まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

観戦記・バファローズ対マリーンズ@大阪(連敗ストップ後にまた敗戦・・)

2024年08月05日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

8月3日、オールスター戦をはさんでの連敗がようやく10で止まったバファローズ。首位はおろかAクラスも遠くなってしまったが、ここからどこまで巻き返せるか。

その翌4日、京セラドーム大阪でのマリーンズ戦に出かける。この日は広島から新幹線での日帰りだが、高松から出陣のマリーンズファンのⅠ氏と現地で合流する。この方とバファローズ対マリーンズ戦を現地観戦するのは10年ぶりのこと。

8月のバファローズ主催試合は恒例「Bs夏の陣」である。限定ユニフォームの試合が続くが、それにしてもこの暑い中、いくらドーム球場での試合とはいえ真っ黒な色彩というのはいかがなものか。まあこのシリーズ、かつては「大坂夏の陣」の真田幸村の赤備えをイメージしたものあれば、涼し気なライトブルー、果ては迷彩柄までいろいろあったが、このところは濃いめの色合いが続いている。

 

この日は、マリーンズファンのⅠ氏を招待する意味もあり、三塁ベンチ上の座席を確保した。元々はエクストラプレミアムメンバーの引換券がリセールに出ていたものだが、このエリアならマリーンズファン、バファローズファンそれぞれが混在しているのでお互い気兼ねない(ちなみに、私たちのすぐ後ろに同じくリセール利用で陣取ったカップルはどちらかといえばマリーンズ寄りだったのだが、マリーンズ以外にもマニアックな話があり、また男性のほうは高校時代に今グラウンドにいる○○選手と対戦したことがあるというような発言もあり、結構楽しませてもらった)。

スタメン発表でレフトスタンドが沸く。この試合にはマリーンズのチア・パフォーマー「M☆Splash!!」とマスコットのマーくんが応援にかけつける。マリーンズの先発は種市、そして6番には今季初出場の山本大斗が入り、これにはⅠ氏を含むマリーンズファンからも驚きの声が挙がる。Ⅰ氏によると、中堅でくすぶっている選手を引っ込め、とにかく今調子のいい選手を起用する吉井監督のスタイルがここまでの健闘につながっているとのこと。

そしてバファローズのスタメン発表。大型連敗中も故障や不調で選手起用に苦慮しているが、大里、そして前日のヒーロー・来田、さらにこの日は杉澤といったところが入る。先発は2年目の曽谷。

ベンチ前にマリーンズ選手も登場する。そうそう、現役ドラフトでバファローズからマリーンズに移った大下も、Ⅰ氏いわく「何やかんやでチームのムードメーカー」と評される。

試合前には「BsGravity」と「M☆Splash!!」による共演。

いよいよ、試合開始。そして始球式には、バファローズOBの坂口智隆氏が登場。さすが元プロという見事な投球を披露してくれた。

1回表、まずは曽谷が登板。

その先頭打者・岡が2球目を振り抜き、左中間の最も深いところに飛び込む先頭打者本塁打が出る。あらあら。しかしその後曽谷は藤岡、ポランコ、ソトと危なげなく打ち取り、まずは1点だけでしのぐ。

1回裏、種市が登板。まずは先頭の大里を三振、続く西野には内野安打を許すが、森、西川と退けて上々の立ち上がり。

2回表、先頭の佐藤がヒットで出塁し、今季初打席の山口大斗に回るがここは凡退。

3回表、一死から岡のヒット、ポランコの四球で二死一・二塁となり打席にはソト。するとレフトスタンドからはあの「ネフタリ教」のコール、応援歌が流れる。そうそう、この怪しげな宗教儀式風の曲を現地で聞きたかったのよ。しかしここは曽谷が踏ん張って空振り三振に打ち取る。

その後は曽谷、種市とも好投を見せる。そのイニング途中、ビジョンに映ったのはあの福本豊氏。たまたまプライベートで来ていたのかな。先ほどの坂口氏ともども、OBとしてチームに喝を入れてほしい。

5回裏、バファローズは先頭の来田が二塁打で出塁。Ⅰ氏からは「明石商業の同級生・中森と対戦する日はあるのかな」と。明石商業といえば、熱血漢・狭間監督である。また明石といえば前の市長だった泉房穂氏も熱血漢だなあ・・。

同点のチャンスだが、続く頓宮は内野ゴロで進塁できず、杉澤の代打・中川も凡フライ。代打・中川は作戦として、後ろの席に陣取ったマニアックカップルの女性が「1打席で引っ込めるなら最初から出すなよ!」と口にする。これには思わずウンウンとうなずいてしまう。もっとも杉澤は5回表に藤原がセンターに放ったヒットを後逸して二塁まで進まれたこともあり(得点にはならなかったが)、その懲罰だったのかもしれない。

続く若月のところでマウンドに集まるが、これは何を警戒してのことだろう。最後は若月が見逃し三振で得点ならず。

5回裏終了後のハリセンタイムも両チームのチア・パフォーマー、マスコットの共演。

6回表、一死からソトに二塁打が出るが、曽谷が佐藤、山本を抑えて無失点。失点は岡の先頭打者本塁打のみで辛抱強い投球である。それだけに打線が・・。

その裏、先頭の大里が三振の振り逃げで一塁に出る。続く西野は強打からのフライで倒れたが、森がヒットで一・二塁として打席は西川。ここもチャンスだったが二塁ゴロ。ゲッツーと思われたが一塁はかろうじてセーブ。吉井監督から物言いがついたが軍配通り。二死一・三塁となった。

今度こそ同点というところで「紅球必打」の紅林だったが・・・フライに倒れて無得点。続いて、マリーンズのラッキー7となる。

その7回表、一死から友杉の打球はセンター前へのポテンヒット・・と思いきや、二塁の大里が落下点に追いつき、何と後ろ向きでキャッチ。これにはマリーンズファンからも拍手が起こる。先ほどの振り逃げ、そしてこの好守備・・何とか食らいつこうという気持ちが見えてよい。

バファローズのラッキー7、頓宮の四球はあったものの後が続かず無得点・・。

曽谷は7回まで投げて103球、被安打5(うち本塁打1)、四球1、奪三振6という好投だが、結局先頭打者本塁打のために勝ち投手の権利なく降板。続いて8回に登板したのは古田島。おお、私、Ⅰ氏の勤務先企業出身投手ではないか。登場曲が「水戸黄門」から「一世風靡セピア」に替わったのはどういうことやら。

ファンの間では「古田島優勝」と呼ばれているが、とにかく劇場型にしながらも最後は抑えてまるで優勝したかのようなガッツポーズをつくる古田島。この日も一死から藤岡が四球、代走の小川が何度も牽制球を投げさせた後、ソトのヒットで二死一・三塁となる。一度コーチがマウンドに向かい、打席には佐藤。

佐藤の打球はレフトへ抜けようかという当たり、これにショート・紅林が逆シングルで追いつき、二塁へ必死のトス。これがフォースアウトとなり3アウト。数日前、緩慢なプレーで懲罰交代させられた紅林だが、やはり守備の球際の強さはチーム随一だ。古田島劇場の後で追い上げなるか。

マリーンズの種市も7回を111球、被安打4、四球1、奪三振8、何よりも無失点の好投で、8回には横山が登板。この日は抑えの益田がベンチ外で、Ⅰ氏も8・9回を誰でしのぐか予想しあぐねていたが、勝ちパターンの一人である右サイドハンドを選択。大里からの1~3番を簡単に打ち取ってしっかり役目を果たす。

9回表、バファローズは吉田が登板。1対0というビハインドの場面、勝っていても負けていても今季とにかく登板しているのがこの吉田、そして井口といったところ。しかし先頭の中村にヒットが出た後、二死一・二塁となって打席には先頭打者本塁打の岡。ここでタイムリーでも出ようものなら試合の大勢は決まったといっていい。

その岡への初球、いきなりの死球。岡はヘルメットを脱いでその場にうずくまる。Ⅰ氏に動画中継を再生してもらうと、左手を直撃したようだ。それでもベンチに下がり、治療を受けて無事に一塁に到達した。こちらに一塁側、ライト側からも大きな拍手が起こる。

満塁後、続くは代走で途中出場の小川。Ⅰ氏のいう「今調子のいい選手」の一人だが、ここで回ったチャンスをモノにするレフト前ヒット。これで2人が生還し、3対0とマリーンズがリードを広げる。

9回裏、マリーンズは左腕の鈴木が登板。先頭の西川がヒットで出塁するも、続く紅林が併殺打。最後は来田がフライに倒れて試合終了、3対0。

ヒーローインタビューは7回無失点で6勝目の種市。ホームゲームなら先頭打者本塁打の岡、あるいは追加点となった2点タイムリーの小川が出てもよかっただろう。

ドームに入った時は早くも猛暑を感じていたが、試合終了後に外に出ると怪しげな雲が広がり、ちょうど大正駅のホームに上がった時に一瞬の豪雨となった。これ、タイミングが少し遅れると外で雨に遭うことになり、ずぶ濡れで踏んだり蹴ったりだったことだろう・・・。高松まで高速バスで戻るⅠ氏とは大阪駅で分かれ、そのまま新大阪に向かう。その時には雨はすっかり上がっていたから、局地的なもの・・というよりはバファローズファンへの意地悪の洋にも思う。

うーん、これで今季の現地観戦成績は1勝6敗1中止1見送り、京セラドーム大阪では5戦全敗ということで・・・。公式戦は8月、9月とまだまだ続くが、せめて現地観戦での勝利を観ることはできるのだろうか・・・。

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第83番「正覚院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(札所めぐりの後は暑気払い・・)

2024年08月03日 | 広島新四国八十八ヶ所

第83番・正覚院に向かう。広電の廿日市電停からすぐのところに「天満宮」の看板がある小高い丘が見える。正覚院はその境内に同居している。

まずは天満宮の鳥居をくぐる。廿日市天満宮は鎌倉時代、幕府から厳島神社の神主に任命された藤原親実が桜尾城に着任後、鎌倉の荏柄天神を勧請したのが始まりである。藤原氏はその後代々厳島神社の神主を務めていたが戦国時代、大内義隆に討たれて断絶した(厳島神社の神職は、藤原氏以前に当主であった佐伯氏に移り、現在に至る)。

現在の天満宮は江戸時代、町の氏子たちの寄付によりここに移転する形で社殿が建てられた。その別当天神坊が現在の正覚院である。

石段を上ると広島湾から廿日市の木材港、建物の背後であるが宮島・弥山の景色が広がる。外は猛暑だがここは常に風が吹き抜けて心地よい。天満宮に手を合わせた後、前の休憩所で少しくつろぐ。

さて、正覚院である。歴史でいえば天満宮よりはるか昔、行基により開かれ、弘法大師空海が宮島・弥山を開いた際に真言宗に改宗した。藤原親実が桜尾城に着任した際に祈願所と定め、江戸時代に天満宮が再建されるのに合わせて別当寺となった。そして、明治の神仏分離により、同じ境内ながら別の寺社となった。それでも、棟続きではないかと思うくらい近接している。

正覚院には以前に一度来ている。広島新四国の第68番が正覚院の別院薬師堂で、現代の名仏師である松本明慶師による薬師如来を祀っている。札所番号順ということで先に別院だけ参詣したのだが、朱印は正覚院の本堂でいただくよう案内され、その際、正覚院の朱印(不動明王)もいただいた。その時に第83番もクリアにしてもよかったのだが、ここは改めて番号順ということでの再訪である。

こちらは縁側に賽銭箱その他が設けられており、廊下越しに本尊不動明王の姿も見える。外から立ってのお勤めとする。朱印は前回いただいているので特に寺の方に声をかけることもせず、そのまま天満宮の石段を下りる。

これは後で知ったことだが、今年の5月だったか、廿日市の市街地でクマが目撃され、近くの学校が臨時休校になったというニュースがあった。これに関連して、市街地の寺の境内に設置された防犯カメラに徘徊するクマの映像も流されたが、その寺とはここ正覚院だった。

さて、これで廿日市駅前の3ヶ所を回り終えた。これで広電で帰宅するのだが、せっかくの休日ということで途中楽々園で下車する。駅から歩いて5分のところにある「塩屋天然温泉 ほの湯楽々園」に向かう。広島市内で天然温泉かけ流しで、各種浴槽も揃っているので特に土日は多くの客で賑わうところだ。

こちらには何度か訪ねているが、今回初めて岩盤浴「チムジルバン汗蒸洞」も利用してみた。さまざまなタイプの岩盤浴、そしてサウナ「熱炎楽房」もある。

このサウナは通常は50度くらいの低温設定なのだが、1日数回、あのロウリュウタイムがある。これも体験と入ってみたが、サウナストーンにアロマ水が掛けられると一気に蒸気が噴き出て、そこに熱風が起こる。室内からは「熱ッ!!」と声を挙げる人もいる。そこは大型タオルを体に巻いて何とか熱さをしのぐ。時間にすればほんの数分だったのだろうが、これは効果的だ。

岩盤浴とロウリュウで火照った体をクールダウンさせるのは、室温11度の「涼風楽房」。水風呂にいきなり飛び込むよりは体にやさしいそうだ。

こちらの岩盤浴エリアは特に時間制限もなく、リクライニングソファもあればごろ寝できるスペースもあり、多くの人が室内着姿でくつろいでいる。私もこちらで寝転がった後、また別の浴室に行き、涼風でクールダウンして・・というのを何回か繰り返す。あちこち出かけ回るのもよいが、こうした一所でゆっくり過ごすのもよいものだ。

さて湯上りの後はビールだが、こちらの館内で飲むのは我慢して、ふたたび広電で五日市に移動。向かったのは、昼から営業の「大衆食堂 安べゑ」。「肉豆冨とレモンサワー」が売りのチェーン店だが、食べ飲み放題のコースが1人からでも注文できる。

何はともあれまずは生ビール。

食べ放題コースは最初に看板商品の肉豆冨、揚げ物盛り合わせが出た後の注文である。

枝豆や軽いあての後、どて焼き串やたまふわ焼きといったところをいただく。鍋で造ることでちょっとケーキ風の玉子焼きができるというのも初めて見た。

レモンサワーもシンプルなものから生絞り、自家製漬け込みなど甘口、辛口多数ある。

メニューに、クリームチーズクラッカーと韓国のりがあるのを見つけ、同時に注文。これで岡山のミシュラン居酒屋「鳥好」で注文する「のりくらっち」の再現である。もっとも、この組み合わせだと普通のスライスチーズのほうが似合うようだが・・。

締めは早い夕食を兼ねて、まぐろ刺身定食。あれこれしっかりいただけて満足。また訪ねてみたい・・・。

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第82番「洞雲寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(中世からの古刹)

2024年08月02日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐり、終盤の廿日市駅前シリーズの2ヶ所目は第82番・洞雲寺。JR廿日市の橋上駅舎を渡り、北側に出る。駅前の道は、JR五日市の北口から続く道で、西広島バイパスと宮島街道の間にある生活道路。

その道路沿いに洞雲寺がある。道路の南側には洞雲寺前公園というのがあるが、おそらく昔は同じ境内だったのかなと思う。

整備された境内、山門が広がる。洞雲寺が開かれたのは室町時代。当時の厳島神社の神主(おみくじを引いて「今日~も~カ~プが勝~ち勝~ち勝っち勝ち」と申した方)である藤原教親が創建し、曹洞宗の高僧である金岡用兼(きんこうようけん)により開かれた。やはり宮島が近くなると、広島新四国八十八ヶ所の札所も長年の歴史を持つ寺院が残されている。

洞雲寺は中国地方で勢力を伸ばした大内氏、そして戦国時代の毛利氏、関ヶ原の戦い後の福島氏、広島藩の浅野氏と絶えず保護を受け、その後も地元の人たちの信仰を集めて現在に至る。

本堂にお参りする前に、門をくぐって左手の高台に上がる。ここは墓地があり墓参りの方もいたが、その奥には陶晴賢の墓がある。陶晴賢といえば大内氏の家臣だったが主君の大内義隆を討ち、大友宗麟の弟・晴英を大内氏の当主に迎えながら自身が実権を握った。そこに反攻したのが、安芸の国人領主から戦国大名にのし上がろうと立ち上がった毛利元就である。さまざまな謀略、そして奇襲もあった厳島の戦いで元就が勝利し、晴賢は自害。桜尾城での首実検の後、晴賢の遺骸が葬られたのが洞雲寺である。

境内には他に元就の四男・元清や、桜尾城主であった桂元澄らの墓もある。

さて本堂に向かう。扉も開け放たれている。広島新四国の札所は観光寺院ではないので普段は扉が閉められていることが多いのだが、こうして開け放たれているとはオープンな感じなのだなと、靴を脱いで堂内に入る。

ちょうど寺の方がいらっしゃったので会釈すると・・

「入られると困ります!」と、座禅中にピシャリとやる棒のごとく厳しい言葉を浴びせられる。

まあ、そう言われればそうなのだが、別に立入禁止の表示があるわけでもなく、おっさんの勝手な思いかもしれないがどこか釈然としない・・あ、ここの本尊は釈迦如来。

朱印はといえば、上り口のところに箱があったのでいただく。扉が閉まっていて、外に朱印の箱があるなら外でのお勤めの後に受け取れば済むことだが、本堂の障子が開け放たれ、どうぞお気軽にお参りくださいという雰囲気だったのだが・・。

改めて本堂の外でお勤めとした後、再び廿日市駅を渡って次の第83番・正覚院へ・・・。

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第81番「蓮光院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(廿日市駅前シリーズ)

2024年08月01日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐりはようやく最後の80番台に入り、廿日市駅前の3ヶ所、己斐、そしてなぜか東区に1回飛び、最後は宮島の3ヶ所で、第88番は弥山の本堂である。

7月27日、朝から暑い中だが1日空いたので広島新四国の続きである。もう、午前中から出かけることにする。高須から広電に乗車して広電廿日市に到着。広島新四国で廿日市には何回か来ているが、札所番号順にこだわるとそういうことになる。

まず目指すのは第81番・蓮光院。広電からすぐ北にあるJRの廿日市に出る。蓮光院はスマホ地図で見るとすぐ駅前にあるが、寺の入口はさらに路地を入ったところにある。歴史ある本堂・・というわけではなく、むしろ大きな邸宅の母屋を寺にしているように見える。

玄関横に「納経の方はインターフォンを」とあるので鳴らすと寺の方が出て来られ、中に通される。扇風機をつけて風を起こしていただく。内陣も年季が入った感じで、事あるごとに祈祷や法要が行われているのだろう。

蓮光院の本尊は阿弥陀如来で、500年以上前の作とされている。また、藕糸という糸で織られた大師像というのがあり、明治の政治家である大隈重信の母が八十八幅の大師像を各地に奉納した一つだという。他にも、極楽寺と同じく行基の作とされる観音菩薩や、江戸時代作の大日如来、不動明王等もあるとのこと。

扇風機をつけていただいたが、暑いのは暑い。その様子を見かねてか、朱印、本尊御影とともに「お接待です」と身にペットボトルのお茶をいただく。

さて次の第82番・洞雲寺は廿日市駅の反対側にあるため、駅の自由通路を渡ることにする。古くから木材の集積地として賑わった廿日市らしく、地元の木材がふんだんに使われている。駅名からして廿日市市の玄関口と思いきや、周辺施設の充実度や乗降者数では隣の宮内串戸に軍配があがるそうで・・・。

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