まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第12回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~「にちりんシーガイア」のコンパートメントで快適移動

2023年09月26日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

話は日南線を目指す九州八十八ヶ所百八霊場めぐりに戻る。

9月9日、まずは往路のアクセスとして「にちりんシーガイア5号」に乗車する。小倉から改めて4人がけのコンパートメントに陣取り(自由席扱いのこの車両に確実に座るべく、手前の黒崎まで出迎えた)、宮崎まで延々と走る。小倉から宮崎まで約340キロ、それをコンパートメントで移動って、なかなか体験できるものではない。

実は普通車指定席を予約していたのだが、自由席のほうが車両数が多いこともあってまだ空席もあり、3号車の6つのコンパートメントも小倉発車時点で空きがある。もっとも、乗っている客はこういう造りであることを知って乗っているようにも見える。

この3号車のもう半分は元々ビュッフェだったスペースで、それを座席にリニューアルしている。構造上、天井の収納スペースは設けられていないが、そのぶん前後の座席の間隔を空けてそこに荷物を置けるようにしている。それでも自由席だ。

一方、扉越しに指定席車の様子をのぞくと結構混雑しており、私が割り当てられたとおぼしき座席の周りも他の乗客が固まって座っている。無理にその中に入ることもなく、このまま自由席扱いのコンパートメントに腰を下ろすとする。車内改札で車掌が回って来たが、こういう状況なので特に何も言われなかった。もっとも、自由席に立ち客も出るくらいの混雑なら指定された席に座るよう誘導されるのだろうが。

小倉を出て最初の停車駅である行橋に着く。自由席ということで3号車にも新たに乗客がやって来たが、コンパートメントが並ぶ様子に戸惑いを見せ、「ここ、自由席ですよね?」と声をかけられる。私がうなずくも、「本当?」という表情で、まだ空きがあった1席に腰を下ろす。確かに、ぎゅうぎゅうの座席が指定席で、コンパートメントと広々シートが占める車両が自由席というのは普通に考えれば戸惑うところだろう。

座席はリクライニングこそしないものの、テーブルは広げることができるし、足を伸ばしてくつろぐこともできる。ある意味、グリーン車座席よりもぜいたくだ。本来はグループ客の利用を想定しているのだろうが、今のところ1席あたり1人、もしくは2人での利用である。通路との間はパーテーションで仕切られているし、前後の座席間は完全に壁になっており、プライベート空間が保たれる。

・・・だからというわけではないが、いや、だからこそか。半個室での「呑み鉄」である。話は前後するが、ブログのこの前の記事では芸備線の「呑み鉄鈍行ちどり足号」の乗車記である。ローカル列車をクラウドファンディングで貸し切り、ロングシートで沿線の地酒を吞みまくるイベント列車。ああした賑やかな空間で、ロングシートで向かい合ったおっさん連中で意気投合するのもよし、こうした静かな半個室で他の目につかないようちびりちびりやるのもよい。

山国川を渡って大分県に入り、中津に到着。九州西国霊場、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりでは豊前東部のベースとなったところだ。

宇佐が近づくと国東半島の山々も見える。しばらくは豊前から豊後への山越えで静かな区間を行く。

周囲が開け、別府湾に近づく。9時52分、別府に到着。車内では外の様子がわからないが、ある程度は下車があったものの、別府から大勢が乗って来るわけでもない。

別府湾沿いに走る。787系の座席は1席ごとに1枚の窓が並ぶが、さすがコンパートメントでいくらか窓は広い。

10時03分、大分到着。5分停車ということで一瞬だけ列車の外に出る。「にちりんシーガイア5号」も大分でコンパートメントを含めて乗客の入れ替えが見られ、列車の役目としては一段落である。小倉、いや始発の博多から宮崎まで乗り通す客というのはどのくらいいるのだろうか。

ネットの書き込みや個人のブログで拝見したことがあるのだが、この787系編成、通常は日豊線の延岡以南の特急「ひゅうが」や「きりしま」として運行されているが、車両の所属じたいは南福岡車両区で、メンテナンスその他のため定期的に南福岡に送り込む必要があるという。その行き帰りに1日1往復の「にちりんシーガイア5号・14号」として長距離運行しているそうだ。

大分を発車し、この先鶴崎、臼杵、津久見と停車する。大分近隣の工業地帯、津久見のセメント工場、さらに豊後水道に面したリアス式海岸が広がる。

11時04分、佐伯に到着。停車中のホームの壁に、「ふるさと観光漫画」として、漫画家・富永一朗の作品が掲げられている。佐伯市出身と紹介されている。略歴によると佐伯は富永一朗の父の出身地で、幼少の頃から旧制中学卒業まで過ごしたそうで、現在も記念館などがあるそうだ。

佐伯から先、延岡までは県境越えで1時間ノンストップで走る。日豊線で最後に開通したところで、重岡~市棚間の開業は大正時代も終わりに近い1923年(大正12年)のこと。

今回の九州八十八ヶ所めぐりのお供として、柳田國男の「海南小記」(角川ソフィア文庫版)を持参している。「海南小記」は、柳田國男が1920年(大正9年)の12月から翌年の2月にかけて九州東海岸から奄美諸島を経て沖縄の島々を回り、日本の民俗学において沖縄の重要性や、南島研究の意義を説いた、ルポのような紀行文のような、そんな文章である。その時の行程は神戸から汽船で別府に上陸し、大分から臼杵までは鉄道、そして臼杵からまた船で移動している。文庫に掲載の地図では大分から延岡、宮崎を経てずっと鉄道が通っているように描かれているが、実際に旅した当時は豊後から日向に至る鉄道は通っていなかったはずだ。

作中では途中のリアス式海岸に浮かぶ島々をめぐり、その様子も描かれている。延岡では九州八十八ヶ所百八霊場の札所の一つである龍仙寺にも訪ねている。その道中で豊後水道の島々を回ったことにも触れているが、要は鉄道が開通していない当時では、海路をたどるのが便利だったのだと思われる。

さて佐伯から延岡までの区間、秘境駅の宗太郎駅が見られるかと車窓に目をやっていたが・・コンパートメントで静かで落ち着いた車内、

そして適度な揺れが効いたのか・・寝落ちしたようだ。途中ガクンという停車に気づいて外を見るとどこかの駅のようだが、宗太郎ではなく、宮崎県に入ったのは間違いないようだ。駅の構造で後から調べた限り、おそらく北川駅だったと思う。後は延岡まで下る景色を眺める。

12時07分、延岡到着。窓の外にはコンテナヤードが広がる。ここでまた乗客が入れ替わったようである。

日向灘が開けるようになる。日豊線後半の車窓の見どころである。

その中でもやはり異質なのは、都農のリニア実験線。現在は高架橋上に太陽光パネルが並ぶ。何でも太陽光にすればよいというものばかりではなかろうに・・。

13時07分、宮崎に到着。広島からやはり日豊線ルートだと直通の特急を使っても半日がかりとなる。もし、前回札所の住職から話があったように、九州新幹線で新八代まで移動して、高速バスの「B&Sみやざき」に乗れば11時台には宮崎に到着し、その後の行程もまた違ったものになったところだ。それでも、今回は長々とした日豊線の旅もコンパートメントの1室で快適に過ごすことができたおかげで、移動の長さを感じることはなかった。これ、何なら往復コンパートメントで広島~宮崎の日帰り弾丸旅行をやってもいいなとすら思った。

この「にちりんシーガイア5号」は宮崎空港行きだが、名残を惜しみつつ宮崎で下車して、反対側ホームに停車中の13時19分発日南線油津行きに乗り換える。キハ140の1両編成だが、ボックス席、ロングシートもそこそこ埋まる。

大淀川を渡り、南宮崎から日南線に入る。前回宮崎まで進んでいた九州八十八ヶ所百八霊場のコマも、ここから南に動く。

気動車に揺られ、13時47分、青島に到着。列車はこの日の宿泊地である油津行きだが、ここで下車する。同じように観光客らしい人の多くも下車する。

今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりのポイントの一つとして、鵜戸神宮に立ち寄ることを挙げていた。宮崎駅から宮崎交通バスに乗れば直通するのだが、せっかくなのでその手前にある青島にも行ってみたいという気もあった。そこで、日南線と宮崎交通バスの組み合わせを調べると、宮崎発13時19分発の列車に乗れば、宮崎駅からバスで南下するよりも速く移動することができ、青島で1時間ほどの時間が取れることに気づいた。バスは宮崎市街を抜けるのに時間がかかるようだ。

その「差分」を活用して、久しぶりとなる青島に向かうことに・・・。

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