
兄弟とか。おばあちゃんとか。
そしてついには、バンドを結成したりする。
ここまでくるともう、「ものすごく近しい存在」だ。
ソウルメイトみたいなものである。
僕にとっては「バンド組んだ人々」は、親兄弟よりも近しい存在に感じる。
で、紆余曲折会って・・・そのバンドが不特定多数の人の前で演奏したりすることになる。
そうなると、そのバンドのライヴを一方的に見てくれた人、というのがいるはず。
中学校の時のザ・レイン、高校でのネクスカ、
学校をドロップアウトしてからの ランブルフィッシュ、風の歌、
ばるぼら、MITT’S、ピカレスク、ROCA’66。
ライヴは見たけど、すぐ帰ったから本人は知らないわ。っていう人もいると思う。
かと思えば
お客さんとして来てくれて、しかもすぐ帰らずに、話しかけてくれた人。
あげく、一緒に打ち上げで酔っぱらって、意気投合した人。
そんな風に、トモダチになれた人。
その我々のバンドと、同じライヴハウスに同じ日に出演して、
対バンになって、知り合って、一緒に酔っぱらったりして個人的にトモダチになれた人、というのも出現する。
ただし、電話番号も交換していないし、2人だけでライヴ以外で会ったこともない。
ただライヴハウスでお互い、何度も何度も会うし、そのたびに意気投合するのでそのうちに、
精神的にすごく近しい存在になる。
そーゆートモダチ、である。
ただ、ライヴ以外では会う機会はない。
暇なときに電話で話したりもしない。手紙を書くこともない。
こーゆー人が僕は、ものすごくたくさんいる。
今では有名人になってしまった人、とかもこの中にいる。
今現在はこーゆー人とSNSで繋がれる。ありがたいことだと思う。
そしてそこから一歩踏み出して
電話番号とかも交換し合って、ライヴ以外でも外で飲みに行くようになったり、
近くまで来たら電話くれたりする。
家に行ったり、家に呼んだり。
で、事情にもよるが、家に泊めてもらったりする。
バンドメンバーとは、毎月毎月、関西でライヴするのとほかに、
ツアーに出たりする。観光ツアーではなく、演奏旅行。
毎日「打ち上げ」と称して、一緒に居酒屋で酔っぱらう。
同じ車に8時間以上も詰め込まれるのは日常茶飯事、
クルマに泊まることもよくあった。
スタジオで一緒に泊まるし、時には飛行機で海外まで一緒に旅をすることもあった。ホテルは同室だ。
ランブルの時はツアーの途中で福山の僕の実家にも寄って、
両親や祖母と、バンドメンバーがご対面していた。
入院すれば(遠方でなければ)お見舞いに行ったり、する。
こちらが入院した時には お見舞いに、来てくれたりもする。
亡くなれば、その時の都合にもよるが、
お通夜に行くこともあるし、お葬式に行くこともある。
あえて行かないこともある。
人と人との出会いと別れって、興味深く、面白いものだわよね。