この時期よく聞く言葉の一つに「ルーキー」というのがある。
この春も社会のあちらこちらで多くの「ルーキー」が新しい世界に身を置き、これから切磋琢磨していくことである。
私の部屋の書棚にも「ルーキー」がいる。もっとも、これは最近デビューした作家の新作というのではなく、『ルーキー』というタイトルの、もう20年前のものであるが・・・。
『ルーキー』山際淳司著、角川文庫版。
プロ野球の世界に飛び込んだある「ルーキー」の一年、そして熱かったあの夏の日々を描いた作品である。
この「ルーキー」とは、オリックス・バファローズの清原和博選手のこと。
巨人時代に「球界の番長」というフレーズをつけられ、ある意味オッサン扱いされている清原であるが、20年前のルーキーイヤーはさすがに少年の面影を持つというか・・・。
「少年は、幼い頃から熱い夏を夢見ていた―― 少年は、いつの
日か熱風の吹く球場に立つことにあこがれていた――そして――少年は、とうとう熱い夏の頂点に登りつめた。それは、若き獅子の誕生でもあった・・・・」
作品は、このルーキーが当時の大投手・阪急の山田久志投手に相対する場面に始まり、フィルムの舞台を熱闘甲子園に巻き戻す。当時の投手たちが清原と対戦することを誇りに思い、そして自分の夏を、自分の青春を思い切りぶつける。しかし清原はそれらのボールを難なくはじき返す・・・そんな夏の日々。
甲子園で対戦した投手たちはそれぞれの道を歩むことになるのだが、「あの夏」というのは正に特別なものであったようである。
このような貴重な体験ができた投手というのも、うらやましい・・・。
山際淳司氏は清原本人に密着するというより、清原という「怪物」に接した人間たちの回想と、その後の人生の道筋にスポットライトを当てている。彼らしい手法である。そうするととで、清原の存在感をクローズアップさせている。
清原が西武に入団した1986年のシーズン。その年は広島東洋カープとの日本シリーズだった。
史上初の第8戦にまでもつれたシリーズも、結局西武の優勝。
決着のついた後に、この年での引退を表明していた広島の4番・山本浩二が涙で胴上げされる。そしてそのシーンを見つめる西武の若き4番・清原・・・テレビ中継だったか、「珍プレー好プレー」のラストだったか、「世代交代」を印象づけたシーンが流れていたのを憶えている。
ルーキーがベテランにとって変わるシーン。
いつかどこかで必ず目にするもの。
今年のルーキーたちがいち早くそこまで台頭してくれれば、組織としても活性化するしね。
「ブログ型」とか何とかいわれているけど、そんな評価をぶっ飛ばすくらいに暴れまわってほしいな。
そんな姿勢をベテランとか、中堅どころがガッチリと受け止める。時には跳ね返す。
こういうやりとりが、あちらこちらで交わされることであろう・・・。