まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

城下町・出石

2013年10月19日 | 旅行記E・関西

天空の城・竹田城を訪れた後、和田山から養父方面にクルマを走らせる。朝の8時台、空はよく晴れており窓を開けるとちょうど心地よい風が入ってくる。明け方は少しひんやりしていたのが、3時間かけて竹田城を往復していくるとアンダーシャツは汗でびっしょり。車内でシャツを取り換える。

Dscn2903この日は香住まで行くのだが、道中にはさまざま立ち寄りどころがある。但馬観光のいわば王道というところだろう。その中でまず向かったのが、竹田城から1時間ほどの出石。鉄道ならば豊岡、江原駅からバスで30分ほどだが、クルマの場合南から回り込む形になる。学生の頃、真冬の家族旅行で一度訪れただけで17~18年ぶりの訪問である。

Dscn2905鉄砲町の公営駐車場にクルマを停める。ここに面する大手前通りを歩くと、出石のシンボルである辰鼓楼に出る。出石の時計台である。この周辺に人が立っていてクルマが進入できなかったり、またところどころでは太鼓の音が鳴る。

どうやらこの日はだんじり祭りに当たっていて、午前は各町の子どもたちがだんじりを曳いて歩き、大手前の駐車場に集まるという。

Dscn2909その前に、出石城跡に上る。竹田城よりは断然低いが、山の中腹に位置して町を見下ろす位置にある。出石藩・仙石氏が歴史の表舞台に出てくる出来事として、江戸後期、徳川家斉に水野忠邦という時期に「仙石騒動」というお家騒動があった。これは財政難にあえぐ出石藩にあって、重商主義と構造改革で行くのか、あるいは質素倹約を旨とするのかの方法の違いから一門内でのもめ事が起こり、結局は5万8000石が3万石に減封となったというものである。

Dscn2912しかし、城下町や周辺の田園風景などを見ていると、「やはり3万石くらいの土地なのかな」と思う。城下町もコンパクトであるし、むしろ明治になって養蚕、生糸で小ぢんまりとはしているが豊かな風情を残す町になったというところだろう。

Dscn2917町並みを歩くと法被姿の子どもたちがだんじりを曳いてやってくるのに出会う。こういうのを見ると秋の訪れというのを感じる。

Dscn2920Dscn2930少し散策するのにちょうどいいサイズで、史料館に入ったり、酒蔵風情を眺めたりしてしばし過ごす。

Dscn2935Dscn2941だんじりのほうも10数台が出石城の大手門前に集まり、ここでそれぞれが紹介されてお披露目である。

さて、出石といえば仙石騒動より有名なのが出石そばである。仙石氏が信州から出石に国替えになった時、そば職人も連れてきたのが出石そばのルーツという。そしていつしか、出石焼と呼ばれる白い小皿にそばを盛るという食べ方ができた。少しずつ皿に出すのはどういう理由なのか。確かに食べ方としてはわさび、ねぎ、玉子、山芋などをお好みでトッピングするのだが、出雲の割子そばとはまた違ったものである。

出石には50軒ほどのそば屋が協同組合に入っているという。先ほど「コンパクトな城下町」ということを書いたが、それを踏まえるとそば屋の密度が濃い。ただどこも出石そばの基本パターンは踏襲しているし、値段も「一人前5皿」が標準で800~850円というところ。これでは逆に店ごとの差別化が図りにくそうだ。

Dscn2937辰鼓楼を間近に見る「本陣鶴屋」という店に入る。こちらでいただいた皿そばは絶品とまではいかないが、味は悪くない。ただわんこそばのようなゲーム性とも違うし、これならば普通にもりそばで出してもいいかなと思う(持ち運びに便利なように小皿形式にしたというのが由来のようだが・・・)。

城下町風情を楽しみ、さらに先に進むとする。円山川に注ぐ出石川に沿って走るが、その川面や河川敷には、白地に羽先が黒の鳥が止まっているのを見る。コウノトリだ。但馬空港は「コウノトリ空港」だし、大阪からの特急も「コウノトリ」である。クルマは流れており停めて観察することはできなかったが、こうした鳥が普通に河原にいるというのも但馬の豊かな自然の表情の一つである。

この先は関西の有名温泉に立ち寄りとする・・・。

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