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京阪とJRが接する東福寺駅。ホームに連絡改札も設けられており、例えば新幹線で京都まで来た人が市内観光をする場合、JR奈良線で一駅東福寺まで来て、ここで京阪に乗り換えて七条から北の各駅まで行くほうがスムーズに移動することができる。逆に京阪沿線から京都駅に行く場合も東福寺乗り換えが便利である。
このためもあってか、建物自体小ぶりな東福寺駅は観光客でごった返している。もっともこの日は、乗り換えのためだけではなく、紅葉の名所としても知られる東福寺そのものが目的地という客のほうが多い。
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駅前に張り札がある。左右に走る道の右を行けば東福寺、左に行けば泉涌寺に行くとある。ほとんどの客が右に行くし、右から駅に戻って来る中、私は左に行く。これから行く今熊野観音寺は、泉涌寺の敷地の中にある。住宅地の中を行くが人通りは少ない。
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「いまくまの」と立て看板のある交差点を過ぎると緩やかな上り坂となり、前方に森が見える。そして「御寺 泉涌寺」の札が掲げられた山門に出る。ただここはクルマも普通に通過できる。この一帯全域が泉涌寺で、今熊野観音寺をはじめとした塔頭がいくつかある。
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駅から15分ほどで今熊野観音寺に到着。泉涌寺の一つの建物だからか改めて山門はないが、赤い欄干の橋がかかる。この位置だが、現在JRの西国三十三所スタンプキャンペーンの車内広告で、紅葉のシーンとして箕面の勝尾寺とともに登場する。11月の8日の時点では紅葉のコの字もない青々とした景色だが、見頃にはあの広告写真のようになるのだなと想像する。
雨ということもあるのか参詣客もまばら。でもここは、観光というよりは純粋にお参りに来る人のほうが多いのかなと思う。
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出迎えたのは着物姿の豪快キャラのこの像。子護大師とあり、モデルは弘法大師とされている。像の周りには四国八十八所のお砂踏みがあり、南無大師遍昭金剛を唱えながらお回りくださいとあるが、朝からの雨で地面はぐちゃぐちゃである。
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この今熊野観音寺、熊野権現のお告げで弘法大師がこの地に観音を祀ることを発起し、嵯峨天皇の勅願で開基したとされる。平安後期には後白河上皇(法皇)がこの寺で祈願したところ、持病の頭痛が治ったという。元々熊野詣でが好きだった上皇は、この寺に「新那智山、今熊野」の名を与え、それが今に伝わっている。このことから、今熊野観音寺は「頭」に関するご利益があるのだとか。
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本堂に上がる。堂内に座ってお参りができるとあって入らせていただく。この日訪ねた3ヶ所、いずれも靴を脱いで堂内でお勤めをすることに。
その堂内に多数並べられているのは、ご祈祷済みの枕カバー。 「頭」が得意分野と書いたが、頭の外側もあれば、頭の中身もある。後白河上皇は頭痛だったが、世が進むとそれは学力向上、さらにはボケ封じにも展開する。この枕カバーでボケ封じとあり、一瞬うーんとうなるが、今はまだいいかなと。
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代わりというわけではないが、境内にボケ封じ観音像があり、こちらに手を合わせる。関西には十のボケ封じ観音めぐりがあり、西国札所である岩間寺や総持寺も含まれている。
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一通りお参りして朱印を受ける。大判の朱印帳だが、ページを大きく使って墨書してくれる。最後に日付を書くのだが、机横の時計を見た後に書いたのは「十一月七日」。
あれ?先の記事から書いているように、この日は8日。それが7日とは・・・まして、日付を書く前に時計を見たぞ。
ボケ封じ観音がいる寺でちょっとしたボケをかまされたわけだが、まあ注意して直させるほどのことはないだろう。どこまでもしっかりしている人でも、勘違いというのはあることだし・・・。
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本堂の前には五智水がある。弘法大師が杖で地面を突くとそこから湧き水が出たとされ、同じような伝説があちこちにある。今熊野観音寺の五智水は進化しているのか、何と蛇口をひねって柄杓でうけるというもの。普通の蛇口って・・・まあ限りある水資源を大切にということだろうが、どこか味気ない。蛇口なら、柄杓ではなく茶碗かコップのほうがまだよい。このためか、味もよくわからなかった。
雨足が強まる中での参詣、これでこの日の3ヶ所が終了した。さて次の行き先をサイコロで決める・・・必要はなかった。満願の谷汲山華厳寺を除くと、残りは姫路の圓教寺のみ。次は自動的に姫路行きである。
ここまで来たかという感じである。次はぜひ秋の青空の下で行きたいものだが・・・。
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